▼ニュース
GOTOしていいのかどうなのかわからない。
実際家族でGOTOしたら受け入れ先に歓迎されつつも「ヤベーやつらがきた・・・」って思われるんじゃないかってちょっと思っちゃう。
まあそんな共に旅行するような家族もいないし休日は変わらずこもってるつもりだけど。
都知事選やコロナきっかけでようやく世間に目を向けるようになってきたけど、え日本ってずっとこんな感じだったの?それとも今だけ?って思ってる。
ものによっては「そうそう、それ!」「よくやってくれた」みたいな評価もないことはないんだろうけど自分の情報網には入ってこない。
なんでだ。
なんだかこのままいくと、とりあえず自分の好きなようには生きてこれたわけだし、当分まあこのままいける、でこのいいかげんな生きっぷりの代償がもっと後々くるとしてもそれはしゃーなしと昔から思ってる(完全にじゃなくて心の片隅レベルで)、ならストレス溜まるようなところに目を向けるのはやめて自分の身の回りのことだけ考えていけばいいんじゃないか、って考え方になってしまいそうな気もする。
だって情報仕入れるたびに怒りややるせなさや混乱ばかりがたまってくばかりでなにも得がないんだもの。
それじゃだめだって言われるだろうし、実際言う人いるけど、こちらからすれば「じゃあ日本から出てけば?なんで出ていかないの?」って思う。
究極的に。
これはべつにケンカ売ってるわけじゃなくて、いや、そんなにこの国の政治に絶望してるのならこの国じゃなくてもいいんじゃない?って本当に他意なく皮肉もなんにもなしに思う。
でもそれができない事情があって、その不満やストレスを国にぶつけてるんだっていうのならべつにそれでもいい。
ただ、なんでこっちまで付き合わせようとするの?を思うって話で。
こっちも一番の理想通りに生きてはいけてなくても、それをだれかのせいにしてだれかのいたらなさでストレスためるのはイヤだってだけで。
政治は生活に関わってる、他人事じゃないんだって、そらそうだろうけど、でも「どうしょうもないでしょ?」って状態なんだから。
それとも自分は知らないだけで希望もあるから多くの人は怒ってるんだろうか。
ないでしょ。
しらんけど。
しかしまあ、一応の書きたいことは書いたので、冷静になってまた考え方を少し変えてみると、後の世代のためってのもある。
そうか。
かわいい甥っ子姪っ子たちのためと考える。
そこから広げてこれからの人たちのため。
自分だって自分より前の世代の恩恵を大いに受けてここまで生きてこられたのだから。
その恩に報いる、今はもう自分が後の世代のことを考えて行動して声をあげるべきときってことか。
それなら合点。
おかしいと思うことがあるなら何がおかしいのか、ではどういう状態が理想的なのか、理想にいたるためにはどうあるべきなのか、を具体的に語り伝えられるようになるのは意味あることだ。
自分という狭い世界の刹那的な考え方、それだけで生きていくつもりなら政治や世間なんて知ったこっちゃないでも問題ないと思う。
そう、今まで政治や世間については「『自分』に関わりあることなんだから知らなきゃだめ」っていろんな人に言われてきたけど、あんまりピンとこなかったのは「その『自分』がべつにいいって思ってるのになんで興味もたなきゃいけないの?」って思うからだった。
自分はあんまり一般的じゃない、まともじゃない、そういうの考えなくても楽しく生きていけそうって自覚があるから(実際どうなるかはわからんとも思ってるけど未来なんていう確実にわからんこと考えてもしょうがないと思ってる)。
でも、自分以外の、自分が思う「まともな人」「まともであってほしい人」「一般的なしあわせを得てほしい人」のことを考えると、ようやく大人としての責任という思いが生じてくる。
甥っ子姪っ子がいなかったら気づけないままだったと思う。
先日読んだ『サルチネス』のタケヒコも、外の世界へ出よう触れていこうと思い立ったきっかけは妹だった。
愛する妹が自分に自立してほしいと思っている、そのことで悩んでいる、だから社会に出た。
そういう自分以外の人間のためってのも立派な理由だろう。
なにも自分のためだけが正解じゃないはず。
というか人間は群れでないと生きていけない生き物らしいから、繰り返しになるけど物心ついた時点でもう多くの人間から恩恵をうけていて生まれた時点で歯車だ。
でもそれは悪いようなことでもなくて、他者もまた自分の一部と考えれば心強くもある。
自分以外の人間が理由というのもまったく自然なこと。
ワンフォーオール、オールフォーワンだ。
だから自分はオールマイトだと思えば強い。
デクではまだ心許ないのでここはオールマイトとしておきたい。
人間はひとりひとりがUIみたいなものと考えてもいいのかもしれない。
人類という巨大な力をいかに使うか、そのインターフェースとしての自分個人をいかに設計していくかが人生とも言える。
そうなると自分個人以外のこともたくさん知っておいたほうがいいよなってなるし。
自分以外の人間も滞り少なく良いように過ごせているのが理想的という考え方にもなる。
そうなるとやっぱり政治には目を向けて、小さな範囲だけでも声をあげて、合わせてぶつけて探っていったほうがいいだろう。
我が力を安定させ増していくためにも。
他人が力を増せば自分の力も増したことになる。
その力が悪影響をもたらす場合もあるから見極めも大事だ。
強くなるため学んでいこう。
▼絵
女の子キャラ。
常に麻袋かぶっているネクロマンサー系女子というのを考えている。
もしかしたら主人公をゾンビにしたのも彼女かもしれない。
GOTOしていいのかどうなのかわからない。
