MCUDCEU

2019年5月4日 趣味
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▼映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』

以下とりとめのないネタバレ感想。

多少大げさにいうと10回くらいは泣いた。
ありとあらゆるタイミングで泣いてた気する。
エモいって言葉を初めて使っていえばエモに次ぐエモ。
どエモ映画だ。

ツッコミはあっても批判なんてもんはないんじゃないかと思う。
思い入れのないままなんとなく見た人は別として。
それほど、今ある材料とあらゆる制約のなかで見る側が見たいものを最高の形で仕上げて生まれた映画だと思った。
もうね、いいっす。
感謝しかないっす。
ありがとねーアイアンマンー!!
ありがとねーキャップ!!
ありがとねーアベンジャーズ!!!!!
しかないだろと。

一応映画内容のことも少し書くと、そら、まず、キャップだよと。
俺は。
そらそうだろムジョルニアって。
見たかったものをズバンともう見せてくれたよ。
頑丈な盾とまずまずな超人的身体能力、「あの人って盾持ってるだけ?」言われがち、それで戦ってるからこその魅力もあったけど、ここへきてコレ、そうかコレがあったか!!で泣くわ。
なんというか単純に、男の子はこういうのが好き!ってのが根本的にあるんだな。
仲間の強い武器を使い、普段とはちがうフォームで戦う、それも派手過ぎないひと工夫的な渋いそういうの。

でそのあとの「アベンジャーズ、アッセンブル」はもう思い出しても泣ける。
生涯泣けるんじゃないかって思う。

で、もう、もう・・・・・・とにかく全部よかった。
例の人間核弾頭おねーさんとかも。
ラストバトル中に敵の最大戦力が、眼前の大軍を無視してまで警戒する謎の存在が・・・!?
で、やっぱりアンタか、ですよねー、って。
サノスにボッコーン!いかれても「ん?」だし。
このぶっこわれをバランス壊さずストーリーに組み込めるのがすごいわ。

そしてお披露目された瞬殺モード。
ピーターがこれを自分の映画で活用する日はくるのだろうか。
そんなんこれくらいの状況じゃなきゃなかなかなくね?って。

でそんなピーターを守りに集結する女性ヒーローという謎のエモ図よ。
ここも「おー」ってなったけど、これ例えばナターシャがピーターのことをよく目にかけていた、みたいなのがあったらもっとキテたんだろうなと。
控え目にいって号泣してたと思う。

とにかくそういう派手なとこ静かなとこ、ストーン奪還時の楽しいとこも含めて、うまいんだ。
これでもかってくらいエンタメのお手本がつまってる。
ついDC映画と比べてしまって「でもDC映画はさぁー」って言いたくなるけど、そうじゃなくて、この一連のマーベル映画のうまさが異常なんじゃないかって思うほど。

ツッコミどころや疑問はいくらだってあると思う。
そもそも指パッチンってなんなの?とか。
まあ力の源が不思議な石(石じゃないけど)だからそこはいいじゃん、なんだけど、でもなんなの?きっかけなの?思うし。

タイムパラドックス的なとこもけっこう強引というか、たしかにここでくどくど説明されてもおもしろくはないからそれでいいや、っていうところで許せる形になってはいるけど、でもいろいろ疑問は残るね?って。
とは思いつつ、その疑問が残るからといってこの作品につくケチなんてほんとかすり傷みたいなものってのがやっぱりすごいわけだし。

ていうか、そうか、思い返せば時間旅行のくだりでは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を始めとしたさまざまな時間物作品をとりあげ、劇中でその危険について「あの映画ではこうだったからマズイんじゃないのか?」「あんなのはデタラメだ」っていう場面が何度かあった。

これって見ている我々一般人のタイムパラドックスに対する知識も、しょせん過去のそうした有名SF作品からによる漠然としたものばかりだから、そのツッコミの根拠を「最新の知識と解釈」を持っているはずのキャラにまず否定させることで、この『アベンジャーズ』世界に有利な解釈を作り上げても説得力を維持できる仕組みになってたんだな。
脚本の妙たる妙だこんなん。

『アベンジャーズ』の主人公ってキャップなの?トニーなの?
みたいな疑問をたまにきくけど、個人的にはそんなのどっちでもいいじゃん、両方でも3人でもいいじゃん、思ってる。
でも、キャップとトニー、この二人がメインにいるからいいんだ。
アベンジャーズの良心キャップ、アベンジャーズの顔(表情)トニー。
ブレないからいい、ブレるからこそいい。
個人的には強いていえば僅差でキャップのほうが好きな節があるけど、キャップだけが主役ではまっすぐに納まりすぎて面白味に欠ける。
でもトニーがいて、エンドロールの最後に紹介されるのもトニーだったりするのが、またすごくよくて、『アベンジャーズ』における好きなところでもあったりする。
これもまた妙味のひとつというところだろう。

