タイガーニー

2018年9月1日 趣味
タイガーニー
▼映画『男はつらいよ 寅次郎恋歌』

1971年12月29日公開シリーズ第8作。

寅さん意外とフラれてない説ある。
今作なんかは男女関係のことで何か起きたり言われたりしたわけでもないのに、寅さんから「またフラれちゃったよ」なんて笑顔で身を引く感じだったし。
たしかにある意味ではフラれたんだけど、今回はずいぶん大人なフラれっぷりだったように思う。

マドンナは池内淳子が演じる未亡人の貴子。
貴子は柴又へ越してきたばかりで喫茶店を経営しており、周囲の心配どおりに寅さんと知り合ってしまう。
貴子のひとり息子が友だちをつくるきっかけとなったり、寅さんは貴子と徐々に距離を詰めていく。

このマドンナとの話が始まる前に、寅さんは妻を亡くしたばかりの博の父親(志村喬)と交流しており、そこで当たり前の家庭の尊さを説かれる。
厳格なあまり温かい家庭を築けなかった博の父親が、ふと思い出すのは、むかしに旅先で見たリンドウの咲き乱れる庭、夕餉時のその家からもれる灯りと家族の談笑の声だと。
人間は人間の運命に逆らってはいけない、と言う。

「年寄りひとりじゃさびしいだろう」と頼まれもしないのにずけずけと上がりこみ、遠慮なく飯をごちそうになって買い物も一緒にいって近所の人たちとも仲良くなる、そんな寅さんにだからこそもらした、家族のだれも知らない博の父親の悔恨の念だ。

寅さんは人から聞いた話を、まるで自分発のように話すことが多いのだけど、この旅先の家庭の話もそのネタのひとつとなる。
とらやへ帰っては自身が経験して感じたことのように披露する。
その場には博もいて、博自身は父親のことを冷たい人物だと、家族とくに母親にひどい仕打ちをした人間だと思っているのだけど、そうとは知らぬまま寅さんを通じ、父親の話を聴いている。

そのあと柴又へきた博の父親を、寅さんは相変わらずな調子で迎え、その孫である博の息子を抱かせるまでにいたるのだ。

「先生、ダメだよそんな仏頂面してもっとやさしい顔してあげなくっちゃ」「博たちがなつかないのもムリはないよ。博、おまえ子供のころからぜんぜんなつかないだろこの人に」「はいはいバアーっていってバアーって」

寅さんの言葉にぎこちなく孫をあやす様子に、一同は笑い、こんな父親の姿をみるのは初めてであろう博はおどろいたように吹きだし、そんな博のうつむいた笑顔をさくらがうかがっている。
人間のさだめ人間らしい生き様の場面。

寅さんはそんなふうに他人同士の垣根は意図せずうまいことぶっこわすのに、自分のこととなると・・・ってところがまたある意味ではこの人の魅力であるのかもしれない。

しかし今作の寅さんのフラれようは特殊だったと思う。
マドンナ貴子と自分の生き様があまりにちがうということに、寅さんが気付いて身を引いた形だろうか。
博の父親の話を聞いて、寅さんは一般的な家庭にあこがれをもった。
でも貴子は、女手一つで息子を育て、店を切り盛りし、その重圧となっているのはやはりお金の問題。
そんな貴子が、訪ねてきた寅さんに、実はずっと旅人にあこがれていて、一緒に旅ができたらいいなとまで言う。
それからまた家賃の催促の電話をうけている間に、寅さんは静かに貴子のもとを離れるのだ。

正直、ここらへんの寅さんの心情は、自分には追いきれていない部分がある。
なにか流れ的に不自然とか変だとかは思わないのだけど、はっきりしないところがある。

ごく単純に考えれば、貴子が一番苦しんでいるのはお金のことで、自分はその力になれるような人間ではない、だから離れたのか。
それとも、寅さんが一般的な家庭にあこがれているのと同じように、貴子もまた寅さんのような旅人にあこがれている、そのことになにかしら得るものがあったからなのか。
それとも、貴子がそうしたことを口にするのは、逆に、貴子がどんなに苦しかろうがいまの生活を捨てる気ががなく、また寅さん自身もそうであることに気付いたからなのか。

このあと、とらやへ帰った寅さんは「またフラれちゃったよ」と笑って言う。
大分特殊なパターンに思う。
そしてさくらと二人きりになったとき、
「兄ちゃんのこんな暮らしがうらやましいか?そんなふうに思ったことがあるかい?」
と訊く。
やはり貴子の言葉の真意、またそこから感じた自身の気持ちを探りたかったのだろうか。

しかしさくらは、
「あるわ。一度はお兄ちゃんと交代して、あたしのこと心配させてやりたいわ」
と、さくら個人の、肉親のやさしさでもって応えるのだ(この願いは第12作でかなえられる)。

今作は恋愛事よりもその先にある家庭がテーマだったように思う。
そして結局、主役は家庭をもたない選択をして物語は終わる。
これをどう捉えるべきなのか、今の自分にはわからない。
それでいてなにか、だれかが、はっきり間違っているとも思えない。
まあその、メタなことをいえばまだシリーズ第8作目だし、この時点の寅さんはまだ年齢的にギリ大丈夫っぽいし・・・?てのもあり。
いやしかし、やはりつまるところ人間は、人間の運命に逆らっては人間らしい幸せはつかめず、そしてだからこそ、そうでない生き様にもドラマが生まれ、それがまた人を引き付けるのではないだろうか。
とか今はそんなふうに思うだけだ。


・・・という上記が自分の感想だけど、どうしても釈然としなかったので、参考に人様の感想ものぞいてみた。
とくに寅さんが貴子から離れた心情について読み、そして再び最後の寅さんと貴子の場面を見返してみて、なんかもう恥ずかしくなった。
たしかに寅さんが貴子と自分の「旅」についての考え方のちがいに顔色を変える場面がある。
自分はその表情をべつの捉え方で見ていた。
しかし寅さんのさびしさに気付けなかったことは、それだけ自分が幸せに真っ当に生きてきた証であるのかもしれない。
今作はシリーズ中でも屈指の人と語り合ってみたい作品だ。


