▼ドラマ『アンブレラ・アカデミー』

シーズン1全10話見終えた。
おもしろかったー。
けど「なんでだよ!?」とか「こうすればよくね・・・」とかツッコミどころ含めて楽しむべき作品ではあった。
そこらへんはまあね、って。
そういうの許せる作品と許しがたい作品とがあるけど、これはなんだか普通に「まあ、まあ・・・」で見れた。
とにかく見る人を楽しませようって工夫が伝わってくる感じだったからだろうか。

第一話のつかみであろうダンスシーンとか何度も見返してしまう。
https://twitter.com/NetflixJP/status/1101756586769317888
散り散りだった義理の兄弟たちが養父の死をきっかけに再び集まるんだけど、結局ギクシャクしてしまい屋内の別々の場所へ。
でも長男的ポジションのルーサーが音楽をかけるやそれぞれに踊りだすという。
この時点ではツンデレのツンしか見せてないディエゴまで。
なんかやっぱり、家族で兄弟なんだなってところがもう。

終わり方としてはシーズン2がなきゃ困る作りではあった。
なので色んな謎は残っているけど、個人的に思う最大の謎はストーリーどうこうではなく、それまで砕けた口調だったチンパン執事が第8話から急に敬語を使い始めたこと。
ほんとに特に理由もなく。
あまりにもメタがすぎるというか違和感ものすごかった。

今作品は見ててなんとなく同じ超能力ドラマという面で『ミスフィッツ』を思い出す感じもあった。
で見終えてから調べて霊媒能力を持つクラウスが『ミスフィッツ』のネイサンと同じ役者さん(ロバート・シーハン)であると知る。
見た目的には「言われてみれば」レベルなんだけどキャラはすっごい共通する部分があっておもしろい。

シーズン2も楽しみだ。
とにかく多少作りや設定がゆるくても大丈夫な作品だから次シーズンはもっと更なる「なんだそれ!?」な展開や絵面に期待したい。

棚橋

2019年3月3日 趣味
棚橋
棚橋
棚橋
▼映画『スリング・ブレイド』

構成だけをいえばシンプルなだけに、見終えた後には「何を思えばいいんだ・・・」てなった(以下ネタバレ)。

少年時代に母親とその浮気相手を殺した主人公カールが、精神に障害を抱えていたため病院に入り、大人になってから退院。
もどった故郷の町で少年フランクと友人になり、大人たちにも受け入れられていくのだけど、結局フランクの母親の恋人であるDV男を殺し、病院にもどってEND。

なので終盤はもう、結局、え、結局そうなるの・・・いやでも・・・ああ・・・・・・
なので、なんだったんだ・・・と。
カールのこの物語はと。

視聴後考えてから、Amazonのレビューだけざっと見た。
DV男は殺すほどの人?って書いてる人がいた。
それもわかる意見で、男は犯罪者ではないしそこまで激しい暴力をふるっているわけでもない・・・
でもだからこそハッキリとした対処がとりづらい。
男は地元の警察とも懇意らしく、舞台も1996年の田舎町でこうした問題への対応や関心も大分弱そうだし。
母親も「でも優しいところもあるから」な依存気味で。
それほど濃くはなくても消えないまとわりつづける闇に生活がむしばまれるのは、ゆっくりと人生を殺されていくようなものなんではないかと。

そしてDV男は殺すほどの人なのかの意見から、ひとつ自分なりに思い至った。
カールはフランクとその母親を暴力と抑圧から守ろうとした、でももしかしたらそれ以上に、カールはフランクに自分と同じ人間にはなってほしくないという思いが強かったんじゃないだろうか。
このままではいずれ自分と同じようにフランクは男を手にかけてしまうかもしれない。
そう思ったら、その可能性があるなら、自分が手を汚す、その選択と決断を考えるとどうにも頷けてしまう。
悲しいことだけど。

冒頭と最後は病院の場面で他の患者がカールに話しかけている。
どちらも下劣な内容で冒頭ではカールは黙って聞き流していた。
しかし最後の場面では、患者がフランクについて下品にからかうようなことを口にするや「二度と話しかけるな」と拒絶した。
カールに守りたいものができて、それは今も共にあるんだと。

見終えた直後はカールのその後に救いはあるのかと考えた。
でも今の自分が置かれた状況において何か暗く寂しく感じることがあるたび、フランクを同じような身の上にさせないよう少しの助けができたことを思えるんじゃないだろうか。
ラストのカールの表情を思い返すにせめてそうであってほしい。

視聴後にカールの役者(&監督&脚本)がドラマ版『ファーゴ』のマルヴォと同じビリー・ボブ・ソーントンと知ったけど、それはない、カールのときはアゴをしゃくり続けていたとしてもそれはない、と思った。


▼読書『今昔物語集』(角川文庫版)

読み終えた。
解説によると『今昔物語集』は謎だらけの本らしい。
編集の年次や編者や目的もわからず、六百年の間表に出ることなく歴史の闇に眠っており、研究者の目に止まったのは江戸時代の半ば頃だという。

