今日は起きてジョギング行ってかかし祭り観て帰って朝飯食って寝た。
起きて「怪物くん デーモンの剣」観て「日本の弓術」読んだ。
ジョギングは、15分くらい。
いやいきなり30分、1時間とかじゃ死ぬから・・・と思ったんだけど、15分そこいらじゃたちまち息も整うっちゅーねん。
修行の成果出てるっつーの、何だい。
でもただ走るって飽きる。
いや好きな人とかはいいんだろうけど。
なので、やっぱCDでも聴きながら走りたいと思うのだけれど、車とか気付かなくなりそうなので、どうしよう。
車来ないコースを見つけてから走るのがいいのかも。
そうしよう。
かかし祭りは、まずまず。
鬼太郎とかミワアキヒロ(2、3体いた)とかサザエさんとかスパイダーマンハリーポッターとか。
まあそんなとこだろうな、といったキャラクターが勢ぞろいで。
中に、カバンと帽子だけしか作ってなくて、「寅さん見回り中」という、いや寅さんいねーしかかしになってねーじゃん、みたいなのが気に入った。
カバンと帽子だけで本人不在というのが、逆に存在感を表しているという逸品だ。
色々考えるよ・・・かかしになってないけど、思った。
あと「祭り」からちょっと離れたところに設置(?)してあった、棒の先に人形の生首だけ刺してある謎かかしは、一体何の悪趣味だったんだろうか。
なんか2つばかしありましたけど・・・・・・何すかね。
まあとにかく今年もそれなりに楽しめて良かった。
「怪物くん デーモンの剣」は、いつか観てみたいです、思ってて普通にすぐ観れましたね、という怪物くん劇場版第2作目。
収録作品がこれとドラえもん絡みのやつ(「ぼく桃太郎のなんんなのさ」)だったので、ドラえもんコーナーにあったのだ。
すぐ気付かなかった。
前作が、あえて言うなら友情ものだとすると、今作は親子ものだ。
怪物くんの親父が大魔王デーモンの呪いで倒れた!
行け怪物くん!
親父をたすけるんだ!
でもデーモンにも息子がいてデーモンも息子かわいさにやったことなんだ!
まさに親子ものだぜ!
という感じだった。
個人的には前作ほどじゃなかったけど、それでもわりと楽しめた。
つか前作ほどのスペクタル、バトルがなかったので、そういった点でちと物足りないかも、みたいなところだった。
あとはひたすら親子の情で展開みたいな。
押し付けがましくはないのだけれど。
でも、おまけで収録されていたこの映画の予告編では、親子ものだとかそういう部分はちっとも出されていないのね。
親父が呪いで倒れたぜ!デーモン&デーモン息子に怪物くんが立ち向かうぜ!行くぜ怪物くん!
みたいな感じなのだ。
だから思うに、野暮なのだ。
昨今のそういう、やったらと感動やら涙やら情をうったえる宣伝傾向ってのは。
はぁ?とさえ、思う。
たとえば映画やアニメ観る際、ガキが親子の情なんて目当てにすると思うのか(思ってはいないだろうけど)。
親御さんもご一緒にって、親はガキが乞うからしょーがなく観るんだろうに。
しょーがなく観るんじゃない人も、「親子の情」「感動」「涙」目当てで観る人がいると思うの?
まあいるんだろうけど・・・・・・・・。
といって見せる側があんまりそれを押し出すのも野暮だしこっ恥ずかしいしっつーか、わびもさびも芸も何もねーな、おい、とは思わないんだろうか。
思わないんだろうな・・・・・・・・。
そんなこんなで怪物君、劇場第2作目は”親子”です。
強大な力を持った浅はかな親父(デーモン)が、怪物くんの父を思う気持ち、行動に揺らぎ、そして自身の息子の涙で改心するという、そんなお話です。
こいつら怪物、悪魔、そしてアニメ、なんだけど、なんて人間らしい。
そんなことを思いたくはないんだが・・・・・・・・。
怪物くんは最終回、怪物ランドに帰ってプリンスになったんだけど、そんな怪物くんが今のこっちの世界を見たらどう思うんだい。
つか見せかねーわい。
むしろ、怪物って何?って思うよ。
怪物くんの治める怪物ランドが平和だったら、もうそこは怪物ランドじゃないんじゃないか。
何が怪物かって話だよ。
いや絶望ばかりしていてもしょうがないんだが。
とりあえず自分や自分の周りの人たちだけでも、ようこそ怪物くんて、言えるようなそんなようなにしたいじゃーないかー。
ひろしと一緒にさー。
そうじゃなきゃ嘘だよー。
なー怪物くん。
「日本の弓術」は、弓術本。
弓術にまで手を染めるのかというとそういうわけではなく、なんとなく面白そうだし、今の自分が読むべきもののような感じがしたので読んだ。
日本で弓術を学んだあるドイツ哲学者の話。
武道とは、そして”禅”の心とは?
