▼映画『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』
1980年12月27日公開シリーズ第26作。
マドンナ役は伊藤蘭。
今回はシリーズで初めて寅さんは終始保護者目線だった思う。
ついにそんな作品ができてしまったか・・・というさみしさ。
寅さん40過ぎ、伊藤蘭演じる”すみれ”はいってても二十代前半。
以前にもマドンナ役とそれなり歳のはなれた保護者目線な作品はあったけど、それでもまだ恋愛要素はあった。
でも今作は亡くなった仲間の娘の親代わりってところからはじまり、そのまま終わったように思う。
すみれには言い交わした男がいた、朝帰りをした、それに憤る寅さんの表情は父親のそれでしかないだろう。
実際にも父親ってものは娘に恋をしているようなものだというし、そういう関係性でも一作できてしまうようになってしまったか・・・と。
演技の上手い下手は自分にはあまりよくわからないのだけど、伊藤蘭は悪くなかったように思う。
とくに寅さんを誘拐犯かと疑う警官に「こんないい人を疑うなんて!」と涙ながらに食ってかかる場面はなんだか妙に胸にきた。
今作ではさくらと博が家を建てる。
これを寅さんが喜び、さくらとうれしそうに家を見にいくところが良い。
仲良し兄妹感がすごくあって短いけどお気に入りの場面。
で、寅さんがさくらの家のなかを「そうかぁ」てな感じで眺めてるとこで、自分はなんだか不意に異様なショックにおそわれてしまった。
ゾワッてほどじゃないけど、体がちょっとウワッとなって、なんだこれ・・・
考えてみたら、たぶん「『男はつらいよ』の世界の時間が明確に進んでいる」ってことに「あっ」となったんだろうなと。
満男の成長もそのひとつではあるんだけど、しかし彼は当然ながら役割としては「さくらと博の息子」のまま。
シリーズ第2作で生まれ、そこから徐々に成長し少しずつ周囲との関係性も変わっていく。
しかしさくらと博の諏訪家はまったく新しい舞台だ。
しかも現代的だ。
『男はつらいよ』は自分の原風景とはちょい古めの世界であり、半分時代劇劇として見ていたのに、一気に現実に近づかれた感。
虚構の世界に不意なリアルがみたいな不安だろうか。
劇中すみれは定時制の高校に通うようになるのだけど、そこで先生を演じているのが先代おいちゃんの松村達雄。
見たときはなんだか・・・このおじさん知ってるかも?・・・思ったけどいやおいちゃんじゃないかと。
レギュラーは病気で降板したものの以降もいろんな役でシリーズに出てくるのだとか。
松村達雄は授業で濱口國雄の「便所掃除」を朗読する。
ここら一連のくだりも味があってすごくいい。
「便所掃除」は『詩のこころを読む』(茨木のり子著)で紹介されていて、おおこれ知ってるとなっていっそう感情移入できるものがあった。
でもこうしてしっかり朗読を聴くことで、自分の中に今まであったこの詩が、また少し形を変えた。
そういうのは詩にかぎったことではないと思うけど、まだまだやりようがあるのだなと気づかされた。
▼ひさびさの詩について
詩についてはお休み中だけど『男はつらいよ』の影響で久しぶりにちょっと調べてみた。
詩とは表現である、とあるサイトに記載されていて。
あまりにもシンプルで、当たり前のことなんだけど、でもなんだか結局それなのかもとしっくりきてしまった。
表現と言うならべつにマンガだって小説だって映画だってそうだろうけど、詩は最もその芯の、むき身のようなものなのかもしれないなと。
それはもしかしたら俳句や川柳といった短く研ぎ澄まされたもの以上に、生の温度を持ち得やすいものというか。
松村達雄のあのたたずまいや表情や声で、見て、聴いたことにより、知っていたはずの「便所掃除」を今まではぜんぜん楽しめてなかったことに気づいたのも、詩のそうした性質によるところが大きいのかもしれない。
人が何かを感じるってことは、そこに(例え無機物であっても)生命の温度を感じるってことなのかもしれない。
温かいにしても、冷めているにしても。
▼最大にして最高の難敵
結局絵画教室を訪ねることは叶わなかった。
なぜか。
疲れていく気にならなかったから。
そんでハースストーンやっちゃってたから。
寝っ転がってグデりながら。
いやぁグデってたね・・・
だからさかのぼれば夜更かしだ。
もう、そこから!!!
夜更かしからすべてが始まっとるからねこれ!!!
知ってたけどね!!!
