ドニー・イェン

2019年7月28日 趣味
ドニー・イェン
▼ドラマ『ストレンジャー・シングス』

6話まで見た。
変わらず予定調和な展開。
でもテンポは悪くないから見れる。
姉ちゃんの恋愛パートとか特に。
まあそこタラタラやられてもちょっとなーだし。


▼ドラマ『あぶない刑事』

いったんもっとこう、わかりやすく歯ごたえのあるものが見たいなー思えてなんか急に見た。
第1話。
もう10回くらい見てそうこの第1話。

19歳の未成年が誕生日直前に爆弾騒ぎを起こし殺人まで犯してしまう。
未成年であれば罪は軽いとの自覚ある上でだ。
タカは犯人が20歳になる直前に時間を偽り、誕生日を迎えたその日に拳銃を発泡するように仕向ける。
結果、犯人は成年として逮捕されるのだった。

その後の締めのパートで港署のみんなに責められるタカ。
「きびしすぎる」「そこは融通効かせてもいいじゃないか」みたく。
でも・・・いや人まで殺してるし、未成年であればっていう自覚も悪質だし、これそこまでタカが責められることかな?と。
たぶんこの話見るたび思っていることのような気がするけど。

しかしじつはタカの提出した報告書には逮捕した時間が誕生日直前の「23:59」と記述されていたと知り、皆は手のひらを返す。
それについてはまあいいんだ。
でも事件については、その対応でなにか救いが生まれるのだろうか?と。

この犯人に温情をかけても何も変わらないかもしれないし、何かが変わるかもしれない。
それは誰にもわからない犯人自身の問題だ。
だからそこではなく、そうした人間と関わる者として、タカや港署の人たちは、自分たちはどう向き合っていくべきか?ってことなのかもしれない。

心無き犯罪に、心無き裁きでは、ただルールだけが先行し、あるべき人間性は置き去りになってしまう。
他者の罪と関わるとき最も注意の目を向けておくべきは、相手ではなく自分自身なのではないだろうか。

最近はどうにも人の罪に対し、良くも悪くも極端な反応ばかりが目立っている気がする。
でもどこかひとつだけに傾くのは、明瞭明確なようでいて、ただの思考停止にも思える。
もし自分はまっとうだと、まっとうな人間でありたいと思うなら、苦しくてもまずいろんな角度から考え、いったんでも狭間に立って悩むべきなんじゃないだろうか。

例えば罪に触れたときにわきおこる悲しみや怒り、そうした感情は否定すべきでないと思う。
しかし起きたことに対する思考のすべては、そうした自身の感情からのみ導かれるべきものってことでもないはず。
今ある感情、それとはまた別の心からの思考、これらを分けて持てることが人間ならではの賢さなんだと思うし、なにより忘れちゃいけないのが自身もまた完璧な人間などではないということ。
そのへんをごっちゃにすると、人の罪なんていう慎重になるべきことに、短絡的な考えしかもてなくなりそうで怖い。


▼映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』

アマゾンプライムビデオでレンタル視聴。
評判通りの見応え・・・ではあったんだけど。
時間については勘違いしながら見てしまった。

配信動画のシークバーのとこ見ると全部で3時間ちょいになってて。
そんな長いのかー!思いながら見て・・・いやもうふつーだったらここ終盤でしょ?こっからまだ半分もあるのかよ!?・・・と思ったら結局そのまま終わった・・・残り時間メイキング映像だったー・・・
と。

だからこういうのは時間確認してから見たほうがいいかもしれないな。
今後は2時間半越えてたらメイキング疑うことにする。

内容的には、キャラも能力もそう強くはないんだけど個性はちゃんとあるやつらに感情移入できて、スピンオフ作品として十二分に楽しめた。
まあダース・ベイダーは別格として。
アイツは強すぎる。
なんかもう死神というより”死”。
強制スクロールだった。


▼マンガ制作

変わらずパース学習中。
それにしてもこういうの説明してるサイトって途中の段階で「ここはもうわかるよね?」みたく端折るの多くない!?思う。
いやわかんねーですよ、ってとき、どうしたらいいのかわからなくなる。
どういうニュアンスで端折ってるのかも明確じゃないときあるし。
「もうわかるよね?」なのか「まあ今はわからなくてもいいですよ」なのか。
そういうのあると悩んで止まってしまうんだな・・・

