めでたくもあり、めでたくもなし
2011年1月3日 アニメ・マンガ今日は起きて「楽しいムーミン一家」見て寝た。
起きて「三匹の侍」見た。
Amazonレビューは、たまにハマる。
なんとなく気になった人のレビュー一覧なんかを覗いてみると、おまえは俺か、ってことがあったりして。
あれ俺いつこんなレビュー書いたっけ・・・レベルの趣味被りっぷりが面白かったり。
あれもしたくてこれもしたくて、世の中の面白いものをもっと知りたい!でもそんなあれこれできるもんじゃない!って考えるとき、コピーロボに思いを馳せるものだけども、こうしたレビューはその欲求にそれなりに応えてくれる、ような気がする。
こうまでベクトル一緒の人が、面白いって言ってるんだから、自分も楽しめるんじゃね?みたいな参考に出来る。
周囲に同じ趣味の人が本当にいない自分のような人間にはとても重宝する。
最近では「菊地秀行」から辿って「ニニンがシノブ伝」被ったりだとか、あと自分の気になった人のレビューにはほぼ必ず「バキ」は出てくるよなー、やっぱ皆なんだかんだ言いつつ読んでんだなー思ったりだとか。
でもまた逆に、色々被ってるなー思ってたら、その作品にその評価はねーだろ!とかがあったりもして、なんだよ君にはガッカリだよ!って、なんか一人で勝手に、そんなんあったりもする。
あと俺の趣味がわりと濃い目方面ばかりなものだから、そういう近しい嗜好の人の実にこってりとした、エロ系アイテムレビューを読んで、わ、わぁ・・・ってなったりすることもわりと多々。
色々まあ面白い。
あといくらしっかりとしたレビューであっても、さすがに批判ばかりな感じだと、じゃああんたの人生のクオリティはどれ程のものだというのさ!・・・って気持ちが湧いてきたりもして、そうしてそれはそのまま自分に返ってきたりもして、うん。
見詰めなおそう、油断しないようにしよう・・・思わされたりもするのである。
「楽しいムーミン一家」は、寂しそうなパパ。
前々回からOPが「い~つも~」から「ニョロリンコ」に変わり、絵もなんだか、それまでの落ち着いた感じよりか、若干80年代アニメカラーっぽくなってね?感を覚える最近の「ムーミン」。
今回も改めて見てみると、80年代っぽーで。
お話内容的にはそれまで通りの楽しさ、出来具合なんで、まあいいんだけども。
今回はパパが、最近物忘れはげしくなってきてるな・・・年だからしょうがないのかな・・・いや!そんなふうにあきらめではいかぁーん!(CV.大塚明夫)
ということで、若返り作戦を開始。
夜中に運動したり、する。
で朝は、寝る。
仕事は・・・しないのか。
すげえーいい生活だなパパ、思って。
でもなんだかんだの末に、ママに「パパは思っていたよりずっと若いわ。若返り作戦なんてことをやること自体が若い証拠よ」言われて、そうかあ、と。
まあね、ムーミンママにね、「あのカラスとっても白いわね。ね、パパもそう思うでしょ」言われたら、「う、うん、あのカラスは・・・いや実に白い!」パパは答えるだろうし、俺も同様だ。
まあムーミンママに言われたらね、って。
次回はそんなママが、ある理由でちょっとした旅に出る、自分的に伝説の回であるので、楽しみー。
「三匹の侍」は、一挙三話視聴。
「抜け忍非情」は、スガカン。
菅貫太郎がゲストで抜け忍だ!の回。
下忍が女絡みで里を抜けて追われているところを三匹が助けるという、かなりストレートなお話。
時代劇としてストレートに楽しめる。
追っ手の忍びをわざと逃がして仲間を呼びに行かせ、「何をするんじゃ!?」と桜に問われたところ、「一度忍びと戦ってみたくてな」と言い放つ橘。
三匹の中で最も年若く、クールでありながら情にも厚い橘であるが、一番の修羅はこいつだな・・・思ったり。
で結局勝つんだから(侍の身で忍びに!)、やはりこいつら揃ってハンパない。
「新宿七福神」は、舞台新宿。
コメディ色が強く、前話から一転した雰囲気と、三匹らが徐々に罠にかけられていく様、実に生き生きとした脇役陣などがとっても面白い。
なんでも脚本の榎本滋民は落語研究家として知られた人だということで、納得。
劇中ある人物が、これからは刀の時代じゃない、笑ってお金を稼いだものが勝ちですよ、てなことを言う。
このセリフの後、何のつても後ろ盾もなく、ただ腕一本で目的のない旅を続ける三匹の姿を見ると、また趣が変わって見える。
剣の腕だけを頼りにぷらぷらする三匹に憧れる反面、でもこの人らって一体なんなんだろ・・・思ったりもして。
この思いがまた、次の話にちと繋がってる感じがするのもまた面白い。
