ブラウンシュガーってなんだよ
2019年10月17日 趣味
▼イラスト学習とチャーリー・ブラウン
あるイラスト学習イベントが気になっている。
しかし参加希望の人はツイッターのDMでご連絡を・・・のハードルが高い。
それ自体はなんとかできたとしても、またそのあとのことを思うと重すぎる。
俺はもうほんとこういうのはできることなら頭に袋を被って参加したいんだ。
なにか特別外見にコンプレックスがあるわけじゃない。
でもとにかく知らない人に見られるのも、知らない人を見るのもいやなんだ。
まったく無関係な人ならともかく、これからそれなり交流します、するかもですよ、くらいの距離感の相手が一番むずかしい。
それなら全員頭に袋かぶった状態でいいんじゃない?それでも目的は達成できるわけだし?思うんですけど。
「どなたも参加できます(袋OK)」とかそういうのが普通の世の中にならないもんだろか常々考えている。
とはいえかつて小説を趣味としていたころはそういうの何度か参加していた。
もちろん素顔でだ。
その場で自分の作品読んでもらって質疑応答したり、人様の作品に人一倍ツッコんだりしてた。
あれは一体誰だったんだ。
あのころの俺はなんだったんだと今は思う。
ちなみに自分の袋人間イメージはジョン・メリックというよりはチャーリー・ブラウンだ。
マンガ『ピーナッツ』の主人公でありスヌーピーの飼い主の少年。
あるときチャーリー・ブラウンはキャンプだかなんだかに、なんらかの理由で頭に袋をかぶって参加する(おできが顔にできたかなんかで。かなり昔に読んだからあんまおぼえてない)。
でチャーリー・ブラウンは普段は人からバカにされっぱなしな少年なんだけど、そこでは周りに彼のことを知っている人はおらず、まして袋を被っているので顔も表情もわからない。
そうすると普段は「何言ってるの”チャーリー・ブラウン”のくせに」とバカにされるような言動も、「静かに、”袋さん”が何かおっしゃろうとしている」と妙に一目置かれるようになる。
そこで特に慕ってくるような男の子も出てきたりして、ついにはキャンプのチームリーダーにもなり、チャーリー・ブラウンはこここそ自分の理想郷だと思う。
しかし何日目かの朝に、袋を被る必要がなくなり素顔で外に出て男の子にいつもどおりふるまうと、
「”あいつ”がぼくらのリーダーだって!?」
と態度が一変してしまう。
みたいな話。
これは大分子供のころから読んだ話なので、あの袋を被ったチャーリー・ブラウンがずっと自分の中にいるような気がする。
あれこそがなんだか・・・よくわからんけど、自分にとっての理想だと感じているような気がする。
いつのころからか「できればダース・ベイダーみたいな格好で生きていきたい」と思うようになった原点もこれなんじゃないだろうか。
人間はわずらわしいんだ。
人間が人間に対して「人間だ」って思うことが、それ今いる???って思うタイミングで発生することがわずらわしい。
いやまあいるときはいるけど。
でも絵を学ぶのに人間を意識する必要はないはず・・・・・いやじゃあなんで俺は学習イベントに参加しようと考えたんだ!
