タイガーチルドレン
▼映画『男はつらいよ あじさいの恋』

1982年8月7日公開シリーズ29作目。
マドンナはいしだあゆみ。

久方ぶりの『男はつらいよ』。
前作を見終えた時点で、ここまでくると寅さんも恋にそこまで積極的じゃなくなってきたというか、”年齢”が出てきた感じするな・・・なんだかさびしいな・・・思いなかなか次が見れなかった。
マドンナもいしだあゆみで、なんか、んー・・・って。
サムネで見てもなんかやつれてるし、この人と恋愛劇かー・・・と。

しっかし杞憂だったわ。
寅さんしっかり恋してしっかり失恋してた。
いしだあゆみも生々しい艶っぽさがあり。
視聴者である自分の心の揺れ具合的にも今作はかなりもんだった。
「なんで!?!?!?」感がすーごかった。
もう監督はさ、洋次はさぁ、観客に「なんで!?」っていかにツッコませるかに勝負かけてきてるよね?
今更ながら思いたくなるほどに。

途中までは過去作でもあったパターンに近かった。
寅さんが旅先で会った女性からかなりのアプローチを受けるも、これをタイガースルー。
そして柴又へもどったあと女性がとらやを訪ねてきて・・・といった形の。
ここまでは前々作の『浪花の恋の寅次郎』と共通している。

『浪花の恋の寅次郎』では、訪ねてきたマドンナに寅さんが浮かれるも、実はそのときはすでにマドンナは別の男性との結婚を決めていたという流れだった。
しかし今回のいしだあゆみは、とらやを訪問しただけでなく、こっそり寅さんをデートにまで誘う。
きた・・・これは完全に前々作を越えてきたなと。
今作はさらにここから寅次郎を追い詰めます!状態。
というかこれほどの積極性は歴代マドンナのなかでもトップクラスなんじゃないか思うし。

いしだあゆみの演じる”かがり”は5年前に夫を亡くし、そして住み込みで働いていた先の男にフラれた直後でもある。
生い立ちも苦労が多く、年齢も、こう言ってはなんだけど、なかなか。
知っていくごとに実はかなり寅さんとつりあう人なんじゃ・・・思えてくる人であり。

そんな女性に積極アプローチを受けてのデート当日。
かがりの待つ鎌倉のあじさい寺に現れる寅さん。
小学生の甥っ子・満男を連れて。
うん。
うんまあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうね。

いやわかるよ、わかりはする。
というか、そうか、なるほど、と。
それがあるならマドンナにどんなアタックされても大丈夫だもんなと。
満男の年齢がまた絶妙だよねーって。
さすがだわと。

でなんか見てて、このへんは、ほんとになんか知らんけど画面の中のかがりに対し、ただ見てるだけの自分が申し訳ない気持ちになってきて。
そこがスゴかった。
寅さんに代わって俺がごめん・・・ていう。
その意味での「なんで?」は初めて。
だってさすがに、そりゃ、ないだろ寅さん!!!・・・なったから。

でもまあ、寅さんは、そうする・・・そうね・・・そうするか。
って納得はできるんだ。
したくはないけど、わかるんだ。
悲しいけど。
でも「やっぱり満男をいかせるべきじゃなかったかしら・・・」(さくら)
っておい!!!!!!!
さくらオイ!!!!!!!!!!!!!!
はなるよさすがに・・・

だから、なんだろう。
なんというか、とりあえず「なんで?」の数は歴代で一番多かったんじゃないかと思う。
「だいたい君は兄さんに甘すぎるんだよ」(ひろし)
っていうひろしの言うとおりというか、もはや甘いとかの問題なの・・・すらわからなくなってきたし。
なぜ満男行かせたしの嵐。
寅さんが満男連れてくの止めてくれなんださくら。

結局、鎌倉で寅さんが話しかけるのは満男ばかりで、要所でかがりはさみしそうな表情を見せる。
そして「私の知ってる寅さんじゃないみたい」「私が会いたかった寅さんは、旅先の寅さんだったんやね」といったことを伝え、かがりはその日のうちに故郷へ帰ってしまうのだった。

