くもいとプップのすけ
2019年4月7日 趣味
▼映画『スパイダーマン:ホームカミング』
Netflixで視聴。
なるほどー、そっかー、って楽しく見れた。
途中のあの実は・・・展開にはふつーに「えっ」てなったし。
このままなんやかやで敵倒して終わりかなー思ってたら。
こういうひと仕掛けがありがたいんだ。
DCEUに足りないのってひとつにはこういうとこなんじゃ?思ったり。
内容あんま知らんまま見れてよかった。
そしてメイおばさんがやっぱりエロかった。
▼映画『ディストラクション・ベイビーズ』
アマゾンプライムビデオで視聴。
ざっと見た限りではあまり世間での評判は良くない風。
悪いというよりは良くないといったような。
個人的にもこれがいい映画なのかどうなのかよくわからない。
でも好きか嫌いかでいえば好きと言えてしまう類ではあった(以下ややネタバレ)。
暴力描写が多めだったりキツかったりな作品は評価が特に分かれやすい気がする。
チラッとみた批評の中でも、主役サイドが女子高生や中年女性にまで暴力をふるうのは暴力容認に見えてしまう、といったことで低評価を付けている人もいた。
でも、いやそうした真に眉をひそめる場面を描くことこそが暴力の本質に迫るってことなんじゃないかと思うし、だからそれに嫌悪感をおぼえるのは当然で、この映画の中でも決してそれが賞賛される行為としては描かれていない。
現に無差別にそうした暴力をふりまいた裕也(演:菅田将暉)は物語の最後で罰を受けているわけだし。
こうした作品は部分的にでも抱いた嫌悪感そのままを作品全体の評価にする人がけっこういるんじゃないかと思う。
評価なんて好き嫌いでも付けられるものだからそれでもいいんだけど、それと作品が物語を通して描きたいことやその出来に対する評価は別なはず。
物語には裕也と行動を共にするもうひとりのというか真の主役である泰良(演:柳楽優弥)なる少年がいる。
裕也とは比べ物にならないほどの暴力の権化のようなキャラクターなのだけど、この泰良は最後まで罰を受けるなく物語は終わっている。
このことがまた暴力容認に見えてしまう一因になっているのかもしれない。
しかし泰良と裕也には決定的に異なる部分があって、泰良は一見無差別のように見えて「強い、強そう、多分強い、強いかどうか知らんけどとりあえずガタイのいい男性だし」といった相手しか襲わない。
いってしまえば泰良はプレデター、地球製の天然プレデター的な怪物として描かれている。
なぜそのような人物になったのか?は特に語られることなく。
実際のプレデターには戦士としての誇りや信念があるけど、泰良はただ暴力の中に身を置くことが楽しい、それだけが理由のようで、その他のことには興味がない。
突き進んだ果てに確実に待っている自身の破滅すらどうでもいいみたいで、ここもまた裕也とは異なる。
紛うことなき怪物だと思う。
でそんな怪物である泰良の笑みに、なぜか癒されるものを感じてしまったのは役者の力か、はたまたそうした存在に対する憧憬のようなものが自分の中にあるのか、といったところで考えさせられてしまった。
何ものにも縛られず思うがままふるまいたい、というのは誰の中にもあるものなんじゃないかと思う。
特に個人的にちょっとした悩みを抱えている今は、あの笑み、後先におびえない強さ、無軌道さにひどく勇気づけられてしまったわけだけど、それはいけないことなのだろうか。
泰良のようにふるまうつもりは毛頭ないけど、ただ明日家出るときは、確実に心の中に泰良を宿していくんだろうな自分は、という確信はある。
暴力の権化と気弱イキリキャラのコンビ、そして途中から巻き込まれる女性・那奈(演:小松菜奈)といった構成からは、やはり新井秀樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』を思い起こしたけど、実際本作のトークイベントのゲストに新井秀樹が呼ばれたりしているらしい。
個人的に小さなケチを付けるとすれば那奈のことで、やりようによってはもう少しおもしろいキャラになったんじゃないかと思う。
後にああした展開があるなら最初のうちはもっと感情移入しやすい人物像でよかったんじゃないかと。
でもそれをやるとより『ザ・ワールド・イズ・マイン』めいたことになりそうだし、普通だったらこうするのでは、といったことをやることだけが正しいとも言いづらい。
那奈のキャラにかぎらず、幾つかのことで、もっとこうできたのでは、こなれたような作りならこうはなってないんだろうな、みたく思える箇所がある。
でも、映画や物語において、見ていて「いかにも」って頷けるようなことはメジャーな作品がやってくれているわけだし、だからといって変化球ならいいのかって話とはまたちがうんだけど、ドラマドラマさせない作り方もまた、あるんじゃないかとも。
なんというか、この映画の内包している各要素を考え、それがひとつの作品としてまとまった理想の完成像を思うとき、それとはなんか違うな、遠いなと感じることはこの作品には幾つかあるのだけど、でもそうした部分すらも、それがあるからまた愛おしいように感じてしまう。
それは単純に言ってしまえばインディー的なものに感じる価値みたいなものなのかもしれないけど、そうした幾つかも含めてこの映画においては作風であり、間違いのない完成形なのかもしれないとも思える。
▼先週ふりかえり
・映画『そこのみにて光輝く』視聴
・新元号決まる
・哲学、驚きが大事
・哲学、自身の選択の意味を考える
・哲学、デカルト四つの規則
・日々の「発見」を意識
・マンガ、ネームとりあえず終わり、下書きに入る
