シュートスタイル
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▼マンガ『ヒナまつり』

15巻。
ヒナたちの、なんとなーくこういうことなのかなぁ・・・だった秘密が、実際そんな感じだったと明かされた。
ストーリー的には重大事といえば重大事。
なのに登場人物たちの日常はほぼ特に変わらないのが実にらしい。
まあヒトミさん以外は。
もう今後は「三島コンツェルンの~」とだけ言われたら「どっち?鉄拳?ヒトミさん?」なるな。

月刊マーのは声出して笑えた。
実際この場で一番気遣いできてるのってヒナだよな、思える状況が増えてるのおもしろい。


▼マンガ『ロロッロ!』

2巻。
いい、キャラ増えて楽しみやすさ増してる。
眠り少女の腹筋は何かの伏線か?
思いきや、ダイエット話のあれかー。


▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

第61話「デクVSかっちゃん2」
いいな、熱いな、男の子だな、人生だな!だった。
良いアニメや。
ED後のやりとりあんなん泣く。


▼ポエアカ

”そして空のすべてを見た時に
人は空を殺してしまうのだ”

”鳥は空の嘘を知らない
しかしそれ故にこそ空は鳥のためにある”

(谷川俊太郎『空の嘘』より抜粋)

自分が思う「詩」というものは、まさにこれだと思った。
「詩」というものがなぜ人に作用するかの仕組みをすべて解明・理解してしまったら、それはもう「詩」ではなくなってしまう。
そのことはすでにこの日記でも、それを踏まえた上でも「詩」に親しめるようになるため、自分の性格を考え、あえてでもそうしたところからアプローチできるならしたいとも書いた。

そして物事の捉えかたには「感性」と「実利」のふたつの面があるとも別の機会で学んだ(ありがとう小野ほりでい先生)。
大抵の場合、「実利」を主にして考えたり語ったりするほうが正しく賢く見える・・・気がする。
「感性」は何かしらの物差しではっきり測れるものではないし、人が最低限に生きていくために必要な、一般的な実生活においては明確に役立つ機会も少ないからだと思う。

しかし「詩」は「感性」による「感性」のためのもの。
ここまで知ってきた先人たちの言葉からするとそうらしい。
それを疑う気はまったくない。

でも俺はロビンマスクの言葉だって忘れちゃいないよ。
そらにひかるほしも どこかふしぎないろ
▼アニメ『魔法が解けて』

第9話「エルフォのすべて」
一話完結ブラックコメディから長編ファンタジーっぽくなってきた。
この路線のほうが良い気する。
絵きれいだし、このクオリティのハイファンタジーな連続物って意外とないのでは?思えるし。
年齢層高め向けとしては。
ストーリー路線に入ってからキャラもよりしっくりきてる感じ。


▼ポエアカ

『谷川俊太郎詩選集 1』

あれ・・・え、天才?
俊太郎ってもしかして?
なった。
そんな言葉でしか言い表せなくてもうしわけない俊太郎ってくらいに。

だってこの自分が素直に「いいな」ってなる。
『春』とか『はる』とか『二十億光年の孤独』とか。
『空の嘘』とか。
なんというか、追える。
まずその世界を追っていけるんだ俊太郎の詩は。
そして追いながらいつしか、またはある瞬間に、先生の言っていた”離陸”を体感できるこの感じ。

詩ってものは自分的に文章としては追いづらすぎて、とっかかりがわからなすぎてカオスだった。
でも俊太郎の詩はやさしい。
最初からヘイヘーイ!つってはるか上空をブンブン飛び回っている感じじゃなく、まず手をさしのべてくれ、そして誘ってくれる。
ヘイヘーイ!はあんただ賢治。
賢治はほんま・・・
時計塔のデゴさん
▼ポエアカ

とりあえず青空文庫で読める詩をいくつか見てみたのだけど・・・
わからねえ・・・
感性もそうだけど、そもそもの教養が足りてないんじゃないの?
問題が急浮上だよ。
大前提として、この人の生きた時代背景を知らなきゃわかるどころか想像のしようもないのでは?なるし。
まあそれは作品にもよるのかもしれないけど。
わっかんねえ・・・・・・・・・・・・

それでも宮沢賢治はちょっと気になった。
わけわからなすぎて気になった。
詩じゃなくてもわけわからないんだこの人の作品は昔から。
『銀河鉄道の夜』なんて俺が人生で唯一途中で寝ちゃったアニメだし。
だから今あえて挑んでみたい。
あと先生(茨木のり子)と俊太郎(谷川)の詩集も買ってみた。
賢治で「うう・・・」ってなったら先生と俊太郎で癒される作戦。
どちらにしろわからなくても緩急はつけられそう。
しばらくそんな感じで学んでいってみる。
▼アニメ『バキ』

第12話「キャンディ」
この副題だけで「ああ・・・」ってなるやつ。
アニメ見てなくても「そこまできたんだー」ってなる。
独歩たちはドリアンの流儀につきあいながら、自分らの流儀で勝とうとし、結局ねじふせることは叶わなかった。
烈はドリアンの流儀の欠陥を突き、その上で芽生えたドリアンの新たな願いをもはね除け、心を砕ききった。
作中でいわれる強さとは、我が儘を通す力。
それは相手の意を通さないということであり、烈がそれに徹して決着をつけるこの流れには納得だ。
でもだいぶもう、ここらへんから混沌としてくるんだよなぁ・・・って記憶がおぼろげに。
オリバはよきて。
発目さんにお願いしたい
発目さんにお願いしたい
▼映画『マイティ・ソー バトルロイヤル』

huluに配信されてたので見た。
楽しめた。
いろんなアクションシーン見れたなーって感じで。
それでいいんだなこういうのは。

ロキが相も変わらず良キャラで。
ちゃんと裏切ってくれるのがエライ。
裏切りキャラとしてねずみ男に迫れるんじゃないかくらいの魅力ある。

ハルク登場はフツーにおどろいた。
いや・・・・・・ポスターにも出てるやん?
って話なんだけど、なぜか完全に忘れてて。
「インクレディブル~~!」のとこで「え・・・うおおお?」なったし。
ハルクモードのままいっぱいお話ししてて新鮮だった。

