▼マンガ『アカギ』
35巻と36巻(最終巻)購入。
わりと唐突に。
いろいろあったけど最終巻に関してはなにやらわりかし好評っぽいと知り。
読んだ結果、なるほどこういう終わり方かー、なった。
これはこれでひとつ、ってなるような。
悪くないんだ。
人情味があって。
いや・・・
自分が『アカギ』を好きになった理由は、作風は、こういうんじゃないけど、でもこの結末の作風のなかでもアカギはアカギだなって思えたし、あの死闘、異質な長期連載の締め括りとして悪くないよなと。
こう終わんのかよってのもふくめて。
あと単純になんかマンガとしておもしろかった。
これはこれで、なんて言えるのはそれあってこそだろうし。
アカギってキャラを多少いじりつつもやりすぎてないところも程良くて。
なんにせよこのあとは『天』へと続くわけだし、この最終巻はひとつの物語の終わりでありながらも博徒アカギの幕間のひとときといった感じでもあるんだな。
高校時代に初めて読んで当時の友人たちと盛り上がったマンガだ。
もし彼らに会うことができたら「そういやアカギの最後読んだ?」絶対言うだろうな。
▼ツイッター
逡巡という言葉を見た。
答えの出にくいことは逡巡し続けるしかない。
でもみんなスッキリしたがるから難しいと。
たしかに世の中はっきりとした答えを出す、常に答えを持っていることばかりが良しとされてる気がする。
そら何事にしてもはっきりしてないのは好ましいことじゃないだろうけど、でも自分がそうと決めた答えだからといって正解かどうかってのはやっぱり別だろう、てな考えはどっかにもっておくべきじゃないだろうか。
答えなんてのは時と場合と人によっていくらでも変わるものだし。
人にしても相手ばかりでなく、今の自分、一瞬後の自分でも変わることだってあるはず。
子供の頃はテストで答えを出す、社会に出たら仕事を正しく早く終わらせるための答えを持っておく、てなことが求められる。
考え続けることの意味や価値なんてことは社会からいわれた記憶がない。
こういうことは小説やマンガやドラマから教わったものだろう。
自分をふくめた多くの人が認めるひとつの答えであるからそれは正解、という考えが強くなりすぎると、そうじゃないから間違い、そうじゃないからそれは認められない、ってなってくるんじゃないかだろうか。
自分で自分を作っていく上では答えを定めないと先に進みにくい、仲間を作りづらい、というのもある気がしてきた。
それでもどっかで、自分は今こういうことを口にしているけど、こういう活動をしているけど、でもそれが絶対とは思ってない、と思える人間が望ましい。
今の自分はそういう点では楽だ。
間違いだらけだと自覚してるし、無知だから学ぶ姿勢を強くするのが当然だと思っているから(でもあんまり学ばない)。
「これで絶対にいい」なんて思えることはひとつもない。
これまで個人的にも「この人はこれが絶対と心底から思ってるんだろうな」てな人には危険を感じてきた。
そういうのは「あえてそう言ってるんだろうな」とは違う。
だから”絶対”の無いなかで、今はどれをどんな理由で選んでいるのか、を自覚して、今の正解として進めていくのが大事なんじゃ無いかと思う。
▼これ以上ないほどどうでもいい愚痴
もしパラレルワールドというものが無限にあるとしたら、どこかの世界では橋本環奈と付き合っている自分も確実にいる。
ということを言ったら全否定してきた人がいたので、こいつとは絶対うまい酒飲めないな・・・思った(自分下戸だけど)。
おれとか橋本環奈がどうとかじゃなくて無限ナメすぎだろ。
▼早寝早起き
夜更かししたのに早起きした。
なんなら1時間早く起きたのに寝ぼけて気づかず早めに準備終えてから気づいて、ラッキー、と。
まあいいや。
▼マンガ制作
指慣らしイラストはあくまでもマンガ描く前の指慣らしである。
それ忘れると指慣らしなのにがんばって描いちゃってひと仕事終えた感じになるおそれがある。
今日なりかけたので(これでも)今後注意だ。
マンガは2ページ5コマ目の下書きした。
35巻と36巻(最終巻)購入。
わりと唐突に。
