▼読書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』塙宣之
再読了。
あんまりおもしろかったからYouTubeで塙のM-1評も聴き始めている。
M-1自体をそんなに見ていないというのに。
しかしなんであれ物事の仕組みを知るのは楽しい。
当のM-1はアマプラで塙批評で取り上げられているものをつまんで見ている。
でもこのコンテストでの成績はこの場この時だけのものでなく、直前までにできあがった流れや雰囲気(大会内だけでなくここまでの活動すべて)、芸人たちの認知度なども大きく左右するらしい。
言われてみればそういうものだと思う。
塙は審査員もまた人間だと言っていた。
なのでつまんで見るよりはもっと全体的に見たほうが、M-1における笑いはより感受できるんだろうなと思う。
塙批評を読むまでは「ネタがおもしろいかどうかが全てなんじゃないの」考えていた。
まあでも、ただ楽しみたいだけなら単純にネタ見るだけで十分なんだけど。
去年のは優勝したマヂカルラブリーの最後のやつだけ見た。
見たときは「へーおもしろい」くらいだったけど、仕事で疲れて帰宅途中ふと思い出して笑ってしまった。
ほぼ動きだけの笑いだとあまり脳を使わなくていいから頭の中で再現しやすいんだろうか。
▼バッドナイス常田
バッドナイス常田 『深夜の山道』(約4分)
https://www.youtube.com/watch?v=NlEm9XGnvus
バッドナイス常田『人類の限界について考えました』(約2分)
https://www.youtube.com/watch?v=S4yyiCFHLMI
三四郎の年末年始特番ラジオでバッドナイス常田が出ていた。
そこでの”夜回り先生”に扮しリスナーの悩みを聞くコーナーがすごくおもしろくて。
動画あさったら元はバッドナイスというコンビで、いまは相方が引退してピンでやってるらしい。
ネタはどれも本当におもしろいんだけど、特に感心してしまったのは上の2本のネタ。
いってみれば同じネタの尺ちがいバージョンで、そういうのって自分の知るかぎり、短いバージョンは通常からいくつかネタを引いて再構成したようなものが普通だと思う。
だから長いの知ってから短いの見ると「あーあのくだりカットしたんだ」ってちょっと残念になることもある。
でもこの2本は、上の4分から下の2分にするにあたりまったく別の要素をいれて再構成している。
オチまでちがっていて、しかもどちらも各々の味でしっかりおもしろいという。
自分は本当にテレビを見なくなっちゃったので、常田がいま一般的にどの程度認識されている人なのかわからない。
テレビから離れてもおもしろいものはたくさんあるけど、新しいおもしろい人に気づくのは遅くなったというのは感じる。
▼机と椅子
先日の休みは昼寝をしなかった。
特に睡眠時間はそれまでと変わっていないのに。
だからやっぱり新しい机と椅子だ。
座ってるだけで快適だからずっといれるし。
考えてみれば以前の部屋はくつろげる場所が寝床しかなかったんだな・・・
良い、日々の楽しさが底上げされた感じすらある。
▼異世界烈海王の件
作画と原作で内部分裂とか。
そうと知ると、そりゃそーだろ、なるな。
せっかく異世界いくんならドラゴンやらオークやら魔導士やらを「喝ッッッ!!!」つって中国拳法でバッタバッタしていくの見たいわけじゃないか。
それしかないわけじゃないか。
スーサイドスクワッドみたいにリセットしてやり直そうよ。
▼絵
ナイツ塙が「ひとくちに漫才といっても尺によって芸人それぞれの得意不得意がある。短いなら短い、長いなら長いで使う筋肉もちがう」みたいなことを言っていた。
だからやっぱり、絵とマンガもちがうのだと改めて思った次第で。
なので指慣らしイラストは今後指慣らしマンガにする。
参考にするかわいいイラスト教本はそのままだけど、枠線とふきだしを入れて、形だけでもマンガにする。
あくまでも形だけなので連続しているようで連続していない。
無理やりつなげているだけで、あくまでもマンガ筋肉を慣らしていくのが目的だ。
そしてイラストは『メイドインアビス』のナナチ。
本当はマンガの練習時間にしたいんだけど「そういや『ナナチ出てきたら描いてみるわー』ってメイドインアビスすすめてくれた人に言っちゃったな・・・」を思い出し。
なのでとりあえず描く!