覚醒雷神ソーもかっけかった。
ムジョルニアがじつはソー最大の武器ではなく、むしろソーの力を抑えるためのものだった、とかそんな中二な設定がまた熱く。
『インフィニティ・ウォー』でも一番カッコ良く見れたし、次作『アベンジャーズ』での活躍もたのしみ。


▼漫画『となりのヴァンパイアさん』(高畠りょうこ)

Kindle Unlimitedにあったのでなんとなく読む。
絵、いいなと思って。
そしたら実際かなり読みたかった感じのマンガだった。

ざっくりいえば吸血鬼三姉妹のゆる系日常マンガ。
個人的に、あーこんな感じのひさびさに読んだなー、読めたなー、てなるような。
古くはないんだけどなつかしい感じのするやつ。

全2巻だけど、いやもっと続けてもいいじゃない?思えた。
この作者は今後気にしていこう。

Amazon
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ピッコマ(一部無料で読める)
https://piccoma.com/web/product/34


▼山

予想はしていたけど足首とふくらはぎが・・・
これがビーストモードの代償かッ・・・!!なり。
ビキビキ。
でもまあ、いいや、今日は一日中ゴロゴロすっし・・・と。
ゴロゴロした。
寝たいときに寝た(ブタに変身させられる夢を見た)。

山は少しずつ装備を整えていきたい。
いま一番ほしいのは靴。
いつものじゃ靴底がうすくて、山道のかたい凸凹をかなり直にうけてしまった。
もっとそれ用の底のしっかりしたやつがほしいというか、緑谷出久(ヒロアカ)みたいなのがほしい。
というか『ヒロアカ』のヒーローたちみたいな感じで自分用に装備整えていくって楽しそうだし。
・・・とか、人生初、服装のことを本気で考えはじめた自分にびっくりだ。

今まで服とかほんとにまったくどうでもいいと思って生きてきて、夏涼しく冬温かく、それ以上に何がいる?
で通してきたけど、目覚めたかもしれない。
そうか、みんな、必要だから服装気にしてたんだなと。
例えばモテたい、自分をよく見せたい、自分をよく見たい、憧れの人のまねをしたい、とかそれが必要なことだからみんな服装のことであれこれしてたんだな。
俺には山から受けるダメージを軽減したいという目的ができた。
そのための靴がほしいし、あと汗対策のための服や、雨具としてのパーカーや帽子、そういうものをそろえていく。
これってRPGで装備を買う感覚と同じだわ。
そういうことだったのか。
山の真実
山の真実
山の真実
▼山

大山登った。
思ってたんとちがう・・・なった。

予定どおりケーブルカー使った。
阿夫利神社の下社までらっくらく。
文明のゆりかご・・・意味ちがうけどそんなふうに感じながら。
で、けっこう登っちゃったし、こっから頂上までとか楽勝っしょ。
こりゃもうイージーモードどころか体験版だなー。
などと思いつつ。

しかしそんなに甘くはなかった。
なんか・・・うん。
あ、はい・・・ってなるような道がなかなかにあって。
気持ちとしては、ポエマーとして、ポエマーアカデミア課外授業くらいの気持ちできたのに、えーナニコレーって。
いやしんどいんだけど?と。

それでもう、あこれはポエマーじゃだめだ・・・思って。
ウメちゃん力を貸してくれ・・・のビーストモードに。
で気付いたらわっしわっし登ってた。
なんかもう、仕事と同じく、イヤなことは最短最速で終わらす!!!
だってイヤだから!!!!!!!
ていうスイッチが入って怒涛に登ってた。
前の人を追い越しまくり、自分はだれにも追い越されず、休憩もなしで、止まるのは降りてくる人の邪魔になりそうなときだけ。
なんか俺登れる・・・登れるぞ!?なって。

だからもう、ポエムとか自然とかじゃなかった。
メンタルではなくフィジカルだった。
山は。
山はフィジカル。
そして俺は無駄にというか不思議と体力がある。
アウトドアパパからの遺伝なのか、過去に一年近くジム通ってたからなのか、ふだん座ってるかゴロゴロしてばかりのくせにいまだある。
その発見がうれしかった。

そんなこんなで通常下社より90分の本坂コースを1時間とかからず登り切った。
俺はやった。
大山登った(見えづらいけど一番上の写真が大山山頂って彫られてるやつ)。
まあひとりというのがかなり大きかったとは思う。
誰かと一緒だったら歩調を気にしたろうし、もしお互い疲れてなくても気を遣いあって休憩も取っていただろう。

山頂は雲だか霧だかで遠景がなんも見えない状態だった。
おまけに雨も降ってくるしで・・・あー帽子もってこなかったけどあれって雨具でもあるんだな・・・と知る。
だからってここで折り畳み傘開くのはありえず(山をなめてたことがバレる)、仕方ないのでタオルを頭に巻いてしのいだ。
普段ならそんなん絶対人に見せない格好なんだけど。

下りはまあ普通だった。
下りのほうが登りよりきついみたいな言葉もあるけど、それはあくまでも「危険」って意味で、体力的にはきつくはなかった。
ケーブルカー使わず男坂から下り、たしかに登りからここ通ってたらきつさも段違いだろうな思ったので、次回はここも含めて攻略したい。
今後、山は修業の場として向き合っていこう。
植田まさし原画展
▼マンガ『ザ・ファブル』

最新15巻。
自分を山というか大自然に誘ったきっかけマンガの新作がこのタイミングで出るとは。
まあ今巻は大自然となんら関係ない内容なんだけど、おもしろさは変わらず、静かに盛り上がっていくいつもの感じ。

