2019年

2019年1月1日 趣味
2019年
▼元日

今年もよろしくお願いします。

喪中なのでめでたい挨拶はできないけど、一月一日はジュリ(ストリートファイター)とマイおかんの誕生日でもあるので彼女ら個人に向けて言う。
生まれてきてくれてありがとう。


▼初マンガ『セトウツミ』

全巻読破した。
正直かなり、思う部分が残ってしまった・・・(以下若干ネタバレ含む)。

最終巻にはある大きな仕掛けが待ち構えている。
それはこれまでちらほら張りめぐらされてきた伏線の回収という形にもなっている。
んだけど、ほんとに正直、俺はそれいらなかったと思う。
過不足でいうところの実に「過」だったと思う。

アマゾンレビューなんかを見ると、この仕掛けは絶賛されてて、それもわかる。
たしかに評価される類のものだろうし。
ただその中で唯一星をひとつ減らしてたレビューの人がいて、その感想はほんとにもう全部、いや全部以上に思いを見事に書いてくれていた。
このマンガにはそんなんなくても傑作だったんだ、と。

せめて、この要素をいれるならせめて、内海にそうした思いはあったけど、自らの意思でそれを結局実行せぬまま計画は人知れず・・・いやハツ美だけには気付かれてたものの、でも瀬戸との出会い、瀬戸たちとの時間が、彼を少しだけ変えていて、表面的には初めから何事もなかったかのようにまた新たな彼らの時間が刻まれていく・・・って形でよかったんじゃないかと思う。
仕掛けまではしたものの、そのメガネだけは置かずに自分の意思で持ってきていた、とか読者には伝わるそんな描写とかで。

ほんとに最初からこうした展開にする予定だったのか、それとも何かしらの気負いによってこの形になったのか。
わからないけど、しかしたしかにドラマはともかく映画化までいったのはまーこの要素があったからなのかなーって気はする。

とはいえ締めくくりは文句なしによかった。
だからもう、瀬戸と内海が今のこのままのかたちでいられるのか、ってとこだけで、この作品には十分な大きなドラマだったはずなんだ。
それでよかったはずなんだけどな。

とにかく自分にとって”残る”作品であったことには間違いない。
あとはドラマ版が、ときに演出や構成が原作を上回ってると感じられるドラマ版が、この要素をどう消化しているのか不安を持ちつつ期待するだけだ。


▼イラスト

8頭身イラスト。
正方形を基準とした描法を編み出した。
前にも似たような描き方を考えたけど、それは頭の大きさを基準としたものだった。
今回のは頭の大きさがどうであれ、正方形、後々いろんな角度で描くようになったときには立方体として、定まった基準を設けられる描き方なのでより進化した形、のはずだ。
とりあえずはこれでやっていってみる。

今年もアイハブ

2019年1月3日 趣味
▼格ゲー配信『TOPANGA TV 年越しスペシャル』

少しずつ見ている。
今のところ正月感はほぼこの番組からでしか得られていない。

昨年CC覇者ガチくん、多少貫禄は出てきたように見えなくもないけど、本当に見えなくもない程度なのがらしくていい。
しゃべりやおもしろさは初期より断然出てきているのはまちがいない。
特に今回あの顔芸には笑った。

たまにときどさんがマゴさんに対し、表面的にはバラエティっぽいプロレス的な本気感で、雰囲気的には笑いあり、でもその思いは真実のものであろう、といったふうな説教をかましている瞬間が好きだ。
たまらなく好きだ。
個人で好きな人はたくさんいるけど、関係性ってところではなかなかなく、その少ない中において自分にはこの二人の関係が一番だ。

「おまえはもっとがんばんなきゃダメだろ」って物言いは、もっとがんばれる、やれるやつなんだからよ、なにがいじられキャラだよ、俺だけは認めないからな、っていう。
またときどさんがそういう態度だからこそ、逆説的にマゴさんのいじられキャラ具合がいっそういい感じにもなっているし、ときどさん当人もそれを踏まえつつの両対応的なツッコミがじつに味わい深い。
きっとときどさん的には、隙のある愛されキャラのマゴ、理詰めで強いマゴ、どちらも応援したい、それをするには自分はこの対応がベストだし実際ウソもない、っていうような思いでいるんじゃないだろうかと。

ときどさんはある意味、いまの格ゲーシーンにおいての立場は安定しているので、ここに変化のおもしろさがあるとしたらやはりマゴさん次第だ。
それもあるからマゴさんの戦いには今年もどうしたって注目せざるを得ないんだよな。


