続・奈津子の冒険
2003年11月14日【行動】
今日は起きて朝飯を食ってヤフーの「戸田奈津子について」掲示板を見て「ZERO」を読んで寝た。
起きて銀行へ行って帰ってを「ジャガー」読んで寝た。
起きて夕飯を食いながらバレーを観た。
【感想】
銀行では満面の笑みで応対を受けた。
なにもそこまで・・・というくらいの笑みで、「大変なんだなー」とちょっと思った。
「戸田奈津子」掲示板は、なかなか白熱した内容でおもろかった。
最初から1100件くらいまで読んだけど、大体が「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目の誤訳についてであった。
これって自分も字幕版で観に行ったのだけれど、なんか今ひとつのめり込めず、「ツマラン映画(自分にとって)」と決め付けていた。
でもこのトピックスを読んで、もしかしたら、その時の印象より実は面白い作品だったのかもしれないと思うようになった。
なにしろ戸田奈津子の誤訳、もしくは偏りすぎた意訳せいで、キャラクターの性格、位置付けみたいなのが歪められてしまっていたようなのだ。
実際「あン?」と思ったシーンや、「ふーん」で流したシーンのいくつかのセリフを、戸田奈津子のそれとは違う、本来の原作に近い解釈をした場合の翻訳が紹介されていたので見てみると、素直に「それならけっこう面白かったのでは」と思えた。
部分部分の紹介だったのでハッキリと印象が変わったわけではないのだけど、なんでもビデオ&DVD版はファンの熱心な抗議活動によって字幕が修正されており、劇場版よりはマシになっているという。
これは確かめてみる価値ありだ!
ヒマだし!
自分も戸田奈津子の字幕については、購入した「スターウォーズEP1」のDVDを何気なく字幕版と吹き替え版を交互に観てみた時(まー有意義だこと)、「アレ?ちがくね?」と思ったことがあった。
自分が気付いたのは2箇所だけで、その内の1箇所は、そのシーンのヨーダの印象がガラリと変わってしまうものだった(奈津子版じゃない方がなんか良い印象)。
自分もそれまでは映画が終わった後字幕が戸田奈津子じゃないと「奈津子じゃないんだー」とか思っていたのだが、今は逆に奈津子がこええ。
もちろん、奈津子さんにはちゃんとした仕事もやっているし、今まで散々おせわになってます。
でも、こうした誤訳があって、抗議等が行われても奈津子はんは素直に認めようとしないらしい。
そして映画を提供する会社側もそんな感じらしい。
それは頂けないよ・・・・・。
こういったことを知ってから、それまでとは違い自分はわりと吹き替え版を意識して観るようになっている。
本当はそら、その場の生の雰囲気知りたいから字幕版を観たいさ。
吹き替えも吹き替えで良いのだけれど、そらTVでもいいし。
そんなわけで、お仕事はちゃんとしてほしいと思うわけでありまして。
「ZERO」は、広重は東海道五十三次を周ってはいない!っつーかあの絵パクりだよ!という話が面白かった。
この話は、広重は東海道五十三次を実際に自分で見て描いたのではなく、「司馬江漢」なる人物が描いた五十三次を元絵にしたのではないか?という説を元にしたものだ。
(最近ではその「司馬江漢」の絵自体贋作である・・・というか逆に、広重の絵を元にした贋作だという見方が強いらしい。しかしそれでも広重が五十三次を本当に自分で見たかどうかは疑わしいみたいだ)
しかし広重の絵に元絵があろうとなかろうと、その芸術性に変わりはない。
ただ後世に真実を残したいという一心でゼロは江漢の絵の真贋を託される。
興味深かったのは浮世絵の研究が、本国日本は他国に遅れをとっているという事だった。
