▼映画『男はつらいよ 寅次郎紙風船』
1981年12月29日公開シリーズ28作目。
マドンナは音無美紀子。
何が「男はつらいよ」だよ、っとに。
つらい身に自分を置いているのは他ならぬ自分自身じゃないのかよ。
なあ寅さんよ!
とそんなことも言いたくなるような最大級の・・・・なっんっで!?!?!?の待ち受けている本作。
ここまでくると「とらや」の存在すらあだになってる気がしてくる。
今作は病気のテキヤ仲間(小沢昭一)のことをきっかけに寅さんが真人間になろうとする。
それに対してさくらは「今までどおりでいいのよ」なんて言う。
いやなんてやさしい言葉なんだとそのときは思いもしたけれど。
でも「おまえは俺を甘やかしすぎだ」みたく寅さんが返したように、今はちょっぴりそう思うよ。
さくらにしてみたら「まあお兄ちゃんのいっときの感情だろうし」程度に考えてのことだったのかもしれないけど。
寅さんには悪いけど「どうせ長続きはしないんだろな」ていう。
正直私もその場におったらそう思っただろうし。
対しておばちゃんなぞはそんな甥の真人間発言を素直によろこぶ。
さらには社会保障のない自分(寅さん)が病気にでもなったら・・・とこぼすと、おいちゃんと共に「そんなのいくらだってあたしらがめんどうみるよ!」と。
ありがたいよ。
家族だよ、家族がいるんだよ寅さんには。
あったかいよ。
でもこんな家族がいるから寅さんは本当に真実がむしゃらに所帯を持とうとはしないんじゃないのかって。
もしこの人らがいなかったら、どっかの段階で、さみしさが寅さんの背中を押したなんてこともあったんじゃないか。
今作は病床のテキヤ仲間から、自分が死んだら女房をおまえがもらってやってくれ、と寅さんは頼まれる。
寅さんはそれを真に受け、テキヤ仲間が亡くなったあとに何かと準備をはじめる。
とらやの皆に「結婚すると思う」宣言したり、就職活動したり。
未亡人・光枝の気持ちも確かめぬまま。
でも終盤、寅さんと二人きりになった光枝は、旦那が亡くなる直前に同じように言われていたことを明かす。
寅さんと所帯をもてと。
その話をされたうえで寅さんに対し憎からずな態度でつきあっていたのだ。
で「寅さん、(旦那と)約束したの?本気で」なんて恥ずかし気に問う。
ああ、これで終わりだ、シリーズ『男はつらいよ』は今作で完結なのだ・・・俺はそう思いたかったよ。
だってここまできたらそうだろう?って。
だってこっからどう、どこをどうしたら・・・・・・・うん。
「うん・・・ほら、病人のいうことだからよ、まぁ、”てきとうに”相槌うってたのよ」
「・・・ほんと?」
「っああ、ほんとだよ」
「じゃよかった・・・寅さんが、ほんきでそんなこと約束するはずがないわね・・・ごめんね、失礼なこといっちゃって」
ええええ・・・・・
わっからん、これはわからん。
相撲だったら取り直しも取り直しだこんなもん。
おかしいだろだって。
いや光枝さんは何一つおかしくないよ。
なんでだよ寅さん。
あんなにはしゃいでうれしそうに準備してたじゃないか。
就職の面接までしたのに。
なんでだよ。
なんだろう光枝からいった形になったのがダメだったのかな。
光枝のほうから「あたしに想いがあるの?あたしをもらってくれるの?」みたいにいったのがあかんかったのか?
それで「うん」というのは、ずっとあった光枝への気持ちを隠していたのを明かすことになるから、ダメだったのか?
