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2006年11月24日今日は「めぞん一刻」「三つ目がとおる」「ベルサイユのばら」「シネマ通信」を観て腕立てして寝た。
「めぞん一刻」は、いいアニメだ。
本当にいいアニメだ。
「三つ目がとおる」は、三つ目じゃなくてもがんばる写楽の巻。
OP前、「この番組は放送上好ましくない場面がありますが当時のオリジナリティを大事にするため・・・」云々というテロップが出た。
いつも出ているというわけではないはず。
なんだろ、放送禁止用語か?
と思っていたら番組開始、ああ、このねーちゃんが全裸だからか・・・と判明した(?)。
いや、ねーちゃんていうか、無礼者!
そうマヌイさま、マヌイさまです。
つまり冒頭のテロップは、裸のねーちゃんが出てきてうろうろすっけどわかってて放映してるんだから電話してくんな、ということなのだ。
でもマヌイさまは原作と違ってトップ表現は省略されており。
お付きの人の方は省略されておらず。
お付の人はオバチャンだからいいべ、ってこと?なんだろうか。
最近知ったけど、放送禁止用語とか表現って、各局や番組の判断でそうしているまでで、明確な規定等はないらしい。
もうちょっと世の中が大らかというか、余裕の持てる時代が来たら、また事情も変わってくるものなのかも。
良いアニメを観るにも、まず良い国作りだよ、みたいなことかね。
がんばるかね。
「ベルサイユのばら」は、極悪デュバリー。
そしてマリー・アントワネットとハンス・アクセル・フォン・フェルゼンが出会った。
おほほほ
はははは
一方のルイは、相変わらず錠前作りに精を出しております。
嫁はんがよその若い男といちゃついてるってのにこの男は!
王たるこの男と来たら!
「マリーはあんなにきれいでかわいらしいのに、私ときたら足も短いしお腹だって出てるし・・・」
王様も大変だ。
「シネマ通信」は、パプリカ宣伝。
出た。
平沢が出た。
平沢進がTVに出たぞ。
進ー!進ー!
パプリカは最早実写・アニメの域を越えた作品ではないか、と言う。
平沢は言う。
そして監督・スタッフも「実写だから、アニメだからではなく、自分たちのやりたいことがある、そしてそれをやるのに自分たちが一番慣れているのがアニメという技法。ただ、それだけです」というようなことを言っていた。
これはまっさらな本心なのか。
それとも多分に営業用化された宣伝文句なのか。
巧みに真実本心である「アニメだからできるんだよ、実写でこんなすごいのできるかい!」をひた隠し、アニメを観ない一般人にも劇場に運んでもらうよう配慮された文句、なんてことはないんだろうか。
アニメだから踏み込める領域があり、表現できる世界があるって、それをストレートに言ったら、アニメを観ない一般人はひくのだろうか。
なんか、やっぱ、まだまだひくんだろう、って気がする。
何がどうジブリがどうジャパニメーションがどうといっても、所詮アニメはアニメだ。
そこを崩そう崩そうって、崩せるもんなのかね。
アメリカでは”オタク”と呼ばれるのは名誉なことだみたいな話も流れてくるけど、んなわけねーだろ、と思うし。
女性よりバットマンに夢中なんて男は、そんなの、認められないだろ。
でも、アニメ、実写の壁なんて、もうない、なんてこと言ってれば、そのうち本当になくなるもんなのか。
偏見という意味での壁は取っ払えるのか。
無理と思うがなー。
でもお金持ってる人たちにそう思わせられたら、もっとお金くれるかも知れないから、ダメもとでも言っとけ言っとけみたいなこともあるのかね。
それでお金出したほうも、よくわかんないけど儲かったからいいや、みたいになればみんなハッピーハッピーベルンだし。
最終的にみながハッピーになればいいんだ。
間の事情はどうあれだ。
そうだ。
そんな「パプリカ」、うーんと、ほどほどに期待しておきます。
「めぞん一刻」は、いいアニメだ。
本当にいいアニメだ。
「三つ目がとおる」は、三つ目じゃなくてもがんばる写楽の巻。
OP前、「この番組は放送上好ましくない場面がありますが当時のオリジナリティを大事にするため・・・」云々というテロップが出た。
いつも出ているというわけではないはず。
なんだろ、放送禁止用語か?
と思っていたら番組開始、ああ、このねーちゃんが全裸だからか・・・と判明した(?)。
いや、ねーちゃんていうか、無礼者!
そうマヌイさま、マヌイさまです。
つまり冒頭のテロップは、裸のねーちゃんが出てきてうろうろすっけどわかってて放映してるんだから電話してくんな、ということなのだ。
でもマヌイさまは原作と違ってトップ表現は省略されており。
お付きの人の方は省略されておらず。
お付の人はオバチャンだからいいべ、ってこと?なんだろうか。
最近知ったけど、放送禁止用語とか表現って、各局や番組の判断でそうしているまでで、明確な規定等はないらしい。
もうちょっと世の中が大らかというか、余裕の持てる時代が来たら、また事情も変わってくるものなのかも。
良いアニメを観るにも、まず良い国作りだよ、みたいなことかね。
がんばるかね。
「ベルサイユのばら」は、極悪デュバリー。
そしてマリー・アントワネットとハンス・アクセル・フォン・フェルゼンが出会った。
おほほほ
はははは
一方のルイは、相変わらず錠前作りに精を出しております。
嫁はんがよその若い男といちゃついてるってのにこの男は!
王たるこの男と来たら!
「マリーはあんなにきれいでかわいらしいのに、私ときたら足も短いしお腹だって出てるし・・・」
王様も大変だ。
「シネマ通信」は、パプリカ宣伝。
出た。
平沢が出た。
平沢進がTVに出たぞ。
進ー!進ー!
パプリカは最早実写・アニメの域を越えた作品ではないか、と言う。
平沢は言う。
そして監督・スタッフも「実写だから、アニメだからではなく、自分たちのやりたいことがある、そしてそれをやるのに自分たちが一番慣れているのがアニメという技法。ただ、それだけです」というようなことを言っていた。
これはまっさらな本心なのか。
それとも多分に営業用化された宣伝文句なのか。
巧みに真実本心である「アニメだからできるんだよ、実写でこんなすごいのできるかい!」をひた隠し、アニメを観ない一般人にも劇場に運んでもらうよう配慮された文句、なんてことはないんだろうか。
アニメだから踏み込める領域があり、表現できる世界があるって、それをストレートに言ったら、アニメを観ない一般人はひくのだろうか。
なんか、やっぱ、まだまだひくんだろう、って気がする。
何がどうジブリがどうジャパニメーションがどうといっても、所詮アニメはアニメだ。
そこを崩そう崩そうって、崩せるもんなのかね。
アメリカでは”オタク”と呼ばれるのは名誉なことだみたいな話も流れてくるけど、んなわけねーだろ、と思うし。
女性よりバットマンに夢中なんて男は、そんなの、認められないだろ。
でも、アニメ、実写の壁なんて、もうない、なんてこと言ってれば、そのうち本当になくなるもんなのか。
偏見という意味での壁は取っ払えるのか。
無理と思うがなー。
でもお金持ってる人たちにそう思わせられたら、もっとお金くれるかも知れないから、ダメもとでも言っとけ言っとけみたいなこともあるのかね。
それでお金出したほうも、よくわかんないけど儲かったからいいや、みたいになればみんなハッピーハッピーベルンだし。
最終的にみながハッピーになればいいんだ。
間の事情はどうあれだ。
そうだ。
そんな「パプリカ」、うーんと、ほどほどに期待しておきます。
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