既読のもの以外にも芥川龍之介や谷崎潤一郎が元ネタとした話が幾つかあったので、これを機に読んでみよう。
▼読書『アメリカ怪談集』

「牧師の黒いヴェール」(ホーソーン)
ある日突然顔に黒いヴェールをかけ始めた牧師の話。
言動はそれまでと変わらないのだけど決して人前でヴェールをはずそうとしない。
周囲はとまどいつつも神秘を感じもしたが、恋人は離れてしまった。
最後は今わの際に医師がヴェールを外そうとするも拒否して、「あなた方だって見えないだけで皆黒いヴェールをかけているじゃありませんか・・・!」という大槻ケンヂみたいなことをいって亡くなる。
牧師はヴェールを付けたまま埋葬されるのだった。


▼読書『面白いほどよくわかる!哲学の本』(秦野勝)

”反証可能性”なる概念を知った。
「科学的な主張はそれが間違いだと判明する可能性をもっていなくてはならない」
科学哲学者のカール・ポパーさんが”科学”を定義する上で提唱したもの。
こーれはなんだか、な、なるほどなぁーっなった。
たしかに胡散臭いものって正しさばかりを主張してくる感じだし。

またひとつ考え方を学ばせてもらったけど、でもこのケースに当てはまらないパターンも科学にはあるよーらしく、お、おう・・・と。
まあ絶対はないんだ。
しかし何かを判断する上での材料のひとつとしては使える。
で、さらにこれをも踏まえて上手に人をだまくらかそうとする詐欺師もおるだろうし、またこれをクリアしたからと自分で自分をだまそう思い込まそうとしてしまうパターンもあるだろうから、なんにせよ決めつけないことが大事なんだろうな。
▼マンガ『ザ・ファブル』

最新17巻。
おもしろいー。
今巻ヨウコのあれこれがあってから次巻怒りのアキラって気になりすぎる。
でも単行本だけで読んでいきたいんだ。
単行本の量でも「ああもう終わりなのか早次ー」なるんだから。
映画は原作応援のためとあえて原作とくらべるため目的で見に行こうかと思っている。


▼甥っ子対策

入られるとめんどい部屋から遠ざけるために、
「向こうの部屋には『大きな知らないおばさん』がいるから行っちゃだめだよ」
という嘘を甥っ子につき続けている。
小さな子にとっては知らない人ってだけでけっこう効くっぽいけど、せっかくだから「頭が天井についてる」「腕がすごく長い」「服がボロボロ」「歯もボロボロ」「そこの壁の傷もおばさんがつけた」と言うたびにかなりド定番なディテールを追加していってる。
で自分で言っておいて一人のときはふとその部屋に近づくのがちょっと怖くなったり。

これを元ネタとして発展させて、甥っ子に嘘をつき続けてたら本当にその存在がいるかのような現象が起こり始め、かなりホラーなことになっていくのだけど、ヤバイと感じた主人公が「でもやさしいところもあるんだよ」「留守のときは部屋片づけてくれる」「洗濯物たたんどいてくれる」「ちょっとした洗い物ならしてくれる」と今度は少しずつ良い要素を追加していって、結果生活が快適になりました、みたいなツイッターマンガはどうだろうかと考えた。

でもすでにありそうというか、ありがちな恐怖の存在が実は良性だったりかわいかったりのギャップ狙いは今の定番中の定番って感じなので、どうかなーとも。
この前も「俺の考えたツイッターにありそうなホラーマンガ案」を披露したら、たしかにありそうだけどありそうなの描いてどうするの?みたく言われたし。
「たしかに」って思ったのと「でも練習がてらだから・・・」のせめぎ合い。
やはり独自路線を模索するのがいいのだろうか。
つかまだ2作しか描いてないんだけど。

格格

2019年3月7日 趣味
▼格闘ゲーム番組『TOPANGA TV』

『ソウルキャリバー6』キャラクリエイト大会。
フシギダネなんかはまさに仮装大賞の楽しさがあった。


▼格闘ゲーム番組『Daigo the BeasTV』

ジレットがなんちゃら。
ジレット電気シェーバーは出してないんだな。

ウメ講演は行きたいやら行きたくないやらだ。
ウメハラにかぎらず好きな有名人全般に思うこととして、生で見たいって気持ちと、ずっと画面の向こうの存在としておきたいって気持ちがある。
いや、とかいっても、平沢進や戸川純や凛として時雨も生で遠くから見る分にはその後の印象も変わらなかったしべつに問題ないのか。

山から見る景色にしてもそうだし、自分はあまり直接見るってことになにかを感じる人間ではないようにも思う。
たぶんウメハラを見ても「あ、ほんとうにいるんだ」くらいな気がする。
それならまだ大会イベントに行ってプレイ映像を見るほうが思ったり感じたりすることが多そう。
でもひとりじゃしんどいし、だれか誘うにしてもこればっかりは最低限でも自分程度には格ゲーに興味ある人じゃないときついからむずかしい。
そう考えるとボンちゃんのロードトリップあたりがかなり手頃なんだろうな。
今年はロードトリップ意識していこう。

