やってもうたが多過ぎる
2008年9月21日 アニメ・マンガ多過ぎるだろ・・・・・
本当すいません。
やっちまってすいません。
生きててすいません。
本当悪気はなかったんです・・・・・・・・・・・・
じゃあ人間でいることそれ自体が罪だって?(by.純)
みたいなことが多過ぎるんだ俺は。
それで落ち込みはするけどでも死にたいと思ったことは一度もないんだ。
その代わり「ああ・・・今この瞬間に全世界の人の記憶から自分が消えますように・・・」って願うことは多々あるのだね。
自分は消えず、世界も消さず、両者無事なまま逃避しようという考え方。
とにかくどんな説教されようが、諭されようが、今この一瞬一瞬を何一つ失敗しないでいられるならそれで生きて行きたいよ。
そりゃそーだよ。
そりゃあそーだって。
あああ
「ゴーオンジャー」は、歌編。
つまりは荒川脚本編。
G、3、プリンセース!
まあいいんじゃねと思って。
事実良かった。
ミウの足が長めで良かった。
奈央のわきがきれいで良かった。
あとここでも私は謝らなくてはいけないことがある。
勝手に及川奈央を三十路と思い込んでいたことだ。
だから今回のG、3、プリンセース!も、「ひとり及川がんばってんなー」とか思っちゃってた。
すんませんした・・・
「キバ」は、戦士とは。
渡は変身する。
仮面ライダーキバになって戦う。
命をかけて戦う。
しかし彼の戦いにおける姿勢はどこか空虚だ。
まるでエセメロドラマの片手間にヒーローやってますってな程に無意味だ。
曲がりなりにも命の奪い合いをしているというのにだ。
自らの命っての戦い、それが当人のアイデンティティに繋がらない、そんな戦士が存在するってのか・・・・・・
そんなのはマシーンだ。
見ていても今のところ、渡は「命・戦い<恋愛」という感じだ。
それはある意味リアルだ・・・・・ある意味での現代っ子という感じがする。
しかし少なくとも、そんな人間がヒーローであっていいわけないじゃないか。
「仮面ライダー」なんだぞ。
改造されてなくったって、武器を使ったって、仲間割れしたって、戦闘員がいなくたって、平成だって、でもやっぱり「仮面ライダー」なんじゃないか。
どうしたって不文律はあるだろ。
それをわかってる人たちが作ってるんじゃないのかよ。
この番組意味がわかんないよ。
<今週の合コンで絶対に使えない豆知識のコーナー>
「ビートたけし殺人事件」(TV)
なんかむっかーしTVでやってたのを見て。
「ぼくはここにいるよ」みたいなフレーズを聞くと思い出す。
それはこの作品のTV版のエンディングが「ぼくはここにいるよー♪ぼくはここにいるよー♪」っていう歌だったから(たしか)。
そんで主人公は現・宮崎県知事ことそのまんま東で、殿(たけし)が殺人犯なのか!?っていうのを調査してくってストーリーなんだよね。
なんでたけしが疑われたのかつったら、犯行当時だれかが「やろう!きれ!」ってビートたけしの声を聞いたとかそんなんで容疑者になった、とかだったはず(他にも色々証拠があったのかも知れないけど覚えてない)。
でもその「やろう!きれ!」はTVの番組から録音されたものだってことがわかって、そんで真犯人は、そのまんま東がちょっと好いてた女性ということもわかる。
だから東は、真相が判明したあとも、刑事だかなんだかの前で「だから殿が犯人なんです・・・・・殿なんです・・・・」って言ってしまう。
でもまあその女性は捕まるんだ。
そして事件が終わった後、たけしが東の心中を察して、「ほれたのか?」って聞く。
そんなこんなでエンディング(ぼくはここにいるよー♪ぼくはここにいるよー♪)。
人間っていうのは、どんな経験も、後のその人にとっての糧になっていると言います。
あのときあんなことをしなければ良かった・・・ああしておけば良かったはず・・・という経験も何も全部ひっくるめてそうなのです。
だから人間には本当に無駄な記憶なぞないのです。
でもこの「ビートたけし殺人事件」の記憶だけは確実にいらないと思います。
消し去ってくれたところで絶対なんの支障もないはずです。
むしろ消えてくれたほうが脳メモリ容量空いて助かるってなもんです。
でもなんだかこの記憶は、ふとしたときに、思い出してしまうんですね。
思い出すたんびに、また記憶引き出しの一番上に来てしまって、そんで下にいったかなーという頃に、また思い出す。
なんなんでしょうこれは。
それでもいつか役に立つことがあるんでしょうか。
人間は謎だらけですね。
はあ。
またお会いしましょう。
本当すいません。
やっちまってすいません。
生きててすいません。
本当悪気はなかったんです・・・・・・・・・・・・
じゃあ人間でいることそれ自体が罪だって?(by.純)
みたいなことが多過ぎるんだ俺は。
それで落ち込みはするけどでも死にたいと思ったことは一度もないんだ。
その代わり「ああ・・・今この瞬間に全世界の人の記憶から自分が消えますように・・・」って願うことは多々あるのだね。
自分は消えず、世界も消さず、両者無事なまま逃避しようという考え方。
とにかくどんな説教されようが、諭されようが、今この一瞬一瞬を何一つ失敗しないでいられるならそれで生きて行きたいよ。
そりゃそーだよ。
そりゃあそーだって。
あああ
「ゴーオンジャー」は、歌編。
つまりは荒川脚本編。
G、3、プリンセース!
