▼アニメ『僕のヒーローアカデミア』

第40話~第58話をhuluで一気見。
本日放映の最新話に追いついた。
そのつもりはなかったんだけど40話以降止められなかった。
まあ休みだしいいやと。
というかそれ以上におもしろいし重要な敵出るし重大な謎明かされるし、それでいて平常学校パートは楽しいしでこいつらもう大好きだわ・・・なって。
微妙だったのは最新話の特別編だけだ。

このアニメのOPは最初からべつに悪かないんだけど個人的にあんまり好みでないのが続いてわりと飛ばし勝ちだった。
でも3期のは最初のも今のも良い。
好みでいえば最初のほう。
男がヒステリック、電子、元々そういうのが好きなので。

3期OP1「ODD FUTURE」UVERworld
https://www.youtube.com/watch?v=FNgZ72EV9ls

絵的には死柄木と脳無ワサワサのとこがすごく良い。
しかし泣けるのはやっぱりオールマイトのとこ。
アニメ本編のある事件のあとに見るとしびれるくらいカッコイイ。

3期OP2「Make my story」Lenny code fiction
https://www.youtube.com/watch?v=WUDWBg4cFiw

3期OP2は1よりもっとわかりやすくキャッチーな感じ。
1、2共に本編で進行する内容に雰囲気合わせてある。
絵的に好きなのはオールマイトと最後の葉隠さん(透明な人)。
というかとにかくオールマイトが好きなんだな俺は。


▼ロクデナシ人間の反省

親族と当たり前の会話ができない。
「こんにちは、おひさしぶりですー、えー、前お会いしたのって・・・あ、そうそう、そのせつは・・・」みたいななんかそういうのができない。
向こうから挨拶されても「あ、ハイ、どうも・・・」(ペコリ)。
終了。
ニコリともしないことすらある。
僕はこういう人間なんで、話せないタイプなんです、アピール。
いい歳してなんなんだ俺は。

だって、当たり前の会話って、する必要ある?
当たり前のことなんて話す内容最初から決まってるのお互い知ってるんだから話す必要なくない?
思ってしまう。
でもほんとは、そうじゃなくて、「話す内容」ではなく「話すこと自体」に意味があることも知っている。
さすがにそこはもう認められる年齢にはなった。

あと俺が、相手に興味がないし、興味を持たれたくないってのもある。
興味を持たれて普通の会話がそこそこ続くうちに、普通の大人ができるような会話ができない人間なんだなとバレるのがつらい。
車乗らないし外あんま出ないから地理知らんし、野球にもサッカーにも、親族にどういう人間がいるとかも興味ないから。
興味ないことはほんとうに「へえ・・・」「あ、そうなんですか」で終わらせてしまう。
そんなありさまなのに嘘をついて興味持ったフリしてまで会話する必要ある?どうしても思ってしまう。

だから今日はチビたちに救われた。
俺に懐いてくれてるチビたちのおかげですごく間が持ったし、子供が怖がってないんだからそう悪い人間ではないんだろう、とか少なくとも思われたんじゃないだろうか・・・ってとこで救われた。
情けなし。
といいつつ、親族からとっつきにくい人間だと思われているならそっちのが楽でいいや・・・と思っているのが事実で、情けなさよりそっちの気持ちの方が強いんだ実際。

大人は、不必要なこと、大して意味がないと知っていることまでまるで全て大事なことのように、例えフリでも一生懸命やらなきゃいけないのがつらい。
その点子供は、本当に自分にとって意味のあること、必要だと考えることだけをやろうとするから、それに付き合ってやりたいと心から思える。
ほんとに中学生のようなことを言うようだけどむしろこうした考えは年々強くなっている気すらある。
無駄だと本当はわかっているのになぜやるの?って。
それが大人だなんてのは答えになってなくて、ただその先や別の考え方を放棄してるだけなのではとしか思えない。
もう本当に。