ヘルフレイム

2019年3月10日 趣味
▼ウメ講演

眠い状態で見たのでおぼろげ。
後日見返さねば。
それでも印象に残っているのは質問タイムでの「深い思考とは?」に対し、「対象を色んな角度からとらえて考える。また思考そのものを楽しむ」みたく答えていたとこ。
好きな考え方なはずだけどこうも具体的に意識できてはいなかった。


▼ストリートファイターリーグRAGE第10節

マゴさんの笑顔。
ネモさんの笑顔。
ウメハラの真顔。

終了後マゴさんによるちょっとした解説。
特にバーディー戦。
バーディー側が押し切れない、むしろ自らが下がる状況。
ももちは戦いの中で自分を出しきりながらそこへ到達したのか。


▼お菓子

週末はほぼクリエイトに行っている。
そして菓子とコカ・コーラ(ゼロカロリー)を買い漁っている。
かなりアホなこと書くと、子供のころあればうれしかったお菓子を今は買い放題食い放題って・・・いやこれ大人ってすごくない?????
ちょっと本気で思うほど。
今さら。

そら子供のころほどの喜びはないし、楽しめる味も限られてきている感あるけど、それでもウマウマ思えるうちは堪能していきたい。
まあ健康に気遣いつつ。


▼マンガ創作

プロット整理して作風も決めた。
人物は諸星大二郎風にする。
今回はカラーでなくモノクロで。

義務メ

2019年3月13日 趣味
義務メ
▼最近

『アドベンチャー・タイム』も『ビッグバン・セオリー』も新しいの見終えてしまったので夕飯時にみるものがなくなった。
20分そこいらで気軽に見れるものを探さねば。
この上は義務視聴制度を復活させるか。
『僕のヒーローアカデミア』もそっからハマれたわけだし。


▼創作

ネーム1ページ分できた。
今作はコマ間に隙間をあけない形式で描くことにした。
今風ツイッターマンガ風を意識していく。

新作制作記念ということで2作目の猫マンガを未見の人にみてもらってるけど、皆一様に苦笑い反応なのが良い。
批判すらされないという。
その点新作はとっつきやすさはかなりのもんだと思う。

ちょうれっぱ

2019年3月15日 趣味
▼飛燕鳳凰脚

もう百合百合百合百合うっさい
うっさいはもう
それしかないのか?えもう病気か何かなのってくらいうっさい
うっさいはもう

もうさああのさあ百合はきらいじゃないよ
男男だろうが女女だろうが話としておもしろけりゃ楽しめるんだよぜんぜん
それは自体はいいんだよ
でもなんでもかんでもかんでもなんでも百合すーぐ百合
女の子同士でキャッキャしてたらもう
そう断定しないと死ぬの?だったらいいけど?え死なないの?だったらなんで?思うしよ

いやいいよ楽しみ方だよ人それぞれの
でも本来はそこまでの嗜好でもないのに空気に引っ張られてるだけだろ?って人は一回ちょっと考えよ?
改めて自分の性癖見つめなおそう
あーでも自分はほんとはそんなに百合好きじゃないかもきらいじゃないけど
って人相当いるだろ実際
なのに百合百合言う
周囲と同じ皆と同じ感じで楽しむんだワーイしかできないの?
自分をだまして盛り上げてって?
まあそれもそれだけどああ

つか何よりイラっとくるのが友情物語としての良さ楽しさを無しにしてしまってる場合があるのがなんだかもう
全部そういうふうにしちゃったら友だち同士の話の味ってものをまったく無視してしまってるじゃんか
すーぐ恋愛すーぐ性そればっかだと
ばかじゃないのほんとに
もったいないことなんだよこれはほんとに

学校で教えろよもう国語の時間とかに
受け取り方は自由ですがいっぺんとうではつまらないです視野狭窄ですって
視野狭窄とかそんな言葉好きだろ学生は
だからそれっぽい物語を題材にして百合派と百合じゃない派に分けてそっからそれぞれ逆の立場で討論するんだよ
本来百合派の人は友情譚として見た場合の良さを語って本来百合派じゃない人はもし百合だとしたら・・・で語る
百合とは?を語れそういう授業だ

だからもう俺は村岡ユウ先生の『もういっぽん!』(週刊少年チャンピオン連載中)はあくまで友情物語として見るから
見てるから
今のところ
いや女の子が女の子を好きになったっていい
性的に好きってなる展開も今後あるかもしれない
でも性は秘めたるものだから
秘めてこそ輝くものだから
そんななんでもかんでもあけすけにヘーイ百合百合ーはしゃぐのはかえって冒涜だからなそんなのは
性に対して百合に対して何より自分自身に対する冒涜なんだ
気付けせめて二十歳過ぎたら気付きなさいよ

剣道部の南雲さんが柔道部に行こうかどうか迷っている
ものっそい迷って葛藤している
柔道部には未知がいて楽しそうだからだ
そしてその思いは友情であるとしたほうが熱いじゃないか!
それともなにか性は肯定するけど友情は肯定しづらいみたいな昨今の風潮であり現代の病みみたいなのでもあるのか
性は欲望であり本能だからか
性はある意味疑似的にでも一方的に思うことができるけど友情の育みはそうはいかない
他者との交信が必要不可欠だからだ
そう考えると性であるとしたほうが理解しやすく感情移入もしやすいとか?
人間は物事を単純に簡単にしようとするものだというからこれは道理なのか
いや短絡的すぎるわ
いくらなんでも