▼アニメ『魔法が解けて』

シーズン1第3話「闇のプリンセス」
全然内容とは関係ないけど、見ていてふと、もっとはちゃめちゃに生きてもいいはずだよな・・・となんだか思えた。
最近いろいろと疲れてしまうようなことが続いているせいかもしれない。
べつにいきなり人生を変えるほど破天荒になるつもりもないけど、でもなんとなく、こんなふうでもいいんだよなーと思えたことで少し楽になった気がした。
▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

シーズン3第59話「何をしてんだよ」
仮免取得試験編終了。
早々に脱落しちゃったけどあの肉の人、実際ものすっごく強力な個性に思う(人間を生きたまま肉塊に変えたり戻したりできる)。
やりようによっては救助方面でも活躍できそうだし、自分の肉体はかなり自由に変えられる上に切り離して遠隔操作までできるという謎チートっぷり。
能力、性格、共に相当危ういとこあるからぜひとも正しい道を歩んでいただきたい。


▼バラエティ『カリギュラ』

シーズン2エピソード1「東野、カラスを食う」
女ハンター清水さんの撃ち落としたカラスを東野がさばいて食う。
普通に美味そうだった。
カラスは鉄分とタウリンが豊富で低コレステロール。
高級フレンチ店ではカラス料理が一皿8~9000円なのだとか。
地上波でやったら炎上案件バンバンな作りがいっそ痛快だった。
悪ふざけのない世界に生きる価値なんてない。
太陽の勇者
▼バラエティ『カリギュラ』

「人間火の鳥コンテスト」
人間が火の鳥となって空を舞う(火だるまになって湖につっこむ)。
笑うわ。


▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

先生にもわからない詩はあるらしい。
皆が名作といっているけど自分には響かなかったと。
すべてを理解できるわけでもないし、その必要もないってことなのか先生。
俺には俺に、響く詩がどこかにあるのかもしれない。
先生の紹介してくれる詩は、文章や言葉の使い方はなんかすごいなって思うものばかりだけど、詩として響いているのかは自分でも正直わからないんだよ。
自分の詩を探してみるところからかな。


▼山

駅は意外と近い。
早く登りたい。
もういやだ文明も人間もたくさんだ。
山の怪異に遭遇したいんだ。
初回なのでケーブルカーには乗る。
お土産も買おう。

Sadistic Summer

2018年9月4日 趣味
Sadistic Summer
▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

”詩は評論とちがって、首尾一貫、論理をつみかさねてゆくものではないし、一番表現したいことを鮮烈に残すために、他はばっさり大きく切りすててしまいます。”

”詩のおもしろさは独断のおもしろさかもしれないのです。”

”散文ですっかりときほぐせ分解できるものならば、それは詩ではありません。散文で解析できないからこそ詩なのです。”

読み終えた。
急に終わってしまった感じだ。
電子書籍は残りページ数を意識しないとそういうのがわかりづらい。
そんな急に・・・だって先生俺まだ・・・なったけど、先生が、「ではこのへんで」言うたんだ。
この本で伝えるべきことは伝えたってことだ。
あとは己次第なんだな先生。

自分は美しいものを美しいと感じる心に欠けている。
それは、いろんなことを損しながら、生きているということだと思う。
自覚した上での損は嫌だ。
改善できるならする、それだけのことだ。

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ
 (茨木 のり子)


▼山

今週土曜日に登る。
天気に問題なければこの予定は変わらない。
周りにもそう宣言しまくったでもう。
X JAPANのToshiが、やりづらいことをやるときのコツとして、
「やると決めちゃう、日取りを決めてしまう」
って斎藤工にも言ってたし(『MASKMEN』)。

べつに山登りはやりづらいことではないんだけど、むしろやりたいことなんだけど、でも自分の性格的に予定日を二度三度くらいは伸ばすおそれがあるもんだから。
とにかく登る。

月刊登山野郎

2018年9月5日 趣味
▼登山

持っていくもの調べた。

・リュック(ある)
・帽子(ない)
・手袋(軍手)
・雨具(折り畳み傘)
・懐中電灯(スマホ)
・薬(要調査)
・タオル類(ある)

帽子は登山で画像検索したら被ってない人けっこういたのでまあいいかと。
雨具は本当は合羽がいいんだろうけど持ってないので。
薬は経験者からきいてみる。

・食料と十分な飲料水 (おにぎりなどの弁当に加え、チョコ・ナッツ・飴、ビスケットなどの高カロリーの携帯食、飲料水の目安は1.5ℓ以上)

食料はコンビニで弁当、チョコ、飴をかう。
飲料は水筒がどっかにあったら使う、なければコンビニ。

・服装は長袖シャツ(ある)
・着替えと防寒具(ある)
・靴(いつもの)

改めてみると相当クオリティ低い登山野郎だ。
いいんだこっからだから。
確実に日帰りだし確実に夕方前に帰るし。
ケーブルカーも使うしめちゃくちゃ安全第一で登る。
「こんにちは~」も言われたら言うし。
とにかく登って下りればいいんだ。

あと登山雑誌とかも気になって、ちょっと調べてみたら、

”近年、日本でもウルトラライトの考えはすっかり定着しましたが、今号では、“いま"のULにフォーカス。
ウルトラライトを日本に定着させたハイカーズデポ店主の土屋智哉さんによるUL論、4つのインディペンデントブランドオーナーによるUL座談会ルポ、最新のUL系ギア紹介、ハイカーズデポ・長谷川さんが答えるULへの疑問集など、ULの現在形、さらには道具選び、使い方のヒントなどをたっぷりお伝えします。”

みたいな紹介文で・・・・・・う、うん・・・て。
でもレビューに「初心者でも山登りたいなーって気分になれる内容ですよー」みたいに書かれてたので読んでみることにした。
植田まさし原画展
▼マンガ『ザ・ファブル』

最新15巻。
自分を山というか大自然に誘ったきっかけマンガの新作がこのタイミングで出るとは。
まあ今巻は大自然となんら関係ない内容なんだけど、おもしろさは変わらず、静かに盛り上がっていくいつもの感じ。