そもそも浮世絵の芸術性が認められたのは、明治時代に伊万里焼の輸出をする際、その包装として用いられていた浮世絵が外国に注目されたことが始まりらしい。
浮世絵の国でありながらスタートダッシュで他国に遅れをとり、なおかつ「日本の研究者は権威に弱い」(劇中セリフ)みたいなことで更に遅れをとってるのだとか。
偉い人が「こうだよねー」と言うと、それ以降の研究もそれが大前提で進まざるを得なくなり、それを覆すような説を通すのは大変困難なことであるという。
どこの国のどんな研究もそんなものなのだろうと思うけど、日本はお国柄そんなところが確かに強そうだと思った。
物語に出てくる一人の日本人の浮世絵研究者も、最初ゼロの説を「んなわけないっしょー。昔からこうと決まってるんですよー」と認めようとしないのだが、やがてそんな日本の体質に疑問を持ち、何物に捕らわれず、真実が何かを研究し後世に残すことこそが自分の仕事の意義だと気付く。
なんかこの話に限らず「ZERO」を読むと誇りを持てる仕事の格好良さみたいなのをすごく感じる。
格好良いんだよ・・・。
「ジャガー」は5巻を読んだ。
5巻ってなんとなく、薄い印象なような。
なんか絵とか内容とか。
面白い話は面白いんだけど・・・・・(特に最後のギターバトルのやつ)。
バレーは日本がアテネへ。
バレーは観ていて面白さが分かり易いので好きだ。
展開も早いし。
でも今回勝った後のインタビューで、選手とインタビューしてる人との温度差みたいなのが妙に引っかかった。
選手は落ち着いてる人は落ち着いたり(内心興奮しているのかもしれないけど)、仲間に寄り添って泣いていたりしているのだけど、そんな中に入って「いやー!!やりましたネwwwww」(やや大げさ)みたいに突っ込んでいかれてもなぁ・・・と少し思った。
熱狂したり、ヤァったぁーーーー!!!!なのは、選手と視聴者だけでいいんじゃない?と思う。
番組自体はあくまで生の雰囲気を伝えることを重視してほしいような。
まあでも、あれで盛り上がれる人もいるのだろうから、そこは番組任せでもいいのだろうか?
わかんないけど、まあ、肝心の試合が面白ければ自分はいいや。
今日は起きて朝飯を食ってヤフーの「戸田奈津子について」掲示板を見て「ZERO」を読んで寝た。
起きて銀行へ行って帰ってを「ジャガー」読んで寝た。
起きて夕飯を食いながらバレーを観た。
【感想】
銀行では満面の笑みで応対を受けた。
なにもそこまで・・・というくらいの笑みで、「大変なんだなー」とちょっと思った。
「戸田奈津子」掲示板は、なかなか白熱した内容でおもろかった。
最初から1100件くらいまで読んだけど、大体が「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目の誤訳についてであった。
これって自分も字幕版で観に行ったのだけれど、なんか今ひとつのめり込めず、「ツマラン映画(自分にとって)」と決め付けていた。
でもこのトピックスを読んで、もしかしたら、その時の印象より実は面白い作品だったのかもしれないと思うようになった。
なにしろ戸田奈津子の誤訳、もしくは偏りすぎた意訳せいで、キャラクターの性格、位置付けみたいなのが歪められてしまっていたようなのだ。
実際「あン?」と思ったシーンや、「ふーん」で流したシーンのいくつかのセリフを、戸田奈津子のそれとは違う、本来の原作に近い解釈をした場合の翻訳が紹介されていたので見てみると、素直に「それならけっこう面白かったのでは」と思えた。
部分部分の紹介だったのでハッキリと印象が変わったわけではないのだけど、なんでもビデオ&DVD版はファンの熱心な抗議活動によって字幕が修正されており、劇場版よりはマシになっているという。
これは確かめてみる価値ありだ!
ヒマだし!
