▼映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』
見ても見なくてもいいかなー思ってたけど一応見た。
結果、まあ、見なくてもよかったかなだった。
半分以上退屈でこれといった見どころもなく。
「夢でこんなん見たよ」程度の内容だった。
ロケ地をスペインにしたのは良かったように思えた。
▼マンガ『ザ・ムーン』
ジョージ秋山の伝説的巨大ロボットマンガ。
『ぼくらの』の元ネタとしても有名。
以下ネタバレ有り。
おもしろかった・・・・・・
大富豪の魔魔男爵によって造られた巨大ロボ・ザ・ムーン。
選ばれた9人の少年少女が近くで同時に念じないと動かない。
全員子供な上に9人の中には幼稚園児までいるのでいろいろ本当に大変。
でもがんばる・・・・・・・んだけど。
最後は、これきっとどうせろくな終わり方しないんだろうなぁ・・・覚悟してたとおりの終わり方。
打ち切りのブツ切りか全員死亡かなぁー。
で実際おそらくこのまま全員死亡したのであろうエンド。
なんでや。
ザ・ムーンは正義のために造られた。
正義には力が必要だとして。
力はより大きな力に負ける。
そこに子供たちによる純然たる正義があったとしても。
ごく単純な話だ。
『ザ・ムーン』は破壊と否定と真実の物語。
矛盾こそがこの世界の姿なのだと子供たちに伝える。
そして調べたらわりと多くの人が勘違いしているようだけど、ザ・ムーンは般若心経で動くロボではない。
来いー戦えーみたく9人で念じることで動き、さらに般若心経を唱えることで空を飛べるようになるのだ。
般若心経で集中力を高めるとサイコキネス(サイコキネシス)が発動するからね。
忘れないで。
▼音楽『筋肉少女帯』
『ザ・ムーン』に『断罪!断罪!また断罪!!』のやつが出てきたので「元ネタこれかー」思ってひさびさに聴いてみた。
また集め直そうか、今再びあえて筋肉少女帯でもいいんじゃないか?
多分知らないアルバムもたくさんあるだろうし?
と調べてみたらある時期までは思ってた以上にとりこぼさず聴いてたことがわかった。
そして、聴けばやっぱり今もって良いのだけれど、当時小・中学で聴きまくってたので、なんかもう体の中に染み込んでいる感じがあり、特に懐かしさもなく今さら聴かなくてもいいんじゃないかと思えたのだった。
▼映画『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』
1973年8月4日公開シリーズ第11作。
リリー(演:浅丘ルリ子)初登場作。
だから最後その、そこで追わないのか・・・ってなるやつ。
その場にいたおばちゃんだって「ちょっと!とめなくていいのかいっ?」言ってたのに。
でも、もちろんおばちゃんにはなんら責任はないのだけど、いっそ寅さんに迫って「ばか!はやく追っかけるんだよっ!」・・・くらいのはっぱはかけてもよかったんじゃないだろうか。
たまーにさくらとかにも、もう寅さんひとりじゃムリなのわかりきってるんだから、多少あなたたちからの強引なサポートがあってもいいんじゃない?思ってしまう自分は間違っているのだろうか。
甘えた考えだろうか。
いやそこまで寅さんの独り身を嘆くならさぁ・・・って。
これまでにもあったし、今作でもあったのだけど、寅さんのデリカシーのない言動で結ばれた男女はけっこういる。
さくらと博だってそうだったはずだし。
今作ではちょっとしたサイドストーリーとして博の若い同僚の恋物語がある。
職工青年・水原の職場を通うようにして同郷のめぐみが訪ねてくるのだ。
「あの・・・いつもすいませんけど、水原くん呼んでもらえますか?」もじもじと恥ずかしそうに言い、ふたりは初々しく語り合いながら肩を並べ柴又を歩いていく。
そんなんうらやましい以外の何ものでもない。
しかしふたりはまだ「付き合っている」とまではいってないようで、周囲は気を遣いそっと見守っている状況。
そこに寅さんがきては、
「かわいい恋人がまってるぞ、はやくきてやれ。――恋人、すぐ来るからね」
とバスーンと。
めぐみは泣き出してしまうが、しかしこれをきっかけに水原は自分の想いを伝えるに至るのだ。
でも・・・ダメか。
そういうお節介やサポートをしたところで、寅さんには「オレがあの人に惚れてるって?じょうだんいっちゃいけねえよ」の必殺文句があるからな。
さくらだって何度かマドンナの想いを寅さんへ伝えたことはあるのに上記セリフで否定されてしまっていた。
なぜだ。
なぜそんなにまで自分の気持ちを否定するのだ。
俺ならそんなお節介とってもありがたいと思ってしまうのに。
寅さんは人を愛せるすばらしい人間だけど、本当に心底から女性を愛したことはないのだろうか。
自分を捨てて裸になってまで女性を愛そうとはしない。
つまるところモラトリアム人間か。
今の世の中モラトリアム人間だらけじゃないか。
自分含めて。
でも俺は、「寅さん、なんで!?」って思うようなことは、だからこそしないようにする。
車寅次郎先生をパーフェクト反面教師として師事する。
さらに一方でこの人のやさしさ純粋さから学ぶべきところを見ていくのだ。
こう考えると、作中で寅さんに対しきっと同じような思いを抱くのであろう後の青年・満男シリーズも、まったく見る気なかったのになんだか興味わいてきた。