殺し屋・二郎への依頼内容はターゲット二人のうちどちらかひとりを始末してくれればいいという特殊なもの。
前巻で二郎はある情報に目をとめ標的を定めたっぽかったのだけど・・・
なるほど、それは殺す理由ではなく殺さないほうの理由だったのかと。

この章の最後には佐藤と山岡が直接戦うことになるのだろうか。
もしそうなるなら間違いなく最強最悪、ヨウコすらもビビりまくる初のガチな敵となるはず・・・次巻予告では佐藤らしき人物が山岡に拉致られってるっぽいし。
というかこのうえ新たな”ファブル”までが来るっぽいし。
ほんとにどうなるんだこれ。

組長の夢のくだりは泣けた。
一般社会の尺度でいえば許されることではないのかもしれないけど、でもこのマンガが好きな人ならおそらく皆が願っていること。
それをこうしたタイミングで組長に語らせた理由をどうしても考えてしまいたくなる。

せめて痴漢おしおき編あたりでは和めたらいいな。


▼映画『男はつらいよ』

まさかの新作が来年公開。
どう受けとめていいのか正直わかんない。
ネットニュースで写真見たらさくらが急におばあちゃんになってたし・・・
そんなバカなと。
まだまだ若妻だろさくらは。
とかそういう齟齬がある、現実と、俺の中の寅さんワールドとでは。

そうした今のリアルさくらを新作で出すということは、寅さんの人生にある意味では決着をつけてしまうってことなんだろうか。
それはとてもさびしいことなんじゃないか。
それでいて、まったくそうしたことに触れないのも、逆にわざわざ新作つくる意味あったの?ってことにもなりかねないし。

まあ言う資格はない。
現時点での最終作を見てない人間にそんなことを言う資格はない。
書きはしたけども。
もしかしたら、最終作までしっかり見たのであれば、「これはうれしい。作るべきだと思ってた」とか言ってたかもしれないし。
とにかく今は俺の寅さんワールドと変わらず向き合っていく。


▼山

登山雑誌『PEAKS』を読む。
“ウルトラライト”特集というから、なんかそういうすっごい登山用電灯アイテムみたいなのがあって、もう山の夜は怖くない!ナイトハイカーのマストアイテム!てなことだと思いきや。
実際は”軽い”ほうのライトって意味で、ハイカーにおける軽装備の追及みたいなことだった。

ウルトラライト(略してUL)。
レイ・ジャーディンのロングディスタンストレイルを源流としたスタイル。
装備が軽いほうが遠く長く移動しやすいし、より山を楽しめるじゃん?
だったらどんどん軽くしていこうよ!適度に!
・・・とか素人理解ではだいたいこんな感じのことっぽかった。

他UL関係で登山ガチ勢な方々へのインタビュー記事なんかもあり。
そこに「山をやっている」「やっぱり真剣に山やってる人間は」みたいな言い回しが普通にバンバン出てきて・・・そういうものなんだ・・・と。
自分のようなにわか勢としては「山入ってくるわ〜」くらいでも、あえてのおふざけとして十分調子乗ってるように思ってたのだけど、甘かった。
やるものだった、山は。
まあ自分レベルじゃ怖くてそんなん言えない。
山やれるようになれるかな。
山の真実
山の真実
山の真実
▼山

大山登った。
思ってたんとちがう・・・なった。

予定どおりケーブルカー使った。
阿夫利神社の下社までらっくらく。
文明のゆりかご・・・意味ちがうけどそんなふうに感じながら。
で、けっこう登っちゃったし、こっから頂上までとか楽勝っしょ。
こりゃもうイージーモードどころか体験版だなー。
などと思いつつ。

しかしそんなに甘くはなかった。
なんか・・・うん。
あ、はい・・・ってなるような道がなかなかにあって。
気持ちとしては、ポエマーとして、ポエマーアカデミア課外授業くらいの気持ちできたのに、えーナニコレーって。
いやしんどいんだけど?と。

それでもう、あこれはポエマーじゃだめだ・・・思って。
ウメちゃん力を貸してくれ・・・のビーストモードに。
で気付いたらわっしわっし登ってた。
なんかもう、仕事と同じく、イヤなことは最短最速で終わらす!!!
だってイヤだから!!!!!!!
ていうスイッチが入って怒涛に登ってた。
前の人を追い越しまくり、自分はだれにも追い越されず、休憩もなしで、止まるのは降りてくる人の邪魔になりそうなときだけ。
なんか俺登れる・・・登れるぞ!?なって。

だからもう、ポエムとか自然とかじゃなかった。
メンタルではなくフィジカルだった。
山は。
山はフィジカル。
そして俺は無駄にというか不思議と体力がある。
アウトドアパパからの遺伝なのか、過去に一年近くジム通ってたからなのか、ふだん座ってるかゴロゴロしてばかりのくせにいまだある。
その発見がうれしかった。

そんなこんなで通常下社より90分の本坂コースを1時間とかからず登り切った。
俺はやった。
大山登った(見えづらいけど一番上の写真が大山山頂って彫られてるやつ)。
まあひとりというのがかなり大きかったとは思う。
誰かと一緒だったら歩調を気にしたろうし、もしお互い疲れてなくても気を遣いあって休憩も取っていただろう。

山頂は雲だか霧だかで遠景がなんも見えない状態だった。
おまけに雨も降ってくるしで・・・あー帽子もってこなかったけどあれって雨具でもあるんだな・・・と知る。
だからってここで折り畳み傘開くのはありえず(山をなめてたことがバレる)、仕方ないのでタオルを頭に巻いてしのいだ。
普段ならそんなん絶対人に見せない格好なんだけど。