▼アイディア

昔っから思ってることだけど、親しい者らが3人以上いる場合にひとりだけが入れない話題を延々と続けるってなんなん?
がいまだに解消されてない疑問。
いや単純に困るだろって。

そんな話をしたいこともあるだろうし実際俺もあるけど、でも自分が話題に入ってる場合はなるべく早々に切り上げたり、もしくは取り残されてる人も入れるような形で話を振ったりするよ。
いや携帯とか見てりゃいーじゃん、じゃ、ねーんだよ。
限度があるわと。
ていうかそれならこのメンツのときは俺ここ来ないけど?べつに無理してまでそんな場にいる必要感じないし・・・って対応だとまたなんかめんどくさいこと言われるんだろうな。
ほんと意味がわからねーよ。

これを言うとさみしいのかとかやさしいとか言われるけど、断じてそれは違う。
これを当たり前と捉えている人は心のどこかが麻痺しているし、さみしい以前にとにかく困る、またそんなとこに気を遣えない自分らで平然といられる神経はマイナスでしかないだろうと。
なぜそんなままでいられるのかが謎すぎる。

・・・というこの考えをネットによくあるような「私、怒ってます!」系マンガにしてツイッターに上げてみたらどうだろうか考える。
語り手を主婦にして。
「これを旦那に言うと同意はしてくれながらも苦笑いです」みたいな「理解のある旦那いますアピール」もちゃんと入れて(ここポイントらしい)。
まあ本当にやるならあえてもっとまったく普段自分が思ってないことで描く方がいいかな。
上記みたいなガチの感情からだと描いてて途中でこっぱずかしくなりそう。
そう考えるとこの手のマンガを描ける人ってのは相当強固なメンタルの持ち主か、それかネジ一本飛んでるかのどちらかに思えてくる。
もしくは中には自分みたいにまったくそんなこと思ってないのにあえて描いてみた、なんかおもしろいからーって人もいるのだろうか。
なんにせよ怒りの主婦マンガにはいつか挑戦してみたい。
▼バラエティ『有田と週刊プロレスと』

シーズン3を見終える。
最終回でとりあげられたのは桜庭和志がホイス・グレイシーに勝った試合、そこへ至るまでにはどのような歴史があったか、またそこにどんな意味を見出せるのか。
なんとなーくそういうことがあったんだよねー程度に知っていた事柄の、知るほどに深く劇的なリアルドラマよ。
有田の語りはすごい。
ゲストのビビる大木の熱意もよかった。
シーズン4もよしなに頼みます。


▼音楽

group_inou。
なんとなく見つけた。
べつにAC部で検索したわけじゃないんだけど。
活動休止中のようで残念。

カンタンイルカセラピー
https://www.youtube.com/watch?v=ACEBZ-KmuQo

終わり方が完ぺきすぎる
https://www.youtube.com/watch?v=w_os8HqfxHc

ブロリー

2019年1月11日 趣味
ブロリー
▼映画『ドラゴンボール超 ブロリー』

いやこんなにも叫ぶ?
ってほど叫んでた。
雅子も、りょうも、敏も、いやこれ喉どうなってんの・・・ってくらいに。
どんな映画かと訊かれたら「一時間近く人の叫び声を聞き続ける映画」で間違いはなかろう。
ひとつの伝え方としては。
ただ正直、めちゃくちゃおもしろかった・・・

(以下ネタバレ)

すごい特殊な作品と思う。
だってほんとに途中からはずっとずーーっとバトルを見せられるだけなんだから。
物語の作り自体はかなり割り切られていて、レギュラーメンバーの出演も極力限られており。
なんとなーくまあ劇場版だしーみたいな感じで、顔出し程度に出がちなクリリンや悟飯やチチとかも出ず。
ドラマ部分はほとんどブロリーサイドで徹底されていた。

そもそもの出だしがパラガス(ブロリーの親父)主体の物語からだったし、その他もバーダックやベジータ王やコルド大王等の前世代キャラ、つまりほぼおっさんばかりで展開していく。
女性はバーダックの妻でカカロット(悟空)の母であるギネのみ。

一応は子供向け映画でもあろうにスタートをそんなおっさんたちで乗り切ろうとする、じっさいそれで通し切って見ごたえあるドラマを作れていた時点で、やべこれおもしろいんじゃないのか?思わされた。
うわさで聞いて心配していたバーダックの過去作品とはちがう息子への愛情ある父親っぷりも、ちゃんと許容できる範囲で表現されていたのもすごく好感もてたし。

そのあとも悟空やベジータは出ることなく成長したブロリーの話が続いていく。
ここらへんはかなり物語のテンプレ的な形が散見されたけど、過去作品における人というよりはもはや災害みたいだったあのキャラクターに人間性を与えたらどうなるんだろう、といったifをいま目にしているんだなと思うと感慨深いものがあった。