自分も戸田奈津子の字幕については、購入した「スターウォーズEP1」のDVDを何気なく字幕版と吹き替え版を交互に観てみた時(まー有意義だこと)、「アレ?ちがくね?」と思ったことがあった。
自分が気付いたのは2箇所だけで、その内の1箇所は、そのシーンのヨーダの印象がガラリと変わってしまうものだった(奈津子版じゃない方がなんか良い印象)。
自分もそれまでは映画が終わった後字幕が戸田奈津子じゃないと「奈津子じゃないんだー」とか思っていたのだが、今は逆に奈津子がこええ。
もちろん、奈津子さんにはちゃんとした仕事もやっているし、今まで散々おせわになってます。
でも、こうした誤訳があって、抗議等が行われても奈津子はんは素直に認めようとしないらしい。
そして映画を提供する会社側もそんな感じらしい。
それは頂けないよ・・・・・。
こういったことを知ってから、それまでとは違い自分はわりと吹き替え版を意識して観るようになっている。
本当はそら、その場の生の雰囲気知りたいから字幕版を観たいさ。
吹き替えも吹き替えで良いのだけれど、そらTVでもいいし。
そんなわけで、お仕事はちゃんとしてほしいと思うわけでありまして。
「ZERO」は、広重は東海道五十三次を周ってはいない!っつーかあの絵パクりだよ!という話が面白かった。
この話は、広重は東海道五十三次を実際に自分で見て描いたのではなく、「司馬江漢」なる人物が描いた五十三次を元絵にしたのではないか?という説を元にしたものだ。
(最近ではその「司馬江漢」の絵自体贋作である・・・というか逆に、広重の絵を元にした贋作だという見方が強いらしい。しかしそれでも広重が五十三次を本当に自分で見たかどうかは疑わしいみたいだ)
しかし広重の絵に元絵があろうとなかろうと、その芸術性に変わりはない。
ただ後世に真実を残したいという一心でゼロは江漢の絵の真贋を託される。
興味深かったのは浮世絵の研究が、本国日本は他国に遅れをとっているという事だった。
そもそも浮世絵の芸術性が認められたのは、明治時代に伊万里焼の輸出をする際、その包装として用いられていた浮世絵が外国に注目されたことが始まりらしい。
浮世絵の国でありながらスタートダッシュで他国に遅れをとり、なおかつ「日本の研究者は権威に弱い」(劇中セリフ)みたいなことで更に遅れをとってるのだとか。
偉い人が「こうだよねー」と言うと、それ以降の研究もそれが大前提で進まざるを得なくなり、それを覆すような説を通すのは大変困難なことであるという。
どこの国のどんな研究もそんなものなのだろうと思うけど、日本はお国柄そんなところが確かに強そうだと思った。
物語に出てくる一人の日本人の浮世絵研究者も、最初ゼロの説を「んなわけないっしょー。昔からこうと決まってるんですよー」と認めようとしないのだが、やがてそんな日本の体質に疑問を持ち、何物に捕らわれず、真実が何かを研究し後世に残すことこそが自分の仕事の意義だと気付く。
なんかこの話に限らず「ZERO」を読むと誇りを持てる仕事の格好良さみたいなのをすごく感じる。
格好良いんだよ・・・。
「ジャガー」は5巻を読んだ。
5巻ってなんとなく、薄い印象なような。
なんか絵とか内容とか。
面白い話は面白いんだけど・・・・・(特に最後のギターバトルのやつ)。
バレーは日本がアテネへ。
バレーは観ていて面白さが分かり易いので好きだ。
展開も早いし。
でも今回勝った後のインタビューで、選手とインタビューしてる人との温度差みたいなのが妙に引っかかった。
選手は落ち着いてる人は落ち着いたり(内心興奮しているのかもしれないけど)、仲間に寄り添って泣いていたりしているのだけど、そんな中に入って「いやー!!やりましたネwwwww」(やや大げさ)みたいに突っ込んでいかれてもなぁ・・・と少し思った。
熱狂したり、ヤァったぁーーーー!!!!なのは、選手と視聴者だけでいいんじゃない?と思う。
番組自体はあくまで生の雰囲気を伝えることを重視してほしいような。
まあでも、あれで盛り上がれる人もいるのだろうから、そこは番組任せでもいいのだろうか?
わかんないけど、まあ、肝心の試合が面白ければ自分はいいや。
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