コステロ!

2019年11月17日 趣味
コステロ!
▼バラエティ『有田と週刊プロレスと』

前回に引き続きIWGPの歴史。
猪木舌出し失神KO。
おとぎ話。
「事実の積み重ねが真実になるとは限らない」

事実と思われる数々の情報をファン各々がどう解釈するか。
それもまたプロレスの楽しみかたであると。
真実を求めつつも、ないまぜな虚実をも含めて楽しんでいく。
プロレスは人間の懐ってものを広げてくれる娯楽であるのかもしれない。


▼復讐について

昨今は復讐をよしとする傾向が強いように感じられる。
それまでがさんざん「復讐は何も生み出さない!」とドラマなどで言ってきた反動でもあると思う。
船越英一郎あたりが崖上でさんざん言ってきたことだ。

個人的に思うのは・・・これにかぎったことではないけど、今までも言ってきたけど、
なんでどっちかじゃなきゃいけないの!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
だ。
「場合による」「人による」だろうこれも。
なんでどっちか「だけ」にしたがるのかぜんぜんまったく理解できない。

少なくとも船越英一郎の場合は、視聴者として見ていて、
「復讐するよりここはこらえて残った家族と平穏に暮らした方がいいよね」
思えるパターンばかりだったから納得できて成立してたわけだし(まあ大体の場合)。
なのになにを言葉の表面だけとらえて状況も知らぬまま批判してるんだと。

深刻なレベルでの復讐を行ったあとのリスクを考えず、一面的な「正義」の熱に浮かされた感情のみで結論づけるなんてそれこそ馬鹿の所業だ。
やられたらやり返したいと思うのは当然のことだ。
でも人間は動物じゃない(動物だけど)。
そのあとのこと周囲のこと諸々まで考えられる生き物だ。
許す、自分に非がなくともこらえる、そうしたことの価値や美学をなぜこのいっときは忘れてしまうのか。
昨今の風潮がそうなってきているのか。

そのくせ例えば深刻な復讐を行うに足る理由ある人が、しかしこらえて、その分の時間を人としてまっとうに生き、周囲や社会に貢献している、てな姿を見たら感動するんだろう。
そういう姿を見ても「いや復讐第一」って言える人だけが復讐すること「だけ」をよしとしなさい。
本気でそう思っている人を説得する気になんてなれないから。
というふうに思うわけですよ。

この話題でよく引き合いに出される『ジョジョ6部』のエルメェス、あの人の場合は復讐してよかったと思っている。
エルメェスの性格とか社会的立場とか作品通して得られるイメージ諸々考えると。
あの人は登場の時点ですでに人生をそっちにふりきっていて、覚悟しきっていて、そのあとも強く生きられるであろう人だったわけだし。
だからエルメェスを引き合いに出して「復讐こそが正しい」とするのはただの都合のいい思考停止でしかない。

というか、人や状況によっては、エルメェスだって他人がしようとしている「復讐」を止めると思う。
あの人はそういう人だろう。

物事を単純にしたがるのが人間だってのはなんか哲学でもいってた。
シンプルなことこそ真実であるってのは往々にしてあるけど、その真実へたどり着くまでの道のりが単純であるって意味ではないはず。
日々見聞きして得る情報を咀嚼、解釈に思考し続けることが活きた知識や知恵となるのではないか。

ひさびさにエルメェスの復讐劇読んでみたくなった。
まああれは今読んでも感想変わらなそうだ。


▼絵

ほぼほぼ見ないで描いたビッケ。
前回よりはだいぶマシになった。
でもやっぱりお手本とはちがう。
お手本よく見るともうすこし顔大きい。
顔の幅が胴体くらいある。
そのほうがより子供っぽいかわいさが出てくる。
次そうしてみる。

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