下りはまあ普通だった。
下りのほうが登りよりきついみたいな言葉もあるけど、それはあくまでも「危険」って意味で、体力的にはきつくはなかった。
ケーブルカー使わず男坂から下り、たしかに登りからここ通ってたらきつさも段違いだろうな思ったので、次回はここも含めて攻略したい。
今後、山は修業の場として向き合っていこう。
発目さんにお願いしたい
発目さんにお願いしたい
▼映画『マイティ・ソー バトルロイヤル』

huluに配信されてたので見た。
楽しめた。
いろんなアクションシーン見れたなーって感じで。
それでいいんだなこういうのは。

ロキが相も変わらず良キャラで。
ちゃんと裏切ってくれるのがエライ。
裏切りキャラとしてねずみ男に迫れるんじゃないかくらいの魅力ある。

ハルク登場はフツーにおどろいた。
いや・・・・・・ポスターにも出てるやん?
って話なんだけど、なぜか完全に忘れてて。
「インクレディブル~~!」のとこで「え・・・うおおお?」なったし。
ハルクモードのままいっぱいお話ししてて新鮮だった。

覚醒雷神ソーもかっけかった。
ムジョルニアがじつはソー最大の武器ではなく、むしろソーの力を抑えるためのものだった、とかそんな中二な設定がまた熱く。
『インフィニティ・ウォー』でも一番カッコ良く見れたし、次作『アベンジャーズ』での活躍もたのしみ。


▼漫画『となりのヴァンパイアさん』(高畠りょうこ)

Kindle Unlimitedにあったのでなんとなく読む。
絵、いいなと思って。
そしたら実際かなり読みたかった感じのマンガだった。

ざっくりいえば吸血鬼三姉妹のゆる系日常マンガ。
個人的に、あーこんな感じのひさびさに読んだなー、読めたなー、てなるような。
古くはないんだけどなつかしい感じのするやつ。

全2巻だけど、いやもっと続けてもいいじゃない?思えた。
この作者は今後気にしていこう。

Amazon
https://www.amazon.co.jp/dp/B012M4EE3U/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ピッコマ(一部無料で読める)
https://piccoma.com/web/product/34


▼山

予想はしていたけど足首とふくらはぎが・・・
これがビーストモードの代償かッ・・・!!なり。
ビキビキ。
でもまあ、いいや、今日は一日中ゴロゴロすっし・・・と。
ゴロゴロした。
寝たいときに寝た(ブタに変身させられる夢を見た)。

山は少しずつ装備を整えていきたい。
いま一番ほしいのは靴。
いつものじゃ靴底がうすくて、山道のかたい凸凹をかなり直にうけてしまった。
もっとそれ用の底のしっかりしたやつがほしいというか、緑谷出久(ヒロアカ)みたいなのがほしい。
というか『ヒロアカ』のヒーローたちみたいな感じで自分用に装備整えていくって楽しそうだし。
・・・とか、人生初、服装のことを本気で考えはじめた自分にびっくりだ。

今まで服とかほんとにまったくどうでもいいと思って生きてきて、夏涼しく冬温かく、それ以上に何がいる?
で通してきたけど、目覚めたかもしれない。
そうか、みんな、必要だから服装気にしてたんだなと。
例えばモテたい、自分をよく見せたい、自分をよく見たい、憧れの人のまねをしたい、とかそれが必要なことだからみんな服装のことであれこれしてたんだな。
俺には山から受けるダメージを軽減したいという目的ができた。
そのための靴がほしいし、あと汗対策のための服や、雨具としてのパーカーや帽子、そういうものをそろえていく。
これってRPGで装備を買う感覚と同じだわ。
そういうことだったのか。
▼アニメ『バキ』

第12話「キャンディ」
この副題だけで「ああ・・・」ってなるやつ。
アニメ見てなくても「そこまできたんだー」ってなる。
独歩たちはドリアンの流儀につきあいながら、自分らの流儀で勝とうとし、結局ねじふせることは叶わなかった。
烈はドリアンの流儀の欠陥を突き、その上で芽生えたドリアンの新たな願いをもはね除け、心を砕ききった。
作中でいわれる強さとは、我が儘を通す力。
それは相手の意を通さないということであり、烈がそれに徹して決着をつけるこの流れには納得だ。
でもだいぶもう、ここらへんから混沌としてくるんだよなぁ・・・って記憶がおぼろげに。
オリバはよきて。
時計塔のデゴさん
▼ポエアカ

とりあえず青空文庫で読める詩をいくつか見てみたのだけど・・・
わからねえ・・・
感性もそうだけど、そもそもの教養が足りてないんじゃないの?
問題が急浮上だよ。
大前提として、この人の生きた時代背景を知らなきゃわかるどころか想像のしようもないのでは?なるし。
まあそれは作品にもよるのかもしれないけど。
わっかんねえ・・・・・・・・・・・・

それでも宮沢賢治はちょっと気になった。
わけわからなすぎて気になった。
詩じゃなくてもわけわからないんだこの人の作品は昔から。
『銀河鉄道の夜』なんて俺が人生で唯一途中で寝ちゃったアニメだし。
だから今あえて挑んでみたい。
あと先生(茨木のり子)と俊太郎(谷川)の詩集も買ってみた。
賢治で「うう・・・」ってなったら先生と俊太郎で癒される作戦。
どちらにしろわからなくても緩急はつけられそう。
しばらくそんな感じで学んでいってみる。
そらにひかるほしも どこかふしぎないろ
▼アニメ『魔法が解けて』

第9話「エルフォのすべて」
一話完結ブラックコメディから長編ファンタジーっぽくなってきた。
この路線のほうが良い気する。
絵きれいだし、このクオリティのハイファンタジーな連続物って意外とないのでは?思えるし。
年齢層高め向けとしては。
ストーリー路線に入ってからキャラもよりしっくりきてる感じ。


▼ポエアカ

『谷川俊太郎詩選集 1』

あれ・・・え、天才?
俊太郎ってもしかして?
なった。
そんな言葉でしか言い表せなくてもうしわけない俊太郎ってくらいに。

だってこの自分が素直に「いいな」ってなる。
『春』とか『はる』とか『二十億光年の孤独』とか。
『空の嘘』とか。
なんというか、追える。
まずその世界を追っていけるんだ俊太郎の詩は。
そして追いながらいつしか、またはある瞬間に、先生の言っていた”離陸”を体感できるこの感じ。

