▼特撮『仮面ライダーオーズ/OOO』
いつかの明日が来る。
来てしまうのか。
物語としてはTV本編最終回の終わり方が最高にキレイな形だったろう。
でもあのあとも何かとアンクはプチ復活したりなんだりだったので、いっそもう、夢を現実にすることがあっていいかという気持ちもある。
まあ10年置いてからだし。
これ以上を置いたら作れるかどうかわからないし。
てなタイミングでもあるので。
唯一にして最大の不安要素は脚本。
なぜ本編メインライターの小林靖子でないのか。
界隈でも毛利支持派の言いようが「悪くはないよ!むしろこれこれこうだからいいよ!」ってまずは擁護色な時点でもう、手放しじゃないじゃんかと(まあそれはいいんだけど)。
いや一回ハッキリ言っておきたい、脚本が小林靖子じゃなくて毛利亘宏なの、俺はとっても残念だしとっても不安だよ。
『キュウレン』の毛利だから安心っていやそこむしろ不安要素なわけだし。
きらいだそういうの、不安がっちゃいけない、残念がっちゃいけない、みたいなの。
だからといって小林靖子がムリならまあ毛利亘宏になるんだろうは納得しなきゃいけない部分はある(本編で脚本やってて小説版も手掛けている)。
柄悪く言えば「しゃあなし」だ。
ほんとに個人的には「小林脚本じゃないなら復活を描かなくてもよかった」まで言えるんだけど。
とはいえ劇場で号泣しながら「ありがとう、ごめん毛利さん・・・本当にありがとう・・・」ってなる可能性だってまだ残されてるわけじゃないか。
んー・・・・・・・・・
とにかく見ないわけにもいかないから、とりあえず良いとこだけつまむ。
タジャドルコンボエタニティ、つまみざるを得ない。
そんな気持ちで待つ。
▼マンガ『ザ・ファブル The second contact』(1)
いい、良い、おもろい。
楽しいヤツラが帰ってきた!って感じがしっかり。
1巻はほぼレギュラー陣の顔見せで、前シリーズからの『今』を見せている。
そこに新たな不穏のはじまりも少々と。
マンガとしてめずらしいのはリアルと同じく”コロナ禍”であるということ(作中では”コロナ”とはいわず”ウイルス”で通すのだろうか)。
ここまでのメジャー作で取り入れているのは他に知らない。
なのでキャラも外出時にはマスク。
そして旅に出たはずのアキラが早めにもどってきた理由にもなっていた。
なるほどと。
展開としてはまずはヤクザ間の抗争になるっぽい。
けど主人公サイドにはアキラ(とヨウコ)どころか今はアザミとユーカリまでいるんだが?なんだよな。
伝説クラスの殺し屋たちと神様みたいなアキラ兄さん、つか今までもアキラだけで大抵のことはなんとかできてたし。
いわゆるなろう系主人公みたいなのが3、いや4人いる感じなんだよ。
だからといって敵サイドにファブルクラスのが簡単に出てこられても、それはちょっとちがう気もする。
・・・いやいいのか、アキラ兄さんつえー!は前シリーズでしっかりやってくれたし。
一番気になるのはアザミ、ユーカリの扱われ方かもしれない。
すごくいいキャラなんだよな、アキラヨウコと同じ元・殺し屋であり今は「ふつう」を享受している。
何より根がいいヤツラで。
だからこそバトルにおいては、めちゃくちゃ強いんだけどアキラとは比べものにならない、という彼らがどう動かされるのか、どうすれば良い感じに活きるのかが想像しづらい。
巷ではふたりの無事を祈る声もちらほら。
そのへんわかりたくないけどわかる気もするのがこわい。
レギュラー陣の元・殺し屋たちは皆、幼少期から殺し屋として生きるよう教育されてきた。
本人らの意思など関係なく大人にそう仕込まれてきた。
だから読んでいて「殺し屋だったのに」平穏な生活を送ろうとしている彼らに抵抗感をおぼえることはあまりない。
それでもこのへんのことは、やっぱり避けては通れないこととして、まずはアキラが過去の罪と向き合う展開でもある様子。
どうでもいい点としては今シリーズ初登場時のアキラの輪郭線が妙に太かったのはなぜなのか。
あとクロちゃん相変わらずでよかった、うるさいとこもあるだろうけど今はもうアザミやユーカリたちにとっても平穏な日常の一部なんだろうなと思うと。
どうなっていくのかなー。
▼我が日常
最近微妙に男にモテる。
いいことだ。
だから自分も、もっと人を愛していこうと思った。
前よりカリカリしなくなったし。
うん。
・・・とか思った矢先にイラッとしたり。
心の修行が足りなさすぎる!
