ブロリー

2019年1月11日 趣味
ブロリー
▼映画『ドラゴンボール超 ブロリー』

いやこんなにも叫ぶ?
ってほど叫んでた。
雅子も、りょうも、敏も、いやこれ喉どうなってんの・・・ってくらいに。
どんな映画かと訊かれたら「一時間近く人の叫び声を聞き続ける映画」で間違いはなかろう。
ひとつの伝え方としては。
ただ正直、めちゃくちゃおもしろかった・・・

(以下ネタバレ)

すごい特殊な作品と思う。
だってほんとに途中からはずっとずーーっとバトルを見せられるだけなんだから。
物語の作り自体はかなり割り切られていて、レギュラーメンバーの出演も極力限られており。
なんとなーくまあ劇場版だしーみたいな感じで、顔出し程度に出がちなクリリンや悟飯やチチとかも出ず。
ドラマ部分はほとんどブロリーサイドで徹底されていた。

そもそもの出だしがパラガス(ブロリーの親父)主体の物語からだったし、その他もバーダックやベジータ王やコルド大王等の前世代キャラ、つまりほぼおっさんばかりで展開していく。
女性はバーダックの妻でカカロット(悟空)の母であるギネのみ。

一応は子供向け映画でもあろうにスタートをそんなおっさんたちで乗り切ろうとする、じっさいそれで通し切って見ごたえあるドラマを作れていた時点で、やべこれおもしろいんじゃないのか?思わされた。
うわさで聞いて心配していたバーダックの過去作品とはちがう息子への愛情ある父親っぷりも、ちゃんと許容できる範囲で表現されていたのもすごく好感もてたし。

そのあとも悟空やベジータは出ることなく成長したブロリーの話が続いていく。
ここらへんはかなり物語のテンプレ的な形が散見されたけど、過去作品における人というよりはもはや災害みたいだったあのキャラクターに人間性を与えたらどうなるんだろう、といったifをいま目にしているんだなと思うと感慨深いものがあった。

そして戦いが始まると、ほんとにマジでほんとにずっと戦ってた。
もうほんとずーーーーっと。
なのに、飽きない。
通常状態、スーパーサイヤ人、ゴッド、ブルー、フュージョン、ひとつひとつを消化しつつしっかり繋げていく。
ファンの中にある、この形態はこうだよね、ああこれちゃんとやってくれた、みたいなネタをできるかぎり入れながら。
さらには、それってSS4・・・なるほどだからここまで・・・っていう旧作をふまえた新解釈まであって、ここまで考えてくれるものかと。

でもって映像表現もまあ・・・まあーーーあ・・・・・・言葉にできない。
なんかもう、スタッフはすごく大変だったろうけど、それ以上に楽しかったんじゃないだろうか、思えてしまうほど。
こういう攻撃手段はどうだろうとか、こういう返しはどうかとか、このくだりはこの映像技術で、この曲でとか、なんかそんなアイディアを詰め込まれるだけ詰め込んで、しかもそれらが作り手の自己満足だけになっていない、楽しさが見ていて十二分に伝わってくる、そんな映像劇で完成されていたというか。

激しくてスピードのあるアクションだとたまに、なんかすげーけど何やってるかわからねーよ・・・というのがあるんだけど、この作品においてはすべてが把握できる。
もう画面上で行われていることはめっちゃくちゃ、まさにハチャメチャ押し寄せすぎなのに、こうなってこうだから、光線がこうだから、こうで、こう防いで、でも防ぎきれなくて、ああああ、みたいな。
パターンも演出も手を変え品を変えで、ここまでの映画はマジで、他にあるの?って思える。
ないと思う。
言い切るわ。
だってこういうここまでのは『ドラゴンボール』だから許されてるんだろうな思うし。
なんかね。

そうした映像の工夫のありがたさと楽しさでは要所で泣けてしまったけど、ドラマ的にはそういうのはないなー。
思ってたら最後の最後でやられた。
戦いが終わったあと悟空が、元いた星にもどったブロリーを訪ねてくる。
そこで最後に初めてブロリーに自分の名を伝えるんだけど、
「オラの名前は孫悟空。それと、カカロットだ」
みたいに言って終わる。
それは泣く。

今回の映画のブロリーは最後まで悟空、カカロットの名を知らない。
過去作ではあんなにも「カカロットォォォォ!!!」言ってたのに。
それは憎しみと怒りのこめられた、しかし他者とのただ一つの繋がりともいえる悲しい叫びだった。
それが今作では、悟空のほうから、同種族の絆として、新たな友の証しとして伝えられる。
悟空のことだからこれは理屈ではないだろう。
なんとなくブロリーに対してはサイヤ人としての名も告げた方がいいと感じたんだと思う。
でもそれはもしかしたら、過去作のブロリー、目の前とは同じでありながら違う顛末を迎えた別世界の悲しい存在の影響が、知らずともどこかあるのかもしれないと思うと。

また同時にこれは悟空が、かつて自分を地球人や地球育ちのサイヤ人であると言ったのとはまた違い、ひとりのサイヤ人である自身を認めていたとわかるセリフなのがもう。
過去にはただサイヤ人といわれることを否定していた彼が、こうして自ら”カカロット”を名乗れるようになった今と、そしてそうなるまでに至ったさまざまな出会いや思いを考えると。

一応引っかかったとこも書くと、悟空の戦い前のウォーミングアップが若干キモかった。
悟空はもっと単純な体操のほうがらしくね?思えたし。
そのへんも含めて進化してると言えなくもないけど、好みでいえばおいっちに的な体操のほうがやっぱり良い。

あとフリーザの威厳というものを、つい過去の最盛期と比べてしまうと悲しくなる。
このキャラで最前に居続けるにはある種この立ち回りが妥当でもあるんだろうけど、やっぱり。
色んな意味でしっかり仕事はしてたと思うけど。
側近がかわいい系統デザインばかりなのも不満だ。
新たなザーボンさんドドリアさんポジションがいての並びをまた見てみたい。

とにかく完璧じゃないけど完璧以上のことが多くある作品だった。
ひとつの『ドラゴンボール』映画の、現時点でのバトルアニメの究極形は間違いなく見られる。
というか体感できる。
素晴らしかった。

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