が、これが仕事だと、180度変わるんだな。
むしろそういう俺みたいな人間ばかりの中に放り込まれると、とたんめちゃめちゃ誰とでもコミュニケーションとったるマンと化す。
だってそうじゃないと定時に帰れないから!!!!があるからね。
意味があるとかないとかどーーでもいいわ俺自身が潤滑油になることだ!!って。
だから以前、どうしようもない俺しか知らない人が、職場の俺を見たとき、「だれ?って思った」って感想はそらそうだろうと。
俺の自由と決めている時間を奪うものはなんであろうと許さない。
それで自分の性格が邪魔なら自分の性格を一時的にでも殺す。
この考え方や原動力を、あらゆる場所で発揮できれば、もうすこし親戚づきあいもうまくいくだろうに。
どうにかならんものか。


▼読書

『桜の樹の下には』 (梶井 基次郎)
『太郎と街』 (梶井 基次郎)

『桜の樹の下には』はさすがに読んでた。
梶井基次郎の作品は詩的だと評価されているのを知り、ほんのちょっぴりだけなんか、そういうことなんか、思えた。
詩ってどう理解すればいいのか昔っからわからんのよな・・・
調べてみるかな。


▼明日の予定

『男はつらいよ 虎次郎恋歌』見る。
例の本をとにかく1ページでも読む。
▼特に何もなかった日

今日は特に何もなかった。
人に休日どうだったか聞いて「特に何もない」って返されると、
「そんなわけないだろう。例えば一日中寝てたって夢くらい見るだろうし、どんな体勢や格好や寝具で寝てたとか話せることはあるはず」
とかめんどくさいこと言ったりする自分だけど(親しい人間に対して冗談半分で)、今日はほんとに特に何もなかった。
ずっとゴロゴロしてた。
そんな日もあるよねーって。

結局『男はつらいよ』も見なかった。
やはりあれは日曜に見るのはもったいない、土曜の午前中に見るべきだ。

詩については少し調べた。
詩は理解するものじゃなくて感じるものだ、何度も触れていくうちにきっとわかるようになる、みたいな意見が多かったけどウソつけって思った。
それは単に理解に至る工程や仕組みを説明するのが面倒なだけだろうと。
世の中にはもしかしたら説明のつかないものがあるかもしれないけど、少なくとも人間が作り出したものであればすべて説明は付けられるはず。
ひねくれ者の素直な意見としてはそう。
なのでここはプロに頼るべきと思い『詩のこころを読む』(茨木 のり子)を購入。
詩の入門書・解説書としてかなり良いよ!とのことで。
今週はこれをメインに読んでいく。


▼今週末の予定

土曜日に大山に登る。
今週そのための準備を少しずつしていく。
むずかしそうなら再来週にする。
僕のポエマーアカデミア
▼アニメ『バキ』

ドリアンVS末堂。
ジェットコースター。
三戦。
落下。
糸。
烈。


▼詩・評論『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

わかりやすい。
著者にとって思い出深い詩一作ごとに感想・解説がそえられている。
この詩をどう解釈しどう感じたか、またなぜそう感じたのか等。
感じかたは人それぞれだろうけど、今はとりあえず著者というかのり子先生の感性に全面的にそって考えてみる。
そうするとなぜ自分は同じような感じかたができないのか、自分に足りてないのはなんなのかが、はっきりとした答えでなくともヒントとして見えてくる。
そして、これはかなり道のりは遠そうだぞ・・・と改めて思う。

まだ全部は読んでないけど、とりあえず先生の解説は自分にとってふりがなのようなもの。
それがなくては本当に解釈すらおぼつかない。
詩は自分にとってあまりにもカオスな創作物だ。
詩にもいくつかの型のようなものがあるのだろうか。
あるとすごく助かりそうなんだけど。
というこんな思いつき自体がすでに詩を理解することとは程遠い考え方なのかもしれない。

詩は、書かれているものから感銘を受けるというよりは、それによってもともと自分の中にあるものに気付かされたり引っ張り出されたりして心動かされるもののような気がしてきている。
感動とはそもそもそういうものなのだろうか。
しかしそれだともうどうしようもないんじゃないか?って思えてもくる。
たとえば桜を見て「ああ、いいな」と思う感性、そういうのがもともとなかったら花の美しさをどう巧みな言葉で表現されても「ふーん」としか思えないではないですか先生。
詩のこころを読むには、もっと感性を、自身の心を養うことが肝要ということなのでしょうか。