殺し屋・二郎への依頼内容はターゲット二人のうちどちらかひとりを始末してくれればいいという特殊なもの。
前巻で二郎はある情報に目をとめ標的を定めたっぽかったのだけど・・・
なるほど、それは殺す理由ではなく殺さないほうの理由だったのかと。

この章の最後には佐藤と山岡が直接戦うことになるのだろうか。
もしそうなるなら間違いなく最強最悪、ヨウコすらもビビりまくる初のガチな敵となるはず・・・次巻予告では佐藤らしき人物が山岡に拉致られってるっぽいし。
というかこのうえ新たな”ファブル”までが来るっぽいし。
ほんとにどうなるんだこれ。

組長の夢のくだりは泣けた。
一般社会の尺度でいえば許されることではないのかもしれないけど、でもこのマンガが好きな人ならおそらく皆が願っていること。
それをこうしたタイミングで組長に語らせた理由をどうしても考えてしまいたくなる。

せめて痴漢おしおき編あたりでは和めたらいいな。


▼映画『男はつらいよ』

まさかの新作が来年公開。
どう受けとめていいのか正直わかんない。
ネットニュースで写真見たらさくらが急におばあちゃんになってたし・・・
そんなバカなと。
まだまだ若妻だろさくらは。
とかそういう齟齬がある、現実と、俺の中の寅さんワールドとでは。

そうした今のリアルさくらを新作で出すということは、寅さんの人生にある意味では決着をつけてしまうってことなんだろうか。
それはとてもさびしいことなんじゃないか。
それでいて、まったくそうしたことに触れないのも、逆にわざわざ新作つくる意味あったの?ってことにもなりかねないし。

まあ言う資格はない。
現時点での最終作を見てない人間にそんなことを言う資格はない。
書きはしたけども。
もしかしたら、最終作までしっかり見たのであれば、「これはうれしい。作るべきだと思ってた」とか言ってたかもしれないし。
とにかく今は俺の寅さんワールドと変わらず向き合っていく。


▼山

登山雑誌『PEAKS』を読む。
“ウルトラライト”特集というから、なんかそういうすっごい登山用電灯アイテムみたいなのがあって、もう山の夜は怖くない!ナイトハイカーのマストアイテム!てなことだと思いきや。
実際は”軽い”ほうのライトって意味で、ハイカーにおける軽装備の追及みたいなことだった。

ウルトラライト(略してUL)。
レイ・ジャーディンのロングディスタンストレイルを源流としたスタイル。
装備が軽いほうが遠く長く移動しやすいし、より山を楽しめるじゃん?
だったらどんどん軽くしていこうよ!適度に!
・・・とか素人理解ではだいたいこんな感じのことっぽかった。

他UL関係で登山ガチ勢な方々へのインタビュー記事なんかもあり。
そこに「山をやっている」「やっぱり真剣に山やってる人間は」みたいな言い回しが普通にバンバン出てきて・・・そういうものなんだ・・・と。
自分のようなにわか勢としては「山入ってくるわ〜」くらいでも、あえてのおふざけとして十分調子乗ってるように思ってたのだけど、甘かった。
やるものだった、山は。
まあ自分レベルじゃ怖くてそんなん言えない。
山やれるようになれるかな。

月刊登山野郎

2018年9月5日 趣味
▼登山

持っていくもの調べた。

・リュック(ある)
・帽子(ない)
・手袋(軍手)
・雨具(折り畳み傘)
・懐中電灯(スマホ)
・薬(要調査)
・タオル類(ある)

帽子は登山で画像検索したら被ってない人けっこういたのでまあいいかと。
雨具は本当は合羽がいいんだろうけど持ってないので。
薬は経験者からきいてみる。

・食料と十分な飲料水 (おにぎりなどの弁当に加え、チョコ・ナッツ・飴、ビスケットなどの高カロリーの携帯食、飲料水の目安は1.5ℓ以上)

食料はコンビニで弁当、チョコ、飴をかう。
飲料は水筒がどっかにあったら使う、なければコンビニ。

・服装は長袖シャツ(ある)
・着替えと防寒具(ある)
・靴(いつもの)

改めてみると相当クオリティ低い登山野郎だ。
いいんだこっからだから。
確実に日帰りだし確実に夕方前に帰るし。
ケーブルカーも使うしめちゃくちゃ安全第一で登る。
「こんにちは~」も言われたら言うし。
とにかく登って下りればいいんだ。

あと登山雑誌とかも気になって、ちょっと調べてみたら、

”近年、日本でもウルトラライトの考えはすっかり定着しましたが、今号では、“いま"のULにフォーカス。
ウルトラライトを日本に定着させたハイカーズデポ店主の土屋智哉さんによるUL論、4つのインディペンデントブランドオーナーによるUL座談会ルポ、最新のUL系ギア紹介、ハイカーズデポ・長谷川さんが答えるULへの疑問集など、ULの現在形、さらには道具選び、使い方のヒントなどをたっぷりお伝えします。”

みたいな紹介文で・・・・・・う、うん・・・て。
でもレビューに「初心者でも山登りたいなーって気分になれる内容ですよー」みたいに書かれてたので読んでみることにした。

Sadistic Summer

2018年9月4日 趣味
Sadistic Summer
▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

”詩は評論とちがって、首尾一貫、論理をつみかさねてゆくものではないし、一番表現したいことを鮮烈に残すために、他はばっさり大きく切りすててしまいます。”

”詩のおもしろさは独断のおもしろさかもしれないのです。”

”散文ですっかりときほぐせ分解できるものならば、それは詩ではありません。散文で解析できないからこそ詩なのです。”

