断末丸
2006年6月24日今日は起きて図書館へ向かった。
向かう途中コンビニで朝飯買って図書館前で食った。
図書館入って歴史。
歴史後、歴史本・地図帳・エドガー本を借りて「ぴあ」を2冊頂戴して図書館を出た。
コンビニで夕飯買って帰った。
「ぴあ」を読んで「ウルトラマンメビウス」を観ながら夕飯を食った。
ダウンタウンについて色々観たり調べたりした。
歴史は、弥生時代。
水田稲作。
環濠集落。
王墓建築。
クニ誕生の気配!
そしてついにあのお方が?
次回を待て!
今回の歴史探訪中、自分の隣の席に座っていた人は、なぜか傍を通り過ぎる人間をやたらめったら気にする人だった。
誰かが階段をあがってくるとパッと振り向き、席を立って近くを歩く人がいればちょっとの間ジッとその人を見るといった具合だった。
知り合いでも待ってるのかなんなのかな・・・?とか思ったけど、席を立つ人もいちいち気にしているので、そうでもないようだし、気弱な小動物のようだし、とにかくよくわからんかった。
でもあまり気にしててもしょうがないので、きっとこの人は誰かに命を狙われているんだろうと思い、自分のことに集中することにした。
結局知り合いが来るわけでもなく、昼前くらいにこの人はいなくなった。
昼飯後に戻ると別の人が同じ席に座っており、今度はやたらめったら貧乏ゆすりをする人だった。
な・・・えなに?ちょっ地震?というくらいゆする人で、この人もまたちょっと、よくわからなかった。
でもあまり気にしててもしょうがないので、きっとこの人は本当に貧乏なんだなと思い、自分のことに集中することにした。
色んな人がいるなーと思った。
エドガー本は、黄金虫・アッシャー家の崩壊(他九編)。
なんで今更というか・・・たまたま手に取ったら、解説のとこに「均整と統一という明確な方法意識を持っていたポオ―」とか書かれていて、これだっと思ったのね。
自分も常日頃、どーなんだ作品(主にアニメ・特撮)について語ったりするとき「だからこー、あれだよ、やっぱ統一感とかバランスとかさあ、そういう・・・そういうんだろやっぱ!なんか!あとこーリズムとか!」とかそんなことばっかり言ってるので、やっぱそうっすかエドガー!って勝手に思った次第であった。
ジャンルは違えど、大事にすべきと思うところは共通していると思って無理やりこじつけた。
いやつーかエドガーだって今のダメアニメとか観たらキレるよ。
カブトなんてとてもじゃないけど観せらんないよ。
ガスパッチョだよ。
内容ノ前ニモットシッカリシトカニャナラントコガアルヤロ?的なとこでご立腹だよきっと。
つか、えらそーなことでも何でもなく、基本だろ!!って思うとこだし。
そもそもそういう部分がちゃんと出来るから、新しいことや奇抜なことだってできるってもんなんじゃあないのかよ。
よっぽどの天才だとか鬼才だとかそういうんじゃない限り、まず一番基本的なところをしっかりと出来る上で、ハイセンスを目指せばいいんじゃないのかというかそれが当たり前だと思うわけなんだけど、ええ、間違ってんのか?
スタンダードをぶちこわしたくったって、スタンダードを本当に知らない人間がそれをやろうったって、ねー、って話だぞ。
とにかく本当にぶっちぎりの才能が無い限りは、ちょっと待て、と。
まずはとにかくエドガーに学べ。
エドガーがよくわからんかったら(俺もよくはわかんない)わが国には「水戸黄門」(東野英次郎版)という国宝があるんだから、そっから学ぶといいと思う。
という一ファンの願いがお星さまに通じるといいな、と思いました。
「ぴあ」は、図書館入り口前の「勝手に持っていってくださいリサイクルコーナー」にあったやつを頂戴した。
休憩中たまたま手に取ったのが「松本人志特集」みたいのだったからだ。
2000年の松本人志が色々語ってた。
最近は色々思うこともあるけど、でもやっぱりこの人は、色んなことをわかった上でやっているんだな、ということを改めて確認できた。
分かって上でもどうにもならない現実や、抱えている変わらない理想、避けられない多くのことを踏まえた上での展望。
それらを語る際の冷静な視点は、自分自身に対しても容赦なく向けられていた。
そういうことは本来とても当たり前のことだとも思う。
この人は当たり前にあるべき物事や感性を非常に大事にし、またそれを熟知している。
だからこそ自分でそうと判断したものからはずれるものに対しては、非常に敏感な反応をみせるのだと思う。
ダウンタウンがやっていることを批判する人は正しい。
やってはいけないことをぽんぽんやって見せてしまっているんだから、道徳的観点からの批判はきて当然だ。
でも、やってはいけないことをやっていると本人らは分かっていてやっている、ダウンタウンはそんな性質の悪い人たちだと知ってあげるともうちょっと良いかも、とも思う。
というか、こうも不道徳のはびこる世の中だと、ダウンタウンのやっていることはシャレでもなんでもなくなってきてしまうのだろう。
そういえばこの前はあの言いたい放題師匠ですら、「落語家にこんなマトモなこと言わせるようじゃ世の中も終わりだよ」ともらしていたりもした。
完全は無理でも、最低限の当たり前の平和、少なくともみながそういう意識が持てる世の中を作るのが大人の義務なはず。
きっちりと正しい方向を見定め、驀進すべしだ。
そんな世でまた、グサリとくるような不道徳が生み出した、至上の笑いに浸れる日々が来る事を願って。
「ウルトラマンメビウス」は、初めてのおつかい。
失敗。
向かう途中コンビニで朝飯買って図書館前で食った。
図書館入って歴史。
歴史後、歴史本・地図帳・エドガー本を借りて「ぴあ」を2冊頂戴して図書館を出た。
コンビニで夕飯買って帰った。
「ぴあ」を読んで「ウルトラマンメビウス」を観ながら夕飯を食った。
ダウンタウンについて色々観たり調べたりした。
歴史は、弥生時代。
水田稲作。
環濠集落。
王墓建築。
クニ誕生の気配!