いろいろあったけど最終巻に関してはなにやらわりかし好評っぽいと知り。
読んだ結果、なるほどこういう終わり方かー、なった。
これはこれでひとつ、ってなるような。
悪くないんだ。
人情味があって。
いや・・・
自分が『アカギ』を好きになった理由は、作風は、こういうんじゃないけど、でもこの結末の作風のなかでもアカギはアカギだなって思えたし、あの死闘、異質な長期連載の締め括りとして悪くないよなと。
こう終わんのかよってのもふくめて。
あと単純になんかマンガとしておもしろかった。
これはこれで、なんて言えるのはそれあってこそだろうし。
アカギってキャラを多少いじりつつもやりすぎてないところも程良くて。
なんにせよこのあとは『天』へと続くわけだし、この最終巻はひとつの物語の終わりでありながらも博徒アカギの幕間のひとときといった感じでもあるんだな。
高校時代に初めて読んで当時の友人たちと盛り上がったマンガだ。
もし彼らに会うことができたら「そういやアカギの最後読んだ?」絶対言うだろうな。
▼ツイッター
逡巡という言葉を見た。
答えの出にくいことは逡巡し続けるしかない。
でもみんなスッキリしたがるから難しいと。
たしかに世の中はっきりとした答えを出す、常に答えを持っていることばかりが良しとされてる気がする。
そら何事にしてもはっきりしてないのは好ましいことじゃないだろうけど、でも自分がそうと決めた答えだからといって正解かどうかってのはやっぱり別だろう、てな考えはどっかにもっておくべきじゃないだろうか。
答えなんてのは時と場合と人によっていくらでも変わるものだし。
人にしても相手ばかりでなく、今の自分、一瞬後の自分でも変わることだってあるはず。
子供の頃はテストで答えを出す、社会に出たら仕事を正しく早く終わらせるための答えを持っておく、てなことが求められる。
考え続けることの意味や価値なんてことは社会からいわれた記憶がない。
こういうことは小説やマンガやドラマから教わったものだろう。
自分をふくめた多くの人が認めるひとつの答えであるからそれは正解、という考えが強くなりすぎると、そうじゃないから間違い、そうじゃないからそれは認められない、ってなってくるんじゃないかだろうか。
自分で自分を作っていく上では答えを定めないと先に進みにくい、仲間を作りづらい、というのもある気がしてきた。
それでもどっかで、自分は今こういうことを口にしているけど、こういう活動をしているけど、でもそれが絶対とは思ってない、と思える人間が望ましい。
今の自分はそういう点では楽だ。
間違いだらけだと自覚してるし、無知だから学ぶ姿勢を強くするのが当然だと思っているから(でもあんまり学ばない)。
「これで絶対にいい」なんて思えることはひとつもない。
これまで個人的にも「この人はこれが絶対と心底から思ってるんだろうな」てな人には危険を感じてきた。
そういうのは「あえてそう言ってるんだろうな」とは違う。
だから”絶対”の無いなかで、今はどれをどんな理由で選んでいるのか、を自覚して、今の正解として進めていくのが大事なんじゃ無いかと思う。
▼これ以上ないほどどうでもいい愚痴
もしパラレルワールドというものが無限にあるとしたら、どこかの世界では橋本環奈と付き合っている自分も確実にいる。
ということを言ったら全否定してきた人がいたので、こいつとは絶対うまい酒飲めないな・・・思った(自分下戸だけど)。
おれとか橋本環奈がどうとかじゃなくて無限ナメすぎだろ。
▼早寝早起き
夜更かししたのに早起きした。
なんなら1時間早く起きたのに寝ぼけて気づかず早めに準備終えてから気づいて、ラッキー、と。
まあいいや。
▼マンガ制作
指慣らしイラストはあくまでもマンガ描く前の指慣らしである。
それ忘れると指慣らしなのにがんばって描いちゃってひと仕事終えた感じになるおそれがある。
今日なりかけたので(これでも)今後注意だ。
マンガは2ページ5コマ目の下書きした。
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