読み終えた。
急に終わってしまった感じだ。
電子書籍は残りページ数を意識しないとそういうのがわかりづらい。
そんな急に・・・だって先生俺まだ・・・なったけど、先生が、「ではこのへんで」言うたんだ。
この本で伝えるべきことは伝えたってことだ。
あとは己次第なんだな先生。

自分は美しいものを美しいと感じる心に欠けている。
それは、いろんなことを損しながら、生きているということだと思う。
自覚した上での損は嫌だ。
改善できるならする、それだけのことだ。

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ
 (茨木 のり子)


▼山

今週土曜日に登る。
天気に問題なければこの予定は変わらない。
周りにもそう宣言しまくったでもう。
X JAPANのToshiが、やりづらいことをやるときのコツとして、
「やると決めちゃう、日取りを決めてしまう」
って斎藤工にも言ってたし(『MASKMEN』)。

べつに山登りはやりづらいことではないんだけど、むしろやりたいことなんだけど、でも自分の性格的に予定日を二度三度くらいは伸ばすおそれがあるもんだから。
とにかく登る。
太陽の勇者
▼バラエティ『カリギュラ』

「人間火の鳥コンテスト」
人間が火の鳥となって空を舞う(火だるまになって湖につっこむ)。
笑うわ。


▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

先生にもわからない詩はあるらしい。
皆が名作といっているけど自分には響かなかったと。
すべてを理解できるわけでもないし、その必要もないってことなのか先生。
俺には俺に、響く詩がどこかにあるのかもしれない。
先生の紹介してくれる詩は、文章や言葉の使い方はなんかすごいなって思うものばかりだけど、詩として響いているのかは自分でも正直わからないんだよ。
自分の詩を探してみるところからかな。


▼山

駅は意外と近い。
早く登りたい。
もういやだ文明も人間もたくさんだ。
山の怪異に遭遇したいんだ。
初回なのでケーブルカーには乗る。
お土産も買おう。
▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

シーズン3第59話「何をしてんだよ」
仮免取得試験編終了。
早々に脱落しちゃったけどあの肉の人、実際ものすっごく強力な個性に思う(人間を生きたまま肉塊に変えたり戻したりできる)。
やりようによっては救助方面でも活躍できそうだし、自分の肉体はかなり自由に変えられる上に切り離して遠隔操作までできるという謎チートっぷり。
能力、性格、共に相当危ういとこあるからぜひとも正しい道を歩んでいただきたい。


▼バラエティ『カリギュラ』

シーズン2エピソード1「東野、カラスを食う」
女ハンター清水さんの撃ち落としたカラスを東野がさばいて食う。
普通に美味そうだった。
カラスは鉄分とタウリンが豊富で低コレステロール。
高級フレンチ店ではカラス料理が一皿8~9000円なのだとか。
地上波でやったら炎上案件バンバンな作りがいっそ痛快だった。
悪ふざけのない世界に生きる価値なんてない。

タイガーニー

2018年9月1日 趣味
タイガーニー
▼映画『男はつらいよ 寅次郎恋歌』

1971年12月29日公開シリーズ第8作。

寅さん意外とフラれてない説ある。
今作なんかは男女関係のことで何か起きたり言われたりしたわけでもないのに、寅さんから「またフラれちゃったよ」なんて笑顔で身を引く感じだったし。
たしかにある意味ではフラれたんだけど、今回はずいぶん大人なフラれっぷりだったように思う。

マドンナは池内淳子が演じる未亡人の貴子。
貴子は柴又へ越してきたばかりで喫茶店を経営しており、周囲の心配どおりに寅さんと知り合ってしまう。
貴子のひとり息子が友だちをつくるきっかけとなったり、寅さんは貴子と徐々に距離を詰めていく。

このマドンナとの話が始まる前に、寅さんは妻を亡くしたばかりの博の父親(志村喬)と交流しており、そこで当たり前の家庭の尊さを説かれる。
厳格なあまり温かい家庭を築けなかった博の父親が、ふと思い出すのは、むかしに旅先で見たリンドウの咲き乱れる庭、夕餉時のその家からもれる灯りと家族の談笑の声だと。
人間は人間の運命に逆らってはいけない、と言う。

「年寄りひとりじゃさびしいだろう」と頼まれもしないのにずけずけと上がりこみ、遠慮なく飯をごちそうになって買い物も一緒にいって近所の人たちとも仲良くなる、そんな寅さんにだからこそもらした、家族のだれも知らない博の父親の悔恨の念だ。

寅さんは人から聞いた話を、まるで自分発のように話すことが多いのだけど、この旅先の家庭の話もそのネタのひとつとなる。
とらやへ帰っては自身が経験して感じたことのように披露する。
その場には博もいて、博自身は父親のことを冷たい人物だと、家族とくに母親にひどい仕打ちをした人間だと思っているのだけど、そうとは知らぬまま寅さんを通じ、父親の話を聴いている。

そのあと柴又へきた博の父親を、寅さんは相変わらずな調子で迎え、その孫である博の息子を抱かせるまでにいたるのだ。

「先生、ダメだよそんな仏頂面してもっとやさしい顔してあげなくっちゃ」「博たちがなつかないのもムリはないよ。博、おまえ子供のころからぜんぜんなつかないだろこの人に」「はいはいバアーっていってバアーって」

寅さんの言葉にぎこちなく孫をあやす様子に、一同は笑い、こんな父親の姿をみるのは初めてであろう博はおどろいたように吹きだし、そんな博のうつむいた笑顔をさくらがうかがっている。
人間のさだめ人間らしい生き様の場面。

寅さんはそんなふうに他人同士の垣根は意図せずうまいことぶっこわすのに、自分のこととなると・・・ってところがまたある意味ではこの人の魅力であるのかもしれない。

しかし今作の寅さんのフラれようは特殊だったと思う。
マドンナ貴子と自分の生き様があまりにちがうということに、寅さんが気付いて身を引いた形だろうか。
博の父親の話を聞いて、寅さんは一般的な家庭にあこがれをもった。
でも貴子は、女手一つで息子を育て、店を切り盛りし、その重圧となっているのはやはりお金の問題。
そんな貴子が、訪ねてきた寅さんに、実はずっと旅人にあこがれていて、一緒に旅ができたらいいなとまで言う。
それからまた家賃の催促の電話をうけている間に、寅さんは静かに貴子のもとを離れるのだ。