いやそれでも!前ならもっと態度に出してたんじゃなかろうか。
今回は相手に伝わらないくらいのギリギリで抑えてた・・・と思いたい。
自分はやっぱり人に伝えるのも、伝えないのも、やりようが下手だ。
人に好かれたいのに人に好かれるのが苦手なとこある。
なんなんだ。
とかそんなだけど新たに好きな人ができそう。
そう思ったときにはもう好いてるんだよ、みたいなこと聴いたことあるしもう好きなのかも知れない。
最近はもう「成就とかそういうのは二の次でいいから、とりあえず人を好きにならせてくれ!」思ってたのでまずはこれでいい。
ただ特殊なのは、このご時世なのでマスク装着時でしか相手の顔知らない。
どうなんだろ・・・まあいいのか。
とくに女性は化粧とかして元から顔変わるものだし。
いや人間自体そもそも皮膚一枚はげば皆ほぼ同じじゃないか。
たかが皮膚、筋肉、骨格上の造形にそこまでこだわる必要ある?という考え方もなくはない・・・の?
それに自分は昔っからあまり美人さんを好きになったことがない。
・・・気もするけどだからといってじゃあ顔はなんでもいいってわけでもないか。
とりあえず今気になっている女性は、マスク装着時の顔見て「グリーヴァス将軍みたいな目をしているな」と思ったことがある。
あの『スター・ウォーズ』の。
さすがに本人にはそうと伝えないほうがいい、「実写本編では微妙だったけどアニメでは強キャラでカッコ良いよね」は褒め言葉につながらないというのは今の自分にはわかる(ひと昔前だったらわからなかった可能性がある)。
いくら自分としてはマイナスでなくややプラスポイントだったとしてもだ。
あとやたらと愛想の良い人なので「そんなわけないだろう」って常に思いながら接している。
そんな愛想のまま生きていける人がいるわけないだろうと。
自分にも他の人にも常に接客でもしているかのようにふるまっていて、それがデフォなんだろうけど、疲れないのかなと。
だからといってその奥には必ず本音や闇があるはずだ、とまでは思っておらず、もしあっても見ても見なくてもいい。
ただ興味はあるなという程度。
とにかく「人間らしく生きる」が昨今のテーマだ。
なんなんだほんとに。
▼創作
腕の練習模写。
神は筋肉に宿るのではない。
筋肉こそが神なのだ──。
いつかの明日が来る。
来てしまうのか。
物語としてはTV本編最終回の終わり方が最高にキレイな形だったろう。
でもあのあとも何かとアンクはプチ復活したりなんだりだったので、いっそもう、夢を現実にすることがあっていいかという気持ちもある。
まあ10年置いてからだし。
これ以上を置いたら作れるかどうかわからないし。
てなタイミングでもあるので。
唯一にして最大の不安要素は脚本。
なぜ本編メインライターの小林靖子でないのか。
界隈でも毛利支持派の言いようが「悪くはないよ!むしろこれこれこうだからいいよ!」ってまずは擁護色な時点でもう、手放しじゃないじゃんかと(まあそれはいいんだけど)。
いや一回ハッキリ言っておきたい、脚本が小林靖子じゃなくて毛利亘宏なの、俺はとっても残念だしとっても不安だよ。
『キュウレン』の毛利だから安心っていやそこむしろ不安要素なわけだし。
きらいだそういうの、不安がっちゃいけない、残念がっちゃいけない、みたいなの。
だからといって小林靖子がムリならまあ毛利亘宏になるんだろうは納得しなきゃいけない部分はある(本編で脚本やってて小説版も手掛けている)。
柄悪く言えば「しゃあなし」だ。
ほんとに個人的には「小林脚本じゃないなら復活を描かなくてもよかった」まで言えるんだけど。
とはいえ劇場で号泣しながら「ありがとう、ごめん毛利さん・・・本当にありがとう・・・」ってなる可能性だってまだ残されてるわけじゃないか。
んー・・・・・・・・・
とにかく見ないわけにもいかないから、とりあえず良いとこだけつまむ。
タジャドルコンボエタニティ、つまみざるを得ない。
そんな気持ちで待つ。
▼マンガ『ザ・ファブル The second contact』(1)
いい、良い、おもろい。
楽しいヤツラが帰ってきた!って感じがしっかり。
1巻はほぼレギュラー陣の顔見せで、前シリーズからの『今』を見せている。
そこに新たな不穏のはじまりも少々と。
マンガとしてめずらしいのはリアルと同じく”コロナ禍”であるということ(作中では”コロナ”とはいわず”ウイルス”で通すのだろうか)。
ここまでのメジャー作で取り入れているのは他に知らない。
なのでキャラも外出時にはマスク。