ソニーの切り札

2019年3月17日 趣味
ソニーの切り札
▼映画『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』

もっと若いころに見ていたら感想も違っていたであろう。
今は映画というか物語に対してかなり擦れてしまったので「そっかー」って感じだった。
それでもラストの「はいはいおわりおわりー」感はかなり良かった。


▼アニメ『ラブ、デス&ロボット』

Netflixオリジナルの3DアニメSF短編集。
良い。
第1話がグログロのちょいエロで、第2話が怖いとこもあるけど雰囲気は一転してほのぼので。
毎回作風変わるっぽい。
尺も十数分で見やすいけど飯時には向いてなさそう。
でもいいの見つかったわ。


▼バラエティ『千鳥の相席食堂』

追加された。
おもっしろいわ。
研ナオコがなんか知らんけど妙にかわいかった。
人見知りなのがかなり意外。
▼アニメ『魁!!男塾』

尻百叩きとか拷問とかカイザーナックル装備での殴り合いとかあったけど基本的にほのぼのとしてた。
https://www.youtube.com/watch?v=kOguRuhmhBg


▼読書『面白いほどよくわかる!哲学の本』(秦野勝)

人は日々選択する。
その選択から自分がなにを重要視しているか、なにに価値を感じているかを考えなおし、自身がいかに生きようとしているかを知る。
”この世界を素通りするのではなく、吟味する日々。”というのは今の自分が一番求めていたところかもしれない。
なにか虚しい、なぜ虚しいんだ・・・って。
その答えを自分で探すためのヒントを得つつある、その実感がある。

哲学とは答えを知るものではなく、この世のすべてを問いとし、それへの挑み方、検証の仕方を学ぶもの。
らしい。
ありがたい。
▼LINE

母、妹、自分の3人でグループを作っている。
のだけど、母と妹の会話が違和感というかもう異次元に感じる。
だれこの人たち?・・・ってなる。
妹はともかく結構なお歳の母も絵文字バンバン使うし、なんかノリとかも、あなた方リアルでそんな感じでしたっけ??
って感じがすごくて。

あと最近はちょっと家族的ないざこざが勃発中で(自分には直接は関係ないのだけど)、それについて話し合ってる様子が少しこわい。
ものすごく話し合ってるなー・・・ピコピコ(アラーム音)鳴ってるなー・・・って感じがなんだか。
ストレス解消でもあるんだろうけど。

妹的には母だけにメッセージ送ってやりとりしたいっぽいけど、母がグループのほうしか見てない(?)のか気付かないかで、結局俺にも見える形になってしまっている。
べつにいいんだけど、たまにほんと「ひええ・・・」ってなる文章とかあるから、こわい。
それ俺が前アドバイス求められて言ったことだけど、それが発展して今この発言になってるのかなぁ・・・とかもあったり。
なんだか見ちゃいけないものを見ている気分にもなる。


▼マンガ創作

2ページ目のネームほぼできた。
予定は3ページだったけど4ページになりそう。
一回のツイートにおさまるようにはしたい。

とにかくこういうマンガって大体こんな感じ、こんな表現でいいはず、それが普通のはず、みたく既存イメージ頼りで描いてるけど、

”必死に練習して練習して練習に練習を重ねてなおかつ練習して練習して練習した果てに完成した作品が他人の作品と区別がつかないほど没個性って、それもう悲劇を通り越して喜劇だよな。”

という中川ホメオパシー先生のツイートにハッとさせられる。
うんまあ・・・まあそうなんすけど・・・・・・・そうなんすけど!
って。

とはいえ、いや、自分はまだ基本のきの字も知らんような段階だし、マンガを描き続けるにしても結局人から努力と言われるような練習もせぬままやっていくのだろうから関係ないか。
技術や経験的にもっと先にいる人たちの問題だろうこれは。
とにかく今はひとつひとつ作っていこう。

ハルク

2019年3月21日 趣味
▼アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』

新OP&新EDは、まあ、はい。
物語はスクアーロ&ティッツァーノ襲来。
「ジョルノがいいよー」は残念ながらカット。
「行くゼ!グラッツェ!」は地味~に好きなセリフなんだけど流れの中でさらっと吐かれた感じだった。


▼退屈はあなたを殺す

なんだかふと、今の生き方においての安心や納得は「自分史上最○」を意識するってところにあるのかもしれないと思った。
自分史上最速、最長、最強、最多、等々で。
これはウメハラのいう「一日ひとつだけ、強くなる。」に通じるものでもあるんじゃないだろか。
要は努力の積み重ねとか日々成長ってことなんだろうけど、自らに向けていうならこの表現が一番しっくりくる。

それはなんにせよ前回よりひとつでも一秒でも一文字でも勝ることができたのなら、この事柄については自分史上的に今が最盛であると、それを強く意識し認識できる表現だからだ。
努力や成長だけだと過程って感じが強いし。
なのでこの考え方は明確なゴールがないことにも使えるので、いろんなことを気楽に自己満足しながら進んでいける。
と思う。