そして戦いが始まると、ほんとにマジでほんとにずっと戦ってた。
もうほんとずーーーーっと。
なのに、飽きない。
通常状態、スーパーサイヤ人、ゴッド、ブルー、フュージョン、ひとつひとつを消化しつつしっかり繋げていく。
ファンの中にある、この形態はこうだよね、ああこれちゃんとやってくれた、みたいなネタをできるかぎり入れながら。
さらには、それってSS4・・・なるほどだからここまで・・・っていう旧作をふまえた新解釈まであって、ここまで考えてくれるものかと。

でもって映像表現もまあ・・・まあーーーあ・・・・・・言葉にできない。
なんかもう、スタッフはすごく大変だったろうけど、それ以上に楽しかったんじゃないだろうか、思えてしまうほど。
こういう攻撃手段はどうだろうとか、こういう返しはどうかとか、このくだりはこの映像技術で、この曲でとか、なんかそんなアイディアを詰め込まれるだけ詰め込んで、しかもそれらが作り手の自己満足だけになっていない、楽しさが見ていて十二分に伝わってくる、そんな映像劇で完成されていたというか。

激しくてスピードのあるアクションだとたまに、なんかすげーけど何やってるかわからねーよ・・・というのがあるんだけど、この作品においてはすべてが把握できる。
もう画面上で行われていることはめっちゃくちゃ、まさにハチャメチャ押し寄せすぎなのに、こうなってこうだから、光線がこうだから、こうで、こう防いで、でも防ぎきれなくて、ああああ、みたいな。
パターンも演出も手を変え品を変えで、ここまでの映画はマジで、他にあるの?って思える。
ないと思う。
言い切るわ。
だってこういうここまでのは『ドラゴンボール』だから許されてるんだろうな思うし。
なんかね。

そうした映像の工夫のありがたさと楽しさでは要所で泣けてしまったけど、ドラマ的にはそういうのはないなー。
思ってたら最後の最後でやられた。
戦いが終わったあと悟空が、元いた星にもどったブロリーを訪ねてくる。
そこで最後に初めてブロリーに自分の名を伝えるんだけど、
「オラの名前は孫悟空。それと、カカロットだ」
みたいに言って終わる。
それは泣く。

今回の映画のブロリーは最後まで悟空、カカロットの名を知らない。
過去作ではあんなにも「カカロットォォォォ!!!」言ってたのに。
それは憎しみと怒りのこめられた、しかし他者とのただ一つの繋がりともいえる悲しい叫びだった。
それが今作では、悟空のほうから、同種族の絆として、新たな友の証しとして伝えられる。
悟空のことだからこれは理屈ではないだろう。
なんとなくブロリーに対してはサイヤ人としての名も告げた方がいいと感じたんだと思う。
でもそれはもしかしたら、過去作のブロリー、目の前とは同じでありながら違う顛末を迎えた別世界の悲しい存在の影響が、知らずともどこかあるのかもしれないと思うと。

また同時にこれは悟空が、かつて自分を地球人や地球育ちのサイヤ人であると言ったのとはまた違い、ひとりのサイヤ人である自身を認めていたとわかるセリフなのがもう。
過去にはただサイヤ人といわれることを否定していた彼が、こうして自ら”カカロット”を名乗れるようになった今と、そしてそうなるまでに至ったさまざまな出会いや思いを考えると。

一応引っかかったとこも書くと、悟空の戦い前のウォーミングアップが若干キモかった。
悟空はもっと単純な体操のほうがらしくね?思えたし。
そのへんも含めて進化してると言えなくもないけど、好みでいえばおいっちに的な体操のほうがやっぱり良い。

あとフリーザの威厳というものを、つい過去の最盛期と比べてしまうと悲しくなる。
このキャラで最前に居続けるにはある種この立ち回りが妥当でもあるんだろうけど、やっぱり。
色んな意味でしっかり仕事はしてたと思うけど。
側近がかわいい系統デザインばかりなのも不満だ。
新たなザーボンさんドドリアさんポジションがいての並びをまた見てみたい。

とにかく完璧じゃないけど完璧以上のことが多くある作品だった。
ひとつの『ドラゴンボール』映画の、現時点でのバトルアニメの究極形は間違いなく見られる。
というか体感できる。
素晴らしかった。

ミャマ・ガナ

2019年1月14日 趣味
ミャマ・ガナ
▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

買ってしまった。
とうとう。
だから俺はもうゲームは卒業したんだって、始めちゃったらそればっかりになるから、今は他にもやりたいことがたくさんあるんだから。
そんな人にゲームやれやれ言うのは、アル中患者に酒すすめるようなものなんだぞって。
抗ってきたのに。