だから、やっぱりその、じゃあなんで寅さんは恋をするんだよ・・・
思ってしまうわけだけど、そこは寅さんの意思じゃないからしょうがないんだよ。
それはわかってるんだけど。
過去の失恋劇から学習しないのも「バカだから」で済ませてしまう。
それが理由ってのは相当強い。
ずるい。
結局、人間は、自分自身のことさえ、自分の意思で御しきれない。
しょせんそういうどうにもままならぬものだと、そんな姿を思い出させてくれる寅さんを、愛してしまうのかもしれない。
それこそが、正確な機械とはちがう、人間味ってやつの一面なのではなかろうか。
人間は間違いをも愛せる生き物なんだ。
そうだろうひろし・・・・・・

今作で寅さんは人間国宝である陶芸家とも出会う。
たまにある旅先で親切にしたおじいちゃんが実は名の知れた人だったパターン。
このパターンかなり好きだし、とにかく何かと心揺さぶられる場面も多かったので、結果『あじさいの恋』はシリーズ個人的上位作となった。


▼ドラマ『少年寅次郎』

正史改変疑惑と超推理回。

正史改変疑惑は実母との再会について。
今回では中学生の寅次郎のもとへ実母のお菊が訪ねてくる。
しかし映画本編ではお菊と寅さんは赤んぼうのころ別れたきり、少なくとも寅さん自身は実母の顔を知らずに育ったはず・・・
周囲の寅さんファンにも訊いてみたところ「たしかそう」だと言う。

なのでこれは、学校へお菊が訪ねてきたものの、結局何らかの理由で会えずに終わる、少なくとも寅次郎の方は認識しないパターンかな・・・思いながら見た。

お菊は寅次郎の担任の散歩先生に会う。
事情を知った先生は寅次郎を教室で待たせる。
教室へと迫るお菊・・・・・・って、え、会うの?とここまで見て。
え会ったら、だって歴史が、正史が・・・・・・
と、これから起こるタイムパラドックスを目撃する人みたいな気分になり。

で結局会った。
歴史が・・・
それでいちおう、ドラマ見終えたあと映画本編確認した。
お菊が出てくる『続・男はつらいよ』だ。

「母親の顔も見ないまま」みたいなセリフは出てくる。
でも寅さん本人はそうと明言してはいない。
言った人に合わせるように「まあそうですかね・・・」みたいな対応。
なので微妙なとこかこれは・・・というと、そういうわけでもなかった。
だって映画において寅さんに対しそう言ったのは散歩先生その人なのだから。
多少強引ながら、散歩先生も歳だし忘れてる?としても、「寅さんと実母の再会」については映画でもドラマでも散歩先生だけでなくその娘・夏子も絡んでいる。
しかし夏子もまた映画では寅さんがお菊と会うのは初めてだと認識している。
終わった・・・
歴史が変わってしまった・・・・・・・
いやまあ、じゃあドラマはパラレルってことで。

超推理については、光子。
寅次郎の机から万年筆を見つけ、そこから最近あった諸々のことを結びつけ、寅次郎がお菊と会ったことを察する。
いや・・・さすがに察しすぎじゃない?と。
まあいいんだけどね。
いいんだけど・・・それでも一応は親として「この万年筆はどうしたんだい?」くらい訊くくだりあってもよかった気が。

それとも女性は、母親はそれくらい察せられるものなのだろうか?
いや無理だろさすがに!
寅次郎を信じる気持ちはあるにしても、結びつけすぎだろいくらなんでも。
思って、いちおうツイッターみたら、見た人みんな感動してるっぽいので、はい。
そうね。

あと、さくら。
少女時代のさくらは、父親に冷たくされている兄・寅次郎に同情する。
ときには涙まで流す。
そんな兄をずっと見てきたさくらが、大人になった寅さんに対し、言葉では正論を投げかけつつもつい過保護に接してしまうのは仕方のないことのようにも思えてくる。
映画での「君は兄さんに甘すぎるんだよ」のあとこのドラマのさくらを見て、なんだかちょっぴりしっくりきた。
パラレルだけどこうしたとこに違いはないだろう。

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