▼マンガ『魔入りました!入間くん』16(西修)
収穫祭決着。
これで入間くんがリードとの距離縮まったのがすごく良い。
入間にとってはアズアズとクララが一番の友だちなんだろうけど、一般人目線でより友だちらしく見えるのは入間とリードだったりする。
そもそもアズアズはには入間に対して「崇拝」感情があって、クララには「恋愛」感情がある。
ひとつの考え方だけど、身近にわかりやすく純粋に友だちってだけならリードがもっともふさわしく見えてしまう。
▼常在自粛生活
世の中大変だけどマジで個人的にはなんも変わってない。
気持ちも生活環境も。
強いていうなら世間の様子と自分の変わらなさにギャップがありすぎて「んー・・・」ってややなってるくらい。
やっぱり自分は一般的な感覚とくらべたらどこか麻痺している部分があるのかもしれない。
前に同僚が足を血塗れにして出勤してきたとき(その理由も忘れた)、「まあそういうこともあるだろう」とふつうに迎えたあの反応ははたして正常だったのか。
自分自身のことではいっぺんある状況で「まあ・・・このまま死ぬならそれはそれでなのかな」と妙に冷静に考えたこともある。
なんだか自分は、世の中なにが起きてもおかしくない、と思いすぎているふしがある気もする。
でもそれは悪いこととも思えない。
だからというか細かいことではイラッとするくせに、大きなことに対してはしごく楽観的だ。
だってまあ、今そういう状況なんでしょ?じゃあなにすればいい?わかったそうする、足並みそろえる、じゃ他のことでは今までどおり好きにやらせてもらうね、としか思えない。
つか・・・それ以外なにがあるの?と。
これを危機感が足りないとか人ごと感覚だとか言われても、「やるべき」といわれてることやったら、あとの個人の気持ちは個人のものでしょ?だし。
不安がないならないでそっちのがいいに決まってるのに皆で一緒に不安がりたいのかな・・・ツイッターみてて思ったりもするけど、いや不安な人は本当に不安なんだろうな、と頭で想像するしかない。
共感能力に乏しいってやつなのかもしれない。
生活環境が変わったら少しは自分も焦るだろうか?と考えてもそうとも思えない。
個人的な環境が今よりもっとひどいときでも、周りのほうがバタバタして自分自身は「まあ」って感じだったし。
つかみんなそんな今までの日々を、安定して、安心して、希望に満ちた未来を見据えて、生きていたのか?ってのが疑問だ。
なんどでも言うけど、車ビュンビュン乗り回す社会でへーぜんと暮らしてきたくせに(べつに車がきらいなわけじゃないよ!)、なのになんでここへきてそんなうろたえてるの!?生命の危機に対して!?って。
そういうことじゃない!って言う人は言うだろうけど、その「そういうこと」は状況に対してで、自分が言いたいのはこの今の状況においての感情とか気持ちに対するものだ。
みんな何をそんな・・・・・今さら?ってどーしても思ってしまう。
ちょっとなんだか裏切られた感まである。
愛を歌った歌で感動の涙を流しながらも聞いてるその歌は違法ダウンロードしたもの、みたいなのと同じくらいのズレを感じる。
この例え自体がズレてるし適当ではないと思いつつも、とにかくなんだかもう・・・ええかげんにせえよ、いいかげん慣れろよと。
慣れて冷静に対処しろよとしか思えない。
車ビュンビュン乗り回してきたくせに。
とか書きつつもやっぱりなんだか自分は麻痺してるしズレているんだとも思っている。
今のこの世の中は、あーついにドクトリンダークみたいなマスクつけてる人まで現れたーおもしれえーだ。
自分はもとから、マスク大好きだし、休日はできるかぎり外出たくないし、潔癖症気味だから手はしょっちゅう洗っているし、で、なにひとつ強制されてない。
前線で活躍されてる人たちに対しても特別な感謝の念もない。
だってそういう仕事でしょだから。
そもそも同じ社会に生きてるもの同士だったら常に感謝があって当たり前なんじゃないのか。
バスの運転手とか芸能人とかクリエイトの店員とかだってみんな同じのはずだし。
くじで強制的に決められたとかじゃなくて選んでやってる仕事なんだから。
自分がそういう仕事してて感謝されても「いやべつに仕事だし・・・」としか思わない。
そういう前線でウイルスと戦ったり、専門家として対策を講じたりする人がいて、そして自分たちがいる。
自分たちは自分たちのできるかたちで社会を支えて回す。
なんでどっちかだけに感謝がいくんだと。
いやそこは同じだから絶対。
・・・・・・・・・・・・・・・・いや、これを機会に普段は感謝がいきにくいところへ感謝しましょうね、ってことなんかな。
えーでも感謝はあって当たり前のものなんじゃねーのかなー。
あって当たり前だから電車の運転手とかにもみんな「運転してくれてありがとう」言わないわけだし。
なーんかにゃーーなーんかなーーーーーーーーーーーー
▼絵
いつもの参考書+べつ資料あわせての模写。
何もみないでこれくらい描けるようになるのが当面の目標。
収穫祭決着。