男らしくないってのか。
じゃ男ってなんだよ。
想いのあるひとりの女性を幸せにすることを避けてまで守らなきゃいけない男なんてあるのか。
それともこの場合のこれを臆病風に吹かれてというなら寅さんは何をおそれているんだよ。
わっかんないよ。
それで最後は正月、こんなふうにふたりが別れる前に、元日にはきっととらやへ遊びにきてねと約束していた光枝がとらやへ来るんだ。
寅さんは例によって旅先だから不在で。
なにが旅先だよ。
ご存知終わり際まとめのひと幕だよ。
でここで光枝はお客さんなんだけど自ら立ってとらやを手伝う。
旅館の中居もやっていたから客商売はお手の物ってんで。
活気のある声で客をよびこむんだ。
だからこれはもし寅さんと光枝が所帯をもっていたら日常になっていた光景なんだろうな・・・思って見ていたらそら涙も出てくるわ。
光枝だってその意識はあるだろうし絶対。
だから罪作りは寅さんだよ。
でも、だからといって車寅次郎の物語として何かが破綻しているわけでもないってのがまた。
もどかしい。
ああそっちじゃない、そうじゃないんだ、そうじゃなかったんだ、と人間自分でも感じながら思うような選択肢へいけないことってある。
それがわかる気持ちもあるからいっそう切ない。
寅さんは結局恋愛をしていたいだけなのかな。
恋愛は楽しい、幸福な気持ちになれる、寅さんはそれを知っている。
でも結婚は未知だ。
今あるいろんなことを捨てて知らないことに挑まないといけない。
いざという場面になると、とっさにそういうことを天秤にかけてしまうのだろうか。
思い出してしまうのだろうか。
しかしその天秤にとらやの家族はふくまれていない、結婚したって家族はそのままだ。
渡世人の自分を恥じるなら就職はだめでもとらやを継ぐ手立てだってある。
そんなに旅人の自分が好きなのか。
それともそういうことを理由にし、ただワケのワカらぬ不安から逃げてしまうだけなのだろうか。
前にも書いたけど定住者ならこっからまだ話を進めたりもできるだろう。
自分の気持ちや行動を見つめ直したり、周囲のおせっかいからチャンスをつなげたりな形で。
でも寅さんはいったんこうなると旅に出てしまう。
それがまたどうにも。
本作にはゲストとして岸本加世子、地井武男も出てくる。
岸本加世子は旅先で出会った19の家出娘で、寅さんを慕いいっとき行動を共にし、とらやにも訪ねてくる。
彼女の明るい無邪気なキャラクターと寅さんとの掛け合いはこの作品における際立った楽しさだ。
地井武男はその兄で、豪放で荒っぽいような人物ながらも心底から妹を心配している。
ふたりのさわやかな兄妹愛は安堵して見られる清涼剤となっている。
それにしてもなんだかここからの『男はつらいよ』見るのが少しつらくなってきた。
だって寅さんはもうあんまり結婚したくないんじゃ?思うから。
いや・・・・・・・そんなふうに”結婚”をなにかしらのゴールと考えている自分がお子さまなんだろうか。
でも少なくともこのシリーズにおいてはそういうもんだろうし、とりあえずそういう考えで寅さんを応援するのが見方ではないのか。
あと関係ないけどAmazonプライムの解説がオチまで書きすぎ。
まあhulu視聴だから大丈夫だったけど。
どういうつもりなんだAmazon。
1981年12月29日公開シリーズ28作目。
マドンナは音無美紀子。
何が「男はつらいよ」だよ、っとに。
つらい身に自分を置いているのは他ならぬ自分自身じゃないのかよ。
なあ寅さんよ!
とそんなことも言いたくなるような最大級の・・・・なっんっで!?!?!?の待ち受けている本作。
ここまでくると「とらや」の存在すらあだになってる気がしてくる。
今作は病気のテキヤ仲間(小沢昭一)のことをきっかけに寅さんが真人間になろうとする。
それに対してさくらは「今までどおりでいいのよ」なんて言う。
いやなんてやさしい言葉なんだとそのときは思いもしたけれど。
でも「おまえは俺を甘やかしすぎだ」みたく寅さんが返したように、今はちょっぴりそう思うよ。
さくらにしてみたら「まあお兄ちゃんのいっときの感情だろうし」程度に考えてのことだったのかもしれないけど。
寅さんには悪いけど「どうせ長続きはしないんだろな」ていう。
正直私もその場におったらそう思っただろうし。
対しておばちゃんなぞはそんな甥の真人間発言を素直によろこぶ。
さらには社会保障のない自分(寅さん)が病気にでもなったら・・・とこぼすと、おいちゃんと共に「そんなのいくらだってあたしらがめんどうみるよ!」と。
ありがたいよ。
家族だよ、家族がいるんだよ寅さんには。
あったかいよ。
でもこんな家族がいるから寅さんは本当に真実がむしゃらに所帯を持とうとはしないんじゃないのかって。
もしこの人らがいなかったら、どっかの段階で、さみしさが寅さんの背中を押したなんてこともあったんじゃないか。
今作は病床のテキヤ仲間から、自分が死んだら女房をおまえがもらってやってくれ、と寅さんは頼まれる。
寅さんはそれを真に受け、テキヤ仲間が亡くなったあとに何かと準備をはじめる。
とらやの皆に「結婚すると思う」宣言したり、就職活動したり。
未亡人・光枝の気持ちも確かめぬまま。
でも終盤、寅さんと二人きりになった光枝は、旦那が亡くなる直前に同じように言われていたことを明かす。
寅さんと所帯をもてと。
その話をされたうえで寅さんに対し憎からずな態度でつきあっていたのだ。
で「寅さん、(旦那と)約束したの?本気で」なんて恥ずかし気に問う。
ああ、これで終わりだ、シリーズ『男はつらいよ』は今作で完結なのだ・・・俺はそう思いたかったよ。
だってここまできたらそうだろう?って。
だってこっからどう、どこをどうしたら・・・・・・・うん。
「うん・・・ほら、病人のいうことだからよ、まぁ、”てきとうに”相槌うってたのよ」
「・・・ほんと?」
「っああ、ほんとだよ」
「じゃよかった・・・寅さんが、ほんきでそんなこと約束するはずがないわね・・・ごめんね、失礼なこといっちゃって」
ええええ・・・・・
わっからん、これはわからん。
相撲だったら取り直しも取り直しだこんなもん。
おかしいだろだって。
いや光枝さんは何一つおかしくないよ。
なんでだよ寅さん。
あんなにはしゃいでうれしそうに準備してたじゃないか。
就職の面接までしたのに。
なんでだよ。
なんだろう光枝からいった形になったのがダメだったのかな。
光枝のほうから「あたしに想いがあるの?あたしをもらってくれるの?」みたいにいったのがあかんかったのか?