詩ってものは自分的に文章としては追いづらすぎて、とっかかりがわからなすぎてカオスだった。
でも俊太郎の詩はやさしい。
最初からヘイヘーイ!つってはるか上空をブンブン飛び回っている感じじゃなく、まず手をさしのべてくれ、そして誘ってくれる。
ヘイヘーイ!はあんただ賢治。
賢治はほんま・・・
シュートスタイル
シュートスタイル
シュートスタイル
▼マンガ『ヒナまつり』

15巻。
ヒナたちの、なんとなーくこういうことなのかなぁ・・・だった秘密が、実際そんな感じだったと明かされた。
ストーリー的には重大事といえば重大事。
なのに登場人物たちの日常はほぼ特に変わらないのが実にらしい。
まあヒトミさん以外は。
もう今後は「三島コンツェルンの~」とだけ言われたら「どっち?鉄拳?ヒトミさん?」なるな。

月刊マーのは声出して笑えた。
実際この場で一番気遣いできてるのってヒナだよな、思える状況が増えてるのおもしろい。


▼マンガ『ロロッロ!』

2巻。
いい、キャラ増えて楽しみやすさ増してる。
眠り少女の腹筋は何かの伏線か?
思いきや、ダイエット話のあれかー。


▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

第61話「デクVSかっちゃん2」
いいな、熱いな、男の子だな、人生だな!だった。
良いアニメや。
ED後のやりとりあんなん泣く。


▼ポエアカ

”そして空のすべてを見た時に
人は空を殺してしまうのだ”

”鳥は空の嘘を知らない
しかしそれ故にこそ空は鳥のためにある”

(谷川俊太郎『空の嘘』より抜粋)

自分が思う「詩」というものは、まさにこれだと思った。
「詩」というものがなぜ人に作用するかの仕組みをすべて解明・理解してしまったら、それはもう「詩」ではなくなってしまう。
そのことはすでにこの日記でも、それを踏まえた上でも「詩」に親しめるようになるため、自分の性格を考え、あえてでもそうしたところからアプローチできるならしたいとも書いた。

そして物事の捉えかたには「感性」と「実利」のふたつの面があるとも別の機会で学んだ(ありがとう小野ほりでい先生)。
大抵の場合、「実利」を主にして考えたり語ったりするほうが正しく賢く見える・・・気がする。
「感性」は何かしらの物差しではっきり測れるものではないし、人が最低限に生きていくために必要な、一般的な実生活においては明確に役立つ機会も少ないからだと思う。

しかし「詩」は「感性」による「感性」のためのもの。
ここまで知ってきた先人たちの言葉からするとそうらしい。
それを疑う気はまったくない。

でも俺はロビンマスクの言葉だって忘れちゃいないよ。
タイガーサンフランシスコ
タイガーサンフランシスコ
タイガーサンフランシスコ
▼映画『男はつらいよ 奮闘編』

1971年4月28日公開シリーズ第7作。

今作は弱めの知的障害をもつ少女・花子(榊原るみ)との物語。
特殊だった。
このとき寅さんの年齢がすでに40あたりで花子が20。
さらに花子の精神年齢が幼いから本当に少女のようで。
寅さんはそんな花子と「結婚する」と言うまでにいたるのだから・・・むずかしい。

寅さんが抱いたのは恋心だったのだろうか。
花子に「寅ちゃんのお嫁さんになる」といわれ、花子に同情し保護者感覚でいた寅さんは本当にうれしかったんだとは思う。
寅に釣り合うのはどこか足りない娘だろう、なんてふうにいわれて、そんなときに花子と出会って、純粋な好意を向けられて。

精神年齢のことをいうなら、寅さんもなかなか引けを取らないところはある。
だからもしかしたら、寅さんが恋愛をその先へ進めようと思いやすいのは、実際はこういった年頃の娘さんなのかなぁ、てなふうに見れるところもあったりはした。
しかしそれでもやっぱり、齢40のおっさんがこんないたいけな少女のような娘に・・・という点はいかんともしがたく・・・いや真の問題はそこではないのだけども。
二人の気持ちはごく純粋なものでしかないわけだし。
いや花子についてはその純粋さがまたややこしいんだな。

結局最後は、花子の一番の理解者であり恩師である田中邦衛が故郷の青森からむかえにくる。
そのとき寅さんはおらず、後で知った寅さんは、花子を連れていかせたさくらたちに激怒する。
そして自らも青森へ行き、そこで田中邦衛のいる学校の用務員として活き活きと働く花子を見て、彼女に自分は必要ないのだと悟るのだ。

個人的には、本当に花子という人間が好きだったのであれば、寅さんも青森で暮らしていけばいいじゃないか、などと思ってしまうのだけど寅さんはそうしない。
それってやっぱり、今回ばかりはひとりの女性に対してというよりは、結婚に対する憧れのが強かったんだろうかなと考えてしまう。
恋心は本当だとしても、結婚相手としては、どこまで考えてのことだったんだろうかと。
自分のよく知る柴又で、いたいけで純粋な少女のような花子を愛でる、それが寅さんの理想だったとして。
でも花子が故郷へ帰りたがっているのも知っていて、実際青森に帰った花子を見て寅さんはあきらめた。
花子が充実して生きられる場所と、自分の理想とが違っていたと知ったからだろうか。

ここまでくると、寅さんの恋が成就しないパターンはけっこう具体的に分類できるんだろうなと思えてくる。
今作でいえば「寅さんと相手の理想が違っていたパターン」みたいなことだろうし。
そうした場合、どちらかが妥協する、歩み寄る、といった選択肢はなく、ただ黙って即刻寅さんが身を引くだけだ。
なんでだ。
なんで自己評価が低いのに理想を妥協もしないんだ寅さんは。
どういうことだ。


▼映画『寄生獣』&『寄生獣 完結編』

なんとなく見た。
いつか見よーくらいに思ってて、何も今日見なくてもよかったんじゃ思ったけど、なんとなく。

結果、原作持ち出してすげー叩くこともできるけど、いやがんばったほうだろーとも言える感じ。
自分的には後者だった。
ひと昔前なら前者だったんだろうけど。
俺は実にそういう奴だったし。
今はだいぶ、もういいじゃんそういうの・・・カリカリするの疲れるし・・・なったけど、実際はあんま変わってないのかもしれない。