「負け犬」は、アイデンティティ。
三匹それぞれの人生観なんかが明かされる。
クール・ガイな橘一之進にとって生きることとは戦い。
世間と、自分と、戦わずして開ける道があるものか!的考え。
これまでの言動からして実に納得のキャラクター。
なので、今回地元のヤーさんに苦しめられながら自分から戦おうとしない百姓たちに憤慨し、彼らからの協力依頼を拒む。
元・百姓である桜京十郎は、百姓には百姓の戦いがあると言う。
たしかに自分で戦おうとしない百姓はずるいかも知れん、しかしそうでなくては弱い彼らは生きていけんのだ、それが百姓の戦いなのだ、と。
強い者からの圧力に耐え、田畑を築き守ることから逃げたと自覚する桜京十郎は、百姓に負い目があるのだ。
そんな自分を”負け犬”といい、この”負け犬”が百姓たちの助けになるならと、橘を説得する。
そして桔梗鋭之助は、というかこの回は結局鋭之助回なのだ。
桔梗は、地元の蚕問屋の後家に囲われ、その日をその日をなあなあと暮らす男と意気投合する。
男も元は侍であり、桔梗は自分によく似ていると言う。
実際、桔梗に橘や桜といった仲間がおらず、ひとつ所に留まって歳月が経てばこんな風になるのだろうか・・・?ちょっと思わせもするキャラクターで。
一文にもならぬこと、自分に関わりのないことに首を突っ込まず、酒と女でその日を暮らせれば良いといった享楽的合理主義というか。
桔梗はこの男の世話になることにより、百姓そして桜や橘と敵対する成り行きとなる。
しかしあくまでも他者と自らを別とし、世話になった後家や、自分を頼って来た者を裏切り、美味そうに酒を飲む男の姿は醜かった。
そして、桔梗がわずかな関わりを持ったある少女の死を、その命を男が軽んじたことにより、両者は対立することとなる。
真剣での決着の場、助けに入ろうとした桜に桔梗の放った「手を出すな!これは俺の戦いだ!」という、実にらしからぬセリフが泣かせる。
そうして斬られ倒れ伏した男の姿に自らを重ねる桔梗。
ラスト、虫歯を心配して、うめぼしを頬に塗りつけてくる桜に、いやがりつつもボソリ礼を言う桔梗。
「三匹の侍」はまっこと楽しく、その中身には古臭さなんか微塵も感じさせない(いやマジで)、素敵ドラマだー改めて思いもうした。
起きて「三匹の侍」見た。
Amazonレビューは、たまにハマる。
なんとなく気になった人のレビュー一覧なんかを覗いてみると、おまえは俺か、ってことがあったりして。
あれ俺いつこんなレビュー書いたっけ・・・レベルの趣味被りっぷりが面白かったり。
あれもしたくてこれもしたくて、世の中の面白いものをもっと知りたい!でもそんなあれこれできるもんじゃない!って考えるとき、コピーロボに思いを馳せるものだけども、こうしたレビューはその欲求にそれなりに応えてくれる、ような気がする。
こうまでベクトル一緒の人が、面白いって言ってるんだから、自分も楽しめるんじゃね?みたいな参考に出来る。
周囲に同じ趣味の人が本当にいない自分のような人間にはとても重宝する。
最近では「菊地秀行」から辿って「ニニンがシノブ伝」被ったりだとか、あと自分の気になった人のレビューにはほぼ必ず「バキ」は出てくるよなー、やっぱ皆なんだかんだ言いつつ読んでんだなー思ったりだとか。
でもまた逆に、色々被ってるなー思ってたら、その作品にその評価はねーだろ!とかがあったりもして、なんだよ君にはガッカリだよ!って、なんか一人で勝手に、そんなんあったりもする。
あと俺の趣味がわりと濃い目方面ばかりなものだから、そういう近しい嗜好の人の実にこってりとした、エロ系アイテムレビューを読んで、わ、わぁ・・・ってなったりすることもわりと多々。
色々まあ面白い。
あといくらしっかりとしたレビューであっても、さすがに批判ばかりな感じだと、じゃああんたの人生のクオリティはどれ程のものだというのさ!・・・って気持ちが湧いてきたりもして、そうしてそれはそのまま自分に返ってきたりもして、うん。
見詰めなおそう、油断しないようにしよう・・・思わされたりもするのである。
「楽しいムーミン一家」は、寂しそうなパパ。
前々回からOPが「い~つも~」から「ニョロリンコ」に変わり、絵もなんだか、それまでの落ち着いた感じよりか、若干80年代アニメカラーっぽくなってね?感を覚える最近の「ムーミン」。
今回も改めて見てみると、80年代っぽーで。
お話内容的にはそれまで通りの楽しさ、出来具合なんで、まあいいんだけども。