それで「うん」というのは、ずっとあった光枝への気持ちを隠していたのを明かすことになるから、ダメだったのか?
男らしくないってのか。
じゃ男ってなんだよ。
想いのあるひとりの女性を幸せにすることを避けてまで守らなきゃいけない男なんてあるのか。
それともこの場合のこれを臆病風に吹かれてというなら寅さんは何をおそれているんだよ。
わっかんないよ。
それで最後は正月、こんなふうにふたりが別れる前に、元日にはきっととらやへ遊びにきてねと約束していた光枝がとらやへ来るんだ。
寅さんは例によって旅先だから不在で。
なにが旅先だよ。
ご存知終わり際まとめのひと幕だよ。
でここで光枝はお客さんなんだけど自ら立ってとらやを手伝う。
旅館の中居もやっていたから客商売はお手の物ってんで。
活気のある声で客をよびこむんだ。
だからこれはもし寅さんと光枝が所帯をもっていたら日常になっていた光景なんだろうな・・・思って見ていたらそら涙も出てくるわ。
光枝だってその意識はあるだろうし絶対。
だから罪作りは寅さんだよ。
でも、だからといって車寅次郎の物語として何かが破綻しているわけでもないってのがまた。
もどかしい。
ああそっちじゃない、そうじゃないんだ、そうじゃなかったんだ、と人間自分でも感じながら思うような選択肢へいけないことってある。
それがわかる気持ちもあるからいっそう切ない。
寅さんは結局恋愛をしていたいだけなのかな。
恋愛は楽しい、幸福な気持ちになれる、寅さんはそれを知っている。
でも結婚は未知だ。
今あるいろんなことを捨てて知らないことに挑まないといけない。
いざという場面になると、とっさにそういうことを天秤にかけてしまうのだろうか。
思い出してしまうのだろうか。
しかしその天秤にとらやの家族はふくまれていない、結婚したって家族はそのままだ。
渡世人の自分を恥じるなら就職はだめでもとらやを継ぐ手立てだってある。
そんなに旅人の自分が好きなのか。
それともそういうことを理由にし、ただワケのワカらぬ不安から逃げてしまうだけなのだろうか。
前にも書いたけど定住者ならこっからまだ話を進めたりもできるだろう。
自分の気持ちや行動を見つめ直したり、周囲のおせっかいからチャンスをつなげたりな形で。
でも寅さんはいったんこうなると旅に出てしまう。
それがまたどうにも。
本作にはゲストとして岸本加世子、地井武男も出てくる。
岸本加世子は旅先で出会った19の家出娘で、寅さんを慕いいっとき行動を共にし、とらやにも訪ねてくる。
彼女の明るい無邪気なキャラクターと寅さんとの掛け合いはこの作品における際立った楽しさだ。
地井武男はその兄で、豪放で荒っぽいような人物ながらも心底から妹を心配している。
ふたりのさわやかな兄妹愛は安堵して見られる清涼剤となっている。
それにしてもなんだかここからの『男はつらいよ』見るのが少しつらくなってきた。
だって寅さんはもうあんまり結婚したくないんじゃ?思うから。
いや・・・・・・・そんなふうに”結婚”をなにかしらのゴールと考えている自分がお子さまなんだろうか。
でも少なくともこのシリーズにおいてはそういうもんだろうし、とりあえずそういう考えで寅さんを応援するのが見方ではないのか。
あと関係ないけどAmazonプライムの解説がオチまで書きすぎ。
まあhulu視聴だから大丈夫だったけど。
どういうつもりなんだAmazon。
コメント