とにかく映像はほんとがんばってたというか、かなりよく見れたほうだと思う。
そら、原作から受けたここの印象はこうだったのに違う!みたいなとこあげればキリないけど。
まーそうか、そうなるか、くらいには見れたからいいんじゃね?って。

物語的には、まあ・・・原作とはいろいろ見せかたが別って考えるべきで。
前編でいえば、頭乗っ取られた母ちゃんの腕が新一かばったのはなんで?とか。
あーこの場面って演じた女優さん(余貴美子)がインタビューで、
「頭乗っ取られてもどこかに母の愛情が残ってるというのを意識した」
みたいに言ってて公開前に「ほんとに原作読んだの?」とか叩かれてたとこかーって思い出したり。

で実際ほんとにそういう場面になってて・・・
こんなん原作ならありえんだろ!ってとこだけど、例えば『シグルイ』読んだ人なら、ものを思うは脳髄だけにあらず、って考えがあるはずだから、筋肉とて人を恨むものだし、ものを思うはむしろ筋肉なのだからいいじゃん?ってなr・・・らねーよ!!!って。
さすがに。
そんな要素この映画では他にまったく出てこないわけだし。
だからこの映画見る人は事前に『シグルイ』読むのが必須で、むしろ原作は読むべきでないと私は思いました。

そして後編の完結編はまあ、もう、いいや・・・何が起きても、なってたのでより平常心で見れた。
この映画のセックスにそんな尺いる?をちょっと思ったくらいで。
いやまあ、生と死、生命を色濃く描くというテーマには沿っているのかもしれないけど。

ミギーについてはまあ、『寄生獣』史上最も親しみやすそうなミギーだった(アンソロジーのやつとかは別にして)。
声が阿部サダヲで、ちょっと早口で。
きらいじゃなかった。
ただ、新一との関係がそこまで濃密になっていると思えないまま、原作における両者間の重要セリフを言ったりするので、どうしても一部そこらへんは軽く聞こえてしまった。

素直に良かったと思えたとこは、料理のとこ。
新一とミギーでお味噌汁作る。
他は・・・・・・・
他は・・・・・・・・・・
・・・・・・
あー・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
ない。

でも、もろもろ覚悟しつつ見たいと思っているなら、見てもいいんじゃないって生意気ながらも言いたい出来ではあった。
▼アニメ『バキ』

オリバ登場。
うーん・・・・・・だった。
オリバの魅力って画力によるところが大きいんじゃ?と。
ほんと今っさらだけど。
もうそこに”居る”だけで、ムッキムッキしてるだけで、ヒュー!・・・って原作ではなれてたわけだし。
わたくしは。
でもアニメだと・・・あー・・・・・・て。
オリバ抜きにしてこっから先死刑囚編おもしろいとこあったっけ・・・


▼振り返り『男はつらいよ 奮闘編』

寅さんが花子と結婚したかった理由を改めて考えてみて。
社会的弱者である自分が、どこまでも保護者として守ってあげられる存在、寅さんにとって花子はそういう対象でもあったんじゃないだろうかと。
だから故郷ではつらつと生きる花子を見て自分は必要ないと感じた。
そして最後には花子という人間、花子の幸せとは何かを考えることができた。
正しいと思うけど、やはり切なくも。


▼山

また今週末大山行きたい、行こう!
思ってたけど、いや・・・なんか逃げてない?とも。
もっと先にやるべきことあるんじゃないの?ともう一人の俺が言う。
そうなんだよねーでもさー、ってヌキさんみたいに返したい。
おのれ。
でも今週末は行く予定で。
山に潜伏する。
デクって磯兵衛だったのか
デクって磯兵衛だったのか
▼マンガ『衛府の七忍』

6巻。
人間城ブロッケン編の終わり。
人間城ブロッケンになるわけじゃなかった。
沖田総司編の始まり。
沖田総司がタイムスリップした。


▼マンガ『保安官エヴァンスの嘘』

5巻。
何気に読んでるけどほぼずっと平常運転でおもしろい。
程よさと安定感・安心感がすっごい。
正しくこういうのでいいんだよなマンガ。


▼山

Amazonで登山靴買った。
「RAX トレッキングシューズ」だ。
値段がお手頃でデザインも悪くなく、なにより”オオカミのつま先のように強いグリップを持っています。”って売り文句が気に入った。
オオカミのつま先がどれほどのものか知らんけどなれるならなりたいし。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07D34NZH9/ref=oh_aui_detailpage_o00_s00?ie=UTF8&th=1&psc=1

こんなに「靴がほしい!」って気持ちで靴を買ったのは初めてだし、身につけるもので「赤」を選んだのも人生初。
赤はヒロアカのデクさんリスペクトだ。

よーしこれで週末再び大山行くぜ!!
・・・思ったけど前日まで神奈川は雨。
山道もぬかるんでいるであろう。
じゃ行かない。
俺は山をなめない。
くっそ安全第一でいく。
『男はつらいよ』とTGS格ゲー配信見て過ごす。

犬の居ぬ間に

2018年9月21日 趣味
▼バラエティ『カリギュラ』

「SARAI選手権」
歌の”SARAI”でなく拉致のほうの”攫い”。
芸人二人が本気で芸能人を攫いにいくという・・・
『水曜日のダウンタウン』でやって通報されて問題になってたけど、それ以前にこの番組でやりきってた。
しかも3連発。
ガチで攫いにいってた。

結果、篠原信一(失敗)、貴闘力(成功)、品川祐(失敗)。
おもしろかった・・・
ネットのバラエティは、かつてのTVバラエティの熱を今再び!みたいなとこあったりするけど、これこそまさにだった。
今田耕司も言ってたけど自然と『元気が出るTV』思い出したし。

ただ、たしかに昔のバラエティってこんなんやってたよなーw
・・・と楽しむ反面で、その、かつてやってた、やれてたからといって、それがバラエティという枠内であっても正しいかどうかはまた別に考えるべきだよな・・・って思いもなんとなくわいてきた。
狂気っちゃ狂気だし、やってること。
だからこそおもしろいとはいえ。

