▼映画『TENET』自分なりにがんばっての説明編
見た。
すごかった。
おもしろかった。
わけわかんねがった。
単純にジャンル分けすればSFスパイアクションになる。
監督のクリストファー・ノーランがスパイアクション好きということで。
SF要素はタイムリープ。
このタイムリープの仕組みや描写がもう・・・わけわかんねくなる。
たとえば普通のタイムリープものは、
現在←←←過去A←←←過去B
※「←←←」通常の時間の流れ。
という時間軸があって、「過去A」に行く場合はなんらかの手段で「過去A」へ一気にジャンプし、そっから改めて時間の順行に従うことになる。
現在←←←過去A←←←過去B
※「←←←」タイムリープした者が改めてたどる時間の流れ。
みたく。
しかしこの映画では「時間逆行回転ドア〜」みたいなのが出てきて過去にいけるんだけど、でも『時間のジャンプはできない』のだ。
じゃあどうするのかというと、
現在→→→過去A←←←過去B
こうする・・・
「順行」してきた時間と同じ時間を費やして「逆行」していく。
そして通常の「順行」時間に従っている者たちと「逆行」時間に従っている者たちは同時に存在できる。
「順行」現在←←←過去
「逆行」現在→→→過去
でこの2つの時間軸の重なっている世界の映像化がこの映画の肝なんである。
目の前で起きていることに、なんか・・・理屈ではわかってるつもりなんだけどわかるんだけどわからねえ・・・ってめちゃくちゃなるところなんである。
「順行」の人間には「逆行」の人間が逆に動いているように見え、「逆行」ではその逆。
だから・・・この通常の世界において後ろ向きに歩いている人がいたら「あいつ『逆行』してるな!『回転』してきたな!」と思えばいいんである。
で逆行中の者の行動は、すべて順行的にみれば『結果』が先で『過程』が後なんである。
もうここまで書いてわけわかんなくなってきたけども・・・・・・・・・・・・
だからその、劇中でもあった描写として、水たまりを踏むという行為。
これが、
(順行)上がった足 → 着水 → 上がる水しぶき → 上がった足
(逆行)上がった足 → 戻る水しぶき → 着水 → 上がった足
になるんですね。
だから逆行世界で拳銃から弾丸を放つと、順行世界では弾痕から弾丸がもどっていくことになる。
でも、順行世界で「弾痕から弾丸が戻っていった!?」をAさんが目撃しているとするじゃないですか。
でそのAさんが「逆行」して、それを撃ったのは自分だったと知る、かつて目撃したのは「逆行」してきた未来の自分だと知ったとしても、その行為を行うかどうかはいまのAさん自身の意思によるものなんじゃないかな?思ったりもするんですけど。
でも結果的にはやはり「撃つ」んですよね、かつての自分が見たのと同じように同じタイミングで同じ所に。
だからこのへん考えると、「逆行」してもすでに起きている事実は変わらない?いやすでに起きている事実のためにしか行動できないのか?じゃあ「逆行」する意味って・・・いやそれでも成り行きとしては「逆行」しなきゃいけないわけだし、することはもうゆるがない現実としてあるから・・・・・・・・・・・?