最近は名作といわれている小説を読んでいても、ただ読んだ数を増やすだけでは意味が薄いような気がしている。
教養が足りてなくてはそもそもの理解度が低いのだから。
やはり必要なのは教養と感性の底上げなのではないだろうか。
よりこの世の中を楽しむためには。
そして道のりは遠くとも、手を付けること自体は容易であるなら、手を付けてみるべきだろう。
先生力を貸してくれ・・・。
光あれ
▼ドラマ『ザ・フラッシュ』

シーズン4第22話「光の計画」
シーズン4最終話直前。
でもけっこう色々な謎溜まってるし次シーズンやる気満々だなと。
謎のスピードスター(?)娘やら、セシルのことやら、ケイトリンのトラウマやら。
特にケイトリンの件はなぜこのタイミングで?ってちょっと。
おかしくはないんだけどこれがキラーフロスト復活の伏線ってことなんだろうか。
キラーフロスト好きだけど、でもそこまで満を持して的なキャラではないような気も。
とはいえなんだかんだあったけどどう終わるのか楽しみ。


▼ポエマーアカデミア

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

“いつも思うのですが 、言葉が離陸の瞬間を持っていないものは 、詩とはいえません 。”

“重装備でじりじり地を這い、登山するのが散文なら 、地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます 。”

上記解説でなんかちょっと、わからんけど、わからんでもない、思えた。
しかしそれ止まりだ。
先生はすごい。
そして詩は自分にとってあまりにも深すぎる難物。
なんかもう先が見えない。
将来的にわかった感じになっている自分が想像できない。

わかりやすさ的に初心者向けの詩があるなら、それがどういったものなのか知りたい。
これは、こうだから、こう感じられるよね?に対して、
「うん!」ってなりたい。
でそっから徐々にレベルを上げていく・・・みたいな感じじゃダメなのか。
どうなんだ先生。

*タメイキ*

2018年8月30日 趣味
*タメイキ*
▼ポエアカ

『詩のこころを読む』(茨木 のり子)

”詩人が人々に供給すべきものは 、感動である 。それは必ずしも深い思想や 、明確な世界観や 、鋭い社会分析を必要としない 。むしろかえって 、それらが詩人を不必要にえらぶらせ 、そのため詩の感動を失わせることが少なくない 。詩人は感動によってのみ詩を生み 、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである 。”

谷川俊太郎の言葉だという。
俊太郎がそう言うならそうなんだろう。
俊太郎にはマンガ『ピーナッツ』でお世話になったし。
あとワープロを知ったとき、じゃあ手書きよりこっちのがいいじゃんって乗り換えて今はMacBookで詩を書いてるってとこも非常に好ましい。

詩には言葉の離陸があってこそで、そして人に感動をあたえるためのもの。
いまだなんら具体的なところはつかめてないけど、それでも大家の二人から「こういうものだよ」といった言葉を得られたのは大変な収穫に思う。
もしかしてこういうことこそが、詩においては最も具体的なところなのかもしれない。
詩を読んで、ふっとなにかを思ったとき、「でも詩を味わうってこういうことでいいの?」って不安がどうしてもあったのだけど、とりあえずはそれでいいんだ、先生も俊太郎も言ってたし、って思えるようになるのは大きな前進だ。
もちろん上でいわれている感動が、はたしてどれほどの意味や質や大きさをもったものなのかは、自分には到底計り知れたことではないんだけど、それでも基本のとっかかりとしては十分心強く思う。

またいまさらながら辞書等で『詩』を引いてみると、

・文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。(デジタル大辞泉)
・言語芸術の作品(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

とあるので、とにかくそういうものなんだなと。
詩の意味の解説を読んで「・・・そういうこと伝えたかったならじゃあふつうの言葉で言えばいいじゃん?」と正直ちょいちょい思っていたけど、言葉による芸であり術であり作品なのだからと思えば納得(いやそらそうだろうということをずいぶんな遠回りで納得)。
それになにかを伝えるのにはふつうの言葉がどんな場合においても最上、というわけでもないだろうし、こうした作品だからこそよりいっそう正しく余さず色濃く伝えられるってこともあるだろう。
詩にかぎったことではなく世の中の作品ってのは皆そういうものなわけだし。