これで入間くんがリードとの距離縮まったのがすごく良い。
入間にとってはアズアズとクララが一番の友だちなんだろうけど、一般人目線でより友だちらしく見えるのは入間とリードだったりする。
そもそもアズアズはには入間に対して「崇拝」感情があって、クララには「恋愛」感情がある。
ひとつの考え方だけど、身近にわかりやすく純粋に友だちってだけならリードがもっともふさわしく見えてしまう。
▼常在自粛生活
世の中大変だけどマジで個人的にはなんも変わってない。
気持ちも生活環境も。
強いていうなら世間の様子と自分の変わらなさにギャップがありすぎて「んー・・・」ってややなってるくらい。
やっぱり自分は一般的な感覚とくらべたらどこか麻痺している部分があるのかもしれない。
前に同僚が足を血塗れにして出勤してきたとき(その理由も忘れた)、「まあそういうこともあるだろう」とふつうに迎えたあの反応ははたして正常だったのか。
自分自身のことではいっぺんある状況で「まあ・・・このまま死ぬならそれはそれでなのかな」と妙に冷静に考えたこともある。
なんだか自分は、世の中なにが起きてもおかしくない、と思いすぎているふしがある気もする。
でもそれは悪いこととも思えない。
だからというか細かいことではイラッとするくせに、大きなことに対してはしごく楽観的だ。
だってまあ、今そういう状況なんでしょ?じゃあなにすればいい?わかったそうする、足並みそろえる、じゃ他のことでは今までどおり好きにやらせてもらうね、としか思えない。
つか・・・それ以外なにがあるの?と。
これを危機感が足りないとか人ごと感覚だとか言われても、「やるべき」といわれてることやったら、あとの個人の気持ちは個人のものでしょ?だし。
不安がないならないでそっちのがいいに決まってるのに皆で一緒に不安がりたいのかな・・・ツイッターみてて思ったりもするけど、いや不安な人は本当に不安なんだろうな、と頭で想像するしかない。
共感能力に乏しいってやつなのかもしれない。
生活環境が変わったら少しは自分も焦るだろうか?と考えてもそうとも思えない。
個人的な環境が今よりもっとひどいときでも、周りのほうがバタバタして自分自身は「まあ」って感じだったし。
つかみんなそんな今までの日々を、安定して、安心して、希望に満ちた未来を見据えて、生きていたのか?ってのが疑問だ。
なんどでも言うけど、車ビュンビュン乗り回す社会でへーぜんと暮らしてきたくせに(べつに車がきらいなわけじゃないよ!)、なのになんでここへきてそんなうろたえてるの!?生命の危機に対して!?って。
そういうことじゃない!って言う人は言うだろうけど、その「そういうこと」は状況に対してで、自分が言いたいのはこの今の状況においての感情とか気持ちに対するものだ。
みんな何をそんな・・・・・今さら?ってどーしても思ってしまう。
ちょっとなんだか裏切られた感まである。
愛を歌った歌で感動の涙を流しながらも聞いてるその歌は違法ダウンロードしたもの、みたいなのと同じくらいのズレを感じる。
この例え自体がズレてるし適当ではないと思いつつも、とにかくなんだかもう・・・ええかげんにせえよ、いいかげん慣れろよと。
慣れて冷静に対処しろよとしか思えない。
車ビュンビュン乗り回してきたくせに。
とか書きつつもやっぱりなんだか自分は麻痺してるしズレているんだとも思っている。
今のこの世の中は、あーついにドクトリンダークみたいなマスクつけてる人まで現れたーおもしれえーだ。
自分はもとから、マスク大好きだし、休日はできるかぎり外出たくないし、潔癖症気味だから手はしょっちゅう洗っているし、で、なにひとつ強制されてない。
前線で活躍されてる人たちに対しても特別な感謝の念もない。
だってそういう仕事でしょだから。
そもそも同じ社会に生きてるもの同士だったら常に感謝があって当たり前なんじゃないのか。
バスの運転手とか芸能人とかクリエイトの店員とかだってみんな同じのはずだし。
くじで強制的に決められたとかじゃなくて選んでやってる仕事なんだから。
自分がそういう仕事してて感謝されても「いやべつに仕事だし・・・」としか思わない。
そういう前線でウイルスと戦ったり、専門家として対策を講じたりする人がいて、そして自分たちがいる。
自分たちは自分たちのできるかたちで社会を支えて回す。
なんでどっちかだけに感謝がいくんだと。
いやそこは同じだから絶対。
・・・・・・・・・・・・・・・・いや、これを機会に普段は感謝がいきにくいところへ感謝しましょうね、ってことなんかな。
えーでも感謝はあって当たり前のものなんじゃねーのかなー。
あって当たり前だから電車の運転手とかにもみんな「運転してくれてありがとう」言わないわけだし。
なーんかにゃーーなーんかなーーーーーーーーーーーー
▼絵
いつもの参考書+べつ資料あわせての模写。
何もみないでこれくらい描けるようになるのが当面の目標。
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