エンペラータイム
2004年5月31日今日は起きて「THE3名様」を読んだ。
昼飯を食いながら「おじゃる丸」を観て「G組のG」を読んで寝た。
起きて「そっと好かれる」を読んで夕飯を食った。
(感想等)
絶対夢に出るよなーコレ、と思っていた昨日観た映画「裸のランチ」だが、意外や見た夢は「おじゃる丸」一色であった。
もしかして覚えていない時は「裸のランチ」だったのかもしれないけど、少なくとも起きる寸前くらいの眠りが浅い、夢の内容を覚えていられる部分は「おじゃる丸」祭りだった。
助かった。
「THE3名様」は、駅前の本屋にもちゃんと2冊並べられていて、良かった(2冊か・・・)。
本屋の店員でもやってる知り合いがいれば「どんな奴が買っていった??」みたく聞けるのに。
どんなやつってどんなだ。
知りたい・・・・・。
「おじゃる丸」は、今回見たやつでは「最高のおとどけもの」が、何とも言えなかった。
あのラッピングおじゃる丸は・・・・・こんなこた言いたくないが、かわいいなぁ!!どうすんだこれちくしょう!と思った。というか悶えた。
「ラッピングおじゃる丸」は、属性的には「ゴミ箱富江」に相反する位置にあるのだと思う。
どっちもかわいいんだけど。
この話はお隣が留守だったので一時的に預かっていたお届け物(プリン)を「プリンでおじゃるー」とかいっておじゃる丸が見つけちゃって開けちまうとこから始まる。
そんで、自分の物だー(逆訳:マロのものでおじゃる〜)とごねた結果、カズマにめっさどなられる。そんで家出。
そして色々あって、おじゃるは帰りたいんだけど帰りづらく、カズマも心配なんだけど探しに行きづらく、な状況で、最後はおじゃる丸自らがお届け物として家に来る。
それがラッピングおじゃる丸!!(+ラッピング電ボ)。
それはいいんだけど、結局この話でもおじゃる丸って謝ったりしないんだよなー、と思った。
カズマのために自分+カズマの好きそうな石をお届けで、機嫌取りで、カズマに対してなんとか、許してもらいたい、という気持ちはあるのだろうけど、ごめんとかそういうのは言わねー。
しかしそれがなんとなく許されるのは、奴がやんごとなきお子様だから、つか5歳児のガキだから許されてるってもんなのだと思う。
てか「おじゃる丸」という番組自体のそもそもの始まりが、他人様のもん(閻魔大王のシャク)拾ってパクって「マロのものでぇおじゃる〜」とか言い出して返さないというとんでもねーガ・・・やんごとなきお子様とその周囲の人々の織り成すまったり物語、ってのが、変。
教育TVなのにいいのか、そんなんで。
いやしかし、いいのだ。
だって5歳児だもの、となんとなく今回で思った。
全てが許される時間ってのが、そういうのが幼い時期にはある。
なんか、「これぼくのー」とかいって他人のもんパクってても、ちょっとの間許される、「しばらく貸してあげなさい。そのうち飽きるでしょ」みたいな、ある意味無敵なみそっかすな時間。
それが「おじゃる丸」という物語なのだ、きっと。
そんで、今TV放映してるのが第7期で、かれこれ6年続いて・・・って長っ、長いよ、いいかげんシャク返してやれよ!小鬼達を解放してやれよ!!と気付いたり思ったりした。
あとそいういうおじゃる丸とはまた別に、ケンさんの、あの仕事に就いては「この仕事、俺にはむいてねぇかもなぁ・・・」って次々辞めていくというあの姿勢は、いいのだろうか。
教育TVなのにいいのか、そんなんで。
まあいいか。
「そっと好かれる」は、時間が無かったので野木さんシリーズのやつだけ読んだ。
古野さんの行動・言動はとことんエレキウェイブガールっぽいのに、何故かあんまそういう印象も感じない。
自分の中でマンガのキャラだからと割り切っているだけ、ということでもないっぽいのが不思議だ。
野木さんシリーズの人達、というか小田扉作品の人物みな、大体そんな感じだからだろうか。
でもやっぱり古野さんは「お母・・・野木さん」だから、だからなのかなーと思ったりもする。