正直、ここらへんの寅さんの心情は、自分には追いきれていない部分がある。
なにか流れ的に不自然とか変だとかは思わないのだけど、はっきりしないところがある。

ごく単純に考えれば、貴子が一番苦しんでいるのはお金のことで、自分はその力になれるような人間ではない、だから離れたのか。
それとも、寅さんが一般的な家庭にあこがれているのと同じように、貴子もまた寅さんのような旅人にあこがれている、そのことになにかしら得るものがあったからなのか。
それとも、貴子がそうしたことを口にするのは、逆に、貴子がどんなに苦しかろうがいまの生活を捨てる気ががなく、また寅さん自身もそうであることに気付いたからなのか。

このあと、とらやへ帰った寅さんは「またフラれちゃったよ」と笑って言う。
大分特殊なパターンに思う。
そしてさくらと二人きりになったとき、
「兄ちゃんのこんな暮らしがうらやましいか?そんなふうに思ったことがあるかい?」
と訊く。
やはり貴子の言葉の真意、またそこから感じた自身の気持ちを探りたかったのだろうか。

しかしさくらは、
「あるわ。一度はお兄ちゃんと交代して、あたしのこと心配させてやりたいわ」
と、さくら個人の、肉親のやさしさでもって応えるのだ(この願いは第12作でかなえられる)。

今作は恋愛事よりもその先にある家庭がテーマだったように思う。
そして結局、主役は家庭をもたない選択をして物語は終わる。
これをどう捉えるべきなのか、今の自分にはわからない。
それでいてなにか、だれかが、はっきり間違っているとも思えない。
まあその、メタなことをいえばまだシリーズ第8作目だし、この時点の寅さんはまだ年齢的にギリ大丈夫っぽいし・・・?てのもあり。
いやしかし、やはりつまるところ人間は、人間の運命に逆らっては人間らしい幸せはつかめず、そしてだからこそ、そうでない生き様にもドラマが生まれ、それがまた人を引き付けるのではないだろうか。
とか今はそんなふうに思うだけだ。


・・・という上記が自分の感想だけど、どうしても釈然としなかったので、参考に人様の感想ものぞいてみた。
とくに寅さんが貴子から離れた心情について読み、そして再び最後の寅さんと貴子の場面を見返してみて、なんかもう恥ずかしくなった。
たしかに寅さんが貴子と自分の「旅」についての考え方のちがいに顔色を変える場面がある。
自分はその表情をべつの捉え方で見ていた。
しかし寅さんのさびしさに気付けなかったことは、それだけ自分が幸せに真っ当に生きてきた証であるのかもしれない。
今作はシリーズ中でも屈指の人と語り合ってみたい作品だ。


▼アニメ『魔法が解けて』

シーズン1第3話「闇のプリンセス」
全然内容とは関係ないけど、見ていてふと、もっとはちゃめちゃに生きてもいいはずだよな・・・となんだか思えた。
最近いろいろと疲れてしまうようなことが続いているせいかもしれない。
べつにいきなり人生を変えるほど破天荒になるつもりもないけど、でもなんとなく、こんなふうでもいいんだよなーと思えたことで少し楽になった気がした。

豚で死ねるか

2018年8月31日 趣味
豚で死ねるか
▼ドラマ『ザ・フラッシュ』

シーズン4第23話「新たな家族」
最終回。
今シーズンは大きな不満もなかったぶん大きな驚きもなかったような。
フラッシュの能力によって起こせるスケールのでかい事件は前シーズンまででやりつくした感がある。

新キャラのラルフはきらいじゃなかったけど回を隔てての扱いにブレがあったように感じた。
ゴム人間の動きも楽しかったけど新鮮味は特にないものだったし。
生き残ってくれたのはうれしいけど次シーズンも出るような感じじゃないのかな。

ハリーのことは悲しかった。
天才的頭脳を失い平凡な知性になった代わりに、おだやかで人好きのする人間にはなったけど、でも多分シスコと同じで、いち視聴者としては頑固で自意識が強くて自信過剰でイライラしては物を投げる(この悪癖は途中で改善)あの厄介で頼りになる天才ハリーが好きだった。

最後の戦いは、やはりこれまでのようなスピードスター対決のような派手さや満足感にはいたらなかった。
そしてその代わり(?)がマトリックス。
エージェント・スミスのごとくデヴォーがわらわらと。
能力を用いて総攻撃でなく肉弾戦。
人類一の知能はどうした。

前シーズンまでと比べるとちょっとやっぱり物足りない感じはあるものの、まあでも楽しめた。
今シーズンを経ての次がどうくるのかに期待。


▼アニメ『魔法が解けて』

Netflixオリジナルアニメ。
『ザ・シンプソンズ』等のクリエイターであるマット・グレイニング制作。
『ザ・シンプソンズ』な感じをお姫さまが主役のおとぎ話世界でやったら・・・なアニメ。
何が起きても不思議じゃないおとぎ話の世界に、あの傍若無人な作風をもちこんだらどうなるんだ的な。
先の展開がまったく見えない。

主役のお姫さまからしてナチュラルに不美人。
一時期はとくに日本のアニメで・・・美少女美少女、はいまた美少女、モブも母親も美少女美少女・・・なにこれブスのいない世界なん?
とか、美人美少女アレルギーにもなって、今はもうそんなことに不満もらすのも疲れて飽きて忘れちゃってたけど、ここへきて急にブスヒロイン。
ブスだろうがキャラが活き活きとしてりゃ魅力はあるんだよな、って海外アニメを見ているとつくづく思わされる。
まあまずは見てもらわなければならないわけだし、キャラクターは商品だから見た目も大事なんだけども。
しかし制作者のたしかな実績があってようやくこうしたヒロイン像でOKになるんだから、ある意味では創作品においてブスは美人より上の存在ともいえるんじゃないだろうか。
おいそれと扱えるもんじゃないよっていうそういう意味で。
わからんけど。

