釣りバカ

2004年8月26日
今日は朝飯を食って海老名へ行って銀だこ食ってサティで立ち読みして、ビナワンで漫画「バキ」「弁護士のくず」を購入した。
サティ映画「釣りバカ日誌15」を見て帰って漫画読んで寝た。
起きてビデオ「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」を見て寝た。
 
 
(感想等)

「釣りバカ日誌15 ハマちゃんに明日はない!?」は、本当は「華氏911」と「釣りバカ」、どっちを見るのか迷ったのだけれど、いやー見るならそりゃー今は「華氏」だろうー・・・・・でも俺的には「釣りバカ」。
ということで釣りバカになった。
最近の自分の中の原作ブーム云々関係なく。
去年「14」を突然観に行ったと同じ感じの理由で見た。

「釣りバカを見る。金払って映画館で見る」というのは、ちょっぴりいやらしい話、自分にとってある種のステータスになっていると思っている節がある。
同年代の一体誰が今更「釣りバカ」見るよ?しかも「15」。いや俺は見るけどね!みたいな。
まったくもっていやらしい。
実際ほんとにステータスになってるのかどうなのかは知らないけど。
そして自分は別に作品的にも役者的にも「釣りバカ」に、大して思い入れは無い。
じゃあなんで俺、釣りバカ見るよ?と考えると上記のような理由と、あと、なんか自分の中の余裕みたいなものを確認したくて観に行っているっぽい気がする。
ファンでもなく思いいれもないっつーのに「釣りバカ」を見るというのは、そーとーなヒマ人、心に余裕のあるヒマな人、に違いないと思うからだ。
自分の心に十分な余裕があるとはあまり思わないけれど、しかし「釣りバカ」を観に行っている内は、大丈夫なんだろう、と思いたくて観に行っていくんだ、俺は、ということも一つの理由だ。

あと「釣りバカ」とか邦画全般を「金払って映画館で見る理由がわからなーい」とかほざくハリウッダーな爆発超予算スペースSF大好きっ子な、ンなこと言ってるやつに限ってTVで邦画やってたって大して観やしねーんだよ!(まあいいんだけど)・・・な人のそういう言葉をわりと耳にするけど、自分の場合は逆だ。
いやさ「釣りバカ」こそ映画館で観なきゃ意味がない。
自分にとっての「釣りバカ」は、周囲にご年配な方々の笑い声があってこその「釣りバカ」なのです、という感じだ。
映画館での、若者のなんかうそくせー笑い声とは違う、何とも心底なピュアーなご年配の方々の笑い声を聞いてこその「釣りバカ」。
例え、たぶん自分一人で見てたら半笑いで顔引きつってしまうような場面でも、ご年配のかたの心底な笑い声が聞けるだけで、ああ俺は観に来てよかったなぁ・・・と思うのだ。
正直TVで「釣りバカ」やってても俺見ないだろうし、だったら金曜エンタテイメント見るだろうし、それか寝る。
お年寄りに囲まれるとやたら落ち着く、話し掛けられないという条件付きならば、という体質の人間には「釣りバカ」はこの上ない癒し映画作品だ。

そして「釣りバカ日誌」という映画は、かなり希少な映画であると思う。
「15」という数字で、「え、まだやってんの?」と思い勝ちだが、実は大変希少な映画なのだ。
だってこんな鬼のようにゆるい映画、今作るとなったら、いや作れねーよどっかでストップかかるだろ!と思うし・・・。
伝統と西田と三國と山田あってこそ、今この時代にも強くひっそりと生き抜き、血潮たぎる映画ファンにも見逃されて大して内容にも突っ込まれず、なんとなく「恒例」ということで始まっていて、なんとなく終わっている、そしてご年配に愛される、そんな「釣りバカ」。
観るなら今しかないよ、こんなの、と思う。
「釣りバカ」終わったらもうこんな映画、2度と映画館で観られないんじゃないだろうか。

今回の映画の内容的には、まあ、「釣りバカ」だった。
前作のような合体シーンのCGにもちょっと期待してたけど、今回は「不合体」であった。
ゲストマドンナの江角マキコは、ちょっと元気ないっぽく思えたのは役柄だからか、本人の調子なのか、よくわからなかった。
でも江角マキコはこのあいだ「いいとも」に出た時、客から思っていた以上の声援を受けていたので、完全復帰もそうは遠くないのかもしれない。
この分じゃ「釣りバカ」は出ても「土曜ワイド」までは出てくれないかなー、とかどうでもいいことを思ったものだった。
とにかくがんばれマキコ。
そして「釣りバカ」映画よ永遠に。

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