まあ見る側の問題とも言えるけど、そういう座りのいい言葉で、それだけの問題と決めきってしまうのもどうかなってところで。
ましてや時間帯である程度そこらへんの調節はしていた昔のTVとはちがい、ネットはいつでも見れる。
『カリギュラ』は個人的にこのクオリティでずっと楽しみたいとは思いつつ、たとえば幼い甥っ子姪っ子の目にはまだまだ触れさせたくないって気持ちもあるわけだし。
こういった刺激的な映像が人の心にどんな影響をあたえるのか素人にはわからないことなんだから。

とにかくバラエティとしておもしろかったことは事実。
無理っぽい気もするけど「SARAI選手権」第2弾望む・・・


▼ポエアカ

谷川俊太郎の詩、たまに「え・・・えっ!?」ってなるやつある。
あ、でもこれは多分そういう意味じゃなくて・・・(調べる)・・・そういう意味じゃねーか!
みたいな。
なんだかちょっと水木しげる思い出したりもする。
ストリートタイガー純情篇
▼『ストリートファイターV』CPTジャパンプレミア

格ゲー配信ひさびさにじっくり見れた。
強く印象に残ったのはやはりROFバーディ。
この感じなんとなく覚えあるなー思ってたらチャット欄で「だしおっぽい」いわれててそれだーなった。


▼映画『男はつらいよ 純情篇』

1971年1月15日公開シリーズ第6作。

今作の寅さんは人妻(若尾文子)に惚れる。
そら無理だ。
別居中とはいえいきなりほぼ負け戦ではないか・・・思いつつ見る。
結果、旦那さんが迎えに来てあっさり帰ってったし。
旦那さんが寅さんになにか諭されるわけでもなく。
うむ。

この恋愛話に入る前、旅先の寅さんは長崎で幼子を抱いた女性・絹代(宮本信子)と出会う。
ごくつぶしの亭主から逃げて実家へ帰る途中であり、しかし金がないので宿賃を寅さんが貸すことになる。
同じ宿に泊まったその夜、絹代はせめてとの思いで寝床の前で服を脱ごうとするのだが、

「ちょうど、アンタと同じ年ごろの妹がいるんだよ。もし・・・もしもだよ?その妹が、ゆきずりの旅の男に、たかだか二千円ぐれえの宿賃でよ、その男がもし、妹の体をなんとかしてえなんて気もち起こしたとしたら、オレはその男を殺すよ」

と静かに言い寅さんは別室へ消える。
ほんとに、つくづく、この人こういうとこは格好良いんだ。
寅さんってきっと、こういうこと他でもたくさんしてるだろうなって思えるのがまた。
ほんとにこういうとこは。

そして結局寅さんは絹代の実家までついていってあげるのだけど、絹代の父・千造(森繁久弥)は旦那のもとへ帰れと言う。
自分はもう年だ、先は長くない、自分が死んだらおまえには帰るところがなくなってしまうんだぞと。
それでも旦那のところへ帰るのは嫌だという娘に、おまえが好きになった男だ、それなら何かひとつくらい良いところがあるだろう、それをおまえが育ててやろうという気持ちや覚悟がないようでは、どんな男と一緒になったところで同じだ、とつきはなす。

この親父さんの言葉は目からうろこだった。
今の時代、ネットのそういった相談にこんな感じで返したら総叩きにあいそうな気もする。
でもこの親父さんはきっと、娘を信じていたんだろうと思う。
娘の人を見る目や、強さを。
またその反面、いっときの弱さを見ていた。
人生に困難はつきものだ。
何かしらの困難に出くわしたとき、それと確かに向き合ったか、戦ったか、覚悟をもって挑んだか、といったことをあとで自分に問い、胸を張って答えられるようでなくては人生に思うような色はついていかない。
思い描く理想が漠然とでもあるなら、いつだって戦えるくらいの心構えでいれたらと思う。
自分にそんな強さがあるだろうか。
なければ身に着ける、そんなふうに生きることはできるはずだ。

寅さんも親父さんの言葉に感銘を受け、そうだいつでも帰れる場所があるからいけないんだ、だから一人前になれないんだ、俺はもう柴又へは帰らねえよ!!
といったんは口にしたものの結局は即帰ることに。
まあ寅さんの場合は十六のときに独り立ちして、そっから二十年も帰ってなかったんだから、そういうことではないと思う。
むしろ逆に故郷に定住したほうが・・・って思う場面が多々あるわけで。
むずかしいわ。

絹代については、寅さんがしっかりフラれたあと、正月のとらやへすっかり更生したらしい旦那と子供を連れて訪ねてくる。
いまでは夫婦共に同じ店で働いているといい、年賀状も出してなかったということで、とらやのすすめにより長崎の父親・千造のもとへ絹代が電話する。
そしてやり取りの後、電話を切った千造の目には涙があふれている。
その傍らには寅さんからの年賀状が置かれているのだった。

なんだかもう寅さんは、童話の「幸福な王子」のようだとも思えてしまった。
人様に善意を振りまいたり、幸福のきっかけを作ったりしながら、自分は思うような所帯も持てず、ただ歳をとっていく。
「夏になったら鳴きながら、必ず帰ってくるあのツバクロさえも、何かを境にぱったり姿を見せなくなる事だって、あるんだぜ」てなことを言ったりもするし。
しかしだからこそというか、やっぱり寅さんには、帰る場所があってよかったと思う。
寅さんが帰って来れてうれしいって思える、笑顔になれる場所がある、一緒にご飯食べたりけんかしたり心配したり心配されたりな人たちがいる、そうでなくては本当にただの「幸福な王子」になってしまう。

来年公開する新作で、もし寅さんが自分の人生をふりかえるようなセリフが出るなら、それはどのようなものになるんだろうか。
▼『ストリートファイターV』CPTジャパンプレミア