ただこのお姫さまビーンが、そこまで中身魅力的かといわれたらまだそうでもない。
型破りなお姫さまではあるけどそこまではちゃめちゃってわけでもなく。
むしろこのカオスな世界においては”普通”くらいといえる感じすらある。
姫に憑いたパーソナル悪魔のルーシーが悪事をうながす役割なもんだから(大したことはいわないけど)、姫自身はそこまででもないって程度で、そのぶんなりゆきで人を殺そうとすることもあるけど(うっかり殺っちゃったこともあるけど)優しさもあるよってところは守られているのかも。

まだとくに触れられていないところでも、掘り下げたら楽しそうな要素がすでにたくさん散りばめられている感じなので、そのへんやキャラクターの成長には期待したく、それなりに長く続いてほしいけど、無理っぽいような、今のところはそんなだ。
https://www.youtube.com/watch?v=pt2n508ROE4&feature=youtu.be

*タメイキ*

2018年8月30日 趣味
*タメイキ*
▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

”詩人が人々に供給すべきものは 、感動である 。それは必ずしも深い思想や 、明確な世界観や 、鋭い社会分析を必要としない 。むしろかえって 、それらが詩人を不必要にえらぶらせ 、そのため詩の感動を失わせることが少なくない 。詩人は感動によってのみ詩を生み 、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである 。”

谷川俊太郎の言葉だという。
俊太郎がそう言うならそうなんだろう。
俊太郎にはマンガ『ピーナッツ』でお世話になったし。
あとワープロを知ったとき、じゃあ手書きよりこっちのがいいじゃんって乗り換えて今はMacBookで詩を書いてるってとこも非常に好ましい。

詩には言葉の離陸があってこそで、そして人に感動をあたえるためのもの。
いまだなんら具体的なところはつかめてないけど、それでも大家の二人から「こういうものだよ」といった言葉を得られたのは大変な収穫に思う。
もしかしてこういうことこそが、詩においては最も具体的なところなのかもしれない。
詩を読んで、ふっとなにかを思ったとき、「でも詩を味わうってこういうことでいいの?」って不安がどうしてもあったのだけど、とりあえずはそれでいいんだ、先生も俊太郎も言ってたし、って思えるようになるのは大きな前進だ。
もちろん上でいわれている感動が、はたしてどれほどの意味や質や大きさをもったものなのかは、自分には到底計り知れたことではないんだけど、それでも基本のとっかかりとしては十分心強く思う。

またいまさらながら辞書等で『詩』を引いてみると、

・文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。(デジタル大辞泉)
・言語芸術の作品(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

とあるので、とにかくそういうものなんだなと。
詩の意味の解説を読んで「・・・そういうこと伝えたかったならじゃあふつうの言葉で言えばいいじゃん?」と正直ちょいちょい思っていたけど、言葉による芸であり術であり作品なのだからと思えば納得(いやそらそうだろうということをずいぶんな遠回りで納得)。
それになにかを伝えるのにはふつうの言葉がどんな場合においても最上、というわけでもないだろうし、こうした作品だからこそよりいっそう正しく余さず色濃く伝えられるってこともあるだろう。
詩にかぎったことではなく世の中の作品ってのは皆そういうものなわけだし。

とりあえず俊太郎さんの詩、もっと読んでみたいと思った。
光あれ
▼ドラマ『ザ・フラッシュ』

シーズン4第22話「光の計画」
シーズン4最終話直前。
でもけっこう色々な謎溜まってるし次シーズンやる気満々だなと。
謎のスピードスター(?)娘やら、セシルのことやら、ケイトリンのトラウマやら。
特にケイトリンの件はなぜこのタイミングで?ってちょっと。
おかしくはないんだけどこれがキラーフロスト復活の伏線ってことなんだろうか。
キラーフロスト好きだけど、でもそこまで満を持して的なキャラではないような気も。
とはいえなんだかんだあったけどどう終わるのか楽しみ。


▼ポエマーアカデミア

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

“いつも思うのですが 、言葉が離陸の瞬間を持っていないものは 、詩とはいえません 。”

“重装備でじりじり地を這い、登山するのが散文なら 、地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます 。”

上記解説でなんかちょっと、わからんけど、わからんでもない、思えた。
しかしそれ止まりだ。
先生はすごい。
そして詩は自分にとってあまりにも深すぎる難物。
なんかもう先が見えない。
将来的にわかった感じになっている自分が想像できない。

わかりやすさ的に初心者向けの詩があるなら、それがどういったものなのか知りたい。
これは、こうだから、こう感じられるよね?に対して、
「うん!」ってなりたい。
でそっから徐々にレベルを上げていく・・・みたいな感じじゃダメなのか。
どうなんだ先生。
僕のポエマーアカデミア
▼アニメ『バキ』

ドリアンVS末堂。
ジェットコースター。
三戦。
落下。
糸。
烈。


▼詩・評論『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

わかりやすい。
著者にとって思い出深い詩一作ごとに感想・解説がそえられている。
この詩をどう解釈しどう感じたか、またなぜそう感じたのか等。
感じかたは人それぞれだろうけど、今はとりあえず著者というかのり子先生の感性に全面的にそって考えてみる。
そうするとなぜ自分は同じような感じかたができないのか、自分に足りてないのはなんなのかが、はっきりとした答えでなくともヒントとして見えてくる。
そして、これはかなり道のりは遠そうだぞ・・・と改めて思う。

