近距離パワー型
2003年11月5日【主な行動】
今日は起きて「炎のロマンス」と「スパイダーマン」を読んで寝た。
起きて「相棒」を見ながら夕飯を食った。
【感想】
「炎のロマンス」は、島脱出にてようやく日本に帰れるぜ!てか帰れるのよ!・・・・ってなったのだけど、あれ?あたし帰ったらレドビィが処刑、処・・・・やば!船を、船をもどしてぇ!おら戻せコラぁ!という展開で、亜樹リターン。
そんでルイが実は黒髪だったりルイの母と亜樹の母の名前が同じだったり、更にルイの母の形見が、なぜだかレドビィに渡っていたりと、なんかほのかに「舞子」なにおいが漂ってきた。
そんな3巻であった。
最後の最後にはなんかどっかから船が島にやってきて、船には黒髪の、上原きみこ漫画での「こいつぜったいヒロインいじめそう」な、そんな女が乗っていた。
ほんと前途多難なこと・・・。
「スパイダーマン」(池上遼一)は傑作だっ。
「相棒」は、えっとまあ狙っては観ないかもしれないけど、なんか飯食いながらなら観る、自分の中ではそんな番組だと改めて思った。
【炎のロマンホラー】
この頃は少女漫画ばっかり読んでいるので「少女漫画とかそんなジャンル分けしてあっても、同じ漫画なんだから、楽しめれば少女であろうが大人であろうが、ジャンルなんてべつにいいじゃないか」という自己弁護気味な考えを持っていたけど、最近ちょっと変わってきた。
「いや・・・少女漫画は少女のもんだろ・・・」と思うようになった。
やはり少女漫画を120%楽しめるのは少女の他にあってはならぬ!と、までは言わないけど、それが望ましいと思う。
120%少女の為の、少女が楽しむ為の作品でだからこそ、少女漫画読みたい大人も楽しめるのでは。
だって「炎のロマンス」、女子高校生がいきなり見知らぬ国の姫になってとか言われてキレーな兄ちゃんとロマンス展開なんて、野郎にどう感情移入しろと!?だ。
それでも楽しめているのだけど、少なくとも「あたいもいつか亜樹みたいに・・・」な憧れなんざ生まれるわけがない。
「あたいもいつか・・・」は、それは少女の特権です。
あとこのヒロインの名前、亜樹ってのがまた平凡で感情移入しやすそうで、いいのではーと思う。
つか俺の妹とほぼ同じ名前だ。
それじゃあ自分がなんでどんな風に「炎」を楽しんでいるかと考えると、「亜樹つええな!いや、がんばれよ!」で、ある意味ジョリーン空条を見守る目と同じ・・・・・か、そんな変わんないんじゃね?といった風なのかどうなのか。
でもたまに亜樹の強い眼差しを見ると、「この子はきっといいスタンド使いになれるよ・・・」と思う。
あとこの亜樹の強さは見ていてパワーを感じるし、亜樹とレドビィの自己犠牲、自分より民のため・・・という精神は、その選択が正しい正しくないを超越した美しいものを感じる。
こっ恥ずかしながらだが、そう思うものはしょうがない。
自己犠牲、なんていうと「だってさー」と今ならほとんどの人が反論するだろうし、いやさ俺が真っ先にするっつーか冗談じゃねえ。
が、しかし亜樹のような今後の一生を犠牲にする、本当に追い込まれた状況、究極の状態になった時、そこで泣いてわめいて開き直ったり、怒りに任せて当り散らしたり、そんな逃げだけなんて醜いじゃあないか・・・。
自己犠牲なんて誰だって好きでするわけじゃあないもの。
誰かがやらねばならぬことがある。
もし、そういう時「私が」という人がいたら、またそういうことを自分ができたら、それは美徳なのではないですか、と思う。
やれるかどうかは、その場の時に考えるとして。
つか俺だって今問われれば、それはできん。
でも最初から絶対やらん、とは言いたくない。
まあ、何が何でも自分を守る!というのもたくましい気がするけど、でもそうじゃない美しさもあるんだぜ・・・・と覚えておきたい。