でもこの4連休、残り3日どうすっかなー・・・寒いし山にも行きづらいなー・・・
で、つい・・・
一緒にブロリー見にいった人は『ポケモン』好きだってのもわかったし、結局周りはゲームやってる人ばかりなのよな、いや俺だって好きだよ、好きだけどでも・・・
という葛藤や煩悶を経て・・・
だからといってここで『ポケモン』買うのは魂売りすぎだろ!!!それだったら『ゼルダ』や!!!!!
わいは『ゼルダ』がやりたいんや!!!!!!!!!!!!!
ということで残りの連休は『ゼルダ』一色に。

薄々思ってたけど俺はアクションが下手だ。
好きなのに下手だと思う。
なに、ザコ敵でもなんでもまず一発食らわない気が済まないの?
ってくらいに食らうし。
まずやみくもに攻撃しようとするから守りがおろそかになるんだな・・・ってわかってるのに指が固まるしボタンを押し間違える。
下手だ。

あと、いまのところ手に入りやすい武器が鎗とか大剣系多めなゆえもある。
このゲームは武器に耐久値があって、マジですぐにぶっ壊れる。
壊れては今倒した敵の武器と交換しての繰り返し。
強めの武器は使わずキープしつつ。
そのやりくりがおそらく良い意味でのストレスになってゲーム性高めてるんだろうけど、槍や大剣は盾と併用できないから片手系よりもとっさの防御手段がひとつ削られている。

だから、通常は鎗を背にしまっておいて、敵が出たらまず盾をかまえる(槍をかまえなければ盾は使える)、それを癖づける。
で盾を構えつつ相手の動きをみて、避けて、ここぞで攻撃。
そしてまた槍をしまい、盾モードにもどる。
・・・という居合槍術みたいな戦法を編み出しつつある。

でこのハイリア流居合槍術を極めんと武者修行中なので、ストーリーがほっとんど進んでない。
まだボスらしいボスとも戦ってないし。
でももうひたっすらストーリーとかガン無視でウロウロしてるだけで楽しくて仕方ないんだから、ダメだろ。
ダメだ・・・・・・やっぱりゲームはダメだ。
いやゲームがじゃない、ゲームをやる自分を制御できない自分自身がダメなんだ。
最悪スイッチ叩き壊すしかない。
無理だろ。
とにかく『ゼルダ』が終わったらスイッチ再封印だ。
▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

ゲームの世界で何かを得たところでリアルに還元できるわけではない。
まあ体験、感動とかは残るけど、そういうのはゲーム以外のことでも得られるし、リアルでのほうがもっと具体的な自身の成長や変化につながる。
という考えは今も変わらない。
『ゼルダ』鬼楽しいけど終わると・・・結局またゲームに相当な時間を費やしてしまった・・・なるし。

そして逆に、リアルで今日ここまでがんばったんだからリンクのがんばりゲージ上げてくれないかなー思ったりもする。
いつかそういう時代がくるのかもしれない。
というか課金がすでにそういうものだろう。
でも課金はなんだかいまだ抵抗があって、そこらへんは現実と切り離してくれよという、さっきと真逆じゃねーかな相反する思いもある。

だからやはり、ゲームはゲーム内で完結するからこそ良い、美しい、という考え方もあるのかもしれない。
その境地にいたるにはリアルのほうも充実していないとダメそうだけど。
現実に自信がないとゲームに逃げてるだけ感出てくるから。
ゲームを本当に心から楽しむには、ゲーム以外のこともしっかりやってこそなんだろう。
なんだかめずらしくまともな結論に至った気がする。


▼絵

地味に続けている。
いまだ8頭身の素体練習だけど。
しかもまだ上半身正面のみ。
先日1.5、2.55、3.5のシステムを生み出した。
明日からは上半身横向きを詰めていく。

リンダマン

2019年1月19日 趣味
▼マンガ『クローズ』(高橋ヒロシ)

今週からチャンピオンで『WORST外伝 グリコ』というのが始まり。
元の『WORST』は『クローズ』の続編であり、そういや『クローズ』って読んだことないなー、松本人志とか有吉も話題にしてたことあったっけなー。
思ったら読みたくなったので『クローズ』1~5を電子書籍で購入。
フツーに面白い。
今のところ普通に、擦れた言い方をすれば想定内な不良喧嘩マンガ。
ここから作者ならではの味がさらに出てくるのだろうか。
とりあえず人間の体重が妙に軽い世界というか、強いパンチ食らうと人がふっとんでズザザーってなるのが印象的。