まだ全部は読んでないけど、とりあえず先生の解説は自分にとってふりがなのようなもの。
それがなくては本当に解釈すらおぼつかない。
詩は自分にとってあまりにもカオスな創作物だ。
詩にもいくつかの型のようなものがあるのだろうか。
あるとすごく助かりそうなんだけど。
というこんな思いつき自体がすでに詩を理解することとは程遠い考え方なのかもしれない。

詩は、書かれているものから感銘を受けるというよりは、それによってもともと自分の中にあるものに気付かされたり引っ張り出されたりして心動かされるもののような気がしてきている。
感動とはそもそもそういうものなのだろうか。
しかしそれだともうどうしようもないんじゃないか?って思えてもくる。
たとえば桜を見て「ああ、いいな」と思う感性、そういうのがもともとなかったら花の美しさをどう巧みな言葉で表現されても「ふーん」としか思えないではないですか先生。
詩のこころを読むには、もっと感性を、自身の心を養うことが肝要ということなのでしょうか。

最近は名作といわれている小説を読んでいても、ただ読んだ数を増やすだけでは意味が薄いような気がしている。
教養が足りてなくてはそもそもの理解度が低いのだから。
やはり必要なのは教養と感性の底上げなのではないだろうか。
よりこの世の中を楽しむためには。
そして道のりは遠くとも、手を付けること自体は容易であるなら、手を付けてみるべきだろう。
先生力を貸してくれ・・・。
▼特に何もなかった日

今日は特に何もなかった。
人に休日どうだったか聞いて「特に何もない」って返されると、
「そんなわけないだろう。例えば一日中寝てたって夢くらい見るだろうし、どんな体勢や格好や寝具で寝てたとか話せることはあるはず」
とかめんどくさいこと言ったりする自分だけど(親しい人間に対して冗談半分で)、今日はほんとに特に何もなかった。
ずっとゴロゴロしてた。
そんな日もあるよねーって。

結局『男はつらいよ』も見なかった。
やはりあれは日曜に見るのはもったいない、土曜の午前中に見るべきだ。

詩については少し調べた。
詩は理解するものじゃなくて感じるものだ、何度も触れていくうちにきっとわかるようになる、みたいな意見が多かったけどウソつけって思った。
それは単に理解に至る工程や仕組みを説明するのが面倒なだけだろうと。
世の中にはもしかしたら説明のつかないものがあるかもしれないけど、少なくとも人間が作り出したものであればすべて説明は付けられるはず。
ひねくれ者の素直な意見としてはそう。
なのでここはプロに頼るべきと思い『詩のこころを読む』(茨木 のり子)を購入。
詩の入門書・解説書としてかなり良いよ!とのことで。
今週はこれをメインに読んでいく。


▼今週末の予定

土曜日に大山に登る。
今週そのための準備を少しずつしていく。
むずかしそうなら再来週にする。
▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

第40話~第58話をhuluで一気見。
本日放映の最新話に追いついた。
そのつもりはなかったんだけど40話以降止められなかった。
まあ休みだしいいやと。
というかそれ以上におもしろいし重要な敵出るし重大な謎明かされるし、それでいて平常学校パートは楽しいしでこいつらもう大好きだわ・・・なって。
微妙だったのは最新話の特別編だけだ。

このアニメのOPは最初からべつに悪かないんだけど個人的にあんまり好みでないのが続いてわりと飛ばし勝ちだった。
でも3期のは最初のも今のも良い。
好みでいえば最初のほう。
男がヒステリック、電子、元々そういうのが好きなので。

3期OP1「ODD FUTURE」UVERworld
https://www.youtube.com/watch?v=FNgZ72EV9ls

絵的には死柄木と脳無ワサワサのとこがすごく良い。
しかし泣けるのはやっぱりオールマイトのとこ。
アニメ本編のある事件のあとに見るとしびれるくらいカッコイイ。

3期OP2「Make my story」Lenny code fiction
https://www.youtube.com/watch?v=WUDWBg4cFiw

3期OP2は1よりもっとわかりやすくキャッチーな感じ。
1、2共に本編で進行する内容に雰囲気合わせてある。
絵的に好きなのはオールマイトと最後の葉隠さん(透明な人)。
というかとにかくオールマイトが好きなんだな俺は。


▼ロクデナシ人間の反省

親族と当たり前の会話ができない。
「こんにちは、おひさしぶりですー、えー、前お会いしたのって・・・あ、そうそう、そのせつは・・・」みたいななんかそういうのができない。
向こうから挨拶されても「あ、ハイ、どうも・・・」(ペコリ)。
終了。
ニコリともしないことすらある。
僕はこういう人間なんで、話せないタイプなんです、アピール。
いい歳してなんなんだ俺は。

だって、当たり前の会話って、する必要ある?
当たり前のことなんて話す内容最初から決まってるのお互い知ってるんだから話す必要なくない?
思ってしまう。
でもほんとは、そうじゃなくて、「話す内容」ではなく「話すこと自体」に意味があることも知っている。
さすがにそこはもう認められる年齢にはなった。

あと俺が、相手に興味がないし、興味を持たれたくないってのもある。
興味を持たれて普通の会話がそこそこ続くうちに、普通の大人ができるような会話ができない人間なんだなとバレるのがつらい。
車乗らないし外あんま出ないから地理知らんし、野球にもサッカーにも、親族にどういう人間がいるとかも興味ないから。
興味ないことはほんとうに「へえ・・・」「あ、そうなんですか」で終わらせてしまう。
そんなありさまなのに嘘をついて興味持ったフリしてまで会話する必要ある?どうしても思ってしまう。

だから今日はチビたちに救われた。
俺に懐いてくれてるチビたちのおかげですごく間が持ったし、子供が怖がってないんだからそう悪い人間ではないんだろう、とか少なくとも思われたんじゃないだろうか・・・ってとこで救われた。
情けなし。
といいつつ、親族からとっつきにくい人間だと思われているならそっちのが楽でいいや・・・と思っているのが事実で、情けなさよりそっちの気持ちの方が強いんだ実際。