今日は起きて「炎のロマンス」と「スパイダーマン」を読んで寝た。
起きて「相棒」を見ながら夕飯を食った。
【感想】
「炎のロマンス」は、島脱出にてようやく日本に帰れるぜ!てか帰れるのよ!・・・・ってなったのだけど、あれ?あたし帰ったらレドビィが処刑、処・・・・やば!船を、船をもどしてぇ!おら戻せコラぁ!という展開で、亜樹リターン。
そんでルイが実は黒髪だったりルイの母と亜樹の母の名前が同じだったり、更にルイの母の形見が、なぜだかレドビィに渡っていたりと、なんかほのかに「舞子」なにおいが漂ってきた。
そんな3巻であった。
最後の最後にはなんかどっかから船が島にやってきて、船には黒髪の、上原きみこ漫画での「こいつぜったいヒロインいじめそう」な、そんな女が乗っていた。
ほんと前途多難なこと・・・。
「スパイダーマン」(池上遼一)は傑作だっ。
「相棒」は、えっとまあ狙っては観ないかもしれないけど、なんか飯食いながらなら観る、自分の中ではそんな番組だと改めて思った。
【炎のロマンホラー】
この頃は少女漫画ばっかり読んでいるので「少女漫画とかそんなジャンル分けしてあっても、同じ漫画なんだから、楽しめれば少女であろうが大人であろうが、ジャンルなんてべつにいいじゃないか」という自己弁護気味な考えを持っていたけど、最近ちょっと変わってきた。
「いや・・・少女漫画は少女のもんだろ・・・」と思うようになった。
やはり少女漫画を120%楽しめるのは少女の他にあってはならぬ!と、までは言わないけど、それが望ましいと思う。
120%少女の為の、少女が楽しむ為の作品でだからこそ、少女漫画読みたい大人も楽しめるのでは。
だって「炎のロマンス」、女子高校生がいきなり見知らぬ国の姫になってとか言われてキレーな兄ちゃんとロマンス展開なんて、野郎にどう感情移入しろと!?だ。
それでも楽しめているのだけど、少なくとも「あたいもいつか亜樹みたいに・・・」な憧れなんざ生まれるわけがない。
「あたいもいつか・・・」は、それは少女の特権です。
あとこのヒロインの名前、亜樹ってのがまた平凡で感情移入しやすそうで、いいのではーと思う。
つか俺の妹とほぼ同じ名前だ。
それじゃあ自分がなんでどんな風に「炎」を楽しんでいるかと考えると、「亜樹つええな!いや、がんばれよ!」で、ある意味ジョリーン空条を見守る目と同じ・・・・・か、そんな変わんないんじゃね?といった風なのかどうなのか。
でもたまに亜樹の強い眼差しを見ると、「この子はきっといいスタンド使いになれるよ・・・」と思う。
あとこの亜樹の強さは見ていてパワーを感じるし、亜樹とレドビィの自己犠牲、自分より民のため・・・という精神は、その選択が正しい正しくないを超越した美しいものを感じる。
こっ恥ずかしながらだが、そう思うものはしょうがない。
自己犠牲、なんていうと「だってさー」と今ならほとんどの人が反論するだろうし、いやさ俺が真っ先にするっつーか冗談じゃねえ。
が、しかし亜樹のような今後の一生を犠牲にする、本当に追い込まれた状況、究極の状態になった時、そこで泣いてわめいて開き直ったり、怒りに任せて当り散らしたり、そんな逃げだけなんて醜いじゃあないか・・・。
自己犠牲なんて誰だって好きでするわけじゃあないもの。
誰かがやらねばならぬことがある。
もし、そういう時「私が」という人がいたら、またそういうことを自分ができたら、それは美徳なのではないですか、と思う。
やれるかどうかは、その場の時に考えるとして。
つか俺だって今問われれば、それはできん。
でも最初から絶対やらん、とは言いたくない。
まあ、何が何でも自分を守る!というのもたくましい気がするけど、でもそうじゃない美しさもあるんだぜ・・・・と覚えておきたい。
コメント