見ても見なくてもいいかなー思ってたけど一応見た。
結果、まあ、見なくてもよかったかなだった。
半分以上退屈でこれといった見どころもなく。
「夢でこんなん見たよ」程度の内容だった。
ロケ地をスペインにしたのは良かったように思えた。
▼マンガ『ザ・ムーン』
ジョージ秋山の伝説的巨大ロボットマンガ。
『ぼくらの』の元ネタとしても有名。
以下ネタバレ有り。
おもしろかった・・・・・・
大富豪の魔魔男爵によって造られた巨大ロボ・ザ・ムーン。
選ばれた9人の少年少女が近くで同時に念じないと動かない。
全員子供な上に9人の中には幼稚園児までいるのでいろいろ本当に大変。
でもがんばる・・・・・・・んだけど。
最後は、これきっとどうせろくな終わり方しないんだろうなぁ・・・覚悟してたとおりの終わり方。
打ち切りのブツ切りか全員死亡かなぁー。
で実際おそらくこのまま全員死亡したのであろうエンド。
なんでや。
ザ・ムーンは正義のために造られた。
正義には力が必要だとして。
力はより大きな力に負ける。
そこに子供たちによる純然たる正義があったとしても。
ごく単純な話だ。
『ザ・ムーン』は破壊と否定と真実の物語。
矛盾こそがこの世界の姿なのだと子供たちに伝える。
そして調べたらわりと多くの人が勘違いしているようだけど、ザ・ムーンは般若心経で動くロボではない。
来いー戦えーみたく9人で念じることで動き、さらに般若心経を唱えることで空を飛べるようになるのだ。
般若心経で集中力を高めるとサイコキネス(サイコキネシス)が発動するからね。
忘れないで。
▼音楽『筋肉少女帯』
『ザ・ムーン』に『断罪!断罪!また断罪!!』のやつが出てきたので「元ネタこれかー」思ってひさびさに聴いてみた。
また集め直そうか、今再びあえて筋肉少女帯でもいいんじゃないか?
多分知らないアルバムもたくさんあるだろうし?
と調べてみたらある時期までは思ってた以上にとりこぼさず聴いてたことがわかった。
そして、聴けばやっぱり今もって良いのだけれど、当時小・中学で聴きまくってたので、なんかもう体の中に染み込んでいる感じがあり、特に懐かしさもなく今さら聴かなくてもいいんじゃないかと思えたのだった。
▼映画『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』
1973年8月4日公開シリーズ第11作。
リリー(演:浅丘ルリ子)初登場作。
だから最後その、そこで追わないのか・・・ってなるやつ。
その場にいたおばちゃんだって「ちょっと!とめなくていいのかいっ?」言ってたのに。
でも、もちろんおばちゃんにはなんら責任はないのだけど、いっそ寅さんに迫って「ばか!はやく追っかけるんだよっ!」・・・くらいのはっぱはかけてもよかったんじゃないだろうか。
たまーにさくらとかにも、もう寅さんひとりじゃムリなのわかりきってるんだから、多少あなたたちからの強引なサポートがあってもいいんじゃない?思ってしまう自分は間違っているのだろうか。
甘えた考えだろうか。
いやそこまで寅さんの独り身を嘆くならさぁ・・・って。
これまでにもあったし、今作でもあったのだけど、寅さんのデリカシーのない言動で結ばれた男女はけっこういる。
さくらと博だってそうだったはずだし。
今作ではちょっとしたサイドストーリーとして博の若い同僚の恋物語がある。
職工青年・水原の職場を通うようにして同郷のめぐみが訪ねてくるのだ。
「あの・・・いつもすいませんけど、水原くん呼んでもらえますか?」もじもじと恥ずかしそうに言い、ふたりは初々しく語り合いながら肩を並べ柴又を歩いていく。
そんなんうらやましい以外の何ものでもない。
しかしふたりはまだ「付き合っている」とまではいってないようで、周囲は気を遣いそっと見守っている状況。
そこに寅さんがきては、
「かわいい恋人がまってるぞ、はやくきてやれ。――恋人、すぐ来るからね」
とバスーンと。
めぐみは泣き出してしまうが、しかしこれをきっかけに水原は自分の想いを伝えるに至るのだ。
でも・・・ダメか。
そういうお節介やサポートをしたところで、寅さんには「オレがあの人に惚れてるって?じょうだんいっちゃいけねえよ」の必殺文句があるからな。
さくらだって何度かマドンナの想いを寅さんへ伝えたことはあるのに上記セリフで否定されてしまっていた。
なぜだ。
なぜそんなにまで自分の気持ちを否定するのだ。
俺ならそんなお節介とってもありがたいと思ってしまうのに。
寅さんは人を愛せるすばらしい人間だけど、本当に心底から女性を愛したことはないのだろうか。
自分を捨てて裸になってまで女性を愛そうとはしない。
つまるところモラトリアム人間か。
今の世の中モラトリアム人間だらけじゃないか。
自分含めて。
でも俺は、「寅さん、なんで!?」って思うようなことは、だからこそしないようにする。
車寅次郎先生をパーフェクト反面教師として師事する。
さらに一方でこの人のやさしさ純粋さから学ぶべきところを見ていくのだ。
こう考えると、作中で寅さんに対しきっと同じような思いを抱くのであろう後の青年・満男シリーズも、まったく見る気なかったのになんだか興味わいてきた。