・・・とかもうほんと頭ぐっちゃぐちゃになってわっけわからなくなるので、「まあいいや・・・今はとりあえず目の前で起きていることをすべて受け入れて見ていこー」ってなるんですね。
こういうところも作品の”粗”として放置されているわけでもないっぽいので、なんか、あとで考えよう・・・って、なる。
▼映画『TENET』感想編
とにかく「わけわかんなさ」にも、理不尽で作りが下手なだけのストレスな作品と、こっちの処理が追いついてないだけでとりあえず見てるだけでもなんか楽しめる作品、があると思うんだけど『TENET』は後者だった。
ルールはわからんけどキャラの様子や場の演出でなんとなくわかる、楽しめる、というのは自分にとっては麻雀マンガとかで慣れてるというのもあり。
その上で映像はなんかすっごい奇妙なものを見せてくれるし、キャラは各々その役にふさわしい感情移入ができる者たちばかりだったから十二分に楽しめた。
以下ややネタバレ含む(この映画ではそんなに重要なとこじゃないかもしれないけど)。
この映画のヒロインであり敵ボスの妻でもあるキャット。
彼女は最初は主人公に利用目的で近づかれ、やがて協力者となる。
キャットは長年夫に虐げられてきたのでその復讐心もあり。
クライマックスではなんやかんやな事情により、敵ボスが自ら命を断つ前に主人公たちがある任務をこなさないといけなくなる(ボスが死ぬことをトリガーとしたある装置を止めたい)。
なのでキャットはそうと気づかれないようできるだけボスが自死しないよう引き付ける役目を任される。
・・・んだけど、キャットはボスとやりとりしているうちに「あんまり腹が立ったから」と撃ち殺してしまう・・・
いやこれ、「なにしてんキャット!?」ってなる人はなるんじゃないかと思う。
主人公らが間に合ったからいいものの、そうじゃなかったら世界終わってわけだし。
つかもっと若い頃の自分だったらそういうツッコミしてたと思う。
でも今作のキャットの行動はなんだかゆるせた。
だって、言われた作戦どおりにやっても、キャット自身の感情は納得できたのか?って思うし・・・
あと、こんなにも圧倒されっぱなしな作品のなかで、自分にも理解できる、自分もやってしまいそうな人間らしい愚かな行為が、なんだかとても愛おしく感じられたというのもあると思う。
賢く格好よく、その不幸すらも洗練され厳選されたキャラ付け要素のひとつかのように見えてしまう(実際そうなんだけど)、そんな人物たちの演劇にも感情移入できないわけじゃないけど、でもそれのみだと結局作られた別世界での話でしかなく、そこに思い至ってしまうとさみしさもおぼえてしまったりする。
でも「本当にバカだからこそ好き」って要素があると、ひとつなんだか、そういう意味で安心・親近感を得られるというか。
けっこう諸刃なところなのかもしれないけど。
まあそんなこんなで、すごいおもしろかった。
先週末には、最近よく話すようになった映像作品好き兄ちゃんに「TENET見たら感想話すわー」ゆっちゃったのだけど、ゆわなきゃよかった・・・正直見てて思った。
これ、言葉と身振り手振りだけで説明できんのか?と。
まあなんとかがんばってみよう。
見た。
すごかった。
おもしろかった。
わけわかんねがった。
単純にジャンル分けすればSFスパイアクションになる。
監督のクリストファー・ノーランがスパイアクション好きということで。
SF要素はタイムリープ。
このタイムリープの仕組みや描写がもう・・・わけわかんねくなる。
たとえば普通のタイムリープものは、
現在←←←過去A←←←過去B
※「←←←」通常の時間の流れ。
という時間軸があって、「過去A」に行く場合はなんらかの手段で「過去A」へ一気にジャンプし、そっから改めて時間の順行に従うことになる。
現在←←←過去A←←←過去B
※「←←←」タイムリープした者が改めてたどる時間の流れ。
みたく。
しかしこの映画では「時間逆行回転ドア〜」みたいなのが出てきて過去にいけるんだけど、でも『時間のジャンプはできない』のだ。
じゃあどうするのかというと、
現在→→→過去A←←←過去B
こうする・・・
「順行」してきた時間と同じ時間を費やして「逆行」していく。
そして通常の「順行」時間に従っている者たちと「逆行」時間に従っている者たちは同時に存在できる。
「順行」現在←←←過去
「逆行」現在→→→過去
でこの2つの時間軸の重なっている世界の映像化がこの映画の肝なんである。
目の前で起きていることに、なんか・・・理屈ではわかってるつもりなんだけどわかるんだけどわからねえ・・・ってめちゃくちゃなるところなんである。
「順行」の人間には「逆行」の人間が逆に動いているように見え、「逆行」ではその逆。
だから・・・この通常の世界において後ろ向きに歩いている人がいたら「あいつ『逆行』してるな!『回転』してきたな!」と思えばいいんである。
で逆行中の者の行動は、すべて順行的にみれば『結果』が先で『過程』が後なんである。
もうここまで書いてわけわかんなくなってきたけども・・・・・・・・・・・・
だからその、劇中でもあった描写として、水たまりを踏むという行為。
これが、
(順行)上がった足 → 着水 → 上がる水しぶき → 上がった足
(逆行)上がった足 → 戻る水しぶき → 着水 → 上がった足
になるんですね。
だから逆行世界で拳銃から弾丸を放つと、順行世界では弾痕から弾丸がもどっていくことになる。
でも、順行世界で「弾痕から弾丸が戻っていった!?」をAさんが目撃しているとするじゃないですか。
でそのAさんが「逆行」して、それを撃ったのは自分だったと知る、かつて目撃したのは「逆行」してきた未来の自分だと知ったとしても、その行為を行うかどうかはいまのAさん自身の意思によるものなんじゃないかな?思ったりもするんですけど。
でも結果的にはやはり「撃つ」んですよね、かつての自分が見たのと同じように同じタイミングで同じ所に。
だからこのへん考えると、「逆行」してもすでに起きている事実は変わらない?いやすでに起きている事実のためにしか行動できないのか?じゃあ「逆行」する意味って・・・いやそれでも成り行きとしては「逆行」しなきゃいけないわけだし、することはもうゆるがない現実としてあるから・・・・・・・・・・・?