昼飯を食いながら「おじゃる丸」を観て「G組のG」を読んで寝た。
起きて「そっと好かれる」を読んで夕飯を食った。
(感想等)
絶対夢に出るよなーコレ、と思っていた昨日観た映画「裸のランチ」だが、意外や見た夢は「おじゃる丸」一色であった。
もしかして覚えていない時は「裸のランチ」だったのかもしれないけど、少なくとも起きる寸前くらいの眠りが浅い、夢の内容を覚えていられる部分は「おじゃる丸」祭りだった。
助かった。
「THE3名様」は、駅前の本屋にもちゃんと2冊並べられていて、良かった(2冊か・・・)。
本屋の店員でもやってる知り合いがいれば「どんな奴が買っていった??」みたく聞けるのに。
どんなやつってどんなだ。
知りたい・・・・・。
「おじゃる丸」は、今回見たやつでは「最高のおとどけもの」が、何とも言えなかった。
あのラッピングおじゃる丸は・・・・・こんなこた言いたくないが、かわいいなぁ!!どうすんだこれちくしょう!と思った。というか悶えた。
「ラッピングおじゃる丸」は、属性的には「ゴミ箱富江」に相反する位置にあるのだと思う。
どっちもかわいいんだけど。
この話はお隣が留守だったので一時的に預かっていたお届け物(プリン)を「プリンでおじゃるー」とかいっておじゃる丸が見つけちゃって開けちまうとこから始まる。
そんで、自分の物だー(逆訳:マロのものでおじゃる〜)とごねた結果、カズマにめっさどなられる。そんで家出。
そして色々あって、おじゃるは帰りたいんだけど帰りづらく、カズマも心配なんだけど探しに行きづらく、な状況で、最後はおじゃる丸自らがお届け物として家に来る。
それがラッピングおじゃる丸!!(+ラッピング電ボ)。
それはいいんだけど、結局この話でもおじゃる丸って謝ったりしないんだよなー、と思った。
カズマのために自分+カズマの好きそうな石をお届けで、機嫌取りで、カズマに対してなんとか、許してもらいたい、という気持ちはあるのだろうけど、ごめんとかそういうのは言わねー。
しかしそれがなんとなく許されるのは、奴がやんごとなきお子様だから、つか5歳児のガキだから許されてるってもんなのだと思う。
てか「おじゃる丸」という番組自体のそもそもの始まりが、他人様のもん(閻魔大王のシャク)拾ってパクって「マロのものでぇおじゃる〜」とか言い出して返さないというとんでもねーガ・・・やんごとなきお子様とその周囲の人々の織り成すまったり物語、ってのが、変。
教育TVなのにいいのか、そんなんで。
いやしかし、いいのだ。
だって5歳児だもの、となんとなく今回で思った。
全てが許される時間ってのが、そういうのが幼い時期にはある。
なんか、「これぼくのー」とかいって他人のもんパクってても、ちょっとの間許される、「しばらく貸してあげなさい。そのうち飽きるでしょ」みたいな、ある意味無敵なみそっかすな時間。
それが「おじゃる丸」という物語なのだ、きっと。
そんで、今TV放映してるのが第7期で、かれこれ6年続いて・・・って長っ、長いよ、いいかげんシャク返してやれよ!小鬼達を解放してやれよ!!と気付いたり思ったりした。
あとそいういうおじゃる丸とはまた別に、ケンさんの、あの仕事に就いては「この仕事、俺にはむいてねぇかもなぁ・・・」って次々辞めていくというあの姿勢は、いいのだろうか。
教育TVなのにいいのか、そんなんで。
まあいいか。
「そっと好かれる」は、時間が無かったので野木さんシリーズのやつだけ読んだ。
古野さんの行動・言動はとことんエレキウェイブガールっぽいのに、何故かあんまそういう印象も感じない。
自分の中でマンガのキャラだからと割り切っているだけ、ということでもないっぽいのが不思議だ。
野木さんシリーズの人達、というか小田扉作品の人物みな、大体そんな感じだからだろうか。
でもやっぱり古野さんは「お母・・・野木さん」だから、だからなのかなーと思ったりもする。
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