実際家族でGOTOしたら受け入れ先に歓迎されつつも「ヤベーやつらがきた・・・」って思われるんじゃないかってちょっと思っちゃう。
まあそんな共に旅行するような家族もいないし休日は変わらずこもってるつもりだけど。
都知事選やコロナきっかけでようやく世間に目を向けるようになってきたけど、え日本ってずっとこんな感じだったの?それとも今だけ?って思ってる。
ものによっては「そうそう、それ!」「よくやってくれた」みたいな評価もないことはないんだろうけど自分の情報網には入ってこない。
なんでだ。
なんだかこのままいくと、とりあえず自分の好きなようには生きてこれたわけだし、当分まあこのままいける、でこのいいかげんな生きっぷりの代償がもっと後々くるとしてもそれはしゃーなしと昔から思ってる(完全にじゃなくて心の片隅レベルで)、ならストレス溜まるようなところに目を向けるのはやめて自分の身の回りのことだけ考えていけばいいんじゃないか、って考え方になってしまいそうな気もする。
だって情報仕入れるたびに怒りややるせなさや混乱ばかりがたまってくばかりでなにも得がないんだもの。
それじゃだめだって言われるだろうし、実際言う人いるけど、こちらからすれば「じゃあ日本から出てけば?なんで出ていかないの?」って思う。
究極的に。
これはべつにケンカ売ってるわけじゃなくて、いや、そんなにこの国の政治に絶望してるのならこの国じゃなくてもいいんじゃない?って本当に他意なく皮肉もなんにもなしに思う。
でもそれができない事情があって、その不満やストレスを国にぶつけてるんだっていうのならべつにそれでもいい。
ただ、なんでこっちまで付き合わせようとするの?を思うって話で。
こっちも一番の理想通りに生きてはいけてなくても、それをだれかのせいにしてだれかのいたらなさでストレスためるのはイヤだってだけで。
政治は生活に関わってる、他人事じゃないんだって、そらそうだろうけど、でも「どうしょうもないでしょ?」って状態なんだから。
それとも自分は知らないだけで希望もあるから多くの人は怒ってるんだろうか。
ないでしょ。
しらんけど。
しかしまあ、一応の書きたいことは書いたので、冷静になってまた考え方を少し変えてみると、後の世代のためってのもある。
そうか。
かわいい甥っ子姪っ子たちのためと考える。
そこから広げてこれからの人たちのため。
自分だって自分より前の世代の恩恵を大いに受けてここまで生きてこられたのだから。
その恩に報いる、今はもう自分が後の世代のことを考えて行動して声をあげるべきときってことか。
それなら合点。
おかしいと思うことがあるなら何がおかしいのか、ではどういう状態が理想的なのか、理想にいたるためにはどうあるべきなのか、を具体的に語り伝えられるようになるのは意味あることだ。
自分という狭い世界の刹那的な考え方、それだけで生きていくつもりなら政治や世間なんて知ったこっちゃないでも問題ないと思う。
そう、今まで政治や世間については「『自分』に関わりあることなんだから知らなきゃだめ」っていろんな人に言われてきたけど、あんまりピンとこなかったのは「その『自分』がべつにいいって思ってるのになんで興味もたなきゃいけないの?」って思うからだった。
自分はあんまり一般的じゃない、まともじゃない、そういうの考えなくても楽しく生きていけそうって自覚があるから(実際どうなるかはわからんとも思ってるけど未来なんていう確実にわからんこと考えてもしょうがないと思ってる)。
でも、自分以外の、自分が思う「まともな人」「まともであってほしい人」「一般的なしあわせを得てほしい人」のことを考えると、ようやく大人としての責任という思いが生じてくる。
甥っ子姪っ子がいなかったら気づけないままだったと思う。
先日読んだ『サルチネス』のタケヒコも、外の世界へ出よう触れていこうと思い立ったきっかけは妹だった。
愛する妹が自分に自立してほしいと思っている、そのことで悩んでいる、だから社会に出た。
そういう自分以外の人間のためってのも立派な理由だろう。
なにも自分のためだけが正解じゃないはず。
というか人間は群れでないと生きていけない生き物らしいから、繰り返しになるけど物心ついた時点でもう多くの人間から恩恵をうけていて生まれた時点で歯車だ。
でもそれは悪いようなことでもなくて、他者もまた自分の一部と考えれば心強くもある。
自分以外の人間が理由というのもまったく自然なこと。
ワンフォーオール、オールフォーワンだ。
だから自分はオールマイトだと思えば強い。
デクではまだ心許ないのでここはオールマイトとしておきたい。
人間はひとりひとりがUIみたいなものと考えてもいいのかもしれない。
人類という巨大な力をいかに使うか、そのインターフェースとしての自分個人をいかに設計していくかが人生とも言える。
そうなると自分個人以外のこともたくさん知っておいたほうがいいよなってなるし。
自分以外の人間も滞り少なく良いように過ごせているのが理想的という考え方にもなる。
そうなるとやっぱり政治には目を向けて、小さな範囲だけでも声をあげて、合わせてぶつけて探っていったほうがいいだろう。
我が力を安定させ増していくためにも。
他人が力を増せば自分の力も増したことになる。
その力が悪影響をもたらす場合もあるから見極めも大事だ。
強くなるため学んでいこう。
▼絵
女の子キャラ。
常に麻袋かぶっているネクロマンサー系女子というのを考えている。
もしかしたら主人公をゾンビにしたのも彼女かもしれない。
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