▼大山 登山編
ひさびさに登ってきた。
今回は朝食を家でとらなかった。
おかげで朝6時半にすんなり家を出ることができて。
駅のベンチでコンビニ飯。
今後はこの形でいいんじゃないかと思う。
伊勢原着いてからいつものようにバスに乗る。
ややつらかった。
座れたんだけど目の前にカップルに立たれて。
いやぜんぜんいいんだけど・・・この位置関係だと完全にスマホ覗かれるね?状態になり。
いいんだけど、ツイッター覗かれるのもなんだな・・・思って電子書籍にしようと。
たしか直前は『病院坂』読んでたはずだよなー・・・ってKindleに切り替えたら『みつどもえ』の表紙がふわーっと表示され。
あああそうだった、ああ、最終巻で確認したいことがあったから昨日、あわわあうあう・・・ってよお。
いや、べつにいいじゃんか、なんだけど!
いや好きですよ『みつどもえ』何が悪いんだなんにも悪くないよ。
ただ、もし自分が逆の立場だったとき「ほほう、登山に向かう道中で『みつどもえ』ですか」って俺はぜったい思うはずなんだ。
その思われる側になるのがイヤなんだよ!!っつう話で・・・
そういうこと人に話すと大抵自意識過剰だとか人はそんなに他人を気にしてないとかいうけど、お!れ!は!気!に!し!て!る!の!!!!!!!
だからあんたが気にしなくて大多数の人は気にしないのかもしれないけど気にする人も確かに存在するの!!事実ここに!!!!!!
という話でとにかくあうあうしてから結局ツイッターにもどしました。
あんたらは生身の登山パートナーがいるけどああそうだよ俺には画面の中の小学生(絵)とかしかいないとかだよなんだよ悪いかよとまでは思わないにしても、それに近いことを自分で勝手に思って、勝手に苦しむ、世の中にはそういう人もいるんだなぁって知ってもらいたい。
知ったところでどうせよということもないのだけども。
そんなこんなでまだ登ってもないし空調もきいてるはずの車内で変な汗かきながらふもとに到着して。
ひさびさだったので女坂から登った。
要所で仕事でのイヤなこととか思い出しながら。
だから結局「わかってもらおうとする」なんてしないほうがいいんだなぁ・・・とか考えたり。
人をわかろうとするなんて、ただでさえむずかしいことなのに、ましておれだぞ、気難しいしひねくれてるし理屈っぽいしで、そんな自分をわかってもらおうなんて相手にとっちゃ軽い苦行でしかないだろと。
ていうか、なんで大抵の人は「大体こういうことでしょ?」で済まそうとするのかがわからない。
でそれが、そうと言ってしまったら肝心なところが伝わらない、って場合にこっちが微調整しようするとめんどくさがる。
これどっちが悪いの?
まあおれか。
いいかげん大抵の人は細かいことまで気にしないし、気にしたくないってのをこっちが学習すればいいんだ。
ああじゃあ今した。
はいしましたぁーーー
とにかくもう「わかってもらおうとする」ことはやめよう。
特に今の職場では。
・・・とかそんなことを考えながら、またふりはらいながら、一歩ずつ登った。
▼大山 山頂編
頂上に着くとこの時間だからなのかこのご時世だからなのか、いつもより人がぜんぜん少なめだった。
適当なところ座り放題だなーってベンチ選んでまた飯食ってると、ちょっと前の別テーブルにおばさんが背中向けて座ってて。
気づくとなんかずっと「きみを〜はな〜さないよ〜♪」みたいな音楽を鳴らしてらして。
そこまで大きな音じゃないんだけど、個人的にちょっとBGM過敏症なところがあるもんだから、山頂で個人的な音楽って鳴らすものかな・・・とか考えてしまい。
せめてイヤホンでとか・・・いやそれはさすがにこっちが注文つけすぎか・・・たとえば今ここで子供が騒いでても自分は気にはならない、そこにありうる音なら大丈夫だろう、でもなんか人のプライベート色の強い感じをこの場で強制的におすそわけされるのはいやだな・・・・・・とかまたつらつらと。
でもこれは本当に個人的な考えなので、ええがな、ええがな!と、腰落ち着けちゃったからいまさら移動もしづらいしで。
とにかく昼飯を食い終え、『ギャグマンガ日和』8巻をちょっと読んで、下山し始めた。
▼大山 下山編
下山途中、前からまたあの音楽が聴こえてきた。
「きみを〜はな〜さないよ〜♪」
先に下山していたさっきのおばさんだけど・・・
え、その曲しか入れてないの?それとも何曲かあってループさせていてたまたまのタイミングで同じ曲ってだけなのか?
