今日は正直ほぼ寝てた。
Amazonから物が届いた。
「無面目・太公望伝」が届いた。諸星大二郎本だ。
これには表題そのまま「無面目」と「太公望伝」が収録されている。とくに「無面目」が読みたかった。
なんかねこぢるが一番好きなマンガだったらしいということで。
「無面目」は、昔々中国に”混沌”という名の神さまがおったのです。
この神さまには耳も眼も鼻も口もなかったため、”無面目”というあだ名が付けられていました。
あるときふたりの仙人がこの神さまに質問をしようと思い、のっぺらぼうに筆で顔を描いてやります。するとそれは本物の顔となり、これを機に世界に興味を持った”混沌”は下界へと降りて行きます。
そして”混沌”は顔のモデルとなった宮廷のお偉いさんに成り代わり、人間の世界で暮らして行くのですが…
結末は最後まで読まなくてもわかるので書いてしまうと、結局”混沌”は死ぬ。
人間となって死ぬのだ。
のっぺらぼうで深い思索を巡らす、それこそが”混沌”という神だった。
外の世界を知ったことで人の毒気にあたり、愛や喜び恐れや迷いという感情を覚え、その代わり彼は自分が神であったことを忘れてしまうのだ。
神さまが人間になって死ぬ。
逆に考えて、じゃあ人間って何よ、ということ、人間を人間たらしめているものってなんだ、みたいなことを、改めて考えさせられる作品なんである。
その他にも色々な読み方ができるだろうし、まあゴチャゴチャ考えなくったってひとつ読物として面白く、今後男女のまぐわいは「陰陽を和合する」って言えばカッコいいんじゃない?っていうようなところなんである。
「太公望伝」は、そのまま太公望マンガ。
人生に対するひとつの希望の持ち方、そのヒントになるかも知れんぜ作品。
まあこれも、ただ読むだけでも充分面白いんだ。
だから大二郎マンガは好きなんだ。
そして大二郎マンガとは別にもう一品、画集が届いた。
おいおい何だよこれーおい、なんだよー、おいおいーって感じなのだが、今更返品するわけにもいかないしな。
画集…画集て。
とはいえ自分は気付けば、画集をわりと買う人になっている。
そんなのネットで落ちてるじゃん言うやつは、ほんと大人ヘッドロックじゃ済まさんぞって感じなのだが、でも確かにああそうさ落ちてるのさ。
でもそういうことじゃないんだ!!じゃあどういうこと!?
それはまあよくわからないけども。
でもまあとにかく、確かに俺はたかみち画集を買ったよ。ガチ購入したよ。
あんだけ女の子どうのこうの文句言ってて、結局こういうの買うって、これまたどういうこと?って。
そんなのこっちが聞きたいわ。
とにかく良いものは良いんだし、買いたくて買えるものなら買うんだよ。
エロマンガ雑誌表紙集だろうが良いものは良いんだよ。
いやそのエロマンガ雑誌読んだことないけどね。
いやエロマンガも読むときは普通に読むけどね。
でもそういうことじゃないべ!これは!
このクオリティなら、例えおっさんイラスト集であっても、俺は買う。
まあそれはちょっと嘘だけどもでもそんな感じだよ。
今まで興味なかったジャンルでも、ああいいな、これは何かあるな、って思ったら、飛び込んで行けばいいんだよ!