・・・とかもうほんと頭ぐっちゃぐちゃになってわっけわからなくなるので、「まあいいや・・・今はとりあえず目の前で起きていることをすべて受け入れて見ていこー」ってなるんですね。
こういうところも作品の”粗”として放置されているわけでもないっぽいので、なんか、あとで考えよう・・・って、なる。
▼映画『TENET』感想編
とにかく「わけわかんなさ」にも、理不尽で作りが下手なだけのストレスな作品と、こっちの処理が追いついてないだけでとりあえず見てるだけでもなんか楽しめる作品、があると思うんだけど『TENET』は後者だった。
ルールはわからんけどキャラの様子や場の演出でなんとなくわかる、楽しめる、というのは自分にとっては麻雀マンガとかで慣れてるというのもあり。
その上で映像はなんかすっごい奇妙なものを見せてくれるし、キャラは各々その役にふさわしい感情移入ができる者たちばかりだったから十二分に楽しめた。
以下ややネタバレ含む(この映画ではそんなに重要なとこじゃないかもしれないけど)。
この映画のヒロインであり敵ボスの妻でもあるキャット。
彼女は最初は主人公に利用目的で近づかれ、やがて協力者となる。
キャットは長年夫に虐げられてきたのでその復讐心もあり。
クライマックスではなんやかんやな事情により、敵ボスが自ら命を断つ前に主人公たちがある任務をこなさないといけなくなる(ボスが死ぬことをトリガーとしたある装置を止めたい)。
なのでキャットはそうと気づかれないようできるだけボスが自死しないよう引き付ける役目を任される。
・・・んだけど、キャットはボスとやりとりしているうちに「あんまり腹が立ったから」と撃ち殺してしまう・・・
いやこれ、「なにしてんキャット!?」ってなる人はなるんじゃないかと思う。
主人公らが間に合ったからいいものの、そうじゃなかったら世界終わってわけだし。
つかもっと若い頃の自分だったらそういうツッコミしてたと思う。
でも今作のキャットの行動はなんだかゆるせた。
だって、言われた作戦どおりにやっても、キャット自身の感情は納得できたのか?って思うし・・・
あと、こんなにも圧倒されっぱなしな作品のなかで、自分にも理解できる、自分もやってしまいそうな人間らしい愚かな行為が、なんだかとても愛おしく感じられたというのもあると思う。
賢く格好よく、その不幸すらも洗練され厳選されたキャラ付け要素のひとつかのように見えてしまう(実際そうなんだけど)、そんな人物たちの演劇にも感情移入できないわけじゃないけど、でもそれのみだと結局作られた別世界での話でしかなく、そこに思い至ってしまうとさみしさもおぼえてしまったりする。
でも「本当にバカだからこそ好き」って要素があると、ひとつなんだか、そういう意味で安心・親近感を得られるというか。
けっこう諸刃なところなのかもしれないけど。
まあそんなこんなで、すごいおもしろかった。
先週末には、最近よく話すようになった映像作品好き兄ちゃんに「TENET見たら感想話すわー」ゆっちゃったのだけど、ゆわなきゃよかった・・・正直見てて思った。
これ、言葉と身振り手振りだけで説明できんのか?と。
まあなんとかがんばってみよう。
コメント