主人公・坊屋春道は不良だらけの鈴蘭高校に転校してきたものの不良組織間の抗争にはまったく興味がない。
しかしケンカがめちゃくちゃ強いため周囲が持ち上げひっぱりだそうとするのをめんどくさがり、
「うれしー時に笑って悲しー時に泣いて腹がたったら怒る!!オレはそーしていてーんだ!!オレはオレでいてーんだ!!」
と関わりを拒否する。
このセリフはものっそいシンプルだけどなんだか、妙に、そうだよな・・・それが基本だよな思わされた。
リアルでの現状をふりかえってみて。
それでも自分は、好きにやれてる方だと思うのだけど。

春道はしかしそんなことを言いつつも結局人を見捨ててはおけない。
突き放すようなことを言っても、その真意ややさしさが周囲に伝わるたび、当人の思惑とは別に人をひきつけていく。
主人公だわ。


▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

まったくメインストーリーを進めてない。
ハート4個のままひたすら諸国漫遊、全シーカータワー制覇しそうな勢い。

ハート(HP)の代わりにがんばりゲージを上げている。
ハートが増えるとゴリ押ししてしまう場面多くなりそうなので、いまはもう少しこのギリな緊張感と、やられないための工夫で楽しんでいきたい。


▼アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』

スティッキー・フィンガーズ VS ザ・グレイトフル・デッド。
覚悟セリフのとこさんざん読んだとこだけど泣けた。
▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ワイルド』

ようやく金策のめどがついた。
鉱物だ。
定期的に原石ポイント回って発掘。
これで兵士の鎧とシーカー服一式そろえることができた。

さらには家も買った。
家買ったらアイテムストック数かなり増えそう!?
思ったんだけど、剣(槍)、弓、盾をそれぞれ3つずつ保管できる程度だった。
まあいいんすけど。
家はこれ以上大きくできないのかな。

あと手持ちの武器数拡張してくれる奴が行方不明・・・
そのための交換アイテムはどんどん増えていくのに、奴がいなきゃ意味ねー。
次は奴さがしを目的としてプレイするかどうか。

そんなこんなでメインストーリーは相変わらず進まず。


▼掃除

部屋片づけた。
まあ。
俺の部屋が散らかるのは半分くらいホームズのせいだ。
シャーロック・ホームズは平気で散らかすから。

脱いだ靴を灰皿替わりは有名だけど、グラナダTV版では屋外で椅子に座り新聞を読んでいてさあ行くかってなったら何故か新聞ぶわっさー巻き散らして出発したりとか。

あとせっかく下宿先のおかみハドスンさんが部屋を片付けてくれたのにホームズがさがしもので散らかしに散らかしてそこにワトスンがやってきて
「一体なにをさがしてるんだ?」
「あれがないんだよあれがワトスン!」
「(ゴソゴソー)・・・いやここにあるけど?」
っつう。
で「おおそれだ!さあこうしちゃおれない!」って二人出発した後ろから部屋を見たハドスンさんの悲鳴が聞こえてきたり。

こんなんまちがいなくダメダメなんだけど、でもホームズがカッコいいからそういう奇行にまたしびれてしまったりするんだよな。
そして自分の部屋が散らかっても「まあホームズだってあんなだしな」とつい思ってしまう。

あと「部屋が散らかっているほうがクリエイティブになれる」ってネット記事があったので、それもあり。
たしかライフハッカーの記事だったのでライフハッカーがそういうならそうなんだろうと深く考えず俺は納得することにしたし。

でもまあ、片付けた。
やっぱり散らかってると困ることもあるからね。
はい。


▼プリキュア

ひさびさに姪っ子にせがまれプリキュア描いた。
自分でいうけどわずかながら画力上がってたと思う。
うまくなったというより絵というものを描きなれてきた感。
やっぱり日々なんであれ「描く」を続けることが大事なんだな。

それにしても相変わらず姪っ子はプリキュアアラモードが大好きだ。
新しいシリーズも認識してないわけじゃないみたいだけど描かせるのはほぼアラモードのキャラのみ。
普通こういうのって特に子供はさっさと新しいのに乗り換えそうなものなんだけど、姪っ子がめずらしいのかそんなにアラモードが求心力あるシリーズだったのかどっちなのか。

夜光石

2019年1月22日 趣味
▼格ゲー配信『勝ちたがりTV』

ハイタニ来週で卒業。
番組入って3年。
もっと長かったようなそれくらいだったかと思うような、とにかく定着してたからな。
さみしいな。


▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

金策安定したけど、べつに今すぐほしいものがあるわけじゃなし。
無目的に発掘しているうち・・・あれなんでこの世界にいるんだっけ?
思えてきたので、さすがにそろそろ世界を救うかと考える。
そのための修行を始める。
例の修行道場みたいな祠の制覇を目指そう。