まあいいんじゃねと思って。
事実良かった。
ミウの足が長めで良かった。
奈央のわきがきれいで良かった。
あとここでも私は謝らなくてはいけないことがある。
勝手に及川奈央を三十路と思い込んでいたことだ。
だから今回のG、3、プリンセース!も、「ひとり及川がんばってんなー」とか思っちゃってた。
すんませんした・・・
「キバ」は、戦士とは。
渡は変身する。
仮面ライダーキバになって戦う。
命をかけて戦う。
しかし彼の戦いにおける姿勢はどこか空虚だ。
まるでエセメロドラマの片手間にヒーローやってますってな程に無意味だ。
曲がりなりにも命の奪い合いをしているというのにだ。
自らの命っての戦い、それが当人のアイデンティティに繋がらない、そんな戦士が存在するってのか・・・・・・
そんなのはマシーンだ。
見ていても今のところ、渡は「命・戦い<恋愛」という感じだ。
それはある意味リアルだ・・・・・ある意味での現代っ子という感じがする。
しかし少なくとも、そんな人間がヒーローであっていいわけないじゃないか。
「仮面ライダー」なんだぞ。
改造されてなくったって、武器を使ったって、仲間割れしたって、戦闘員がいなくたって、平成だって、でもやっぱり「仮面ライダー」なんじゃないか。
どうしたって不文律はあるだろ。
それをわかってる人たちが作ってるんじゃないのかよ。
この番組意味がわかんないよ。
<今週の合コンで絶対に使えない豆知識のコーナー>
「ビートたけし殺人事件」(TV)
なんかむっかーしTVでやってたのを見て。
「ぼくはここにいるよ」みたいなフレーズを聞くと思い出す。
それはこの作品のTV版のエンディングが「ぼくはここにいるよー♪ぼくはここにいるよー♪」っていう歌だったから(たしか)。
そんで主人公は現・宮崎県知事ことそのまんま東で、殿(たけし)が殺人犯なのか!?っていうのを調査してくってストーリーなんだよね。
なんでたけしが疑われたのかつったら、犯行当時だれかが「やろう!きれ!」ってビートたけしの声を聞いたとかそんなんで容疑者になった、とかだったはず(他にも色々証拠があったのかも知れないけど覚えてない)。
でもその「やろう!きれ!」はTVの番組から録音されたものだってことがわかって、そんで真犯人は、そのまんま東がちょっと好いてた女性ということもわかる。
だから東は、真相が判明したあとも、刑事だかなんだかの前で「だから殿が犯人なんです・・・・・殿なんです・・・・」って言ってしまう。
でもまあその女性は捕まるんだ。
そして事件が終わった後、たけしが東の心中を察して、「ほれたのか?」って聞く。
そんなこんなでエンディング(ぼくはここにいるよー♪ぼくはここにいるよー♪)。
人間っていうのは、どんな経験も、後のその人にとっての糧になっていると言います。
あのときあんなことをしなければ良かった・・・ああしておけば良かったはず・・・という経験も何も全部ひっくるめてそうなのです。
だから人間には本当に無駄な記憶なぞないのです。
でもこの「ビートたけし殺人事件」の記憶だけは確実にいらないと思います。
消し去ってくれたところで絶対なんの支障もないはずです。
むしろ消えてくれたほうが脳メモリ容量空いて助かるってなもんです。
でもなんだかこの記憶は、ふとしたときに、思い出してしまうんですね。
思い出すたんびに、また記憶引き出しの一番上に来てしまって、そんで下にいったかなーという頃に、また思い出す。
なんなんでしょうこれは。
それでもいつか役に立つことがあるんでしょうか。
人間は謎だらけですね。
はあ。
またお会いしましょう。
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