を体験を踏まえた上で分析する。
といってもこれを読んで何が明かされるというわけでもない。
強いて言うなら文字や論理では明かされないことがあるのである、というようなことがほんのり明かされる(んだと思う)。
短いし、分かりやすいし、単純に面白い。
感覚的には簡単に読める。
でも今の自分には到底分からないことが書かれている。
修行の果てにヘイゲルさんが至った無とはどんなものなんだろうか。
それが知りたいんだ・・・と思ったら至れない道なのかも知れない。
だから俺も武道をやる。
何が見えるか、見えないのか、分からないけど。
向かう。
起きて「怪物くん デーモンの剣」観て「日本の弓術」読んだ。
ジョギングは、15分くらい。
いやいきなり30分、1時間とかじゃ死ぬから・・・と思ったんだけど、15分そこいらじゃたちまち息も整うっちゅーねん。
修行の成果出てるっつーの、何だい。
でもただ走るって飽きる。
いや好きな人とかはいいんだろうけど。
なので、やっぱCDでも聴きながら走りたいと思うのだけれど、車とか気付かなくなりそうなので、どうしよう。
車来ないコースを見つけてから走るのがいいのかも。
そうしよう。
かかし祭りは、まずまず。
鬼太郎とかミワアキヒロ(2、3体いた)とかサザエさんとかスパイダーマンハリーポッターとか。
まあそんなとこだろうな、といったキャラクターが勢ぞろいで。
中に、カバンと帽子だけしか作ってなくて、「寅さん見回り中」という、いや寅さんいねーしかかしになってねーじゃん、みたいなのが気に入った。
カバンと帽子だけで本人不在というのが、逆に存在感を表しているという逸品だ。
色々考えるよ・・・かかしになってないけど、思った。
あと「祭り」からちょっと離れたところに設置(?)してあった、棒の先に人形の生首だけ刺してある謎かかしは、一体何の悪趣味だったんだろうか。
なんか2つばかしありましたけど・・・・・・何すかね。
まあとにかく今年もそれなりに楽しめて良かった。
「怪物くん デーモンの剣」は、いつか観てみたいです、思ってて普通にすぐ観れましたね、という怪物くん劇場版第2作目。
収録作品がこれとドラえもん絡みのやつ(「ぼく桃太郎のなんんなのさ」)だったので、ドラえもんコーナーにあったのだ。
すぐ気付かなかった。
前作が、あえて言うなら友情ものだとすると、今作は親子ものだ。
怪物くんの親父が大魔王デーモンの呪いで倒れた!
行け怪物くん!
親父をたすけるんだ!
でもデーモンにも息子がいてデーモンも息子かわいさにやったことなんだ!
まさに親子ものだぜ!
という感じだった。
個人的には前作ほどじゃなかったけど、それでもわりと楽しめた。
つか前作ほどのスペクタル、バトルがなかったので、そういった点でちと物足りないかも、みたいなところだった。
あとはひたすら親子の情で展開みたいな。
押し付けがましくはないのだけれど。
でも、おまけで収録されていたこの映画の予告編では、親子ものだとかそういう部分はちっとも出されていないのね。
親父が呪いで倒れたぜ!デーモン&デーモン息子に怪物くんが立ち向かうぜ!行くぜ怪物くん!
みたいな感じなのだ。
だから思うに、野暮なのだ。
昨今のそういう、やったらと感動やら涙やら情をうったえる宣伝傾向ってのは。
はぁ?とさえ、思う。
たとえば映画やアニメ観る際、ガキが親子の情なんて目当てにすると思うのか(思ってはいないだろうけど)。
親御さんもご一緒にって、親はガキが乞うからしょーがなく観るんだろうに。
しょーがなく観るんじゃない人も、「親子の情」「感動」「涙」目当てで観る人がいると思うの?
まあいるんだろうけど・・・・・・・・。
といって見せる側があんまりそれを押し出すのも野暮だしこっ恥ずかしいしっつーか、わびもさびも芸も何もねーな、おい、とは思わないんだろうか。
思わないんだろうな・・・・・・・・。
そんなこんなで怪物君、劇場第2作目は”親子”です。
強大な力を持った浅はかな親父(デーモン)が、怪物くんの父を思う気持ち、行動に揺らぎ、そして自身の息子の涙で改心するという、そんなお話です。
こいつら怪物、悪魔、そしてアニメ、なんだけど、なんて人間らしい。
そんなことを思いたくはないんだが・・・・・・・・。
怪物くんは最終回、怪物ランドに帰ってプリンスになったんだけど、そんな怪物くんが今のこっちの世界を見たらどう思うんだい。
つか見せかねーわい。
むしろ、怪物って何?って思うよ。
怪物くんの治める怪物ランドが平和だったら、もうそこは怪物ランドじゃないんじゃないか。
何が怪物かって話だよ。
いや絶望ばかりしていてもしょうがないんだが。
とりあえず自分や自分の周りの人たちだけでも、ようこそ怪物くんて、言えるようなそんなようなにしたいじゃーないかー。
ひろしと一緒にさー。
そうじゃなきゃ嘘だよー。
なー怪物くん。
「日本の弓術」は、弓術本。
弓術にまで手を染めるのかというとそういうわけではなく、なんとなく面白そうだし、今の自分が読むべきもののような感じがしたので読んだ。
日本で弓術を学んだあるドイツ哲学者の話。
武道とは、そして”禅”の心とは?
を体験を踏まえた上で分析する。
といってもこれを読んで何が明かされるというわけでもない。
強いて言うなら文字や論理では明かされないことがあるのである、というようなことがほんのり明かされる(んだと思う)。
短いし、分かりやすいし、単純に面白い。
感覚的には簡単に読める。
でも今の自分には到底分からないことが書かれている。
修行の果てにヘイゲルさんが至った無とはどんなものなんだろうか。
それが知りたいんだ・・・と思ったら至れない道なのかも知れない。
だから俺も武道をやる。
何が見えるか、見えないのか、分からないけど。
向かう。
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