幸せって結局自己満足のことなんじゃないだろうか。
そう考えるとなんだか美徳・美意識ってものを改めて学んでおく必要があるんじゃないかとも思う。
自己満足だけの行動は格好悪い場合があるからだ。
少なくとも幸いなことに、両親をはじめこれまで関わってきた人たちは、自分に恥の概念というものを教えてくれた。
自分が満足できるようなことでも、はた目から見れば恥ずかしいことだ、人には迷惑なことだ、というのがある。
それを知ったとき自分自身も恥ずかしいな、嫌だなと思える、少なくともそういう場合がある、程度のことは知っている人間ではあるはず。

そんなことを考えていたら、

”美意識ってすごい大事ですよ。美意識っていうのは、「こんなふうにしたら恥ずかしいな」とか、「こんなふうにしたら相手を傷つけるな」とかいう、バランス感覚をすべて含むものだから。つまり「ルール」だとか「エチケット」だとか、みんな含まれてくるわけですよ。”

というようなツイートが上手い具合に流れてきた。
楳図かずおの言葉だという。

自己満足だけを考えて追及してもきっと行き詰まりがくる。
ひとりで生きているわけではないからだ。
周囲との兼ね合いもふくめて考えて人間は自分自身であり個人なのだろうから。
本当に長く幸せでありたいなら美意識を兼ね備えた自己満足が理想的だろう。

今学んでいる地理が落ち着いたら美意識について考えてみる。
▼男酒

「男になりたい」「酒でも飲めば?」
とのアドバイスにより飲酒した。
チューハイが飲みやすいよーということでチューハイ。
ローソン行ったら陳列棚にはチューハイって書いてあるのに缶にはリキュールとだけ・・・意味がわからない。
とりあえず桃味選んだ。

【チューハイ】
「焼酎ハイボール」の略。炭酸水で割った焼酎。多く、果汁やシロップなどで風味づけをする。

【ハイボール】
ウイスキーなどを炭酸水で割り、氷を浮かべた飲み物。

【リキュール】
アルコールや蒸留酒に、糖分・果実エキス・香料などを加えた混成酒。

調べたら上のようなことらしいのでリキュールは味付けされたチューハイってことでいいのか。

レジでは年齢確認のため身分証明書とか提示するのかな?
ちょっと思ったんだけど、そんな光景見たことないし、まさかほんとに液晶画面タッチするだけ?
思ったらマジでタッチだけだった。
うわさでは聞いてたけどなんだこの無駄儀式・・・。

で350mlのを買ったんだけど結局半分も飲まなかった。
あの、なんかもう4分の1の時点で・・・これ飲みつづける意味って何??なったから。
顔が熱くなって頭の血管がビクビクなってボーっとなって視界がふらふら。
・・・・・・・で?
って。
これがなに?と。
いや、まっじっで意味がわからねえ。

「人間はなぜこのようなものを飲みたがるのだ?」
とかほんとにもう寄生生物みたいな気分になったし。
自分をわざわざ前後不覚に陥らせてなにが楽しいのか。

もしかしたらこの先に未知の楽しさが控えているのかもしれないけど・・・・・・・なーんかニャー。
ってなったのでお酒は「ない」。
俺ドルバッキーが出てきてしまったらもうない。
はい。
泉谷しげるも高橋英樹も舘ひろしも下戸だっていうしじゃあ飲めなくていいんじゃんって話だ。
男修行はまだまだ始まったばかりだ。
タイガーワールド
▼映画『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』

1980年8月2日公開シリーズ第25作。

倒れて入院したリリーのため寅さんが沖縄へ飛ぶ。
リリーはこの見舞いにより元気をとりもどし、退院後も療養のため現地の家へ居候。
そこに寅さんも共に住んでイチャコラ。
イチャコラ・・・シリーズ始まってこれが一番だろってくらいに。

だからもう、というか今度こそ、はい終わり終わりー!!
今作でついに完結編です!!!!
で・・・よかったと思うんだよ。
何度も書いてきたけど今度こそ本気で。
だってそのチャンスが二回もあったわけだし。
二回もだよ・・・

まず、俺でもわかるくらいの愛の告白がリリーからあったんだ。
男の世話になるなんてまっぴらだよ!・・・まあ、あんたとあたしが夫婦なら別だけどさ・・・・
って・・・・・・・・・・・・
でこの告白を、寅さん、というか寅次郎さんは例のばかいっちゃいけねえよ調子でスルー。
おおおおううう・・・・・・・・
ってのが一回目。
もおお。

二回目が、とらやで、とらやの皆の前で。
沖縄での思い出を語りひたりつつな中で・・・・・・
とらさんが、ふと、「リリー、俺と所帯もつか?」って。
もうどうにも。
ちくしょう。

ここで柄じゃない、しょせんは夢、ってリリーに返されたけど、寅さんが「本気だ」って言えば、そのひと言でよかったんじゃないのか。
起き上がって面向かってそのただのひと言で。

