ちょうれっぱ

2019年3月15日 趣味
▼飛燕鳳凰脚

もう百合百合百合百合うっさい
うっさいはもう
それしかないのか?えもう病気か何かなのってくらいうっさい
うっさいはもう

もうさああのさあ百合はきらいじゃないよ
男男だろうが女女だろうが話としておもしろけりゃ楽しめるんだよぜんぜん
それは自体はいいんだよ
でもなんでもかんでもかんでもなんでも百合すーぐ百合
女の子同士でキャッキャしてたらもう
そう断定しないと死ぬの?だったらいいけど?え死なないの?だったらなんで?思うしよ

いやいいよ楽しみ方だよ人それぞれの
でも本来はそこまでの嗜好でもないのに空気に引っ張られてるだけだろ?って人は一回ちょっと考えよ?
改めて自分の性癖見つめなおそう
あーでも自分はほんとはそんなに百合好きじゃないかもきらいじゃないけど
って人相当いるだろ実際
なのに百合百合言う
周囲と同じ皆と同じ感じで楽しむんだワーイしかできないの?
自分をだまして盛り上げてって?
まあそれもそれだけどああ

つか何よりイラっとくるのが友情物語としての良さ楽しさを無しにしてしまってる場合があるのがなんだかもう
全部そういうふうにしちゃったら友だち同士の話の味ってものをまったく無視してしまってるじゃんか
すーぐ恋愛すーぐ性そればっかだと
ばかじゃないのほんとに
もったいないことなんだよこれはほんとに

学校で教えろよもう国語の時間とかに
受け取り方は自由ですがいっぺんとうではつまらないです視野狭窄ですって
視野狭窄とかそんな言葉好きだろ学生は
だからそれっぽい物語を題材にして百合派と百合じゃない派に分けてそっからそれぞれ逆の立場で討論するんだよ
本来百合派の人は友情譚として見た場合の良さを語って本来百合派じゃない人はもし百合だとしたら・・・で語る
百合とは?を語れそういう授業だ

だからもう俺は村岡ユウ先生の『もういっぽん!』(週刊少年チャンピオン連載中)はあくまで友情物語として見るから
見てるから
今のところ
いや女の子が女の子を好きになったっていい
性的に好きってなる展開も今後あるかもしれない
でも性は秘めたるものだから
秘めてこそ輝くものだから
そんななんでもかんでもあけすけにヘーイ百合百合ーはしゃぐのはかえって冒涜だからなそんなのは
性に対して百合に対して何より自分自身に対する冒涜なんだ
気付けせめて二十歳過ぎたら気付きなさいよ

剣道部の南雲さんが柔道部に行こうかどうか迷っている
ものっそい迷って葛藤している
柔道部には未知がいて楽しそうだからだ
そしてその思いは友情であるとしたほうが熱いじゃないか!
それともなにか性は肯定するけど友情は肯定しづらいみたいな昨今の風潮であり現代の病みみたいなのでもあるのか
性は欲望であり本能だからか
性はある意味疑似的にでも一方的に思うことができるけど友情の育みはそうはいかない
他者との交信が必要不可欠だからだ
そう考えると性であるとしたほうが理解しやすく感情移入もしやすいとか?
人間は物事を単純に簡単にしようとするものだというからこれは道理なのか
いや短絡的すぎるわ
いくらなんでも

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