▼絵

横向き素体ムズイ。
今の参考先だとかゆいとこに手が届かない。
他の例さがして参考にするしかないのか。
自分の決定版はコレ!というのは結局自分で作るしかないんだろうな。

2019年1月23日 趣味
8頭身横向き素体の例がほしいだけなんだ。
なんでこんな苦労するんだ。
性格だろう。
ま、こんなもんでいいっしょ、ってならない。
どこのラインでそうしたらいいのかわからん。
ここわかんねーなー、じゃこっちのサイトの例見てみよう・・・さっき参考してたのと比率ちがうんだけど・・・
とかなったりでもうどうしたらいいのか・・・

そこらへんはまだ適当でいいのよ、の、適当具合がわからんのだよ!!!
おおおう・・・・・・・・・
▼マンガ『モブ子の恋』(田村茜)

Kindle版が1巻無料だったので読んだ。
なんだか自分は、もしかしたらモブ子なんじゃないか?
思ったので。
そしたらまあ、うん・・・
うん・・・・・・・・・・

皆なにゆえに愛だの恋だのにうつつを抜かすのだろうか?
いや、特に男はだ。
本能的には強くなるためか。
板垣マンガ理論でいえば雄度を高めるために強き雌を欲す。
強さとは我が儘を通す力だというセリフも何度か出てくる。
そうなると強さは目的であり手段ともなってくる。
それでは人間の、というか個人の究極の我が儘はなんだと考えると、やはり己の子孫を残したいということになるんじゃないだろうか。
それは自分が確かにこの世に在った事のこの上ない証しなんだろうし。
自分という命の拡張行為でもある。
あの範馬勇次郎でさえ抗い難い行いと考えると、自分ごときが逆らえるはずもない。
目を背けたり忘れたりはできても、生きている限り自分の中から消えることはない、まさに命題というものだ。

そういうものを『モブ子の恋』は描いているわけですよ。
田中信子という”雌”と入江くんという”雄”の精神的キャッチアズキャッチキャンであり魂のスクラップ&ビルド。
格闘マンガです『モブ子の恋』は。
第2巻は電子版でも583円。
ちょっとこの感じでこのお値段は、まあ、うーん・・・・・
なので次買うのは後日気が向いたら。

マコノヒー

2019年1月27日 趣味
マコノヒー
▼映画『インターステラー』

人から薦められアマプラで視聴。
めちゃくちゃおもしろかった。
SFってそんな見るほうじゃないからたまに傑作級の見ると圧倒されぐあいがすごい。
途中途中でなんだか体が硬直というか固まってしまったくらい。
怖い。
SFってホラーだ。
そのくらいに。
でも最後しっかりまとまってるんだなーって。

『インターステラー』はタイトルだけなんとなく聞いてて、画像見てもあー宇宙ものなんだねーくらいの認識だった。
それ以上のなにか評判とかも耳に入ってこなかったし。
いやでもこれは、例えば『怒りのデス・ロード』とか『シン・ゴジラ』とかそれくらいの感じで、見てない人も「もーじゃー見ればいいんでしょ!」みたいになってしかるべき作品じゃないのか今は思う。
それとも自分が詳しくないだけでSFの大作って大体こんなレベルなんだろうか。
んなわけもねーと思うんだけど。

物語的には、地球に限界きてっから、人間住むにはもうヤベーから、移住できる星さがそうぜ!というような。
その候補を謎の第五次元的な存在が謎にサポートしてくれてるしと。
で幼い息子と娘のいる元エンジニアでパイロットのクーパーさんが、子供を置いて旅立ち、物語は宇宙のクーパー視点と地球の子供視点で展開していく。

出てくるロボがまたよかった。
モノリスみたいなサポートロボが何体か出てくる。
最初出てきたときはハリボテみたいな印象で、ぎこちなく動く壁みたいで、え、こんなんが近未来のロボ?急にB級臭してきたけど・・・
正直思ったけど、しばらくすると、なるほど!!ってなる。
なにこのニッブイ動き・・・思ってたのが、なるほどスゲーー、って。
で終盤にはその、いろんな面で頼りになる、”人間”の相棒として掛け替えのない存在として、彼らを思っている自分がいる。
この感覚が不思議だ。
こうした人間が作ったものと、人間のちがい、その境界線はどこにあるんだろうかと。
いやちがっているからこその良さ、愛おしさってのもまたあるはずだろうしって。