ってどうでもいいこと思ったけど、とにかくこの人はこの曲が好きなのだろうなと勝手に思って。
山頂とはちがって道すがらだしええがなええがなと。
まあ熊除けにもなるかもだし。
でふつうにお先にすんません的な感じで追い抜いて、追い抜いたんだけど・・・
なんか・・・いや、おれは、男らしく下りたい、いやさ”漢”らしく下りたい!!!
とかわっけわかんないモードになってしまって。
そんな「きみを〜♪」みたいなナヨナヨした感じじゃないんだおれは、おばさん!おれはちがうんだ、おれは豪傑、いわば豪鬼なんだ!!!
とかほんと意味不明だけど、力強くおりてくぜぇ〜〜つって、心に豪鬼を宿しながらいきおいよく下りてったら思いっきりすっ転んだ。
自分登山史上一番の転倒をした。
左膝と腰にダメージを負った。
それで這いつくばってたら、後ろから「きみを〜♪」が迫ってきたので(このとき角度的にお互いの姿は見えない)、このままでは死ぬと思って。
いや死なないけど、でも死ぬ、だって心の中でおばさんにあんなえらそうなタンカを切って、でこのザマ。
この無様を見られたらそれはもう”死”だろう・・・
思ってなんとか立ち上がり、いやずっと立って歩いてましたけど?な態を装いそこからはふつうに下山した。
▼大山 反省編
反省した。
あまりに謙虚さと心の余裕に欠けていた。
最近の自分は特に欠けている。
年齢なのか、このご時世だからなのか、仕事でのストレスなのか、わからないけども。
でも登山を始めてからこんなにアレコレいちいち他人のことを考えてしまったのは初めてなわけだし。
ひとつ思ったのは、たとえば心の中に神さまとかの自分より上の存在をもっておくのは大事なことなんじゃないかと。
自分より上、かつ道徳や倫理方面で指針となる存在、そういうものを常に抱いていれば自身の傲慢さにも歯止めが効きやすくなるのではないだろうか。
考えてみるとそういう存在は自分の中にいないような気がする。
自分が憧れ大いに影響を受けたといえばシャーロック・ホームズ、竹本テツ(『じゃりン子チエ』)、石川凛(『シュガー』)といった唯我独尊味の強い人物ばかりだ。
彼らも決してそれのみってわけではないけど、でも傲慢さに歯止めをかけてくれるような人たちではない。
そうしたところを担ってもらう新たな指針の必要を感じた。
なので今思うと、あのおばさんは大山の神様だったのかもしれん・・・とも。
そういうことに気づかせてくれたわけだし、あと後ろ姿しか見てないってところでも演出的に。
実際こけた瞬間「バチが当たった・・・」思ったわけだし。
傲慢への気付きとそして「おまえ何度かきてるけど一回も神社お参りしてないな?」的なことも含めてのバチというか(今日も結局しなかった)。
考えてみれば山ってものすござっくりいえば「人ん家」な気もする。
神様の存在の有無を考えるにしても考えないにしてもなんとなく。
だからそういう場所に個人的な目的で入っていってるのに、なんの「礼」的な心をもたないというのは人としての品格・・・のようなものに関わってくるんじゃないだろうか。
感謝がない、人ん家入ってるのに礼儀に失する、やっぱり傲慢だと思う。
今日のことは忘れずに考えていきたい。
ひさびさに登ってきた。
今回は朝食を家でとらなかった。
おかげで朝6時半にすんなり家を出ることができて。
駅のベンチでコンビニ飯。
今後はこの形でいいんじゃないかと思う。
伊勢原着いてからいつものようにバスに乗る。
ややつらかった。
座れたんだけど目の前にカップルに立たれて。
いやぜんぜんいいんだけど・・・この位置関係だと完全にスマホ覗かれるね?状態になり。
いいんだけど、ツイッター覗かれるのもなんだな・・・思って電子書籍にしようと。
たしか直前は『病院坂』読んでたはずだよなー・・・ってKindleに切り替えたら『みつどもえ』の表紙がふわーっと表示され。
あああそうだった、ああ、最終巻で確認したいことがあったから昨日、あわわあうあう・・・ってよお。
いや、べつにいいじゃんか、なんだけど!