とりあえずだけどスゲーがんばってる。
色もちゃんと塗りたい。
再読了。
あんまりおもしろかったからYouTubeで塙のM-1評も聴き始めている。
M-1自体をそんなに見ていないというのに。
しかしなんであれ物事の仕組みを知るのは楽しい。
当のM-1はアマプラで塙批評で取り上げられているものをつまんで見ている。
でもこのコンテストでの成績はこの場この時だけのものでなく、直前までにできあがった流れや雰囲気(大会内だけでなくここまでの活動すべて)、芸人たちの認知度なども大きく左右するらしい。
言われてみればそういうものだと思う。
塙は審査員もまた人間だと言っていた。
なのでつまんで見るよりはもっと全体的に見たほうが、M-1における笑いはより感受できるんだろうなと思う。
塙批評を読むまでは「ネタがおもしろいかどうかが全てなんじゃないの」考えていた。
まあでも、ただ楽しみたいだけなら単純にネタ見るだけで十分なんだけど。
去年のは優勝したマヂカルラブリーの最後のやつだけ見た。
見たときは「へーおもしろい」くらいだったけど、仕事で疲れて帰宅途中ふと思い出して笑ってしまった。
ほぼ動きだけの笑いだとあまり脳を使わなくていいから頭の中で再現しやすいんだろうか。
▼バッドナイス常田
バッドナイス常田 『深夜の山道』(約4分)
https://www.youtube.com/watch?v=NlEm9XGnvus
バッドナイス常田『人類の限界について考えました』(約2分)
https://www.youtube.com/watch?v=S4yyiCFHLMI
三四郎の年末年始特番ラジオでバッドナイス常田が出ていた。
そこでの”夜回り先生”に扮しリスナーの悩みを聞くコーナーがすごくおもしろくて。
動画あさったら元はバッドナイスというコンビで、いまは相方が引退してピンでやってるらしい。
ネタはどれも本当におもしろいんだけど、特に感心してしまったのは上の2本のネタ。
いってみれば同じネタの尺ちがいバージョンで、そういうのって自分の知るかぎり、短いバージョンは通常からいくつかネタを引いて再構成したようなものが普通だと思う。
だから長いの知ってから短いの見ると「あーあのくだりカットしたんだ」ってちょっと残念になることもある。
でもこの2本は、上の4分から下の2分にするにあたりまったく別の要素をいれて再構成している。
オチまでちがっていて、しかもどちらも各々の味でしっかりおもしろいという。
自分は本当にテレビを見なくなっちゃったので、常田がいま一般的にどの程度認識されている人なのかわからない。
テレビから離れてもおもしろいものはたくさんあるけど、新しいおもしろい人に気づくのは遅くなったというのは感じる。
▼机と椅子
先日の休みは昼寝をしなかった。
特に睡眠時間はそれまでと変わっていないのに。
だからやっぱり新しい机と椅子だ。
座ってるだけで快適だからずっといれるし。
考えてみれば以前の部屋はくつろげる場所が寝床しかなかったんだな・・・
良い、日々の楽しさが底上げされた感じすらある。
▼異世界烈海王の件
作画と原作で内部分裂とか。
そうと知ると、そりゃそーだろ、なるな。
せっかく異世界いくんならドラゴンやらオークやら魔導士やらを「喝ッッッ!!!」つって中国拳法でバッタバッタしていくの見たいわけじゃないか。
それしかないわけじゃないか。
スーサイドスクワッドみたいにリセットしてやり直そうよ。
▼絵
ナイツ塙が「ひとくちに漫才といっても尺によって芸人それぞれの得意不得意がある。短いなら短い、長いなら長いで使う筋肉もちがう」みたいなことを言っていた。
だからやっぱり、絵とマンガもちがうのだと改めて思った次第で。
なので指慣らしイラストは今後指慣らしマンガにする。
参考にするかわいいイラスト教本はそのままだけど、枠線とふきだしを入れて、形だけでもマンガにする。
あくまでも形だけなので連続しているようで連続していない。
無理やりつなげているだけで、あくまでもマンガ筋肉を慣らしていくのが目的だ。
そしてイラストは『メイドインアビス』のナナチ。
本当はマンガの練習時間にしたいんだけど「そういや『ナナチ出てきたら描いてみるわー』ってメイドインアビスすすめてくれた人に言っちゃったな・・・」を思い出し。
なのでとりあえず描く!
とりあえずだけどスゲーがんばってる。
色もちゃんと塗りたい。
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