▼特撮『仮面ライダー3号』『仮面ライダー4号』
先日YouTubeでファイズとスネークオルフェノクが戦ってる見たことのない動画が上がってきて。
「え!なにこれ?」って調べたら『仮面ライダー4号』でのシーンだという。
『仮面ライダー4号』は乾巧(ファイズ)の物語の完結編でもあるらしく。
じゃあまあ見てみるか・・・ってその前に『3号』見るべきなのか?ということで2作連続視聴。
2作ともベースは当時放映中だった『仮面ライダードライブ』。
以下ネタバレあり。
『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』
Huluにて視聴。
相当いろんなところがガッバガバで行き当たりばったりに見えるカオスな作品。
全てがその場の思いつきで進んでってるのか?・・・思えるような。
まあらしいっちゃらしいんだけど・・・そういやライダーのお祭り映画ってこんなんだったな〜と。
とか思ってたら終盤にニンニンジャー出てきて、あーこれって”仮面ライダー大戦”じゃなくて”スーパーヒーロー大戦”なのか・・・と気付く。
まあ実質内容的には『仮面ライダー大戦』でしかないんだけど。
でなんやかやあって最後に剛(仮面ライダーマッハ)が死ぬ。
そしてVシネマの『4号』に続く。
『仮面ライダー4号』
アマプラでレンタル視聴。
『3号』がある意味実に”らしい”ガバガバカオス作だったのでハードル低めてたせいなのか・・・序盤やそのあとの要所もかなり良かった。
何度か涙してしまった。
が、しかし、とってもとっても『不思議』な作品でもあった。
ざっくりいえばストーリーはループもの。
時間がある時点で巻き戻ってしまうという。
そのたびにショッカーの力が謎に増していく(その仕組みはマジで謎)。
時間巻き戻りは『3号』で破壊したはずの「歴史改変マシン」という”マシン”ってつけりゃなんでも有りなの?っていうマシンが関係していて。
それが主人公サイドの「思い」と連動し、仲間のだれかが死ぬたびに発動、時間巻き戻りーなバイツァダスト。
ショッカーはそのたびになんでか知らんけど強力になり、ついには最強兵器”仮面ライダー4号”を完成させてしまう。
でなんだかんだ戦ったり死んだり調査していったりのなか、突き止めたその「思い」の主は霧子。
・・・としばらく思わせといて実はファイズ=乾巧だったというどんでん返し。
巧はTV本編『仮面ライダー555』の最後で死んだ。
正確には死ぬ直前で物語は終わった。
少なくとも自分はそう解釈していて、この『4号』でもその続きとなっている。
巧は自分でも無自覚に再び仲間が、そして自分自身が死ぬことを拒んでいた。
その強い思いを利用されショッカーが時間巻き戻りを引き起こしていたらしい。
このへんのことも考えてみるとよくわからないんだけど・・・まあそもそも「歴史改変マシン」なんてもののことが理解できるはずもないので、「そういうことなんだな」と思うことにした。
とにかく巻き戻りを阻止するには「歴史改変マシン」を破壊すればいい、しかしそれを行うと乾巧は消えてしまう。
このへんもなんで・・・まあそういうものなんだな、と。
そうして戦いの末にマシンへとたどり着いた巧だが、そこへ海堂(スネークオルフェノク)が現れる。
海堂はこの『4号』において要所で現れ、巧たちが真相に気づかぬようずっとひとりで動いていた。
それは巧に生きていてほしかったからだ。
かつての仲間は皆いなくなった、彼らの死に意味はあったのか?と。
巧はあったと答えるが、海堂はそんなものはない、ただ残された者が悲しいだけだと返す。
巧はあくまでも立ちはだかる海堂にクリムゾンスマッシュを放つ。
崩れ落ちる海堂を巧は支え、ふたりは最後の言葉を交わす。
マシンは破壊され世界は元に戻った。
違っているのはショッカーと共に乾巧の存在が消えたことだ。
その他の死はなかったことになり海堂は生きている。
そして誰もが、ライダーたちまでもが忘れてしまった乾巧に、海堂は青空を見上げながら語りかけ物語は幕を閉じるのだった。
こうして思い返してみると『4号』も『3号』同様相当いろいろとガバい。
が、それでもやっぱり、『555』を見ていた身としては熱くなってしまう場面が多々あって。
・・・と同時に、この作品における乾巧の物語の発端であるはずの、
「そもそもなんで生き返ったのか?」
にまったく触れられないまま終わるという、そこをどう解釈すべきかわからなすぎてとまどってもいる。
なのでもっと前のライダー大戦関連からのつながりがあるのか?思って調べたけど、そういうわけでもなくて。
これより前に乾巧が出てきた『ライダー大戦』(2014年)においては、「乾巧はTV本編後も生きていた」という解釈で登場しているし。
でもこの『4号』でははっきり「一度死んだ」と本人が言っている。
だから巧が今回生きていた、生き返った理由は、今のところメタにしかない。