いや好きですよ『みつどもえ』何が悪いんだなんにも悪くないよ。
ただ、もし自分が逆の立場だったとき「ほほう、登山に向かう道中で『みつどもえ』ですか」って俺はぜったい思うはずなんだ。
その思われる側になるのがイヤなんだよ!!っつう話で・・・
そういうこと人に話すと大抵自意識過剰だとか人はそんなに他人を気にしてないとかいうけど、お!れ!は!気!に!し!て!る!の!!!!!!!
だからあんたが気にしなくて大多数の人は気にしないのかもしれないけど気にする人も確かに存在するの!!事実ここに!!!!!!
という話でとにかくあうあうしてから結局ツイッターにもどしました。
あんたらは生身の登山パートナーがいるけどああそうだよ俺には画面の中の小学生(絵)とかしかいないとかだよなんだよ悪いかよとまでは思わないにしても、それに近いことを自分で勝手に思って、勝手に苦しむ、世の中にはそういう人もいるんだなぁって知ってもらいたい。
知ったところでどうせよということもないのだけども。
そんなこんなでまだ登ってもないし空調もきいてるはずの車内で変な汗かきながらふもとに到着して。
ひさびさだったので女坂から登った。
要所で仕事でのイヤなこととか思い出しながら。
だから結局「わかってもらおうとする」なんてしないほうがいいんだなぁ・・・とか考えたり。
人をわかろうとするなんて、ただでさえむずかしいことなのに、ましておれだぞ、気難しいしひねくれてるし理屈っぽいしで、そんな自分をわかってもらおうなんて相手にとっちゃ軽い苦行でしかないだろと。
ていうか、なんで大抵の人は「大体こういうことでしょ?」で済まそうとするのかがわからない。
でそれが、そうと言ってしまったら肝心なところが伝わらない、って場合にこっちが微調整しようするとめんどくさがる。
これどっちが悪いの?
まあおれか。
いいかげん大抵の人は細かいことまで気にしないし、気にしたくないってのをこっちが学習すればいいんだ。
ああじゃあ今した。
はいしましたぁーーー
とにかくもう「わかってもらおうとする」ことはやめよう。
特に今の職場では。
・・・とかそんなことを考えながら、またふりはらいながら、一歩ずつ登った。
▼大山 山頂編
頂上に着くとこの時間だからなのかこのご時世だからなのか、いつもより人がぜんぜん少なめだった。
適当なところ座り放題だなーってベンチ選んでまた飯食ってると、ちょっと前の別テーブルにおばさんが背中向けて座ってて。
気づくとなんかずっと「きみを〜はな〜さないよ〜♪」みたいな音楽を鳴らしてらして。
そこまで大きな音じゃないんだけど、個人的にちょっとBGM過敏症なところがあるもんだから、山頂で個人的な音楽って鳴らすものかな・・・とか考えてしまい。
せめてイヤホンでとか・・・いやそれはさすがにこっちが注文つけすぎか・・・たとえば今ここで子供が騒いでても自分は気にはならない、そこにありうる音なら大丈夫だろう、でもなんか人のプライベート色の強い感じをこの場で強制的におすそわけされるのはいやだな・・・・・・とかまたつらつらと。
でもこれは本当に個人的な考えなので、ええがな、ええがな!と、腰落ち着けちゃったからいまさら移動もしづらいしで。
とにかく昼飯を食い終え、『ギャグマンガ日和』8巻をちょっと読んで、下山し始めた。
▼大山 下山編
下山途中、前からまたあの音楽が聴こえてきた。
「きみを〜はな〜さないよ〜♪」
先に下山していたさっきのおばさんだけど・・・
え、その曲しか入れてないの?それとも何曲かあってループさせていてたまたまのタイミングで同じ曲ってだけなのか?
