▼ポエアカ
『詩のこころを読む』(茨木 のり子)
”詩人が人々に供給すべきものは 、感動である 。それは必ずしも深い思想や 、明確な世界観や 、鋭い社会分析を必要としない 。むしろかえって 、それらが詩人を不必要にえらぶらせ 、そのため詩の感動を失わせることが少なくない 。詩人は感動によってのみ詩を生み 、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである 。”
谷川俊太郎の言葉だという。
俊太郎がそう言うならそうなんだろう。
俊太郎にはマンガ『ピーナッツ』でお世話になったし。
あとワープロを知ったとき、じゃあ手書きよりこっちのがいいじゃんって乗り換えて今はMacBookで詩を書いてるってとこも非常に好ましい。
詩には言葉の離陸があってこそで、そして人に感動をあたえるためのもの。
いまだなんら具体的なところはつかめてないけど、それでも大家の二人から「こういうものだよ」といった言葉を得られたのは大変な収穫に思う。
もしかしてこういうことこそが、詩においては最も具体的なところなのかもしれない。
詩を読んで、ふっとなにかを思ったとき、「でも詩を味わうってこういうことでいいの?」って不安がどうしてもあったのだけど、とりあえずはそれでいいんだ、先生も俊太郎も言ってたし、って思えるようになるのは大きな前進だ。
もちろん上でいわれている感動が、はたしてどれほどの意味や質や大きさをもったものなのかは、自分には到底計り知れたことではないんだけど、それでも基本のとっかかりとしては十分心強く思う。
またいまさらながら辞書等で『詩』を引いてみると、
・文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。(デジタル大辞泉)
・言語芸術の作品(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
とあるので、とにかくそういうものなんだなと。
詩の意味の解説を読んで「・・・そういうこと伝えたかったならじゃあふつうの言葉で言えばいいじゃん?」と正直ちょいちょい思っていたけど、言葉による芸であり術であり作品なのだからと思えば納得(いやそらそうだろうということをずいぶんな遠回りで納得)。
それになにかを伝えるのにはふつうの言葉がどんな場合においても最上、というわけでもないだろうし、こうした作品だからこそよりいっそう正しく余さず色濃く伝えられるってこともあるだろう。
詩にかぎったことではなく世の中の作品ってのは皆そういうものなわけだし。
とりあえず俊太郎さんの詩、もっと読んでみたいと思った。
『詩のこころを読む』(茨木 のり子)
”詩人が人々に供給すべきものは 、感動である 。それは必ずしも深い思想や 、明確な世界観や 、鋭い社会分析を必要としない 。むしろかえって 、それらが詩人を不必要にえらぶらせ 、そのため詩の感動を失わせることが少なくない 。詩人は感動によってのみ詩を生み 、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである 。”
谷川俊太郎の言葉だという。
俊太郎がそう言うならそうなんだろう。
俊太郎にはマンガ『ピーナッツ』でお世話になったし。
あとワープロを知ったとき、じゃあ手書きよりこっちのがいいじゃんって乗り換えて今はMacBookで詩を書いてるってとこも非常に好ましい。
詩には言葉の離陸があってこそで、そして人に感動をあたえるためのもの。
いまだなんら具体的なところはつかめてないけど、それでも大家の二人から「こういうものだよ」といった言葉を得られたのは大変な収穫に思う。
もしかしてこういうことこそが、詩においては最も具体的なところなのかもしれない。
詩を読んで、ふっとなにかを思ったとき、「でも詩を味わうってこういうことでいいの?」って不安がどうしてもあったのだけど、とりあえずはそれでいいんだ、先生も俊太郎も言ってたし、って思えるようになるのは大きな前進だ。
もちろん上でいわれている感動が、はたしてどれほどの意味や質や大きさをもったものなのかは、自分には到底計り知れたことではないんだけど、それでも基本のとっかかりとしては十分心強く思う。
またいまさらながら辞書等で『詩』を引いてみると、
・文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。(デジタル大辞泉)
・言語芸術の作品(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
とあるので、とにかくそういうものなんだなと。
詩の意味の解説を読んで「・・・そういうこと伝えたかったならじゃあふつうの言葉で言えばいいじゃん?」と正直ちょいちょい思っていたけど、言葉による芸であり術であり作品なのだからと思えば納得(いやそらそうだろうということをずいぶんな遠回りで納得)。
それになにかを伝えるのにはふつうの言葉がどんな場合においても最上、というわけでもないだろうし、こうした作品だからこそよりいっそう正しく余さず色濃く伝えられるってこともあるだろう。
詩にかぎったことではなく世の中の作品ってのは皆そういうものなわけだし。
とりあえず俊太郎さんの詩、もっと読んでみたいと思った。
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