リリーは賢くて強い女性だけど、その賢さと強さがときに、いやちがうわさすがに寅さんのほうの問題だわ。
ここまでお膳立てされといて、なぜだ。

でもじゃあここまでのシリーズの流れで、寅さんが照れながら「じゃあ俺と夫婦になるか?」とか面向かって「本気だ」と言えることに不自然さはないか?
と考えるとまあ・・・不自然・・・と言わざるを・・・。

だから結局、普段からの備えだ。
心構えだ。
時には弱さをさらけだすことも強さなんじゃないのか。
こと恋愛においては。
それをいざというときに後先考えずに出せる、出す、そう決意しておかねば。
弱いんだから寅さんも、俺も。
強がらない強さが必要だ。
もっと自信を養わなければ。


▼映画『男はつらいよ50 おかえり、寅さん』(仮題)

2019年12月27日(金)公開予定だという。
主題歌を歌うのが渥美清でなく桑田佳祐というのは正直あまり歓迎できない。
桑田佳祐がどうこうではなく最終作ではやっぱり渥美清のあの歌声を聴きたいから。
49作目は八代亜紀が歌っているらしいけどあれは特別編でもあるからまあって感じだし。

だから俺が考えた50作目のエンディングは、ひと通り本編の物語が終わったあとで、寅さんがハッと目を覚ます場面になる。
あの例のいつもの始まりのやつで(ここは旧作の使いまわしでもいい)。
で、あれ?じゃこの50作目ってもしかして寅さんの夢だったんじゃ・・・
って観客がなったところで、満を持して渥美清による主題歌が流れ、スタッフロール、終わり。

シリーズお約束のOPをEDにもってくることで寅さんの旅・銀幕の夢は続くんですエンドという形。
これならどうだろうか。
未練がましいだろうか。
▼映画『キャプテン・マーベル』

TOHOシネマズで鑑賞。
まあおもしろかった。
しっかり楽しめた。
やっぱりマーベルの映画って好みや他作と比べての良し悪しはあっても基本作りがしっかりしてる。
各々の要素に気が利いてるというか。

それに引き換えDC映画は・・・とか言いたいわけじゃないんだけどまあそういうことでもある。
『ダークナイト』から後はどうしてもはパッとしない印象ばかりで『アクアマン』でようやく本気出し始めた?という感じだし。
『スーサイド・スクワッド』(2016年公開)を早くもリブートするというし今後のDCEUは意識していきたい。

主演のブリー・ラーソンもいちいち絵がしっかりしてた。
なんだろうかこの女性ヒーローとしてのしっかり感は。
過不足なくカッコ良くて魅力的で説得力のあるたたずまい。
あんまり演技や役者についてはわからない自分ですら『ショート・ターム』で知っていい役者さんなんだろうなと感じたくらいだったし。

キャプテン・マーベルは『アベンジャーズ』での活躍も楽しみだけど、攻撃手段や能力的にとどめ要員かおとり要員かのどっちかになりそう。
あのサノスってそもそも真っ当な手段で倒せるような相手じゃないだろうし。
アントマンとかドクター・ストレンジあたりが特に活躍すると予想する。
ドクター・ストレンジはサノスに消されたけど、あの人なんだか自力でもどってきそうな気がしている。


▼特撮『騎士竜戦隊リュウソウジャー』

YouTube公式チャンネルで1、2話視聴。
これは・・・ダメっぽい。
まだ序盤だけどこういうので後々によくなったためしはない。
メインライターを変えないかぎり。

第1話は、なんか色々お約束のタイミングを変えてたけど、それが功を奏していたとも思えず。
名乗りのタイミングとか、合体状態をロボの初お披露目にするとか、奇をてらっただけで気持ちいい流れにはなってなかった。
ロボの動きはよかったけどそんだけって感じ。

第2話は、前回目の前で散っていった師匠たちのことにはいっさい触れず、なんかバカっぽいノリでスタート。
それなら悲しみを引きずるリュウソウジャーたち、そこへ明るいノリのういさん登場、なんだかんだ元気づけられて自然とお近づき展開でよかったんじゃないだろうか。
なんかバカっぽいのがレッド、ピンク、ういさん、ういさん父、って多くない?思ったし。

で早くもゲスト一般人のお悩み解決話入ったけど、それはいいんだけど、やっぱりなんだか話作りにうまさを感じない。
まだ2話なんだし、それならゲストの「一番にならねば」に同意するメンバーと反対するメンバーに分かれて個性を色づけていったほうが見やすくなったような。
2話目にしてギャグな能力を押す意味もわからなかったし。

敵は今のところ可もなく不可もなく。
なんだろうか、例えばだけど、あの敵の武闘派なやつを丁寧語でしゃべらせるだけでももうちょっと個性が出たと思うんだけどな。
まあそういうのは『キョウリュウジャー』でもカオス様なんかがいるし、これ劣化『キョウリュウジャー』なのかな・・・感が強くなってしまうおそれがあるか。
でもあの『キョウリュウジャー』のラッキューロみたいなやつは案の定”ラッキューロみたいなやつ”言われてるし、どうしていきたいのかわからない。

とにかく特撮ヒーローファンを身近で見つけたので、じゃあ『リュウソウジャー』は見てくから毎週語ろうぜ!を楽しみにしてたのに、ちょっとこれでは見続ける自信がない。
まあでも「こうすればよかったんじゃない?」的な感じで語っていくのもありか。