他の人間と一緒なら何かが変わる、より成長ができるかもしれない、そう思ったからじゃないのか。
ええおい。
だから「人間」ってひとくくりにするんじゃなく、この人と絵を学ぶということに関して、必要だと思うとこだけ抜き出すと、それは袋をかぶった人間になるんだ。
俺は袋を被った人間と絵を学びたい。
皆モゴモゴしゃべりながら。
それが俺の理想郷だよチャーリー・ブラウン。
https://www.youtube.com/watch?v=gFHuCM0v1qo
▼絵とマンガ学習
1枚目、ジェイクやや模写。
昨日がひどすぎたので時々模写もしていこう思い。
意味はないんだけどなんとなくセリフ入れてなんとなく中国語にしてみた(「マジかよ?」って言ってる)。
2枚目、マンガ模写1ページ目。
3日目なので明日は2ページ目にいく。
次はラフな絵描いたらまず枠線、そのあと人物、という順番にする。
3枚目、『僕の心のヤバイやつ』彼氏さん。
色塗れたら塗りたい・・・できれば水彩系で。
けどそのへんの知識はまだまったくない。
調べてからまずジェイクでいろいろ試してみるかな。
あるイラスト学習イベントが気になっている。
しかし参加希望の人はツイッターのDMでご連絡を・・・のハードルが高い。
それ自体はなんとかできたとしても、またそのあとのことを思うと重すぎる。
俺はもうほんとこういうのはできることなら頭に袋を被って参加したいんだ。
なにか特別外見にコンプレックスがあるわけじゃない。
でもとにかく知らない人に見られるのも、知らない人を見るのもいやなんだ。
まったく無関係な人ならともかく、これからそれなり交流します、するかもですよ、くらいの距離感の相手が一番むずかしい。
それなら全員頭に袋かぶった状態でいいんじゃない?それでも目的は達成できるわけだし?思うんですけど。
「どなたも参加できます(袋OK)」とかそういうのが普通の世の中にならないもんだろか常々考えている。
とはいえかつて小説を趣味としていたころはそういうの何度か参加していた。
もちろん素顔でだ。
その場で自分の作品読んでもらって質疑応答したり、人様の作品に人一倍ツッコんだりしてた。
あれは一体誰だったんだ。
あのころの俺はなんだったんだと今は思う。
ちなみに自分の袋人間イメージはジョン・メリックというよりはチャーリー・ブラウンだ。
マンガ『ピーナッツ』の主人公でありスヌーピーの飼い主の少年。
あるときチャーリー・ブラウンはキャンプだかなんだかに、なんらかの理由で頭に袋をかぶって参加する(おできが顔にできたかなんかで。かなり昔に読んだからあんまおぼえてない)。
でチャーリー・ブラウンは普段は人からバカにされっぱなしな少年なんだけど、そこでは周りに彼のことを知っている人はおらず、まして袋を被っているので顔も表情もわからない。
そうすると普段は「何言ってるの”チャーリー・ブラウン”のくせに」とバカにされるような言動も、「静かに、”袋さん”が何かおっしゃろうとしている」と妙に一目置かれるようになる。
そこで特に慕ってくるような男の子も出てきたりして、ついにはキャンプのチームリーダーにもなり、チャーリー・ブラウンはこここそ自分の理想郷だと思う。
しかし何日目かの朝に、袋を被る必要がなくなり素顔で外に出て男の子にいつもどおりふるまうと、
「”あいつ”がぼくらのリーダーだって!?」
と態度が一変してしまう。
みたいな話。
これは大分子供のころから読んだ話なので、あの袋を被ったチャーリー・ブラウンがずっと自分の中にいるような気がする。
あれこそがなんだか・・・よくわからんけど、自分にとっての理想だと感じているような気がする。
いつのころからか「できればダース・ベイダーみたいな格好で生きていきたい」と思うようになった原点もこれなんじゃないだろうか。
人間はわずらわしいんだ。
人間が人間に対して「人間だ」って思うことが、それ今いる???って思うタイミングで発生することがわずらわしい。
いやまあいるときはいるけど。
でも絵を学ぶのに人間を意識する必要はないはず・・・・・いやじゃあなんで俺は学習イベントに参加しようと考えたんだ!
他の人間と一緒なら何かが変わる、より成長ができるかもしれない、そう思ったからじゃないのか。
ええおい。
だから「人間」ってひとくくりにするんじゃなく、この人と絵を学ぶということに関して、必要だと思うとこだけ抜き出すと、それは袋をかぶった人間になるんだ。
俺は袋を被った人間と絵を学びたい。
皆モゴモゴしゃべりながら。
それが俺の理想郷だよチャーリー・ブラウン。
https://www.youtube.com/watch?v=gFHuCM0v1qo
▼絵とマンガ学習
1枚目、ジェイクやや模写。
昨日がひどすぎたので時々模写もしていこう思い。
意味はないんだけどなんとなくセリフ入れてなんとなく中国語にしてみた(「マジかよ?」って言ってる)。
2枚目、マンガ模写1ページ目。
3日目なので明日は2ページ目にいく。
次はラフな絵描いたらまず枠線、そのあと人物、という順番にする。
3枚目、『僕の心のヤバイやつ』彼氏さん。
色塗れたら塗りたい・・・できれば水彩系で。
けどそのへんの知識はまだまったくない。
調べてからまずジェイクでいろいろ試してみるかな。
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