今回はパパが、最近物忘れはげしくなってきてるな・・・年だからしょうがないのかな・・・いや!そんなふうにあきらめではいかぁーん!(CV.大塚明夫)
ということで、若返り作戦を開始。
夜中に運動したり、する。
で朝は、寝る。
仕事は・・・しないのか。
すげえーいい生活だなパパ、思って。
でもなんだかんだの末に、ママに「パパは思っていたよりずっと若いわ。若返り作戦なんてことをやること自体が若い証拠よ」言われて、そうかあ、と。
まあね、ムーミンママにね、「あのカラスとっても白いわね。ね、パパもそう思うでしょ」言われたら、「う、うん、あのカラスは・・・いや実に白い!」パパは答えるだろうし、俺も同様だ。
まあムーミンママに言われたらね、って。
次回はそんなママが、ある理由でちょっとした旅に出る、自分的に伝説の回であるので、楽しみー。
「三匹の侍」は、一挙三話視聴。
「抜け忍非情」は、スガカン。
菅貫太郎がゲストで抜け忍だ!の回。
下忍が女絡みで里を抜けて追われているところを三匹が助けるという、かなりストレートなお話。
時代劇としてストレートに楽しめる。
追っ手の忍びをわざと逃がして仲間を呼びに行かせ、「何をするんじゃ!?」と桜に問われたところ、「一度忍びと戦ってみたくてな」と言い放つ橘。
三匹の中で最も年若く、クールでありながら情にも厚い橘であるが、一番の修羅はこいつだな・・・思ったり。
で結局勝つんだから(侍の身で忍びに!)、やはりこいつら揃ってハンパない。
「新宿七福神」は、舞台新宿。
コメディ色が強く、前話から一転した雰囲気と、三匹らが徐々に罠にかけられていく様、実に生き生きとした脇役陣などがとっても面白い。
なんでも脚本の榎本滋民は落語研究家として知られた人だということで、納得。
劇中ある人物が、これからは刀の時代じゃない、笑ってお金を稼いだものが勝ちですよ、てなことを言う。
このセリフの後、何のつても後ろ盾もなく、ただ腕一本で目的のない旅を続ける三匹の姿を見ると、また趣が変わって見える。
剣の腕だけを頼りにぷらぷらする三匹に憧れる反面、でもこの人らって一体なんなんだろ・・・思ったりもして。
この思いがまた、次の話にちと繋がってる感じがするのもまた面白い。
「負け犬」は、アイデンティティ。
三匹それぞれの人生観なんかが明かされる。
クール・ガイな橘一之進にとって生きることとは戦い。
世間と、自分と、戦わずして開ける道があるものか!的考え。
これまでの言動からして実に納得のキャラクター。
なので、今回地元のヤーさんに苦しめられながら自分から戦おうとしない百姓たちに憤慨し、彼らからの協力依頼を拒む。
元・百姓である桜京十郎は、百姓には百姓の戦いがあると言う。
たしかに自分で戦おうとしない百姓はずるいかも知れん、しかしそうでなくては弱い彼らは生きていけんのだ、それが百姓の戦いなのだ、と。
強い者からの圧力に耐え、田畑を築き守ることから逃げたと自覚する桜京十郎は、百姓に負い目があるのだ。
そんな自分を”負け犬”といい、この”負け犬”が百姓たちの助けになるならと、橘を説得する。
そして桔梗鋭之助は、というかこの回は結局鋭之助回なのだ。
桔梗は、地元の蚕問屋の後家に囲われ、その日をその日をなあなあと暮らす男と意気投合する。
男も元は侍であり、桔梗は自分によく似ていると言う。
実際、桔梗に橘や桜といった仲間がおらず、ひとつ所に留まって歳月が経てばこんな風になるのだろうか・・・?ちょっと思わせもするキャラクターで。
一文にもならぬこと、自分に関わりのないことに首を突っ込まず、酒と女でその日を暮らせれば良いといった享楽的合理主義というか。
桔梗はこの男の世話になることにより、百姓そして桜や橘と敵対する成り行きとなる。
しかしあくまでも他者と自らを別とし、世話になった後家や、自分を頼って来た者を裏切り、美味そうに酒を飲む男の姿は醜かった。
そして、桔梗がわずかな関わりを持ったある少女の死を、その命を男が軽んじたことにより、両者は対立することとなる。
真剣での決着の場、助けに入ろうとした桜に桔梗の放った「手を出すな!これは俺の戦いだ!」という、実にらしからぬセリフが泣かせる。
そうして斬られ倒れ伏した男の姿に自らを重ねる桔梗。
ラスト、虫歯を心配して、うめぼしを頬に塗りつけてくる桜に、いやがりつつもボソリ礼を言う桔梗。
「三匹の侍」はまっこと楽しく、その中身には古臭さなんか微塵も感じさせない(いやマジで)、素敵ドラマだー改めて思いもうした。
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