なので動画で学んでみることにした。
youtubeにもたくさんそういうのあるし。
実際動画だとちょっとした端折りがあっても「まここはさらっと見ていただいてね」とか言ってくれたりするからそこに関してはスムーズに学んでいけそう。

今日見た動画では
「パースは”表現”のためのいち技術にすぎない」「技術が先行してはいけない」「見るものが創作に求めるのは”表現”なのだから」
と語られていて大いに感銘だった。

とりあえずパース学習はいったん区切って今週までにする。
土曜からはまた下書きにもどろう。
下手でもなんでも描いて次進もう。

父と娘

2019年7月29日 趣味
父と娘
▼早寝早起き

どうしてあと1時間早く寝れないんだ。
というか予定就寝時間より1時間延長してしまうんだ。
今日をもう終わらせてしまうのもったいない・・・の気持ちが強すぎる。
ここをほんとどうにかせねば。
せねばってばよ。

おまえには怪談があるじゃないか。
いつも怪談を聴きながら寝床につくのだから、その怪談を聴いているうちはまだ「今日」なんだよ。
だから今日ははい『フラッシュ』見ながら夕飯食う、食ったらいったん動画止めて歯みがく、動画に戻る、見終える、iPadで怪談動画スタート、そのまま自然と寝床へ・・・
これでいこう。
今日はこれでいくと具体的に決めた。
あきらめない。


▼ドラマ『フラッシュ』

シーズン5をHuluで視聴開始。
やっぱり安定して楽しめる。
もはや老舗の風格すらあるようなないようなだ。
海外ヒーロードラマとしては。
でもキャストの印象はシーズン1のまま。
5年じゃそうは変わらないか。

シーズン5第1話は前シーズンのラストに続き謎の少女の正体判明のとこから。
彼女は実は未来人であり、バリーとアイリスの娘ノラだったのだ!
つまりシーズンの始まりとしてはけっこうふつー。

『フラッシュ』は毎回シーズン開始時は、前シーズンでドエライことが起きてのその後からか、バリーがなんらかの理由でいなくなってそれを呼び戻すところから始まっていたからだ。
それらとくらべるとまあ、通常回にあってもおかしくなさそうな始まり方といえて。
やはり老舗の貫禄なのか。

でも『フラッシュ』はドエライことが起きると、時間軸がどうとかパラドックスがなにやらで、大ごとになりすぎて矛盾に感じることやキャラの倫理観などで悩まされることもあるから、始まりはこんなんでいいのかも。
このドラマの何が好きかって言えばやっぱり「いつものあの感じ」だし。
テンポよく問題を処理して前向きに進んでいくあのいつもの。
その1話完結のなかで大ボスの縦軸ストーリーが徐々に展開されていくっていう。
なので第1話は「あーひさびさー」って感じもあるのだしこんなんでいいのかも。
シーズン5も楽しんでいくぞ。


▼ふりかえり『あぶない刑事』

昨日の第1話をもう少し単純に考えた。
タカがあの犯人を未成年のままにしたのは単に刑事としての立ち位置を守ったということだけのことなのかもしれないなと。
未成年が成年になったタイミングで法を破ったのは、なりゆきもあるけど、最後にはタカが意識的に仕掛けた形になっていたわけだし。
それは刑事の仕事からは逸脱した個人の感情からによる行為だ。

だからあの一連はタカが自身の感情を交えつつも、最後は刑事としてのルールを遵守した、ということなのかもしれない。
サブタイトルの「暴走」も未成年による理由なき犯行と、タカのそうした感情の2つにかかっているんだろうし。

『あぶない刑事』も改めて見ると過去とは感想になるんだな。
時代によるものなのか自分の年齢によるものなのか色々理由はあるんだろうけど。
この1話だけたまたま見た形だけど引き続き見ていってみようかな。


▼マンガ制作

動画講座でパース学習。
広角と望遠。
明日からは「パース」でなく「建物の描き方」解説参考にしてみる。

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