葬式
2004年4月4日今日は母方の祖母の葬式であった。
今月1日に亡くなり、今日が葬式だった。
祖母とはここ数年ほとんど交流がなかったのだが、つい一月前ほどに、もう最後になるかもということで入院中の病院へ見舞いに行った。
その時の祖母はもう意識らしい意識はなく、妙な例えなのかもしれないけれど、なんだかまるで動物の赤ん坊のような感じを受けた。
手を握ると俺の手を口に持っていこうとし、母&おばさん曰く「食べるのが好きな人だったからねぇ」ということだった。
葬式に良いとか悪いとかあるのかわからないけど、もしあるとすれば、今回の祖母の葬式はとても良い葬式だったのではないかと思う。
親類のみで行ったのだが、60人近く人が来たという。
これが多いのか少ないのかわからないけど、俺はとても多いように感じた。
何より自分と最も親しい親戚達が、今回の葬式で全員集合したのがなかなか感動的だったかも知れない。
ほんとだったら妹も、就職したてで休みを取るのが大変なのだが、日曜日だったので何とか参加することができたのだ。
そんな感じに日曜日だったから参加できたという人が何人かおり、ほんとに全員集合であった。
「おばあちゃん、引き合わせてくれたのかもしれないね」と誰かも言っていた。
小さい頃はわりと頻繁に訪れて行って遊んでもらっていた兄ちゃん姉ちゃん達がみんないた。
あの頃はほんと、自分からは見上げるような人たちだったのだが、何時の間にか自分と同じくらいかちょっと高いくらいになっていた(それでもみなほとんど自分より背が高い)。
ファミコンやったり漫画を読ませてもらったりしていたあの頃は、今でも遠くに感じることはないのだが、それでもやっぱり久々にこうして会うと、みな成長しているのだなーと感じた。
てか俺が24なのだ。
みなのマスコット的存在(な頃もあった、そういや)であった俺が24になった、ってことでみな「年食ったんだなー」という感じが漂った。
しかしそれでも、なんか、変わってないような気もした。
基本的には、なんかみんな変わってないかもしれないとも思えるものがあった。
そして相変わらず俺は、色々とまあからかわれたというか、いじられっぱなしだった。
俺はこういう時おとなしいのだ。
ていうか俺は本来おとなしい人。
基本的には、しゃべらん自分というのが一番自分らしいと感じている。
しゃべる時は結構ばーっとしゃべるが、黙ってる時のが自然体に思う。
てか人と何しゃべっていいのかわからん。
でも、今回は久々だし結構がんばった。
親戚の中で一番背の高く、頭のいい従兄弟の兄さんと酒を酌み交わしたりもした。
酒、弱いけど、こういう時は飲む。飲まなきゃだ。
しかしやはりビール紙コップ2杯で「ぐおお」となった。
そして今回俺の酒の弱さは、母からきたものだということが発覚した。
妹も弱いということがわかった。
祖母の遺影はなんだかとてもいかつい表情で、自分の知らない祖母の顔であった。
正直自分はあまり祖母になついていなかったが、しかしとてもかわいがってもらっていたという記憶はある。
でも、その昔は結構きびしめの人だったことをみなの話で知った。
年代的にとっても苦労して子供達を育てて、働き者で、そしてヘビースモーカーだった。
亡くなった時の年齢が94歳、ということでみな「タバコってあんま寿命に関係ないんだねー」と口々に言っていた。
正直、随分長い間交流がなく、またこうして大往生と言える年齢で他界した祖母について、悲しいという感情は湧かずにいた。
悲しいという気持ちはない代わりに、今日の葬式を思い返すと、何か良かった、という気持ちになる。
ほんとうに良かったよ、おばあちゃん。
そう思える葬式だった。
今月1日に亡くなり、今日が葬式だった。
祖母とはここ数年ほとんど交流がなかったのだが、つい一月前ほどに、もう最後になるかもということで入院中の病院へ見舞いに行った。
その時の祖母はもう意識らしい意識はなく、妙な例えなのかもしれないけれど、なんだかまるで動物の赤ん坊のような感じを受けた。
手を握ると俺の手を口に持っていこうとし、母&おばさん曰く「食べるのが好きな人だったからねぇ」ということだった。
葬式に良いとか悪いとかあるのかわからないけど、もしあるとすれば、今回の祖母の葬式はとても良い葬式だったのではないかと思う。
親類のみで行ったのだが、60人近く人が来たという。
これが多いのか少ないのかわからないけど、俺はとても多いように感じた。
何より自分と最も親しい親戚達が、今回の葬式で全員集合したのがなかなか感動的だったかも知れない。
ほんとだったら妹も、就職したてで休みを取るのが大変なのだが、日曜日だったので何とか参加することができたのだ。
そんな感じに日曜日だったから参加できたという人が何人かおり、ほんとに全員集合であった。
「おばあちゃん、引き合わせてくれたのかもしれないね」と誰かも言っていた。
小さい頃はわりと頻繁に訪れて行って遊んでもらっていた兄ちゃん姉ちゃん達がみんないた。
あの頃はほんと、自分からは見上げるような人たちだったのだが、何時の間にか自分と同じくらいかちょっと高いくらいになっていた(それでもみなほとんど自分より背が高い)。
ファミコンやったり漫画を読ませてもらったりしていたあの頃は、今でも遠くに感じることはないのだが、それでもやっぱり久々にこうして会うと、みな成長しているのだなーと感じた。
てか俺が24なのだ。
みなのマスコット的存在(な頃もあった、そういや)であった俺が24になった、ってことでみな「年食ったんだなー」という感じが漂った。
しかしそれでも、なんか、変わってないような気もした。
基本的には、なんかみんな変わってないかもしれないとも思えるものがあった。
そして相変わらず俺は、色々とまあからかわれたというか、いじられっぱなしだった。
俺はこういう時おとなしいのだ。
ていうか俺は本来おとなしい人。
基本的には、しゃべらん自分というのが一番自分らしいと感じている。
しゃべる時は結構ばーっとしゃべるが、黙ってる時のが自然体に思う。
てか人と何しゃべっていいのかわからん。
でも、今回は久々だし結構がんばった。
親戚の中で一番背の高く、頭のいい従兄弟の兄さんと酒を酌み交わしたりもした。
酒、弱いけど、こういう時は飲む。飲まなきゃだ。
しかしやはりビール紙コップ2杯で「ぐおお」となった。
そして今回俺の酒の弱さは、母からきたものだということが発覚した。
妹も弱いということがわかった。
祖母の遺影はなんだかとてもいかつい表情で、自分の知らない祖母の顔であった。
正直自分はあまり祖母になついていなかったが、しかしとてもかわいがってもらっていたという記憶はある。
でも、その昔は結構きびしめの人だったことをみなの話で知った。
年代的にとっても苦労して子供達を育てて、働き者で、そしてヘビースモーカーだった。
亡くなった時の年齢が94歳、ということでみな「タバコってあんま寿命に関係ないんだねー」と口々に言っていた。
正直、随分長い間交流がなく、またこうして大往生と言える年齢で他界した祖母について、悲しいという感情は湧かずにいた。
悲しいという気持ちはない代わりに、今日の葬式を思い返すと、何か良かった、という気持ちになる。
ほんとうに良かったよ、おばあちゃん。
そう思える葬式だった。
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