それにこういうのが部屋にあれば、もし万が一今後自分が変な気起こしても、ああでも今俺が死んだら部屋からあれが発見されるな…それは死ねない、って気にもなるだろうさ。
たかみち画集のおかげで踏み止まれたみたいな。
充分自伝に載せれるエピソードだよこれは。
とにかくもう、買っちゃったんだからしょうがない。
世の中は何でも陰と陽で成り立っとるんだ。
だから今回のAmazonでいえば、大二郎が陽でたかみちが陰なんだ。
そういうバランスの問題なんだから。
そんな自己フォローも済んだところで内容の方はというと、まあー。
おい捕まるぞ!!…っていうところで。
誰がっつったら俺がっていうか読んでるときの俺がね。
でもべつにそういう、いやらしいあれっていう内容じゃないしね。
そう全然いやらしくない。
でもそのいやらしくないところが逆に…っていう深さ、怖さはあるよ。それは認める。
そうした世界を垣間見る、ギリギリのところで、っていう意味での、この購入なんだから。
ダークサイドに肉迫しつつその力のみを活用する、いわばヴァーパッドというかジェダイというか。
だからジェダイってことでいいと思う。
俺を変態というなら変態という名のジェダイってことでアナキンと呼べ。
むしろダークサイドに落ちないよう支えてくれ。
頼むぞ。
まあそんなたかみち画集なんで、ベクシンスキー画集の隣りに飾っておくことにするよ。
Amazonから物が届いた。
「無面目・太公望伝」が届いた。諸星大二郎本だ。
これには表題そのまま「無面目」と「太公望伝」が収録されている。とくに「無面目」が読みたかった。
なんかねこぢるが一番好きなマンガだったらしいということで。
「無面目」は、昔々中国に”混沌”という名の神さまがおったのです。
この神さまには耳も眼も鼻も口もなかったため、”無面目”というあだ名が付けられていました。
あるときふたりの仙人がこの神さまに質問をしようと思い、のっぺらぼうに筆で顔を描いてやります。するとそれは本物の顔となり、これを機に世界に興味を持った”混沌”は下界へと降りて行きます。
そして”混沌”は顔のモデルとなった宮廷のお偉いさんに成り代わり、人間の世界で暮らして行くのですが…
結末は最後まで読まなくてもわかるので書いてしまうと、結局”混沌”は死ぬ。
人間となって死ぬのだ。
のっぺらぼうで深い思索を巡らす、それこそが”混沌”という神だった。
外の世界を知ったことで人の毒気にあたり、愛や喜び恐れや迷いという感情を覚え、その代わり彼は自分が神であったことを忘れてしまうのだ。
神さまが人間になって死ぬ。
逆に考えて、じゃあ人間って何よ、ということ、人間を人間たらしめているものってなんだ、みたいなことを、改めて考えさせられる作品なんである。
その他にも色々な読み方ができるだろうし、まあゴチャゴチャ考えなくったってひとつ読物として面白く、今後男女のまぐわいは「陰陽を和合する」って言えばカッコいいんじゃない?っていうようなところなんである。
「太公望伝」は、そのまま太公望マンガ。
人生に対するひとつの希望の持ち方、そのヒントになるかも知れんぜ作品。
まあこれも、ただ読むだけでも充分面白いんだ。
だから大二郎マンガは好きなんだ。
そして大二郎マンガとは別にもう一品、画集が届いた。
おいおい何だよこれーおい、なんだよー、おいおいーって感じなのだが、今更返品するわけにもいかないしな。
画集…画集て。
とはいえ自分は気付けば、画集をわりと買う人になっている。
そんなのネットで落ちてるじゃん言うやつは、ほんと大人ヘッドロックじゃ済まさんぞって感じなのだが、でも確かにああそうさ落ちてるのさ。
でもそういうことじゃないんだ!!じゃあどういうこと!?
それはまあよくわからないけども。
でもまあとにかく、確かに俺はたかみち画集を買ったよ。ガチ購入したよ。
あんだけ女の子どうのこうの文句言ってて、結局こういうの買うって、これまたどういうこと?って。
そんなのこっちが聞きたいわ。
とにかく良いものは良いんだし、買いたくて買えるものなら買うんだよ。
エロマンガ雑誌表紙集だろうが良いものは良いんだよ。
いやそのエロマンガ雑誌読んだことないけどね。
いやエロマンガも読むときは普通に読むけどね。
でもそういうことじゃないべ!これは!
このクオリティなら、例えおっさんイラスト集であっても、俺は買う。
まあそれはちょっと嘘だけどもでもそんな感じだよ。
今まで興味なかったジャンルでも、ああいいな、これは何かあるな、って思ったら、飛び込んで行けばいいんだよ!
それにこういうのが部屋にあれば、もし万が一今後自分が変な気起こしても、ああでも今俺が死んだら部屋からあれが発見されるな…それは死ねない、って気にもなるだろうさ。
たかみち画集のおかげで踏み止まれたみたいな。
充分自伝に載せれるエピソードだよこれは。
とにかくもう、買っちゃったんだからしょうがない。
世の中は何でも陰と陽で成り立っとるんだ。
だから今回のAmazonでいえば、大二郎が陽でたかみちが陰なんだ。
そういうバランスの問題なんだから。
そんな自己フォローも済んだところで内容の方はというと、まあー。
おい捕まるぞ!!…っていうところで。
誰がっつったら俺がっていうか読んでるときの俺がね。
でもべつにそういう、いやらしいあれっていう内容じゃないしね。
そう全然いやらしくない。
でもそのいやらしくないところが逆に…っていう深さ、怖さはあるよ。それは認める。
そうした世界を垣間見る、ギリギリのところで、っていう意味での、この購入なんだから。
ダークサイドに肉迫しつつその力のみを活用する、いわばヴァーパッドというかジェダイというか。
だからジェダイってことでいいと思う。
俺を変態というなら変態という名のジェダイってことでアナキンと呼べ。
むしろダークサイドに落ちないよう支えてくれ。
頼むぞ。
まあそんなたかみち画集なんで、ベクシンスキー画集の隣りに飾っておくことにするよ。
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