メタ的にお祭り映画で「生きていた」ことにされキャラクター的に生き返った巧が、今作においては本編で「死んだ」ことこそを事実として思い悩んだりしている。
もう何かを強くツッコむというより・・・なんか不思議・・・と思うしかない。
まあそのへんのことは今後も考えていくとして、とにかく全体的にはけっこう楽しめた。
『3号』等の全ライダーが出てくるお祭りシリーズとちがい、登場ライダーがドライブ、マッハ、ファイズ、ゼロノスに絞られていてシャープな見易さがあったように思うし。
あと歴史改変の影響なのか、理由はハッキリしてなかったけど、ドライブが元からファイズ、ゼロノスと共に戦っていたという設定もよかった。
なんかスパロボっぽくて。
どうせどうしてもゆるいところは出てしまうのだから、出だしの設定はこれくらい割り切ってくれた方が個人的には好みだ。
▼マンガ『三日月のドラゴン』(長尾謙一郎)
そういや長尾謙一郎って今何描いてるんだろー。
思ってAmazon検索して「え・・・」ってなったマンガ。
遅いと思う、この作者知ってる人は皆とっくになってたんだと思う。
作風がほんとに180度ちがう。
画力の上下とかそういう問題じゃない。
かつて画太郎が『漫遊記』で娘々描いたとき以来の、いやそれ以上のギャップと衝撃。
『漫遊記』はしかしまだ、それまでのイメージではありえないキャラが出てきたにしろ、内容はしっかりやっぱり”画太郎”だった。
でもこれは作風そのものが変わっている。
絵は、ときどき「それっぽい」のはある。
でも・・・ちがう。
ネットの評判見るとやっぱり中にはどっかでビビりながら読んでる人たちがいる。
この『三日月のドラゴン』の内容自体は青春・空手マンガなんだ。
すごくまっすぐな感じの。
じつに正統派な。
・・・でも、そんなワケあるの?と。
長尾謙一郎なのに?って。
頭でも打ったって言われないと納得できないくらいのものがある。
悟空はそれで悟空になったっていうあれくらいの。
なんでなんだろうこれ。
というか、生意気なことをいうと、今この内容で連載はなかなかしづらいんじゃないだろうか。
あまりにも正統派すぎて。
でも「長尾謙一郎」が「これ」を描いてるとなると、皆どっかでおびえながら「そんなはずない」って思いながら読むだろうし、注目してしまうだろうから、こそ、可能なのかもしれない。
個人的にはこういうのも好きだからありがたいんだけど・・・
王道なのに新感覚の不思議さ。
先日YouTubeでファイズとスネークオルフェノクが戦ってる見たことのない動画が上がってきて。
「え!なにこれ?」って調べたら『仮面ライダー4号』でのシーンだという。
『仮面ライダー4号』は乾巧(ファイズ)の物語の完結編でもあるらしく。
じゃあまあ見てみるか・・・ってその前に『3号』見るべきなのか?ということで2作連続視聴。
2作ともベースは当時放映中だった『仮面ライダードライブ』。
以下ネタバレあり。
『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』
Huluにて視聴。
相当いろんなところがガッバガバで行き当たりばったりに見えるカオスな作品。
全てがその場の思いつきで進んでってるのか?・・・思えるような。
まあらしいっちゃらしいんだけど・・・そういやライダーのお祭り映画ってこんなんだったな〜と。
とか思ってたら終盤にニンニンジャー出てきて、あーこれって”仮面ライダー大戦”じゃなくて”スーパーヒーロー大戦”なのか・・・と気付く。
まあ実質内容的には『仮面ライダー大戦』でしかないんだけど。
でなんやかやあって最後に剛(仮面ライダーマッハ)が死ぬ。
そしてVシネマの『4号』に続く。
『仮面ライダー4号』
アマプラでレンタル視聴。
『3号』がある意味実に”らしい”ガバガバカオス作だったのでハードル低めてたせいなのか・・・序盤やそのあとの要所もかなり良かった。
何度か涙してしまった。
が、しかし、とってもとっても『不思議』な作品でもあった。
ざっくりいえばストーリーはループもの。
時間がある時点で巻き戻ってしまうという。
そのたびにショッカーの力が謎に増していく(その仕組みはマジで謎)。
時間巻き戻りは『3号』で破壊したはずの「歴史改変マシン」という”マシン”ってつけりゃなんでも有りなの?っていうマシンが関係していて。
それが主人公サイドの「思い」と連動し、仲間のだれかが死ぬたびに発動、時間巻き戻りーなバイツァダスト。
ショッカーはそのたびになんでか知らんけど強力になり、ついには最強兵器”仮面ライダー4号”を完成させてしまう。
でなんだかんだ戦ったり死んだり調査していったりのなか、突き止めたその「思い」の主は霧子。
・・・としばらく思わせといて実はファイズ=乾巧だったというどんでん返し。
巧はTV本編『仮面ライダー555』の最後で死んだ。
正確には死ぬ直前で物語は終わった。
少なくとも自分はそう解釈していて、この『4号』でもその続きとなっている。
