今日は「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」見た。
 
 
 
「ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」は、タイトル通りの映画。
多分こういう映画なんじゃね!?!?!?
つって、まあほとんどその通りの映画だった。
だからいいんだ。
あー、うー、そうねー、うんそうねー、あーねー、だよねー、うんうん、あー終わったー、パチパチパチパチー。
つうね。
まあそうでしょう。
まあそうだよ。
でももうちっとこー、うーん、ねー、てな部分もあるにはあった。
それだったら敵もねー、悪役サイドもねー、数そろえてほしかったよねー、とか。
全スーパーロボット(一部マシン)登場!!だったんだから、全ラスボス登場!!ってのをやっぱ期待したんだけど結局出なかったし。
その代わりなんか知らんけど、えらく中途半端な、え、何故今更こんなザコが?って思えてしまう敵とかが最後に出てきてたし。
歴代のラスボスの中には出すの難しい奴もいるせいなのか。
たしかに役者さんの顔ありきな奴もいたように思うし、しょうがないのか。

文句なし!とはまあ言えない出来ではあったけど、でもまあ、まあうん、て思えて、十分楽しめた映画ではあった。
終わった後同じ劇場で見てたちびっ子もはしゃいでたし。
思い返すとアクションだらけやったなー、80%アクションだった気するなー、っつう映画だから、子供は素直にオオウケなのか。
いいんだ。
そういうんでいいんだ。
楽しかったよ!
 
 
映画鑑賞後は、なぜか全然関係ないことで盛り上がった。
本日共に映画を鑑賞したダンテマストダイさんと「誰かが亡くなった時に『ご冥福をお祈りいたします』っつうのが俺は言えない」談義で盛り上がった。
言えないのは俺だけなんだけど。
スーパーヒーローまったく関係ないんだけど。
ダンテマストダイさんは、「礼儀や慣習として」「ルールだから」「そういうもんだから」ということで特に疑問なく言えるという。
まあそれが普通なんだろうなとは思ってる。
あくまで俺という個人の問題だから、疑問なく使える人がどうこうってことではないんだ。
ただ自分としては、冥福を祈る、ってのはざっくり言って、あの世での幸福を祈る、ってことなのだから、”あの世”ってのがあって初めて成立する言葉だよね?ってのを思うわけだよ。
で、今の自分には、あの世はないとも言えないしあるとも言えない。
幽霊がいるかどうかわからないってのと、これはまったく一緒で。
でも誰かが亡くなった時だけ急にそれを信じていたかのように、あの世で幸せにね、って言うのは、ある意味これウソついてんじゃね?ってことになるんだよ。
いやこれなるだろと。
これを、いやでもそういうもんだから、社交辞令みたいなもんだから、って言われると、人が亡くなったこと対する社交辞令って何?って思ってしまう。
まあそういう、てか俺ってめんどくさい人間なのか?っていうね。
まあめんどくさい人間には違いないんだけども。

でなんだかんだの末、じゃあ普段から仏教徒として、自分は仏教徒であると意識して生きていけばいいんじゃない、ということにひとまず落ち着くことにした。
たしかにこうしてこの国で日常過ごしていれば、冠婚葬祭、そうしたイベント時にはほぼ仏教徒として関わるわけですし?みたいな?っつうこって。
少なくとも「アーメン」とは言わないんだし、十字架拝むよりは仏壇拝んでる方が抵抗なく自然と思えるのだから、とりあえずは仏教徒なのだろうと。
だから仏教徒として、冥土がねー、って、冥土あるよねー、って思ってれば、いざっていうときにも「冥福」を祈ることに抵抗は感じないだろうと。
うん・・・
それか、冠婚葬祭ガイドみたいな本でも読んでみて、「ご冥福を~」に代わるそういったときの言葉を調べてみればいいんじゃねー、っていう案。
まあ、そういうことだよね、ってね。
じゃあまあ。
はい。

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