敵、サノスは、ひとりでよくがんばった。
ひとりじゃないけどひとりでがんばった。
ただ、最後は実はそこまでモチベーション高くなかったのでは?思ってる。
個人的解釈だけどなんとなく。
無言で消えたとこを見ても。
全宇宙の生命を半分にする、っていう自分の全てを注いだ計画が結局うまくいかなかった、それを知ったあとで「じゃあ全部消してから作り直す」ってのはもう急きょ作り上げた理由のための理由でしかないだろうと。
なんだかそんなさびしいおっさんを、それでもこの超大作の大ボスとしてそこまで下げることなく、勢いのままに戦い切らせた点にも感服しきりだ。

とにかく感謝しかない。
映画ってやっぱりすごい改めて思わされた。


▼映画『シャザム!』

『エンドゲーム』後に見るのはどうなのだろうか。
多少思いつつも、いいふうに作用するかもしれないしまあってことで。
見た。
ネタバレ有り。

まず主人公がアリア・スタークだった。
少年だけど。
これアリアじゃね?って何がって顔が。
まあかわいらしいんだけど。

ストーリー的には少年ビリーがおっさんスーパーヒーローに変身する。
なので単身ヒーロー、ある意味ライダー・・・思ってたらちがってた。
結果、戦隊だった。
マジレンジャーだった。

どいういうことかというと最後の戦いでは主人公だけでなく、主人公と同じ里子の義理兄弟姉妹たちもスーパーヒーローに変身して戦うのだ。
めいめいが成長した(?)姿っぽいのに変わって。

でもここはあえて言うならマジレンジャーでなくあのおっさんがそのまま増殖したほうがおもしろくはあったと思う。
これは自分だけじゃなくて劇場内的にそういう空気だったと思うし。
「あのおっさんが増える!?」をみんな期待して笑う準備してた気をかなり感じた。
だから正直ちょっと肩透かしではあったんだけど、続編を見越したらこうしたほうがいいってことなんかな?とも。
笑いにいくか素直にヒーローものとしていくかってところだろうし。

キャラクター的には義妹のダーラがかわいかった。
というかもう自分の知る妹キャラ史上最も愛らしいキャラかもしれない。
年端もいってないくらい小さいんだけど出会った当初から(なんなら出会う前から)ビリーのことをすごくいろいろ気遣ってくれて、ハグ魔で、ちょっとおしゃべりなんだけど、「いい妹」であるために秘密を守る。
ビリーが心を開かないことを自分が「いい妹」じゃないせいだとガチで落ち込む。
そら、はねっかえり少年ビリーも、「い、いやそうじゃないんだ」ってならざるを得ませんよって。

敵のサディアスも初期ヴィランらしいわかりやすい良キャラで。
義理の家族で絆をつむいだビリーに対し、実の家族からの断絶によって悪の道に走ったサディアス。
でもじつは実の家族から断絶されたのはビリーも同じで、ビリーとサディアスの対比はわかりやすく「家族とは?」なテーマを浮き彫りにしている。

最後は続編作る気まんまんな感じだったけど、やるならもっとハチャメチャにやってほしいと思う。
ただ続編やるころにはビリーもリアルに成長しちゃってるだろうし、シャザムの力もそれなり使いこなしてそうだから、もしかしたらギャグはこの初作よりも薄めになるのかなーという気も。

あと個人的な印象だけどDC映画って内容に関わらずなんか暗い、マーベルに比べて画面が暗い、ほこりっぽい感じがする。
マーベルはなんだか鮮明なんだよな。
べつに画質がどうってことではないように思うんだけど。
でもDCのドラマ『ザ・フラッシュ』はべつに暗くなくて鮮明なんだよな。
謎。

とにかく近年のDC映画の中では素直に、『アクアマン』よりも素直に(『アクアマン』も悪くはないんだ・・・)楽しめた自分がいたのでよかった。


▼絵画教室

建物まで行った。
そこから先は無理だったノヴだった。
正直ノヴった。

想像ではもっと入口周辺が開けてて、なにかのついでにフラッと立ち寄る感覚でいこうと思ってたのにそうでなくて。
五階建てのビルの四階にあって、細い階段を上ってきてくださいっていう。
そんなのは無理。
急には。

でも近づいてはいるんだ。
建物を目にするとこまできたんだもの。
とはいえ別の教室をさがすのも手。
とにかく次回はまず電話してから行くことにしよう。

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