巧は自分でも無自覚に再び仲間が、そして自分自身が死ぬことを拒んでいた。
その強い思いを利用されショッカーが時間巻き戻りを引き起こしていたらしい。
このへんのことも考えてみるとよくわからないんだけど・・・まあそもそも「歴史改変マシン」なんてもののことが理解できるはずもないので、「そういうことなんだな」と思うことにした。
とにかく巻き戻りを阻止するには「歴史改変マシン」を破壊すればいい、しかしそれを行うと乾巧は消えてしまう。
このへんもなんで・・・まあそういうものなんだな、と。
そうして戦いの末にマシンへとたどり着いた巧だが、そこへ海堂(スネークオルフェノク)が現れる。
海堂はこの『4号』において要所で現れ、巧たちが真相に気づかぬようずっとひとりで動いていた。
それは巧に生きていてほしかったからだ。
かつての仲間は皆いなくなった、彼らの死に意味はあったのか?と。
巧はあったと答えるが、海堂はそんなものはない、ただ残された者が悲しいだけだと返す。
巧はあくまでも立ちはだかる海堂にクリムゾンスマッシュを放つ。
崩れ落ちる海堂を巧は支え、ふたりは最後の言葉を交わす。
マシンは破壊され世界は元に戻った。
違っているのはショッカーと共に乾巧の存在が消えたことだ。
その他の死はなかったことになり海堂は生きている。
そして誰もが、ライダーたちまでもが忘れてしまった乾巧に、海堂は青空を見上げながら語りかけ物語は幕を閉じるのだった。
こうして思い返してみると『4号』も『3号』同様相当いろいろとガバい。
が、それでもやっぱり、『555』を見ていた身としては熱くなってしまう場面が多々あって。
・・・と同時に、この作品における乾巧の物語の発端であるはずの、
「そもそもなんで生き返ったのか?」
にまったく触れられないまま終わるという、そこをどう解釈すべきかわからなすぎてとまどってもいる。
なのでもっと前のライダー大戦関連からのつながりがあるのか?思って調べたけど、そういうわけでもなくて。
これより前に乾巧が出てきた『ライダー大戦』(2014年)においては、「乾巧はTV本編後も生きていた」という解釈で登場しているし。
でもこの『4号』でははっきり「一度死んだ」と本人が言っている。
だから巧が今回生きていた、生き返った理由は、今のところメタにしかない。
メタ的にお祭り映画で「生きていた」ことにされキャラクター的に生き返った巧が、今作においては本編で「死んだ」ことこそを事実として思い悩んだりしている。
もう何かを強くツッコむというより・・・なんか不思議・・・と思うしかない。
まあそのへんのことは今後も考えていくとして、とにかく全体的にはけっこう楽しめた。
『3号』等の全ライダーが出てくるお祭りシリーズとちがい、登場ライダーがドライブ、マッハ、ファイズ、ゼロノスに絞られていてシャープな見易さがあったように思うし。
あと歴史改変の影響なのか、理由はハッキリしてなかったけど、ドライブが元からファイズ、ゼロノスと共に戦っていたという設定もよかった。
なんかスパロボっぽくて。
どうせどうしてもゆるいところは出てしまうのだから、出だしの設定はこれくらい割り切ってくれた方が個人的には好みだ。
▼マンガ『三日月のドラゴン』(長尾謙一郎)
そういや長尾謙一郎って今何描いてるんだろー。
思ってAmazon検索して「え・・・」ってなったマンガ。
遅いと思う、この作者知ってる人は皆とっくになってたんだと思う。
作風がほんとに180度ちがう。
画力の上下とかそういう問題じゃない。
かつて画太郎が『漫遊記』で娘々描いたとき以来の、いやそれ以上のギャップと衝撃。
『漫遊記』はしかしまだ、それまでのイメージではありえないキャラが出てきたにしろ、内容はしっかりやっぱり”画太郎”だった。
でもこれは作風そのものが変わっている。
絵は、ときどき「それっぽい」のはある。
でも・・・ちがう。
ネットの評判見るとやっぱり中にはどっかでビビりながら読んでる人たちがいる。
この『三日月のドラゴン』の内容自体は青春・空手マンガなんだ。
すごくまっすぐな感じの。
じつに正統派な。
・・・でも、そんなワケあるの?と。
長尾謙一郎なのに?って。
頭でも打ったって言われないと納得できないくらいのものがある。
悟空はそれで悟空になったっていうあれくらいの。
なんでなんだろうこれ。
というか、生意気なことをいうと、今この内容で連載はなかなかしづらいんじゃないだろうか。
あまりにも正統派すぎて。
でも「長尾謙一郎」が「これ」を描いてるとなると、皆どっかでおびえながら「そんなはずない」って思いながら読むだろうし、注目してしまうだろうから、こそ、可能なのかもしれない。
個人的にはこういうのも好きだからありがたいんだけど・・・
王道なのに新感覚の不思議さ。
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