そしてついにあのお方が?
次回を待て!
今回の歴史探訪中、自分の隣の席に座っていた人は、なぜか傍を通り過ぎる人間をやたらめったら気にする人だった。
誰かが階段をあがってくるとパッと振り向き、席を立って近くを歩く人がいればちょっとの間ジッとその人を見るといった具合だった。
知り合いでも待ってるのかなんなのかな・・・?とか思ったけど、席を立つ人もいちいち気にしているので、そうでもないようだし、気弱な小動物のようだし、とにかくよくわからんかった。
でもあまり気にしててもしょうがないので、きっとこの人は誰かに命を狙われているんだろうと思い、自分のことに集中することにした。
結局知り合いが来るわけでもなく、昼前くらいにこの人はいなくなった。
昼飯後に戻ると別の人が同じ席に座っており、今度はやたらめったら貧乏ゆすりをする人だった。
な・・・えなに?ちょっ地震?というくらいゆする人で、この人もまたちょっと、よくわからなかった。
でもあまり気にしててもしょうがないので、きっとこの人は本当に貧乏なんだなと思い、自分のことに集中することにした。
色んな人がいるなーと思った。
エドガー本は、黄金虫・アッシャー家の崩壊(他九編)。
なんで今更というか・・・たまたま手に取ったら、解説のとこに「均整と統一という明確な方法意識を持っていたポオ―」とか書かれていて、これだっと思ったのね。
自分も常日頃、どーなんだ作品(主にアニメ・特撮)について語ったりするとき「だからこー、あれだよ、やっぱ統一感とかバランスとかさあ、そういう・・・そういうんだろやっぱ!なんか!あとこーリズムとか!」とかそんなことばっかり言ってるので、やっぱそうっすかエドガー!って勝手に思った次第であった。
ジャンルは違えど、大事にすべきと思うところは共通していると思って無理やりこじつけた。
いやつーかエドガーだって今のダメアニメとか観たらキレるよ。
カブトなんてとてもじゃないけど観せらんないよ。
ガスパッチョだよ。
内容ノ前ニモットシッカリシトカニャナラントコガアルヤロ?的なとこでご立腹だよきっと。
つか、えらそーなことでも何でもなく、基本だろ!!って思うとこだし。
そもそもそういう部分がちゃんと出来るから、新しいことや奇抜なことだってできるってもんなんじゃあないのかよ。
よっぽどの天才だとか鬼才だとかそういうんじゃない限り、まず一番基本的なところをしっかりと出来る上で、ハイセンスを目指せばいいんじゃないのかというかそれが当たり前だと思うわけなんだけど、ええ、間違ってんのか?
スタンダードをぶちこわしたくったって、スタンダードを本当に知らない人間がそれをやろうったって、ねー、って話だぞ。
とにかく本当にぶっちぎりの才能が無い限りは、ちょっと待て、と。
まずはとにかくエドガーに学べ。
エドガーがよくわからんかったら(俺もよくはわかんない)わが国には「水戸黄門」(東野英次郎版)という国宝があるんだから、そっから学ぶといいと思う。
という一ファンの願いがお星さまに通じるといいな、と思いました。
「ぴあ」は、図書館入り口前の「勝手に持っていってくださいリサイクルコーナー」にあったやつを頂戴した。
休憩中たまたま手に取ったのが「松本人志特集」みたいのだったからだ。
2000年の松本人志が色々語ってた。
最近は色々思うこともあるけど、でもやっぱりこの人は、色んなことをわかった上でやっているんだな、ということを改めて確認できた。
分かって上でもどうにもならない現実や、抱えている変わらない理想、避けられない多くのことを踏まえた上での展望。
それらを語る際の冷静な視点は、自分自身に対しても容赦なく向けられていた。
そういうことは本来とても当たり前のことだとも思う。
この人は当たり前にあるべき物事や感性を非常に大事にし、またそれを熟知している。
だからこそ自分でそうと判断したものからはずれるものに対しては、非常に敏感な反応をみせるのだと思う。
ダウンタウンがやっていることを批判する人は正しい。
やってはいけないことをぽんぽんやって見せてしまっているんだから、道徳的観点からの批判はきて当然だ。
でも、やってはいけないことをやっていると本人らは分かっていてやっている、ダウンタウンはそんな性質の悪い人たちだと知ってあげるともうちょっと良いかも、とも思う。
というか、こうも不道徳のはびこる世の中だと、ダウンタウンのやっていることはシャレでもなんでもなくなってきてしまうのだろう。
そういえばこの前はあの言いたい放題師匠ですら、「落語家にこんなマトモなこと言わせるようじゃ世の中も終わりだよ」ともらしていたりもした。
完全は無理でも、最低限の当たり前の平和、少なくともみながそういう意識が持てる世の中を作るのが大人の義務なはず。
きっちりと正しい方向を見定め、驀進すべしだ。
そんな世でまた、グサリとくるような不道徳が生み出した、至上の笑いに浸れる日々が来る事を願って。
「ウルトラマンメビウス」は、初めてのおつかい。
失敗。
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