最も長く付き合うロボ”TARS”(ターズ)の吹き替えが多田野曜平ってのも良かった。
この声で落ち着いた報告されると、どんな状況でも、たとえ宇宙の果てでも時空のはざまにとばされても、いったん冷静になれる気がする。
人間味あるしジョークレベルも設定できるし。
究極人間の脳みそだってひとつのコンピュータなのだから、人が人に対して思う安心をAIから得てもおかしくない。
それでもやっぱりこの関係が不思議だと思えるとこもまたおもしろい。

これから見ていくドラマ・映画候補のなかのSF濃度をもう少し上げてみようかと思った。
とりあえず視聴中断中の『ドクター・フー』再開してみるかな。


▼ドラマ『ビッグバン・セオリー』

恋人から友人となったシェルドンとエイミー。
のはずが二人で水族館へ行き、エイミーは「もう一度やりなおさない?」と言う。
しかしシェルドンは「僕は完璧だからなんでもできるけど、君を忘れるのにはずいぶん苦労した。だからこのまま友人でいよう」と。

このセリフに一切の他意がないんだろうなと思えるのがまさにシェルドンというキャラクターのおもしろさだ。
彼自身にエイミーをなにか責める気はなく、ただ自分が思う客観的で具体的な事実として述べている。
だからこそ、彼にとってエイミーがどれほどの存在だったかをこの上なく伝えることもできている。
シェルドンにその気がなく、また彼が自身の人間的感情を否定すればするほど、彼の純粋な人間味に良くも悪くも周囲はやられてしまうんだろうと。

そんな彼だから、うっとうしがられても、周囲の友人らは放ってはおかない。
できればシェルドン自身が一番良いと思える状況にしてあげたい、と考える人たちに彼は囲まれている。
人間関係の理想かつ基本ってこういうことか。


▼小説『怪奇探偵小説集(1)』

一週間の合間の時間を使って読み終えた。
初読では『死体蝋燭』(小酒井不木)がよかった。
そこまでとりたてるような内容ではないかもしれないけど、でもなんかしっかりしてて。
それと『恐ろしき臨終』(大下宇陀児)、これは仕掛けがすごく好みだった。


▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

遠回りに継ぐ遠回り。
オープンワールド、なにやってもいいよ、いわれたらそら好きなことするよ。
「まだボス倒してないの?」みたくいわれても「なんでボス倒さなきゃいけないの?そんな急がなきゃいかんの?」ってそら返すし。
おかしな質問だと思う。
ゲーム楽しいんだからいいじゃん、って言ってた人たちが、人の楽しみ方にとやかく言うとは。
そもそもをいえばゲーム自体やらんでもいいものだってこと忘れてるのか。

って思いはするものの、たしかにでも、そろそろ先進めないとヤバイ。
『ゼルダ』でほぼ一日が終わる。
『ゼルダ』→iPad→『ゼルダ』→昼食→『ゼルダ』→iPad→昼寝→『ゼルダ』→iPad→昼寝→夕食・・・だ。
iPadはほとんどマンガかバラエティか怪談だ。
『ゼルダ』で疲れたから娯楽(iPad)でひと休みすっかー感覚だから。
これはだめだ。


▼予定

土曜の予定を早めに立てる。
土曜さえしっかりすれば休日(土日)に対する一応の納得は得られるはず。
▼絵

もうマンガ描く。
絵がうまくなりたいというよりはマンガを描きたいのだから。
これ宣言するの3度目くらいだと思うのだけど。
今のままではいつまでたってもマンガにたどりつけない。
「絵」にいきづまったのなら「マンガ」を描けばいいじゃない方式でいく。

とりあえず候補は2作までしぼった。
童話ファンタジーか実話風創作怪談だ。
どちらも短編で、童話ファンタジーはドラゴンが出てくるのでその造形や、人がたくさん出てくる場面なんかがかなりの挑戦だと思う。
実話風創作怪談のほうはすごいフツーな感じ。
でもうまくいけば、あーそういうことだったのか・・・ってなる、はず。
既存のあるある怪談にひと工夫系ので。
構造はシンプルなだけに実は演出の仕方がむずかしいんじゃないだろうかと思う。

純粋に描きたいのはファンタジーだけど、今の実力でってとこを踏まえると怪談のほうがまだ描きやすい。
なので怪談だ。
いやでも一応、ネットで拾ってきた怪談としてだれかに話してみて、その反応次第で改めて検討する。
話としては成立してるけどこの要素は弱みだなーって思うとこもあるし。
とにかく進めていこう。