男たるもの

2019年3月25日 趣味
▼アニメ『魁!!男塾』

第2話「爆走男塾!俺達の前を行く奴は許さねェ」
寮から通学するのにとにかく真っ直ぐ行けと言われる。
「壁ありますけどー?」「ばかもん直進じゃー!」って壁もなんもぶっこわしながら。
これぞ男塾名物────『直進行軍』!!!!!!!!!
人ん家だろうがヤクザの事務所だろうが関係なく葬式の最中でも「押忍!失礼します!」つってドカーンザッザッザッザッ。
男だねぇ。


▼3度目の別れ

離婚によりその家の甥姪にもう会えないっぽい。
今までも別れるだなんだが2回あって「ああもうこいつらとも会えないのか・・・」そのたびになってたけど、今度はもうマジで別れおった。
どうなんだろうかこういう場合、ほんとにもう会う機会はないんだろうか。
まあ今生の別れではないわけだけど。

特にその家の三男(4歳)は自分がとってもヒマだった時期にかなりお世話させてもらったので思い入れが深い。
全甥姪シリーズの中でも触れ合った時間は断トツだ。
ここ最近も離婚のゴタゴタでまた可能なときは世話してたんだけど、その最後の日の両者の温度差たるや。
大きくなったらまた遊びにきなよ、ひとりでも、くらいしか言えんかった。
やつは、今度はおじちゃんが泊まりにきて、言ってきて。
あの環境でこの子はどう育つんだろう・・・を考えるとどうにも複雑なものがある。

しかしなるようにしかならんとも思う。
立派な家庭だからまともに育つとはかぎらないわけだし、やつはこれから保育園行って学校行っていろんな人間の中で成長していく。
その家の次女にしても、もっと小さな頃は「この子大丈夫なのかな・・・」ちょっと思ってたけど、今は少なくとも自分が見るかぎりはとても愛嬌のある子になった。
次女からももうプリキュアを描かされることもないんだな、仕事直前に最新プリキュア4人全員+妖精2体を描いて言われることもないんだな思うと、正直解放感もあるけどやっぱりさみしいわ。

まあでもほんとになるようにしかならん。
▼酒

飲酒アドバイザーによるとひとり酒はややレベルが高いらしい。
酔った状態を身近な人と共有して、それでどう感じるか試してみてはとのこと。
それか酔いながら好きな映像や音楽を鑑賞したりとか。

まあたしかに一理ありそう・・・思ったけど、あの状態はどちらかといえば自分にとって不快だから、そうまでせなあかん?ってのがどうしても。
お酒をぐいぐい飲んでる自分像に憧れを感じているわけでもないし。
俺は好きなアーティストのライブに行っても、後ろのほうで棒立ちでいたり、じっとして座ってたり、声も出さず動かないままでいたいし、とにかく普段の自分を壊さないで楽しむことが好きなんだ。
だからお化け屋敷とかでもビックリして自分じゃなくなる状態になるのが嫌すぎて苦手というのがある(あと素直に怖い)。
理性を失くすのがすごいストレスなんじゃないかと思う。
それってお酒を飲む意味や醍醐味には反していることなんではないかな。
理性を失くす楽しさが理解できない。


▼マンガ創作

ネーム2ページ目できた。
自由な時間が増えたのでもう少しペース上げられるはず。
次の休日こそはマンガ創作をメインにしてネームを終わらせたい。

「イラストを描く」ってなると初心者のくせにムダにやたらに人体の比率とか気にするわりに、「マンガを描く」だとまったく気にならないのが不思議。
イラストのアドバイスで聴いた「頭の中にあるものを出せばいい」をクオリティはともかく素直に実践できる。
マンガだと伝えたいのは物語だから、物語が伝わりさえすればいいと割り切れるからかな。


▼哲学

いまだ概要を学んでいっている段階だけど、
「えっこれを知ってる(た)人ってずるくない?」
ちょっと思えるようなことがあったりもする。
物事の考え方、そのひとつのモデルをずばり教えてくれたりもするし。

「デカルトの4つの規則」とか初めて知ったけど、なんで今初めて知ったんだ俺は・・・なったり。
それともこれは、さまざまな学業や経験のなかで自らつかみとるべきものだから、義務教育程度ではあえて教えないよってことなんかな。

でも「分割の規則」「段階の規則」みたいなことって自分は『キン肉マン』から漠然と学んだわけだけど(強大な敵に対してはいっぺんに挑もうとしないこと、圧倒されないことが大事。まずは自分のでき得ることから少しずつ崩していく的な)、具体的な言葉で「それってこういうことだよ」みたく教えるのはけっこう意味のあることのように思うんだけどな。
「言われてみればそんなふうに考えてるな、あれはそう教えられてたな」って再認識するだけでも。