そして旅に出たはずのアキラが早めにもどってきた理由にもなっていた。
なるほどと。
展開としてはまずはヤクザ間の抗争になるっぽい。
けど主人公サイドにはアキラ(とヨウコ)どころか今はアザミとユーカリまでいるんだが?なんだよな。
伝説クラスの殺し屋たちと神様みたいなアキラ兄さん、つか今までもアキラだけで大抵のことはなんとかできてたし。
いわゆるなろう系主人公みたいなのが3、いや4人いる感じなんだよ。
だからといって敵サイドにファブルクラスのが簡単に出てこられても、それはちょっとちがう気もする。
・・・いやいいのか、アキラ兄さんつえー!は前シリーズでしっかりやってくれたし。
一番気になるのはアザミ、ユーカリの扱われ方かもしれない。
すごくいいキャラなんだよな、アキラヨウコと同じ元・殺し屋であり今は「ふつう」を享受している。
何より根がいいヤツラで。
だからこそバトルにおいては、めちゃくちゃ強いんだけどアキラとは比べものにならない、という彼らがどう動かされるのか、どうすれば良い感じに活きるのかが想像しづらい。
巷ではふたりの無事を祈る声もちらほら。
そのへんわかりたくないけどわかる気もするのがこわい。
レギュラー陣の元・殺し屋たちは皆、幼少期から殺し屋として生きるよう教育されてきた。
本人らの意思など関係なく大人にそう仕込まれてきた。
だから読んでいて「殺し屋だったのに」平穏な生活を送ろうとしている彼らに抵抗感をおぼえることはあまりない。
それでもこのへんのことは、やっぱり避けては通れないこととして、まずはアキラが過去の罪と向き合う展開でもある様子。
どうでもいい点としては今シリーズ初登場時のアキラの輪郭線が妙に太かったのはなぜなのか。
あとクロちゃん相変わらずでよかった、うるさいとこもあるだろうけど今はもうアザミやユーカリたちにとっても平穏な日常の一部なんだろうなと思うと。
どうなっていくのかなー。
▼我が日常
最近微妙に男にモテる。
いいことだ。
だから自分も、もっと人を愛していこうと思った。
前よりカリカリしなくなったし。
うん。
・・・とか思った矢先にイラッとしたり。
心の修行が足りなさすぎる!
いやそれでも!前ならもっと態度に出してたんじゃなかろうか。
今回は相手に伝わらないくらいのギリギリで抑えてた・・・と思いたい。
自分はやっぱり人に伝えるのも、伝えないのも、やりようが下手だ。
人に好かれたいのに人に好かれるのが苦手なとこある。
なんなんだ。
とかそんなだけど新たに好きな人ができそう。
そう思ったときにはもう好いてるんだよ、みたいなこと聴いたことあるしもう好きなのかも知れない。
最近はもう「成就とかそういうのは二の次でいいから、とりあえず人を好きにならせてくれ!」思ってたのでまずはこれでいい。
ただ特殊なのは、このご時世なのでマスク装着時でしか相手の顔知らない。
どうなんだろ・・・まあいいのか。
とくに女性は化粧とかして元から顔変わるものだし。
いや人間自体そもそも皮膚一枚はげば皆ほぼ同じじゃないか。
たかが皮膚、筋肉、骨格上の造形にそこまでこだわる必要ある?という考え方もなくはない・・・の?
それに自分は昔っからあまり美人さんを好きになったことがない。
・・・気もするけどだからといってじゃあ顔はなんでもいいってわけでもないか。
とりあえず今気になっている女性は、マスク装着時の顔見て「グリーヴァス将軍みたいな目をしているな」と思ったことがある。
あの『スター・ウォーズ』の。
さすがに本人にはそうと伝えないほうがいい、「実写本編では微妙だったけどアニメでは強キャラでカッコ良いよね」は褒め言葉につながらないというのは今の自分にはわかる(ひと昔前だったらわからなかった可能性がある)。
いくら自分としてはマイナスでなくややプラスポイントだったとしてもだ。
あとやたらと愛想の良い人なので「そんなわけないだろう」って常に思いながら接している。
そんな愛想のまま生きていける人がいるわけないだろうと。
自分にも他の人にも常に接客でもしているかのようにふるまっていて、それがデフォなんだろうけど、疲れないのかなと。
だからといってその奥には必ず本音や闇があるはずだ、とまでは思っておらず、もしあっても見ても見なくてもいい。
ただ興味はあるなという程度。
とにかく「人間らしく生きる」が昨今のテーマだ。
なんなんだほんとに。
▼創作
腕の練習模写。
神は筋肉に宿るのではない。
筋肉こそが神なのだ──。
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