夜更かし対策を練る。
ついに。
いいかげん向き合う。
恥だから。
あんだけ周囲に「絵画教室いくかもー」言っておいてこれだから。
しかしこれが狙いでもあったわけだ。
自分はプライベートなことに関しては恥でもかかなきゃ動かないんだから。
デカルト4つの規則を実践する。
実践しないと身につかないからこれもいい機会だ。
まずは「1.明証性の規則」、「独断と偏見を除去して物事を判断する」。
帰宅、入浴、食事等の就寝までのそれらの動き方や必要性を見直す。
そして今週末こそ絵画教室行く。
あきらめない。
1980年12月27日公開シリーズ第26作。
マドンナ役は伊藤蘭。
今回はシリーズで初めて寅さんは終始保護者目線だった思う。
ついにそんな作品ができてしまったか・・・というさみしさ。
寅さん40過ぎ、伊藤蘭演じる”すみれ”はいってても二十代前半。
以前にもマドンナ役とそれなり歳のはなれた保護者目線な作品はあったけど、それでもまだ恋愛要素はあった。
でも今作は亡くなった仲間の娘の親代わりってところからはじまり、そのまま終わったように思う。
すみれには言い交わした男がいた、朝帰りをした、それに憤る寅さんの表情は父親のそれでしかないだろう。
実際にも父親ってものは娘に恋をしているようなものだというし、そういう関係性でも一作できてしまうようになってしまったか・・・と。
演技の上手い下手は自分にはあまりよくわからないのだけど、伊藤蘭は悪くなかったように思う。
とくに寅さんを誘拐犯かと疑う警官に「こんないい人を疑うなんて!」と涙ながらに食ってかかる場面はなんだか妙に胸にきた。
今作ではさくらと博が家を建てる。
これを寅さんが喜び、さくらとうれしそうに家を見にいくところが良い。
仲良し兄妹感がすごくあって短いけどお気に入りの場面。
で、寅さんがさくらの家のなかを「そうかぁ」てな感じで眺めてるとこで、自分はなんだか不意に異様なショックにおそわれてしまった。
ゾワッてほどじゃないけど、体がちょっとウワッとなって、なんだこれ・・・
考えてみたら、たぶん「『男はつらいよ』の世界の時間が明確に進んでいる」ってことに「あっ」となったんだろうなと。
満男の成長もそのひとつではあるんだけど、しかし彼は当然ながら役割としては「さくらと博の息子」のまま。
シリーズ第2作で生まれ、そこから徐々に成長し少しずつ周囲との関係性も変わっていく。
しかしさくらと博の諏訪家はまったく新しい舞台だ。
しかも現代的だ。
『男はつらいよ』は自分の原風景とはちょい古めの世界であり、半分時代劇劇として見ていたのに、一気に現実に近づかれた感。
虚構の世界に不意なリアルがみたいな不安だろうか。
劇中すみれは定時制の高校に通うようになるのだけど、そこで先生を演じているのが先代おいちゃんの松村達雄。
見たときはなんだか・・・このおじさん知ってるかも?・・・思ったけどいやおいちゃんじゃないかと。
レギュラーは病気で降板したものの以降もいろんな役でシリーズに出てくるのだとか。
松村達雄は授業で濱口國雄の「便所掃除」を朗読する。
ここら一連のくだりも味があってすごくいい。
「便所掃除」は『詩のこころを読む』(茨木のり子著)で紹介されていて、おおこれ知ってるとなっていっそう感情移入できるものがあった。
でもこうしてしっかり朗読を聴くことで、自分の中に今まであったこの詩が、また少し形を変えた。
そういうのは詩にかぎったことではないと思うけど、まだまだやりようがあるのだなと気づかされた。
▼ひさびさの詩について
詩についてはお休み中だけど『男はつらいよ』の影響で久しぶりにちょっと調べてみた。
詩とは表現である、とあるサイトに記載されていて。
あまりにもシンプルで、当たり前のことなんだけど、でもなんだか結局それなのかもとしっくりきてしまった。
表現と言うならべつにマンガだって小説だって映画だってそうだろうけど、詩は最もその芯の、むき身のようなものなのかもしれないなと。
それはもしかしたら俳句や川柳といった短く研ぎ澄まされたもの以上に、生の温度を持ち得やすいものというか。
松村達雄のあのたたずまいや表情や声で、見て、聴いたことにより、知っていたはずの「便所掃除」を今まではぜんぜん楽しめてなかったことに気づいたのも、詩のそうした性質によるところが大きいのかもしれない。
人が何かを感じるってことは、そこに(例え無機物であっても)生命の温度を感じるってことなのかもしれない。
温かいにしても、冷めているにしても。
▼最大にして最高の難敵
結局絵画教室を訪ねることは叶わなかった。
なぜか。
疲れていく気にならなかったから。
そんでハースストーンやっちゃってたから。
寝っ転がってグデりながら。
いやぁグデってたね・・・
だからさかのぼれば夜更かしだ。
もう、そこから!!!
夜更かしからすべてが始まっとるからねこれ!!!
知ってたけどね!!!
夜更かし対策を練る。
ついに。
いいかげん向き合う。
恥だから。
あんだけ周囲に「絵画教室いくかもー」言っておいてこれだから。
しかしこれが狙いでもあったわけだ。
自分はプライベートなことに関しては恥でもかかなきゃ動かないんだから。
デカルト4つの規則を実践する。
実践しないと身につかないからこれもいい機会だ。
まずは「1.明証性の規則」、「独断と偏見を除去して物事を判断する」。
帰宅、入浴、食事等の就寝までのそれらの動き方や必要性を見直す。
そして今週末こそ絵画教室行く。
あきらめない。