▼週末予定

理想としては

1.午前中に大山登山。
2.昼頃帰って風呂。
3.床屋行く。
4.映画『ブロリー』見る。
5.図書館寄る。
6.帰って『男はつらいよ』見る。

登山帰りはやる気テンション上がってるからそれを利用すればなんとか・・・
なんにせよ前日何時に寝られるかが問題だ。

ロードランナー

2019年1月29日 趣味
▼マンガ

創作怪談を人に話してみた。
「へえー」みたいな反応だった。
でもツイッターには普通にありそうとも言われたので、ありっちゃありっぽい。
・・・と思っていいのかどうなのか。
まあでもマンガの練習と割り切ればいいのか。
今回描けてもまだ3作目だし。
いくつか修正点も見つかったので、そこ変えたバージョンでもう一回べつの人に話して再検討する。


▼勉強

やり方を変えよう。
自分に足りないと感じることを埋めていく。
今の「一から復習法」が間違っているとは思わないけどやっぱり時間がかかりすぎるから。

とりあえず「足りないな」と思っていることは名前と数字。
自分は人の名前と数字を極力おぼえようとしない。
冷静に考えたらそれでよく生きてこれたなと思う。
個人的に「頭いいな」って思う人はこういうのを、特に数字をすっと口に出せる人なわけだし。
『有田と週刊プロレスと』見てると有田は試合の日付なんかを自然と出してくる。
あれはほんとすごい。
カッコいいな、自分に足りてないな、と感じる最たる例だ。
まあ数字へのこだわりというよりこれは記憶力の問題かもしれないけど。

あと哲学と心理学。
よくわからんけどこれ関係を匂わせたこと言う人は漠然とカッコいいから。
先日窓ハルカ先生もやさしい哲学入門みたいなの読み始めたとツイートしてたし。
せっかくそういうのがあるならそっから始めてみるのもいいだろう。

そして学んだことは残るようにする。
メモをとるのは当然だけど・・・メモをとることはかえって記憶には残りにくくなる説もあるってネットが言ってた。
もうそういうのやめて、言わんといて、ちょっと思った。
メモとるのダメなら記憶力ない勢はどうしたらいいのよ・・・紙に書いたのをリアルな意味で飲み込んでいけばいいの?(プロレスラーの山本小鉄はレフェリーの勉強のためとったノートのページを片っ端から飲み込んでいった)思うし。
そこらへんどうするか考えることも含めて勉強か。

とにかく少しずつ進めていく。
もし「なんか思ってたんとちがう」ことになってもそれはそれで変化だし損はないはず。
詩を学んでいたはずが登山するようになったみたいに。
なんにせよまずは名前と数字だ。
今年の二大課題だ。

アリアリ

2019年1月30日 趣味
アリアリ
▼ゲーム『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

いい感じの謎解きにぶつかった。
無数にある「試練の祠」のひとつなんだけど、これは、いやガチだなと。
ガチで挑んできやがったな感。
解くしかない。


▼アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』

最後のペッシの行為、プロシュートはどう見ていたのだろうか。
もし批判するとしたら善い悪いではなく格好悪いといった物言いになるんだろうか。
あれはしかしチーム視点でみれば後の仲間のための行為ではある。
もし成功していたら大きな貢献になっていたわけだし。

5部というか『ジョジョ』における善と悪のひとつのちがいとして、善は結果へと至る過程を大事にし、悪は重要なのは結果だけというのがある。
ペッシはブチャラティとの堂々たる一騎打ちに応じた。
ジョルノたちを人質にとるようなことはせず。
社会的な善悪を抜きにすればここまでの過程に問題はないはず。
そもそもの暗殺チームの目的が私利私欲であるといったところもこの場合置いておくとこだし。

そして敗れ、せめてジョルノたちを道連れにという選択は、チーム戦という視点で考えると正直そこまで自分には批判できる行いとも思えない。
むしろブチャラティが気高すぎるんじゃないかとすら思う。
ジョセフならもう少しちがった評価をくだしたのだろうか。

・・・とここまで考えてツイッター覗いてみたところ、ペッシとエシディシはぜんぜんちがうだろの意見が多い。
でもなんか違和感あるな思ったら、原作では明確に「仲間のために」的なセリフがあるけどアニメだとカットされてたとのこと。
個人的にペッシの最期は原作の印象のほうがやっぱり強いので、アニメでもそのセリフあったように思い込んでいたけど、ないならまあ、そうか、ってなる。
やはりアニメスタッフ的にもそのセリフのないほうがブチャラティのペッシ評や締めも自然と判断したのだろうか。
ペッシもペッシなりにがんばったのにそこまでアリアリせんでも・・・ってならないよう。
この改変はなかなかおもしろいとこだと思う。

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