ときどさん優勝。
うむ。

絶対やらないしまだやらなくていいと思ってるけど、でも見れるなら見たい・・・というか知りたいのは、今このタイミングでのウメハラVSときど10先の結果。
当然まだやらなくていい、いいのだけど、しかし人は変わるしゲームも変わる・・・
いやあの二人の対決はそういうの全部踏まえた上での比べ合いだから良いのだけど。

人は自分の限界を自分で決める。
今回優勝インタビューでときどさんは業界を背負える人間になりたいと言った。
今は事実業界を背負っているウメハラという人物がいる。
直接対決で敗北した、確かに追える目標、目に見えて越えるべき壁としている。
それならときどさんはまだまだ強くなってしまえるのではないだろうか。

限界とは、立ち位置的な事でもあるのかもしれない。
それはときに、どこかで自分で自分を許してしまう、ゆるみや救いともなるのかも。
しかしときどさんの強さとは情熱であり、誰よりも強いウメハラへの憧れ、それがあるから先へ先へと進める。
そしてまたその姿こそが、ときどさんをときどさん足らしめている。
プロとは存在感だとはウメハラの言葉だ。
人は変わる。


▼『デビルメイクライ5』プレイ動画

満足した。
なのでPS4ごと買わずに済むと思われる。
だって、さんざんやったもんなこういう感じのは・・・
なったから。
なってしまった。

例えばステージのスケールがもはや街ではなく国であるとか、悪魔軍団を率いて簡単な命令を出しつつ陸海空を共に戦えるとか、魔人化時にはそれら悪魔を吸収合体して巨大化できるとか・・・そういうのだったら。
もしそんな「なにそれー!?」ってなる感じだったら購入検討もしただろうけどそうじゃない。
そんなのはもう『デビルメイクライ』じゃないんだ。

もしくはそこまでの変化でなくても、『ドラゴンズドグマ』のしがみつきみたいな、『4』の引き寄せみたいな、シンプルでありながら見て一発で自分でもやってみたくなる、そんな要素でもあればと思ったけどなんもありやがらねえ。
ただもともとある要素の中身がちょっと変わっただけ。
びっくりするくらい。
いいんだそれで。
それなら間違いなく無難に『デビルメイクライ』なんだから正統な続編と言える。
待たれてるのはきっとそういうものなんだから。

演出もデカイの出てきてガオーばかりっていいかげん飽きないのか。
空間からゴリアテさん出てくるけど読書中だったとかで登場時だけ本持ってメガネかけてるとかのギャップや生活感があってもいいんではないか。
悪魔って怪物なばかりでないところが魅力と思うんだけどな。
戦闘前にデカイ悪魔と普通に会話するなんてのは初作からやってきたことだし。
まあわかりやすいほうがいいっちゃいいんかな。

とにかくこれで年末はPS4でなく新しいiPad買う決心がついた。
こっから俺の心を動かすような追加情報はもうないだろうと思うし。
そもそもダンテを老けさせた時点でほぼなかったんだ。
『4』でダンテの顔面に蹴り入れさせた演出だっていまだ間違いだったと思ってるんだから。
『6』を待ちます。

粗塩

2018年9月24日 趣味
▼アニメ『バキ』

シーズン2に突入!!!らしい。
一応このアニメもシーズンの区切りとか意識するんだな思ったり。
とりあえずOP・EDが変わった。
OPは、前よりはまあ?という。
個人的に。
EDは・・・・・・いや。
前のも新しいのもなんかもうわからん。
ただ前のほうがネタにはしやすかった。
バキ知ってる人に「最後まで見てどんな気持ちになったか教えて」言いたくなったし。
https://www.youtube.com/watch?v=VrkClh2-1IA

とりあえずアニメの進行具合は「パンツだめなとこまできたよー」言えば見てないバキ友にも即通じるのがスムーズでいい。
「シコルのパンツまで」でもいけたかも。


▼山

また山行ってくる言うと「今度はどこ?」って訊かれる。
大山って答えると「また?」って皆同じように言う。
なんで同じ山行っちゃいけないんだ・・・。
気持ち的には10回くらいは大山で、じっくり大山を知ってから次ってつもりでいるんだけど。
観光で行ってると思われてるのか。
いやむしろ自分自身、なんのつもりで行くのか最早よくわかってないとこもある。
とりあえず今は山なんだよねー、だ。
▼バラエティ『有吉の壁10』

前回より30分短くなってた。
これくらいがちょうどいい気も。
もともとこんくらいだったと思うし。
今回は「流行語大賞の壁」がおもしろかった。
「ごちそうの壁」もやってほしかった。

パンサーは菅と尾形しか出ず。
調べたらなにげに向井だけ売れてるっぽいのがおもしろい。
『内さま』であんだけ尾形vs菅・向井みたいな図だったのに向井がひとり離れていくのかよみたいな。
でも俺はこの番組の3人が好きというかほぼこの番組でしかパンサー見ないのでやっぱり3人そろっててほしい。


▼ポエアカ

詩やっぱりむっず。
詩は絵画のようなものか。
作者の意図を読む力、そのための知識がある程度ないとたどりつけない。
詩は感じるもの、なんだろうけど、感じられるとこまでいくかどうかはまた別の力がいる。
散文は大体において説明をかねて楽しませたり学ばせたりしてくれるからわかりやすいんだけど、それに慣れきってそればかりに親しんできたからとまどうばかりよ。


▼予定

今週末も雨。
靴を買ったのに?って。
じゃあせめてどこかお出かけしたい。
だが行きたいとこがない。
楽しみはほとんどすべてネットやAmazonで都合がついてしまう。

それか閉じこもって映画5本くらい見るとか。
いややっぱりいって3本か。
それともひさびさに一日創作活動してみるとか。

改めてちゃんとやってみたいと思っているのは、怖い話の作り方を自分なりに考えてみるというもの。
主には実話系の。
既存の作品を参考に、構成、舞台設定、人物設定、クリーチャー造形、演出等々をパターンごとに分類&収集し、その気になればそれっぽいのをサクッと作れてしまうそんなようなものを。
ある程度自分なりの方向性が定まってきたら、すでにあるネットの怖い話テンプレも参考にしてより形を整えたり。
とりあえず予定としてはこれで考えておく。

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