まあでも実際高校の時にそういう授業受けてたとしても「フーン」つって机に落書きとかしてたろう俺は。
もう。
▼ツイッター

ツイッターを見るときはTLではなく専らリストだ。
主には、格闘ゲーム、マンガ、ネタ、って感じで分けてる。
で意図したわけではないのだけど、格闘ゲーム以外のリストが気がついたらドロドロしている。
ツイートしてる人たち同士がどうこうでなく雰囲気がなんだか。
結局「自分の好み」で何かを集めていくとこうなるんだなぁ・・・と思っとる次第。

マンガとかが気に入ってリスト入れた人とかも、「わかりみが深い」って言い回しイラつくんだよツイートしていたり、「語彙」をNGワードにしましたツイートしてたりと、やっぱりなんだかこういうのは波長ってやつなのかなーと思う。
自分はそこまでじゃないけど、たしかに「語彙語彙うっさいな」たまに思うし。
そんな人はリストに入れてないけどたまに外のツイッター見るとほんとに。

語彙語彙言う人はアレ「語彙とぼしくてすいません」ってことなんだろうか。
だったらよけいに語彙って言葉使っちゃダメじゃない?思うんだけどな。
手垢つきまくっとるのにまだ使う?しかもそのタイミングで?って。

感動をうまく表現したいけど言葉が見つからないーってときにも使われてるけど、その気持ちがあるならせめて流行りの言葉に頼るような真似はしないほうがいいだろうにと。
まあそんな、そこまで考えずただワーってなりたい、自分ワーってなってます!そんな自分を知ってください!共感しましょう!流行りの言葉も使ってます!
ってのが目的な場合はむしろそれでいいっちゃいいのかとも思うけど。

またそれとは別に何かにおどろいたことを表明するため「え!?」とかだけ書かれたツイートあるけど、そう思った・感じた瞬間からツイートするまでのタイムラグがあるわけだから、本来これは有り得ないツイートなんじゃないかとずっと思っている。
頭で思った瞬間ツイートされる、何らかの方法でツイッターと脳が直結してなきゃおかしくないか?って。
俺がおかしいのだろうか。
でもこれって厳密に言えば「今『え!?』って思ったことをみんなに知ってもらおう」って意図があるわけだから、感情との間にそういう冷静な理性を挟んでの「え!?」はもう「え!?」じゃなくない?って。
「いやーおどろきましたー」みたいな事後報告でいいじゃんか思ってしまう。

それともツイッタラーレベルもトップクラスになってくるとマジで感情とほぼ直結みたいになってくるのかな。
何かでうわぁって思ったら、もうほとんど無意識な感じでフラーっスマホに指いって文字打ち込んでフラーっとツイートみたく。
見たいなその現場。
あ、ほんとにそうなんだ、って思えるなら思いたいし。
スパイダーサイクロン
▼ストリートファイター5CPT『NorCal Regionals 2019』

トップ8までをあききさん配信にて。
おもしろい試合が多かった。
国内じゃほぼ見ないGをスマッグや801ストライダーが使っててまあ強いこと。
火力火力。
ルーザーズながらスマッグはトップ8まで上がったし。
ウメハラの対ベガ戦におけるやたらアグレッシブなガイルも盛り上がり。
そしてキエエエエエエエエ。
明日決勝はすこし見れるかな。


▼映画『そこのみにて光輝く』

Huluで視聴。
以下ややネタバレ。

自分はこういう作品を見るのに向いてない人間だと思う。
この手の作品を見る理由がまったく思い当たらないから。
見ている間も「これを俺が見る意味・・・!」みたくときどき考えてしまったし。
創作には、物語には楽しさやもっと単純な刺激をもとめているんだ。
何か語ることがあるならそのなかでやってほしいという本音がある。

でこの作品は、だから、どういう人間に、どういう・・・何を残す作品なんだろう?って考えた。
自分向けではないのだからそう考えるしかと。
わっかんねーって。
ただそんな自分にとっても無意味な作品ではなかった。
最後の二人の笑顔を自然にみれたから、それだけでも意味はあったと感じている。
というかそれが全て。

寄り添いたい、寄り添ってくれる、そんな相手に出会えた。
自分の傍にいてくれる人。
そら笑顔にもなるよと。
なあ。
なあて。
って。
こんな笑みがいつの日かできるものかよ。

演者のことをいうと、菅田将暉はべつに嫌いじゃないし悪くなかったけどこの役ならもっとふさわしい役者がいるのでは?とか思ってしまった。
わからんけど、無責任だから言えるんだけどなんとなく。

綾野剛はずるいと思った。
この雰囲気イケメン雰囲気イケメンすぎない?って。
いやカッコええわ。
こんなセクシー。
こんなやつがふらーっと現れたらそら物語もはじまるよ。
ノンケな自分でも迫られたら状況次第ではそのまま抱かれる自信ありくらいのセクシー。
セクシースパイダー。

池脇千鶴はギリ程良いって感じだった。
これよりもう少しきれいだったらファンタジーだろ思うところのギリ。
映画『海月姫』見たくなった。
とりあえずこれよりは平和な世界で暮らしている池脇千鶴を見たくなったから。


▼マンガ創作

ネーム最後の4ページ目の途中までできた。
あとひと息のところで悩んでとまる。
最後のコマは決まっているのだけどそこにもっていくまでをどう描くかで。
まあでも、割り切ろう。
伝わればいいんだ。

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