大人は、不必要なこと、大して意味がないと知っていることまでまるで全て大事なことのように、例えフリでも一生懸命やらなきゃいけないのがつらい。
その点子供は、本当に自分にとって意味のあること、必要だと考えることだけをやろうとするから、それに付き合ってやりたいと心から思える。
ほんとに中学生のようなことを言うようだけどむしろこうした考えは年々強くなっている気すらある。
無駄だと本当はわかっているのになぜやるの?って。
それが大人だなんてのは答えになってなくて、ただその先や別の考え方を放棄してるだけなのではとしか思えない。
もう本当に。

が、これが仕事だと、180度変わるんだな。
むしろそういう俺みたいな人間ばかりの中に放り込まれると、とたんめちゃめちゃ誰とでもコミュニケーションとったるマンと化す。
だってそうじゃないと定時に帰れないから!!!!があるからね。
意味があるとかないとかどーーでもいいわ俺自身が潤滑油になることだ!!って。
だから以前、どうしようもない俺しか知らない人が、職場の俺を見たとき、「だれ?って思った」って感想はそらそうだろうと。
俺の自由と決めている時間を奪うものはなんであろうと許さない。
それで自分の性格が邪魔なら自分の性格を一時的にでも殺す。
この考え方や原動力を、あらゆる場所で発揮できれば、もうすこし親戚づきあいもうまくいくだろうに。
どうにかならんものか。


▼読書

『桜の樹の下には』 (梶井 基次郎)
『太郎と街』 (梶井 基次郎)

『桜の樹の下には』はさすがに読んでた。
梶井基次郎の作品は詩的だと評価されているのを知り、ほんのちょっぴりだけなんか、そういうことなんか、思えた。
詩ってどう理解すればいいのか昔っからわからんのよな・・・
調べてみるかな。


▼明日の予定

『男はつらいよ 虎次郎恋歌』見る。
例の本をとにかく1ページでも読む。
帰る家さえ見当たらず。ただひとり立ちつくす。
▼お元気ソング『お々ドリアンの人生』(アニメバージョン)

 アムードゥーマヴィー
 たとえちいーさくーてもー
 たとえー ばかげてーいーてもー
 ゆめーをこのーてーに つかんだとーきはー
 けっしーて はなーしはしなーい
 かえるいえさえーみーあーたーらーずー
 ただひとりたちーつーくすー
 だけどだれかがわたしをどこかでいまもまーってる
 くるしみを ときはなつーためー
 ラヴィー ラヴィー
 ラヴィー ラヴィー

アニメは歌詞別バージョンなんかなー?
くらいに思っていたら歌詞だけでなく曲自体もアニオリだと知る。
自分の壊滅的音楽聴き取りセンスと、そこまでこの曲にこだわりがなかったのと、アニオリのそれほどの違和感のなさに気付けなかった。

とりあえず聞いた限りでは上のような歌詞だった。
なんなら最後の「ラヴィー」も「マヴィー」では?説もある。
「マヴィー」だった場合それがどういう意味なのかはわからんけど。
とにかく個人的にアニメ版のこれはこれで良いと思う。


▼スーパーどうでもいい愚痴

電車内の女性アナウンス、たまにいるアニメ声優風なのはなんなのかと思う。
正直個人的にはだけどちょっとウンザリする。
いや・・・ここにそういう感じ必要???思ってしまう。
ふっつーのローカル線だよ?って。
なんか。
いや好きな人は好きでべつにいいんだけど。

自分の乗車時間的にこのアニメボイサーによく当たるのでよけい気になる。
こういうのって無法地帯なのだろうかと。
どういう指導のもとこうなってるの?って。
俺がもし指導する立場で、いまよりもう少しだけ性格悪かったら、
「え・・・その声ってわざとやってるの?」
絶対言うだろうし。
「普段そういう声じゃないよね?」とか。
なんなら語尾に草だって付けかねない勢いよ。

そんなんツッコむなら男性の「ドア-シャリアス」みたいなのはどうなのさ?
ってなるかもだけど、あれはもう”ザ・電車ボイス”っていう、オンリー電車のためだけでしかない声だから個人的にはまだいい。
あれって電車じゃん、だから。
でもアニメボイスは、アニメじゃん?だから、別。
女性版電車ボイス開発を怠るなと言いたい。
なにを有りものでなんとかしようとしてるんだと。
百歩譲って「声優風味でやりたいんです!!」って思いがどーしてもあるというなら、じゃあせめて洋画吹き替えでやれと俺なら指導する。
それなら石塚理恵(ドリュー・バリモア吹き替え等)風でもいいよね?って。
それで「私とは声質がー」とか言い出したら「君ここに何しに来たの?」って言うし。

俺の日常のひとときなんざ当然「上等な料理」なんかには例えられない。
でも日常っていわば白米で、いってみりゃ「ほかほか白米にハチミツをブチまけるがごとき思想!!!」であり愚行だということを俺の乗車時間のあのボイサーが一日でも早く気づきますように。

まうまう

2018年8月23日 趣味
▼ドラマ『ザ・フラッシュ』

シーズン4「ハリソン評議会」
そのうちアミュレットと共闘しそう思ってたらやっぱり展開。
愛嬌ありすぎなんだあのおばはん。
最後は「それ内側どうなってるの・・・」状態で去っていったぜ。
またいつか。


▼山本みつ湖

”みんなで久々にオーズ観てる、オーズは素晴らしいなあ、オーズありがとう”
ってツイートしてて親近感がわいたよ。


▼ダンゴムシに、丸まるのと丸まらないのがいるのは、どうして?

https://www.nhk.or.jp/radiosp/kodomoq/answer/0828_insect.html

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