ってどうでもいいこと思ったけど、とにかくこの人はこの曲が好きなのだろうなと勝手に思って。
山頂とはちがって道すがらだしええがなええがなと。
まあ熊除けにもなるかもだし。
でふつうにお先にすんません的な感じで追い抜いて、追い抜いたんだけど・・・
なんか・・・いや、おれは、男らしく下りたい、いやさ”漢”らしく下りたい!!!
とかわっけわかんないモードになってしまって。
そんな「きみを〜♪」みたいなナヨナヨした感じじゃないんだおれは、おばさん!おれはちがうんだ、おれは豪傑、いわば豪鬼なんだ!!!
とかほんと意味不明だけど、力強くおりてくぜぇ〜〜つって、心に豪鬼を宿しながらいきおいよく下りてったら思いっきりすっ転んだ。
自分登山史上一番の転倒をした。
左膝と腰にダメージを負った。
それで這いつくばってたら、後ろから「きみを〜♪」が迫ってきたので(このとき角度的にお互いの姿は見えない)、このままでは死ぬと思って。
いや死なないけど、でも死ぬ、だって心の中でおばさんにあんなえらそうなタンカを切って、でこのザマ。
この無様を見られたらそれはもう”死”だろう・・・
思ってなんとか立ち上がり、いやずっと立って歩いてましたけど?な態を装いそこからはふつうに下山した。
▼大山 反省編
反省した。
あまりに謙虚さと心の余裕に欠けていた。
最近の自分は特に欠けている。
年齢なのか、このご時世だからなのか、仕事でのストレスなのか、わからないけども。
でも登山を始めてからこんなにアレコレいちいち他人のことを考えてしまったのは初めてなわけだし。
ひとつ思ったのは、たとえば心の中に神さまとかの自分より上の存在をもっておくのは大事なことなんじゃないかと。
自分より上、かつ道徳や倫理方面で指針となる存在、そういうものを常に抱いていれば自身の傲慢さにも歯止めが効きやすくなるのではないだろうか。
考えてみるとそういう存在は自分の中にいないような気がする。
自分が憧れ大いに影響を受けたといえばシャーロック・ホームズ、竹本テツ(『じゃりン子チエ』)、石川凛(『シュガー』)といった唯我独尊味の強い人物ばかりだ。
彼らも決してそれのみってわけではないけど、でも傲慢さに歯止めをかけてくれるような人たちではない。
そうしたところを担ってもらう新たな指針の必要を感じた。
なので今思うと、あのおばさんは大山の神様だったのかもしれん・・・とも。
そういうことに気づかせてくれたわけだし、あと後ろ姿しか見てないってところでも演出的に。
実際こけた瞬間「バチが当たった・・・」思ったわけだし。
傲慢への気付きとそして「おまえ何度かきてるけど一回も神社お参りしてないな?」的なことも含めてのバチというか(今日も結局しなかった)。
考えてみれば山ってものすござっくりいえば「人ん家」な気もする。
神様の存在の有無を考えるにしても考えないにしてもなんとなく。
だからそういう場所に個人的な目的で入っていってるのに、なんの「礼」的な心をもたないというのは人としての品格・・・のようなものに関わってくるんじゃないだろうか。
感謝がない、人ん家入ってるのに礼儀に失する、やっぱり傲慢だと思う。
今日のことは忘れずに考えていきたい。
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