とりあえず俊太郎さんの詩、もっと読んでみたいと思った。

豚で死ねるか

2018年8月31日 趣味
豚で死ねるか
▼ドラマ『ザ・フラッシュ』

シーズン4第23話「新たな家族」
最終回。
今シーズンは大きな不満もなかったぶん大きな驚きもなかったような。
フラッシュの能力によって起こせるスケールのでかい事件は前シーズンまででやりつくした感がある。

新キャラのラルフはきらいじゃなかったけど回を隔てての扱いにブレがあったように感じた。
ゴム人間の動きも楽しかったけど新鮮味は特にないものだったし。
生き残ってくれたのはうれしいけど次シーズンも出るような感じじゃないのかな。

ハリーのことは悲しかった。
天才的頭脳を失い平凡な知性になった代わりに、おだやかで人好きのする人間にはなったけど、でも多分シスコと同じで、いち視聴者としては頑固で自意識が強くて自信過剰でイライラしては物を投げる(この悪癖は途中で改善)あの厄介で頼りになる天才ハリーが好きだった。

最後の戦いは、やはりこれまでのようなスピードスター対決のような派手さや満足感にはいたらなかった。
そしてその代わり(?)がマトリックス。
エージェント・スミスのごとくデヴォーがわらわらと。
能力を用いて総攻撃でなく肉弾戦。
人類一の知能はどうした。

前シーズンまでと比べるとちょっとやっぱり物足りない感じはあるものの、まあでも楽しめた。
今シーズンを経ての次がどうくるのかに期待。


▼アニメ『魔法が解けて』

Netflixオリジナルアニメ。
『ザ・シンプソンズ』等のクリエイターであるマット・グレイニング制作。
『ザ・シンプソンズ』な感じをお姫さまが主役のおとぎ話世界でやったら・・・なアニメ。
何が起きても不思議じゃないおとぎ話の世界に、あの傍若無人な作風をもちこんだらどうなるんだ的な。
先の展開がまったく見えない。

主役のお姫さまからしてナチュラルに不美人。
一時期はとくに日本のアニメで・・・美少女美少女、はいまた美少女、モブも母親も美少女美少女・・・なにこれブスのいない世界なん?
とか、美人美少女アレルギーにもなって、今はもうそんなことに不満もらすのも疲れて飽きて忘れちゃってたけど、ここへきて急にブスヒロイン。
ブスだろうがキャラが活き活きとしてりゃ魅力はあるんだよな、って海外アニメを見ているとつくづく思わされる。
まあまずは見てもらわなければならないわけだし、キャラクターは商品だから見た目も大事なんだけども。
しかし制作者のたしかな実績があってようやくこうしたヒロイン像でOKになるんだから、ある意味では創作品においてブスは美人より上の存在ともいえるんじゃないだろうか。
おいそれと扱えるもんじゃないよっていうそういう意味で。
わからんけど。

ただこのお姫さまビーンが、そこまで中身魅力的かといわれたらまだそうでもない。
型破りなお姫さまではあるけどそこまではちゃめちゃってわけでもなく。
むしろこのカオスな世界においては”普通”くらいといえる感じすらある。
姫に憑いたパーソナル悪魔のルーシーが悪事をうながす役割なもんだから(大したことはいわないけど)、姫自身はそこまででもないって程度で、そのぶんなりゆきで人を殺そうとすることもあるけど(うっかり殺っちゃったこともあるけど)優しさもあるよってところは守られているのかも。

まだとくに触れられていないところでも、掘り下げたら楽しそうな要素がすでにたくさん散りばめられている感じなので、そのへんやキャラクターの成長には期待したく、それなりに長く続いてほしいけど、無理っぽいような、今のところはそんなだ。
https://www.youtube.com/watch?v=pt2n508ROE4&feature=youtu.be

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