・アニメ『ボトムズ』見始める
Netflixで視聴。
なるほどー、そっかー、って楽しく見れた。
途中のあの実は・・・展開にはふつーに「えっ」てなったし。
このままなんやかやで敵倒して終わりかなー思ってたら。
こういうひと仕掛けがありがたいんだ。
DCEUに足りないのってひとつにはこういうとこなんじゃ?思ったり。
内容あんま知らんまま見れてよかった。
そしてメイおばさんがやっぱりエロかった。
▼映画『ディストラクション・ベイビーズ』
アマゾンプライムビデオで視聴。
ざっと見た限りではあまり世間での評判は良くない風。
悪いというよりは良くないといったような。
個人的にもこれがいい映画なのかどうなのかよくわからない。
でも好きか嫌いかでいえば好きと言えてしまう類ではあった(以下ややネタバレ)。
暴力描写が多めだったりキツかったりな作品は評価が特に分かれやすい気がする。
チラッとみた批評の中でも、主役サイドが女子高生や中年女性にまで暴力をふるうのは暴力容認に見えてしまう、といったことで低評価を付けている人もいた。
でも、いやそうした真に眉をひそめる場面を描くことこそが暴力の本質に迫るってことなんじゃないかと思うし、だからそれに嫌悪感をおぼえるのは当然で、この映画の中でも決してそれが賞賛される行為としては描かれていない。
現に無差別にそうした暴力をふりまいた裕也(演:菅田将暉)は物語の最後で罰を受けているわけだし。
こうした作品は部分的にでも抱いた嫌悪感そのままを作品全体の評価にする人がけっこういるんじゃないかと思う。
評価なんて好き嫌いでも付けられるものだからそれでもいいんだけど、それと作品が物語を通して描きたいことやその出来に対する評価は別なはず。
物語には裕也と行動を共にするもうひとりのというか真の主役である泰良(演:柳楽優弥)なる少年がいる。
裕也とは比べ物にならないほどの暴力の権化のようなキャラクターなのだけど、この泰良は最後まで罰を受けるなく物語は終わっている。
このことがまた暴力容認に見えてしまう一因になっているのかもしれない。
しかし泰良と裕也には決定的に異なる部分があって、泰良は一見無差別のように見えて「強い、強そう、多分強い、強いかどうか知らんけどとりあえずガタイのいい男性だし」といった相手しか襲わない。
いってしまえば泰良はプレデター、地球製の天然プレデター的な怪物として描かれている。
なぜそのような人物になったのか?は特に語られることなく。
実際のプレデターには戦士としての誇りや信念があるけど、泰良はただ暴力の中に身を置くことが楽しい、それだけが理由のようで、その他のことには興味がない。
突き進んだ果てに確実に待っている自身の破滅すらどうでもいいみたいで、ここもまた裕也とは異なる。
紛うことなき怪物だと思う。
でそんな怪物である泰良の笑みに、なぜか癒されるものを感じてしまったのは役者の力か、はたまたそうした存在に対する憧憬のようなものが自分の中にあるのか、といったところで考えさせられてしまった。
何ものにも縛られず思うがままふるまいたい、というのは誰の中にもあるものなんじゃないかと思う。
特に個人的にちょっとした悩みを抱えている今は、あの笑み、後先におびえない強さ、無軌道さにひどく勇気づけられてしまったわけだけど、それはいけないことなのだろうか。
泰良のようにふるまうつもりは毛頭ないけど、ただ明日家出るときは、確実に心の中に泰良を宿していくんだろうな自分は、という確信はある。
暴力の権化と気弱イキリキャラのコンビ、そして途中から巻き込まれる女性・那奈(演:小松菜奈)といった構成からは、やはり新井秀樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』を思い起こしたけど、実際本作のトークイベントのゲストに新井秀樹が呼ばれたりしているらしい。
個人的に小さなケチを付けるとすれば那奈のことで、やりようによってはもう少しおもしろいキャラになったんじゃないかと思う。
後にああした展開があるなら最初のうちはもっと感情移入しやすい人物像でよかったんじゃないかと。
でもそれをやるとより『ザ・ワールド・イズ・マイン』めいたことになりそうだし、普通だったらこうするのでは、といったことをやることだけが正しいとも言いづらい。
那奈のキャラにかぎらず、幾つかのことで、もっとこうできたのでは、こなれたような作りならこうはなってないんだろうな、みたく思える箇所がある。
でも、映画や物語において、見ていて「いかにも」って頷けるようなことはメジャーな作品がやってくれているわけだし、だからといって変化球ならいいのかって話とはまたちがうんだけど、ドラマドラマさせない作り方もまた、あるんじゃないかとも。
なんというか、この映画の内包している各要素を考え、それがひとつの作品としてまとまった理想の完成像を思うとき、それとはなんか違うな、遠いなと感じることはこの作品には幾つかあるのだけど、でもそうした部分すらも、それがあるからまた愛おしいように感じてしまう。
それは単純に言ってしまえばインディー的なものに感じる価値みたいなものなのかもしれないけど、そうした幾つかも含めてこの映画においては作風であり、間違いのない完成形なのかもしれないとも思える。
▼先週ふりかえり
・映画『そこのみにて光輝く』視聴
・新元号決まる
・哲学、驚きが大事
・哲学、自身の選択の意味を考える
・哲学、デカルト四つの規則
・日々の「発見」を意識
・マンガ、ネームとりあえず終わり、下書きに入る
・アニメ『ボトムズ』見始める